第3話 亡霊と白百合

前回のあらすじ

半分現実逃避のやけっぱちで、セカンドライフを送るのだと気楽を装って正気を保とうとする閠。

耐え難い現実に向き合うコツは、直視することでも目をそらすことでもなく、半分だけ見て半分だけ目をそらすことだ。





 さてと。

 それでは。

 改めまして。


 私は新たな人生を幽霊としてのんびり過ごすというろくでもない決意をキメたのだったけれど、問題はここがどことも知れない森の中ということだった。


 先程から見る生き物と言えば、出会い頭に悪魔超人も真っ青のギロチンチョップでまさしく出会ったばかりの頭をすっぱり大切断してしまった角猪や、何やら雅な鳴き声を上げる鳥、それにせせらぎにちらほら見える魚くらいだ。


 小動物や魚なんかは見ていて癒されない訳でもないけれど、いくら何でも日がな一日眺めて過ごすというのも退屈だ。生産性がない生活を送る気ではいるけれど、そこまでなにもしないのは幽霊どころか死体と変わりない。


 川が流れているのだから、最悪川沿いに歩き続ければどこかに出るだろうけれど、必ずしもそのどこかが人里に近いとは限らない。


 そこまで考えて、最悪の想像に思い至った。


 あの角猪はゲームでは見たことがない獣だった。そのことから必ずしもすべてがゲーム通りではないとは思っていたけれど、そうなるともしかしたら人間そのものがいない世界に転生したという可能性もありうるのではないだろうか。人間というか、知的生命体全般。


 この体が必ずしも人体と同じようにできているとは思えないし、私が平然と呼吸して違和感なく体を動かせるからといって酸素濃度や重力値が地球と同じとは限らない。とはいえ少なくとも空の色や陽光の加減、水の状態や動植物から見て、この世界が恐らくハビタブルゾーン、生命居住可能領域であろうということは予想できる。


 この時点で天文学的レベルで希少な発達っぷりと言って過言ではないくらい、宇宙には生存に適した惑星が少ないと聞いたことがある。私たちの知らない生命形態に適した惑星はあるかもしれないけれど、少なくとも地球型の惑星でかつ地球のように生命が発達可能な惑星は驚くほど少ないだろう。


 その驚くほどレアな世界に来れたのはいいとして、そこで知的生命体が発生し、かつ文明を起こすレベルにまで発達しているという、二重の難易度の壁が立ちはだかる。まだ二息歩行を始めていないとかいうのでも十分好条件で、下手すると環境がそれを許さないために文明を起こすに十分な知性と能力を持った生命体が進化できないかもしれないのだ。


 どうして異世界転移した連中はどいつもこいつも楽天的に何とかなると思えるんだろうか。どう考えても奇跡の重ね掛けとしか思えないレアリティではないか。


 私とあのハーレム主人公たちと何が違うのか少し考え、そして気付いた。ヒロインである。


 ヒロインでなくてもいい、現地人である。


 異世界転生やら転移やらで大事なのは現地人との接触が割と早い段階で起こることだろう。全く何もわからない主人公に現地のことをいろいろ教えてくれ、その後キーパーソンとして行動を共にしてくれるヒロインとかそのあたりが大事なのだ。仮に現地人でなくても、頼れる仲間とか、そういうのでもいい。不可思議な状況を前に仲間がいるのは大事だものな。


 ご都合主義と言えばご都合主義なのだろうけれど、物語の展開的にも早いうちにそういった手合いと遭遇するのは必須と言えるだろう。話が進まなければ文字通りお話にならない。いつの世も物語はそのように始まるのだ。ボーイミーツガールとかボーイミーツボーイとかガールミーツガールとかヒューマンミーツモンスターとか、出会いは物語を加速させるのだ。


 翻って私は何だ。


 出会ったのってなんだ。


 猪だぞ猪。角付きの猪。しかも全力でこっちを殺しに来る鼻息の荒い角猪。オーエルミーツモンスター。挙句に出会い頭に首ちょんぱだよ。OLの所業じゃないよ。モンスターミーツモンスターだよ。どんな怪獣大戦争だ。


 殺してしまってるから話も進まないし直後に汚らしいからって手を洗い始めるド畜生だぞ私は。命の尊厳もへったくれもあったもんじゃない。初殺戮の直後で命に敬意払えるほど余裕ある民族じゃないんだよこっちは。


 しかしまったくどうしたらいいというんだ。


 考えても見てほしい。仮に、仮にだけど、異世界転生ものの新作と期待して読み始めてみたら、いきなりアニメだったら黒塗り必至の殺戮かました挙句、三話目に突入してもひたすら一人語りを続けて現地人の一人も出てこない、しかも主人公が26歳元事務職現暗殺者とか誰が喜ぶというんだ。


 そのうえ露出の欠片もないガチ暗殺者スタイルで色気など微塵もない大女だ。


 さらには《技能スキル》で隠れているので第三者視点だとひたすら爽やかな朝の空気とマイナスイオン溢れる心地よいせせらぎの流れる森の映像しか流れないんだぞ。放送事故か。私だったら「しばらくお待ちください」とか「映像が乱れております」のテロップ流すわ。


 もしこのままさらに一話分、石に腰を掛けた透明人間を映し続けたらある意味伝説回だろうが、その間ひたすら独り言をしゃべり続ける声優が哀れで仕方がない。


 などとありもしないアニメ化を妄想して華麗に現実から逃げていたのだが、どうやらこの体の感覚は恐ろしくすぐれているらしく、気もそぞろだというのに耳ざとく物音を聞きつけた。


 その物音に耳を傾けると、私の体は私の思うよりも鋭く働いて、すぐにその物音が足音であることを悟った。それも二本足の足音だ。足音だけでなく金属の擦れる音もする。衣擦れの音も。それはつまり、金属を使い、服を着た、二本足の生き物、つまり高確率で人間かそれに近い形の知的生命体であろうと思われた。そのまま集中すれば足音の持ち主の体重や歩き方の癖と言った事までわかりそうだったけれど、あまりに情報量が多く、酔いそうになって止めた。もう少し慣らしが必要そうだ。


 私は改めて自分の《技能スキル》である《隠蓑クローキング》がしっかり発動し、自分の姿が隠れていることを確認した。……私からは半透明に見えるけれど、周りからは見えなくなっている、筈だ。川面に映らないし。


 この《技能スキル》を使っている限り目視は出来ないし、恐らくだけれど気配やにおいもかなり薄くなっている筈だ。感知|技能《スキル》や一部の勘の良いモンスターにしか見つからないのだから、少なくとも設定上はそうなっている筈だ。


 仮に見つかったとしたらその感知|技能《スキル》持ちや一部の勘のいい奴ということになるのでもうどうしようもない。諦めよう。幸い私の身体能力はゲーム時代のステータス情報を引き継いでいるようだから、まあたいていの雑魚なら先程の角猪のように素手で解体できるだろうし、そういう血なまぐさいことになる前に軽く走るだけで簡単に振り切れるだろう。


 話をしてみるという選択肢はない。


 私はそういう煩わしいのが嫌いなのだ。チャットとか文字での会話なら、考える時間もとれるし相手を人間と認識しづらいからまだ何とかなるが、生身の相手と向かい合って話すとか無理だ。きつい。職場ですら幽霊と陰口たたかれるレベルでひっそりと息をひそめて過ごし、最低限必要な会話でさえロボットと陰口たたかれるレベルで定型文を条件反射で返すような人間だ。初対面の、それも異文化どころか異文明の異世界人相手に朗らかなコミュニケーションとれるほど私はできた人間ではない。異世界転移で一番のチートはあいつらのコミュニケーション能力だと思う。こちとらコンビニ店員の「あたためますか?」にさえ手ぶりでしか答えられないんだぞ。


 自虐だか自慢だかわからない感じになってしまったけれど、とにかくそういう次第で、コミュニケーションを前提としないスタイルで行こう。


 大体人間と決まったわけでもなし、コミュニケーションが取れる相手かもわからないのだ。異世界チートで言葉が通じればいい方で、ゴブリンとかその手のMobてきかもしれないのだ。むしろそういう可能性の方が高いと覚悟しておいた方が人間じゃなかった時の精神的ダメージが少ないかもしれない。


 ゴブリンならまだましな方という考え方で行こう。あいつら小柄なくせに悪意がとんがってて男は殺して喰らって女は犯して喰らうとかいう、神が悪意と汚物をこねくり回して途中で飽きたのでそこらへんに放り出したら勝手に生まれてきた生き物みたいなダークな印象が強いが、幸い一匹二匹なら最弱レベルだ。それに今日日は善いゴブリンとか、萌え系のゴブリンとかも多い。より強靭なオークとかでないことを祈ろう。オークも最近は紳士的な描き方がされることが多いけれど、まあお国柄だろう。常に最悪を想定しておいた方がいい。現実はその一歩先を行くものだし。


 そのような警戒をしながら待ち受けた相手は、そんな私の悲観的な想像を鼻で笑うようにやってきた。


 下草を払いながら獣道を抜けて河原に抜けた姿は、最悪の想像よりずいぶん文明的だった。


 よく履き古された編み上げのブーツが、河原の丸石をきしぎしと踏みながら、足取りも軽く川へと向かう。


 小柄な体は、私の身長が180センチ超えてるから、それと比べて140かそこらといったところだろう。まだ成長期だろう肉より骨の目立つ細身で、布の服の上から胸や膝など部分部分を白っぽい革の鎧で守っている。腰には革の鞘に包まれた剣を帯びて、背中側には手斧のようなものが見えた。ベルトには他にもポーチや巾着など、すぐに使うことのできるように道具が吊るされているようだった。


 背には大人用と思しき少しばかり大きめの鞄を背負っており、小さなシャベルや水筒らしき革袋などが吊るされていた。


 川の水を汲もうというのだろう、かがみこんで水筒を沈めると、飾り紐で高めに結い上げた銀に近い白髪がきらきらと光った。顔立ちは西洋人のように鼻が高めで彫りが深く、零れんばかりの大きな瞳は翡翠のように煌めいている。まだどこか幼さの残る年頃で、性別の別れる際といった中性的な顔立ちの少女だった。十代半ば、いや前半くらいだろう。


 いかにもファンタジーでいうところの駆け出し冒険者といった風情は、ゴブリンの生態を観察するという生産性のかけらもない苦行を予想していた私には、かなりの好条件に思われた。


 旅慣れた熟練の冒険者の旅は見ていて安心できるだろうけれど、そこにはハプニングやスリルといったものが欠ける。この垢抜けない印象のある少女ならば、ほどほどに旅を続けながら適度にミスや挫折を経験して成長していく、そういったロマンあふれるストーリーが拝めるに違いない。


 水筒を満たし、軽く顔を洗い、しばし休んだのち川を渡って歩き始めるこの年若い冒険者見習いの後に続いて、私もファンタジー世界への旅に出るのだった。







用語解説


・ハビタブルゾーン

 生命居住可能領域。宇宙の中で生命が誕生するのに適していると考えられる環境。つまるところ地球と似た環境と考えて大体差し支えない。


・ハーレム主人公

 どうした訳か行く先々の重要人物が世界観における男女の階級差や年功序列などを考えると不自然に若い異性に偏っている上、その世界の価値観から考えるとあまり普通でない感性を持っているにもかかわらず、不可解なまでにキャラ被りの少ないアクの強い面子からやたらと好感を持たれて、しかも致命的な不和を招かないままなんだかんだもてはやされる主人公の類型。


・一番のチート

 異世界転生や異世界転移で最も驚異的なチート、コミュニケーション能力である。次いで異常なまでの幸運。オタクであったとか地味な人間であったとかもてなかったとか一部購買層に共感を誘うような設定でありながら、何故か異世界で初対面の相手とも自然なコミュニケーションを交わしつつがなくストーリーを進めるチートスキル。


・Mob

 語源は諸説あるが、基本的に敵のことを指している。


・ゴブリン、オーク

 どちらもファンタジーでは定番のモンスター。亜人として扱われることも。

 大抵は醜悪で邪悪とされるが、最近では人間よりよほど親しみやすかったり紳士的だったりする描かれ方をする作品も見受けられる。


・冒険者

 ファンタジー世界の花形。旅をしながら、またはどこかに拠点を持ち、モンスターを倒したり素材を集めたりお使いイベントをこなしたり世界を救ったりする何でも屋のようなもの。

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