第十二話 鉄砲百合と洗濯日和・下
前回のあらすじ
洗濯するだけで一話を使うという贅沢こそ、ゴスリリの良いところであり悪いところである。
処分しなければいけない材料や、今日の市場に上がるものを想像し、晩御飯の献立を組み上げながら、あたしは外出の準備を終えて、市へと向かう。
ほどなくして辿り着いた市は、朝ほど騒々しくはないけれど、何しろ昼時だ。きっとウルウなら顔をしかめて嫌がる人ごみだ。リリオはこういう喧騒が好きだし、あたしも活気のある方が、ないよりはずっといい。
客寄せの声や値切りの声を聞き流し、店先に並ぶ品々を眺めて、あたしは晩の献立と、そして今まさに感じているコバラヘリーをどうにかしなきゃと頭をひねった。
キノコの類を見比べてみるけど、やっぱり旬にはちょっと早い。でも、もうすぐ訪れる短い秋には、キノコをたっぷり煮込んだ
見れば橙色も鮮やかな
それから、
石みたいに硬く身のしまったこのキノコは、味はまあまあとして香りがもうたまらないのよね。ただ、やっぱりちょっとお高くて、そんなに気軽には使えないわね。もう少し待って値が下がるのを待った方がいいかしら。
そうして暫くうろついているうちに、今日の献立を決める一品が目に入ったの。
それはいけすの中でがちゃがちゃと鋏を揺らす、大きな
そう、夏と言えば躄蟹の季節よ。川でも取れるし、辺境でも湖なんかで採れたものをよく食べたもの。
それにいけすを覗いてみたら、ただの躄蟹じゃなかったわ。
殻の色も青々と鮮やかな、
見た目が華やかなだけでなく、味もまず、間違いない美味しさね。
大きいから大味なんじゃないかって言うとそんなことはなくて、むしろ下手な海老や蟹なんかよりもずっと味が濃くて、茹で
ああ、それに酒蒸しなんかもいいわね。以前貰った西の方の、なんていったかしら、
ああ、それに揚げ物も忘れちゃいけないわね!
殻が丈夫なのは躄蟹の類は一緒だけど、でも高温の油でカラッと揚げると、この殻もばりばり歯応えよく食べられるのよ。特に頭の部分は、とろっとした濃い味わいの味噌が詰まってるから、これを殻ごとバリバリやって、そしてお酒をちょいと……んー、たまんないわね!
大きめの革袋に水と一緒に三匹……いえ、六匹詰めてもらって、がちゃつくこいつを《
さって、晩のご飯はこいつに決まったから、あとはどこかで昼ご飯をさっと済ませたいところね。あんまりたっぷり食べると動けなくなっちゃうから、小腹を満たすくらいでいいのよ。
あー、辺境基準で。そこは嘘つかないわ。
市を歩いて、串焼きや汁物、団子や揚げ物といった飯屋の屋台を覗いてみるけど、こういう時に限ってあたしのお腹はなかなか食べたいものを見つけてくれない。贅沢だとは思うけど、でも選択肢が多いってことは悩んでいいってことなのよ。むしろ悩まなきゃ損よ。
なんて思いながら吟味しているうちに、屋台も少なくなって、あたしはいよいよ焦り始めた。ここからまた引き返して屋台を探し直すっていうのもなんだか
でもいいところが見つからなきゃ、市を抜けて商店街の飯屋で腰を落ち着けてがっつり食べることになっちゃう。そうしたら、満足するのは確かでも、お腹が満たされて動く気にならなくなってしまう。それはちょっと、粋じゃないわね。
さてどうしたもんかとあたしは腕を組んだ。
お腹の方は早くしてくれと騒ぐけど、焦ったっていいことはない。落ち着かなきゃ。あたしはただお腹が減ってるだけなんだから。
さっきの
もっと考えに没頭出来ていたら気付かずに済んだのにと恨んだ。
でもまあ、仕方がないか。気づいちゃったものは仕方がない。
あたしはいかにもといった強面の男に路地裏へと引きずられていく子供を見つけてしまい、その後をつけたのだった。
こういう事に半端にかかわるのは良くないことだとは思う。ただそれでも最低限何かしらしようと思ったのは、その問題の子供が、以前ウルウが放免してやった掏摸の子供だったからだった。
一度面倒を見たなら最後まで面倒を見るべきだというのが、あたしのやり方だった。何しろリリオがいろんな生き物を拾ってきては結局御館様が面倒を見る羽目になるという悲惨な光景を何度も見てきたのだ。あたし自身のことも含めて。
もしこれが、またも掏摸を働いて露見し、被害者にぶん殴られているとかそう言った光景であれば、やり過ぎないように程々のところで止めてやるつもりだった。もしかしたらあの強面は親御さんで、しつけでもしようというのならそれは部外者があんまり口を出すべきことでもないとは考えていた。
でも、どうやらそのどちらでもないみたいだった。
「おいステーロぉ。おかしいんじゃあねえかァ、おい」
「…………」
「おかしいんじゃねえかっつってんだろうがよォ!」
「…………ッ」
「先月も今月も、まるで上りを持って来やしねえ。どこに溜め込んでやがる!」
「や、やめたんでさ」
「あア!?」
「掏摸は、掏摸はもう、やめたんでさ、あにさん、許してつかあさい」
これにはあたしもちょっと目を丸くした。
強面も目を丸くしてたけど、あたしはその比じゃないだろう。
そりゃ、ウルウが目こぼししてやって、財布もくれてやって、でもそれで改心するなら世の中もっときれいになっているもんでしょ。普通はそれで反省なんてしない。悪事がばれた奴は、次はもっとうまくやるようにってこずるくなるものよ。
掏摸の常習犯が、すっぱり掏摸やめるってのは、これは生半な事じゃないわ。
「やめたァ? お前が掏摸やめたって?」
「へ、へえ」
「馬鹿言うんじゃねえ、お前、ステーロよ、お前、それでどうやって稼ぐってんだ」
「い、市の屋台の、皿集めやら、ごみ捨てやらで」
「それで何の足しになるってえんだ、エ!?」
屋台で客に渡してる取り皿や串なんかは、安いは安いけどただじゃあない。けど客もいちいち返しに来るのは面倒だから、捨てちゃうことも多い。
そこを浮浪児や乞食なんかが回収して、店に返しに行くと、それと引き換えに小銭をくれる。串やら小皿やらなんてささやかなものだけれど、でもそのおかげで道端にゴミがあふれることもないし、浮浪児が生きていく目もできる。
でもそれはそれだけのことで、これだけ育った子供が生きていく上で、確かに足しにはならないでしょうね。悪党の元締めに上がりを渡さなけりゃいけないってんならなおさら。
「ステーロよォ。みなしごのおめえを拾ってやったのは誰だ、エ?」
「こ、コブロの親父さんです」
「ステーロよォ。なんにもできねえおめえに掏摸を仕込んでやったなぁ、誰だ、エ?」
「は、ハブオのあにさんです」
「それをよ、それをよォ! えェ!? 恩義も忘れてトチ狂いやがって! てめえにいくらかかったと思ってやがんだ! てめえにゃまだまだ稼いでもらわにゃ元が取れねえんだよ!」
「ゆ、許してつかあさい! 許してつかあさい!」
「やかましい!」
躊躇なく子供に拳を振るうハブオとかいう男は、しかしこういう事にて慣れているらしく、呼吸を整えて、いやらしく笑った。
「ステーロ、ステーロ。俺もお前が憎くって言ってるわけじゃあねえんだ。わかるだろ?」
「へ、へえ……」
「第一、掏摸しかできねえお前に他でどうやって稼ぐってんだ。金が要る。だろ?」
「う、うぐ……」
「それに……弟分たちがいるだろう」
「!?」
「まだちみっこくて、ろくに芸もねえ連中だけどよぉ……兄貴分のおめえの稼ぎが悪いってんなら、なあ?」
「や、やめてくれ! チビ達に手を出すのだきゃあ……!」
「ならわかるだろうがよォ! あア!?」
「ひっ……!」
「おめえの掏摸は親父も随分褒めて下すってるんだ……あんまりがっかりさせてくれんなよ、え?」
「う、うう……」
なんだかなあ。
なんだかこういうの、芝居でよく見るわよねえ。
孤児に芸を仕込んで悪事をさせて、恩義をかさに金を搾って、子供を人質に脅して縛って、はー、まあここまでお約束通りな悪党ってのもまず見ないわね。
これで放っておけっていうのは、まあ、ウルウじゃないけど、ちょいと後味が悪い。
「ねえ、ちょっとあんた」
「あア!? なんだてめけふっ」
「あんたじゃないわよ」
ハブオとかいう三下の首を握って血の筋を止めてやり、数秒で意識を手放した無駄にでかい体を蹴り飛ばし、あたしは呆然と見上げる小僧を見下ろす。
「あー……」
見下ろして、どうしようか考える。
助けてやろうとは思うけれど、あたしはウルウじゃないから、助けるにも理由が要るんだ。
「あ、あの……?」
「あんたさ、屋台の皿拾いしてるんなら、屋台詳しい?」
「へ?」
「屋台よ屋台」
「へ、へえ、そりゃ、まあ」
「あんた、どこが一等美味しそうだと思う?」
「は、はあ?」
「あたしいま小腹が減って死にそうなんだけど、どれか決めかねて死ぬとこだったの。もしいいところを教えてくれるんなら」
どれだけ下らないものでも、形ばかりのものでも、そう、まあ、理由ってのがいるのよ。
「あんたの悩みも一つ、解決してあげるわよ」
用語解説
・
オレンジ色をした茸。名前の通り杏のような香りがする。肉と一緒に炒めると美味しい。
・
恐らくアンズとほぼほぼ同じ果物であろう。
・
いわゆるポルチーニ茸とかセップ茸とか呼ばれるキノコの仲間だろう。
非常に硬く締まった身をしており、独特の芳香を放つ。
・
躄蟹の一種で、生きている時は紫色から青色、加熱する温度が上がるにつれて緑、黄、橙、赤と変色していく特性があるが、これは殻に起こる純粋な熱化学反応であって、内側の味に影響はない。
・
西方では、この穀物を粉に挽かずそのまま煮炊きして食べる外、酒などの材料にもするという。
イネ科のコメだと思われるが、どの程度品種改良が進んでいるのかは北部では知られていない。
・はんかくさい
北部~辺境の方言で、「みっともない」を意味する。
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