第十話 白百合と届かざる境地
前回のあらすじ
なぜか本人の意志確認なしに話が進むのはよくあること。
どうしてこうなるんですかねえ。
なんてぼやいちゃったりしますけれど、これどちらかというとウルウの台詞だと思うんですよね。
まだ舌に美味しい朝食の味も思い出せる昼前、私は辛うじて穴は埋め終えた前庭で剣を取っていました。
剣を、ねー。はい。剣を取っていました。
こちらの剣は、まあ私も血の気が多いですし、冒険屋なんてやってますから抜く機会多いんですけれど、
色は、何というんでしょうねえ、鋼の色でなく、滑らかな白磁のような柔らかく透明感のある光沢がありますね。甲殻の、しなやかな内側の部分を削り出して、丁寧に磨くと、こういう色合いになるんだそうです。
その刃はひやりとするようでいて、触れると暖かみがあるような、まあ実際は暖かいというより熱伝導性が金属ほど高くないのでそう感じるだけなんですけど。
光沢があるとは言っても、磨かれた鋼ほどぎらつくわけではなく、穏やかで優しい色合いは、気配を殺して機を伺うにも目立ちすぎず便利です。
しなやかで強く、折れず曲がらず、刃もほとんど鈍らない。魔力の通りも良く、錆びることもない。いいこと尽くめの様でもありますけれど、欠点もあります。
それが、金属の剣と比べると
軽いから持ち運ぶのは楽なんですけれど、戦う時が少し困ります。
武器の破壊力というものは、単純に言ってしまうとそれ自体の頑丈さと、振り回す際の速度、そして重量が合わさって算出されます。つまり硬くて重いものを速く振り回せばそれだけ強いのです。
ところが甲殻剣はその軽さが仇となって、破壊力そのものは通常の金属の剣に劣ってしまうのです。確かに丈夫ではありますけれど、極端な言い方をすれば、仮に絶対に折れない紙の剣があったとして、それでぺちぺち叩かれて痛いかっていう話ですね。
なので甲殻剣の使い手は、その重量を補えるだけの腕力で振るってようやく金属剣とどっこいの威力を叩き出せます。勿論それではどう考えても効率が悪いので、正確に刃筋を立て、的確に急所を狙い、鋭利な切断を狙うことが必要となってきます。
私なんかはもう、腕力はあっても小柄で体重が全然足りてないので、剣術の冴えは大分磨かないと話になりませんでしたね。
ウルウは私のこと、結構剣ができる方とか思ってるみたいなんですけど、単純に剣術の腕で言ったら私相当なものですからね。剣豪ですよ剣豪。あとはまあ、体格がついてきてくれれば。
長年の研究で、重さを補うために中空に繰り抜いて重たい芯材を詰めたり、より鋭利な切断効果を狙って曲刀として誂えたりと様々な挑戦があったようですけれど、元々の素材からして取り扱い難度が高いので、そう言ったものは私の剣より高価かつ貴重なものになりますね。
私の剣でさえ内地に持ち込めば帝都に家建てられるような代物ですから、お値段はお察しです。
辺境でさえ出回りません。
素材の扱いづらさ以上に、入手難易度も高いですね。
この生き物がまあ強いのなんのって、私の荒っぽい使い方でもびくともしない剣を見てもらえばわかる通り、恐ろしく強靭な甲殻と、巨大な体格を持ち合わせた上に、それが恐ろしく早く動き回るという、辺境人でもまず相手したがらない生物です。というか普通に逃げます。
具体的な強さの指標としては、防衛網をすり抜けてきた飛竜が、サクッと狩られて美味しく食べられちゃうくらいです。疲労し切って森に逃げ込んだ個体とは言え、飛竜を相手に無傷で仕留めて頭からヴァリヴァリいっちゃう生き物です。
単に空を飛べないから地上に落ちたのしか食べないだけで、空飛べてたら飛竜絶滅させてますよ。
まあ空を飛べないから空にいれば大丈夫かって言うとそうでもなくて、昔、飛竜乗りたちが素材目当てで狩りに行ったら、小隊がいくつか呆気なく落とされたそうです。一つの小隊が四頭ですから、十何頭かは落とされたとか。
落ちたものは例外なくヴァリヴァリやられちゃったみたいなので、いち早く離脱した飛竜乗りからの情報しか残っていないのですけれど、なんでも
飛竜の
となればもう、飛竜では相手できないのがおわかりですね。
脱皮するので抜け殻も素材にはなるんですけれど、そちらはちょっと格が落ちます。脱皮してすぐに本体がヴァリヴァリ食べてしまうので、命がけで回収するほどではないですね。
あ、脱皮したてなら、海老や蟹と一緒で行けるのではと思ったら大間違いです。すでにやらかして失敗した記録が残っていますね。殻がまだ柔らかいので攻撃は通ったそうなんですけど、柔らかい分普段よりしなやかに俊敏に動いて、普通にぼろくそに蹂躙されたそうです。
さあ、そうなってしまうと私の剣は一体どうやって素材を手に入れたのでしょうか、となりますね。
その答えは勿論、皆さんお察しの通りの辺境貴族の出番です。
それも当主格が完全装備で、騎士や神官などの一党を率いて、罠や毒を用いてようやく倒す感じです。倒せるには倒せるけど消費が激しいので滅多にやりません。私も見たことありません。
この生き物、これで竜種じゃないんですよね。恐らくですけど。
なんでこんな生き物を普段放置しているかって言うと、飛竜とは違って人里に出てこないからですね。棲み処の森の奥の方に引っ込んでて、出てきません。なのでその生態も謎が多いんですよねえ。
そう言う謎の一つ一つを追い求めて解明していくのも、冒険の醍醐味だと思うんですよね。
そう、私の冒険はまだ始まったばかりなのです。
などと現実逃避してみましたけれど、まあ、現実からは逃げられないわけで。
剣を、ね。剣を取ってるんですよ。
剣を取ってどうしてるかって言うと、向き合ってるんですよ。お父様と。
ウルウ曰くの辺境名物蛮族野試合って感じですけど、今回は焚き付けたのウルウですからね?
さすがにこう、話し合って納得してもらいたかったんですけれど。
まあ結局、私もお父様も辺境人ですしね。仕方ないといえば仕方ないのかもしれませんけれど。
諦めて剣を構えた私に対して、お父様は棒立ちと言ってもいい無防備。それどころか剣さえ帯びず、無手のままです。準備が整っていないのではなく、これで万全なのです。
「さて、リリオ」
良く晴れた空を見上げながら、今日は雪は降らなさそうだ、とでも言いそうなほどとてもあっさりとした口調でお父様は切り出しました。
「辺境の遣り方を口に出された以上、私も厳密にはかろうと思う。一切合切の言葉を無用とする、辺境の天秤で。まあ、簡単なことだ。素手の私に有効打を入れること。それだけだ。ただそれだけの試験だ」
とてもつまらなそうに述べられるお父様の説明に、お母様も頷いていました。
確かに、そのくらいが妥当なのかもしれません。
限定的とはいえ飛竜を一方的に屠り、消耗さえ覚悟すれば
……あれ。二人の頭の中では、少なくともお父様に一撃入れられるくらいの脅威がごろごろいると考えてるっぽいのが怖いんですけど。いるんですかもしかして。お母様は例外と思ってましたけど、少なくともお母様は冒険屋最強と呼ばれてるわけではないんですよね。
うーん………ちょっと楽しみになってきました。
不安より楽しみの方が大きいのは、そりゃお父様も心配するよなというのが分かっちゃいますけれど。
分かっちゃいますけれどー、でもまあ、お父様とお母様の娘なので、仕方ないですね。
武装女中ペルニオの気負いのない、というよりやる気のない開始の合図が響き、同時に私はしかけていました。
どうしてこうなったんだろうとは思いながらも、やるからには全力で仕掛けなければと、すでに魔力は最大に練り上げておいたのです。勿論それはお父様もお察しでしょうけれど。
開幕からの最大火力。
練り上げられた魔力をたらふく溜め込んだ雷精が、いま、解き放たれる。
「突き穿て――――『
目の前が真っ白になるほどの閃光。
耳が破裂するのではないかと言う轟音。
地上から放たれた
「フムン……
はい知ってたー、知ってましたー。
珍しくいけたかなと思いましたけれど、閃光が突き抜けた後には、無傷どころか服に焦げさえついていないお父様が平然と佇んでいました。
魔力の幕が全身をくまなくよろい、破壊も熱も届いていないようです。
そらすとかですらなく、真正面から完全に受け止められてしまっています。
眩しさと轟音とはさすがに響いたらしく、目をこすり、耳を軽く叩いていますけれど、ホントそれだけです。ぶちかます私でさえ、片目をつぶり、耳に気合を入れなければならないのに。気合い入れてどうにかなるのが意味わかんないとウルウなんかは言いますけれど。
まあでも、メザーガにもお母様にも、なんなら不思議な館の扉にさえ防がれた必殺技です。これで終わるとはみじんも思っていませんでしたとも。言ってて悲しくなりますけど。
ともあれ、通じないとわかっていれば、その後の行動も決まっています。必殺技を目くらましの牽制にするなんて豪勢ですけれど、通じないのなら致し方なし。
即座に踏み出し、上段から袈裟斬りに斬りかかります。まだ視界が眩んでいる最中の最短距離、最速の一撃、は
反撃に備えて飛び退るも、お父様は悠然として佇んだままでした。
「いい太刀筋だ。良く励んだものだ。でも素直過ぎる。素直にいい太刀筋だから、目が眩んでいても太刀筋はよく
メザーガの時を思い出します。あの時も、私の剣は届きませんでした。まるで届くようにも思われませんでした。
けれどあの時は、九億九千九百九十九万九千九百九十九回振るえば届くかもしれないと、そう思えました。あまりにも遠く、儚い希望でも、それでも私はあと一振りを振るうことができました。
でも、お父様相手には、それがまるでない。
例え九億九千九百九十九万九千九百九十九回の先に一太刀入れたとしても、それがお父様のはだえに傷の一つも入れるところがまるで想像できませんでした。
全力の刃の二度が二度とも、小指の先に血をにじませることさえできていないのです。
辺境で学び、魔獣を相手に試し、お母様に鍛え直された剣が、それでもまだ、届かない。
それはちょっとした絶望でした。
届かざる境地が、無辺の荒野が広がっているのでした。
ああ、それにしても、
「お前はよく鍛えた。まっすぐな剣は気持ちよくさえある。だが爪切りにすらならない。例え永遠に剣を振るおうとも、例えお前の心が永遠に折れずとも、その永遠の果てに届く未来はどこにもない。いまではなく、いつか、お前が大人になり、私が老いさばらえた時ならば、可能性はあるかもしれない。だがそれはいまではない。断じていまではないのだ。その時が来るまで、大人しく牙を磨くがいい」
それにしても、よく喋りますね、お父様。
絶対それ練ってきてますよね、台詞。
用語解説
・
辺境の森林地帯などに棲む巨大な甲殻生物。裾払の仲間としてはかなり鈍重そうな外見ではあるが、その甲殻は極めて強靭な割に恐ろしく軽く、裾払特有の機敏な身のこなしに強固な外角が相まって、下手な竜種程度なら捕食する程に強大な生き物である。
蟲獣ではなく、どちらかというと蟹の仲間であることが近年の研究で明らかになっている。
棲息地帯が危険な森林地帯の奥地であること、個体数が少ないこと、また戦闘になった場合の生存者が少ないため、詳しい生態はよくわかっていない。
体長は十メートル程度という記録が残っているが、そもそも平均値が出せていないうえに、寿命も不明であるため予測が立っていない。
一応竜種ではないとされるが、それさえも(多分)と但し書きが付く。
・『
通算四度目の必殺技(必殺しない)である。
・台詞
アラバストロ・ドラコバーネ。アドリブの利かない男である。
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