第十話 鉄砲百合と氷の貴人
前回のあらすじ
ヤンデレ が あらわれた!
ニア ・にげる
まおう からは にげられない!
リリオが十四歳になり、もう二年くらいは経ったような気がしてたけど、実際は成人の儀として旅に出たのがまだ涼しさも残る初夏のこと。本格的な冬に入る前に帰ってきたのだから、まだ半年も経っていない。
でもその数か月のことがあまりにも濃密で、衝撃的に過ぎた。だからフロントの街並みに帰ってきて、そしてお館を見上げて、なんだか随分久しぶりのような、懐かしむような気持ちになったものだった。
一年の半分は雪に包まれ、足りないものばっかりで、不便なことばっかりだったけれど、それでもあたしはここで育ったのだなと、ここがあたしの故郷なのだなと、そう思わせてくれるものがあった。
人によっては畏れさえ感じるだろう古城も、あたしにとっては我が家のような安心感があった。
そりゃあ、つらいことや嫌なこともあったけれど、あたしにとって帰ってくる場所はここだった。
たったの数か月離れただけでそこまで感じ入っちゃうなんて軟弱かなって思うけど、でもどうやら故郷ってものはそういうものらしい。
あたしは誰から生まれたとも、どこで生まれたとも知れない、余所者に過ぎないけれど、それでもあたしが過ごした日々は、確かにふるさとというものを心の中に刻み付けていったのだ。
辿り着いたお館の正門から、御屋形様が現れた時も、あたしは奇妙な安心感を覚えたものだ。
とても同じ人間とは思えないような、冷たい氷の彫刻のような美貌は、しかしあたしにとっては頼れる存在だった。
リリオに振り回され、顔面の形が変わろうとも、御屋形様は常にそこにあって見守ってくださっていた。
リリオの拾ってきた獣たちが亡くなった時も、奥様がいなくなられた時も、旦那様はただじっとそこにあって、揺るがない柱のように私たちを支えてくれていたように思う。
もちろん、その内面はあたしが思うよりもずっと多感に様々なことを思い、考え、揺れていたのだろうけれど、それを表に見せない強さがあった。
数か月ぶりの御屋形様も、お変わりないようだった。
ある種、凄まじいと言ってもいい美貌はお陰りもなく、久しぶりに奥様と再会したからか、その微笑みは全く万感と言わんばかりに喜びを露わにしておられた。
奥様が姿を消されてから、御屋形様がこのようにお笑いになることなど久しくないことで、使用人の中には思わず涙をこぼして喜ぶものもあった。
私も涙ぐみそうになり、視界がにじんだほどだ。
で、にじんだ次の瞬間には、ほっそりとした脚の踏み込みが石畳を砕き、あたしたちのすぐ横を暴力が駆け抜けていた。
人の形をした竜が、死が、純粋な力の発露が、すぐ隣で爆発したのだった。
「おかえり、僕のマーニョ」
「ええ、ただいま私のアラーチョ」
旦那様の剣と、奥様の双剣、ぶつかり合った衝撃が大気を揺らし、よろめいたあたしの襟首がひっつかまれ、身体は横っ飛びにお二人から遠のいていた。
見ればウルウが片手にあたしをひっつかみ、もう片手でリリオを麦袋みたいに担いでそそくさと逃げ出していた。
「ちょっと、猫じゃないんだから」
「猫みたいに身軽じゃない」
まあ、それもそうだけど。
ウルウは十分すぎるほどに距離を取ってから、リリオを放り捨て、あたしから手を離した。
つまり最大限距離を取ったってことね。
襟元をただして、それから改めて振り向いてみると、なかなかにぞっとしない光景が広がっていた。
誰をも魅了するような不思議な魔力を持った甘やかな微笑みを浮かべて、その笑顔のまま両手剣を片手で振り回す御屋形様。何しろ凄まじい美形だから、その凄まじい美形が笑顔で剣を振り回して迫るっていうのは何かの怪談か、失敗した笑い話みたいな恐ろしさがある。
最初の爆発的な一合とは違い、双剣で受け流すようにさばいていく奥様も、どこかおっとりとした柔らかい微笑みのままで、顔と体さばきがまるで合っていない。なんだか演技を致命的に間違えているのに、劇自体は誰にも止められないまま進んでいく即興劇のような恐ろしさがある。
大気さえも邪魔だと言わんばかりに音を立てて空を叩き切りながら振るわれる大剣と、血も凍るほどに鋭利で精密な双剣と魔術が、互いに互いを食い破らんとする二頭の蛇のように絡み合いねじれていく。
神業めいて受け流し合う、出会っては分かれる刃が交わす、しゃりん、しゃりん、と鈴のように涼やかな音が、いっそ場違いなほど耳に響いた。
「ああ、本当に、本当に、長かった。とても長く待ったよ、マーニョ」
「そうねえ、ちょっと長くなったわ」
「四年も待たせたんだ。何か言うことは?」
「そうね」
奥様はにっこりと微笑まれた。
「
大剣が破裂音を置き去りに振り下ろされ、奥様の双剣に受け流されそらされてなお、石畳に深々と食い込んだ。食い込み、砕き、そして破壊の力が
賢い使用人たちはすでに距離を取るか物陰に隠れており、先程の涙はどこへやったのだという身のこなしだ。賢くない使用人に関してはこの館で長く生きていくことはできないので、考えなくていい。
キューちゃんとピーちゃん、竜車を牽いてきた二頭は煩わし気に礫を払って、不満げに唸った。風精を操るまでもなく、翼を振るっただけだから、ちょっと小石が飛んだようなものなんだろうけど。
あたしたちはと言えば、
「リリオシールド!」
「『超…電磁、バリアー……改』!!!」
ウルウがリリオの首根っこひっつかんで何のためらいもなく盾にして、リリオが何の迷いもなく
多分、
結局あたし教えてもらってないから今度強請ろう。
ああ、それで、あたし?
誉れ高き武装女中のあたしはもちろん、主人の見せ場のために後ろに控えさせていただきましたとも。
まるで子供が枝を振るうかのように、あるいは女中が布団を叩くように、手首と肘の軽い返しで気軽に振るわれる連撃が、前庭の美しい石畳を、雪に埋もれた芝生を盛大に打ち砕いては瓦礫を通り越して砂礫に変えていく。
まあ石畳が美しいのは数年くらいしか使ってないからで、なんで数年かと言えばしょっちゅうリリオが破壊していたからだ。それが御屋形様に代わっただけで、そして石畳だけでなくその下の土までえぐれて爆散しているだけで、いつも通りと言えばいつも通りだ。
いつも通りでなく激しいし、いつも通りでなく長く続くけど。
御屋形様がっていう時点で完全にいつも通りではないとも言えるけど。
あたしがそんな現実逃避気味の目で見守る先で、お二人は
「そうねえ、ちょっと見ないうちに痩せたかしら。お尻が細くなっちゃって」
「君が帰るのを待つ間に、少し鍛えてね」
「抱き心地が悪くなっちゃったかしら」
「後で存分に確かめるといい」
地揺れかと思うほどの凶悪な踏み込み。瞬きすら許さない高速の斬撃。
爆ぜる大気。刻まれる大地。
激しい魔力のうねりに、子竜のピーちゃんが狼狽えて吠え始めたけど、親竜の尻尾が顔面を叩き伏せて黙らせていた。
顔だけ見てみれば、涼やかな麗人の甘やかな微笑みと、おっとり南国美人の鷹揚な微笑みとが、麗らかな春の午後に語らうような見目好い具合なんだけど、その周囲で相手の命をもぎ取らんとする暴力が荒れ狂っているから頭が混乱する。
「里帰りは楽しかったかい?」
「そうねえ、楽しめたわ。たっぷり」
「それはよかった。じゃあ──まずは足を落とそうか。もう二度と帰らなくて済むように」
「いいわね。落としてみなさい──できるものなら」
美人夫婦の
庭師のエシャフォドさんが三年がかりで手掛けている雪の下で休ませて次の春には太陽の光をたっぷり浴びて青々とした芝生を見せてくれる爽やかで風薫る落ち着いた大人の魅力あふれる前庭そして安らぎが訪れる、となる予定だった前庭が大規模土木工事もかくやという大惨事に崩れ果てていく。
せっかくリリオが旅立って安心して造園作業に専心できるはずだったのに。
もはやあたしには聞き取ることのできない不明な罵詈雑言が、風に流れては、消えた。
用語解説
・リリオシールド
この世で一番信頼できる盾。
などと言えばちょろいので騙されてくれるが、やってることは外道の極みである。
・『超…電磁、バリアー……改』!!!
尖った礫状の雷精を、自身を中心に球状に高速回転させることで、接近する物体をはじく防壁を作る技。
命名は格好良さ重点であり、改とついているがもちろん一度たりとも改修したことなどない。
この技の最大の目的は、ロマンである。
・庭師のエシャフォドさん(Eŝafodo)
たまにうっかり討ち漏らした飛竜が落ちてきたり、幼いアラバストロがやんちゃに暴れまわったり、嫁取りだとか抜かして余所者の冒険屋と荒らし回ったり、話を聞きつけた騎士やら馬鹿やらが力試しに続々やってきやがったり、ようやく落ち着いたと思ったら二人の子供が遊び場にしてぼろくそにして、やっとこさ次子が成人迎えて大人しく旅に出てくれたと思ったら、思ったより早く帰ってきたうえに最大級の爆弾放り投げやがったせいで五年計画の三年目が見事に基礎工事からやり直しになったので、先代当主に庭木を細切れにされた思い出がフラッシュバックしてブチ切れ、五十数年前と同じく当代当主のドタマに
・庭師のエシャフォドさんが三年がかりで手掛けている雪の下で休ませて次の春には太陽の光をたっぷり浴びて青々とした芝生を見せてくれる爽やかで風薫る落ち着いた大人の魅力あふれる前庭そして安らぎが訪れる、となる予定だった前庭
夢。
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