最終話 ファントム・ペイン

前回のあらすじ

閠が見た痛みの形、そして希望の形は、雷を伴う剣の形をしていた。






「父は不器用な人だったよ。人を愛することができなくて。人の真似をすることができなくて。人であることを何とか苦労してこなしているような、そういう人だった」


 目を覚まして、ぼんやりした頭でぽつりぽつりと語ったのは、父のことだった。


「私は最期まで、父のことがよくわからなかった」


 父はいつも変わらない質問を繰り返した。


「変わりはありませんか」

「困ったことはありませんか」

「何か必要なものはありませんか」


 そして私が返すのはいつも同じ。

 特に、何も、大丈夫です。


 自分が死ぬとわかっていただろう、あの最後の夜でさえも、父の問いかけは変わらなかった。

 あの質問は、いったい何だったんだろうか。


 リリオは少しの間考えて、そしてこう答えた。


「安心したんじゃないでしょうか」

「安心?」

「ウルウのお父様は、きっと、娘のウルウのことも、理解できなかったんだと思います。だからいつも聞いていたんです。言葉にして、ウルウのことを理解しようと」

「私のことを?」

「ええ。だから本当に、きっと文字通りのことを尋ねていたんですよ」


 文字通りの、こと。


「変わりはありませんか」

「困ったことはありませんか」

「何か必要なものはありませんか」


 ああ、そうだ。

 意味なんて、決まっているじゃあないか。

 だ。

 そのままに決まっている。

 変りはないか、困ったことはないか、必要なものはないか、ただそれだけのことを、尋ねていたに過ぎないじゃあないか。

 娘を案じる、父の問いかけに、深い意味なんてあるものか。


「だから、大丈夫だよって答えたウルウに、安心したんですよ。もう自分がいなくなっても大丈夫だって」


 そんな、そんなことはなかった。

 ただ他に応える言葉を持たなかっただけで、私は全然大丈夫じゃなかった。

 私は父のことを理解できなくて、父も私のことを理解できなくて、それでも父は私の父で、私は父の娘だった。


 私たちは愛の形を知らなかった。互いの愛を理解できなかった。

 けれど。

 それでも。

 それが愛だったというのならば、私たちは確かに愛し合っていたのだと思う。


 あの問いかけは、そのまま娘を案じる問いかけだった。

 それは、きっと父なりの愛してるだった。

 私はいつも同じ答えを返していた。父を不安がらせないようにと、大丈夫だと。

 それは、きっと私なりの愛してるだった。


「私、不安だったんだ。私は要らない子だったんじゃないかって。母を殺して生まれてきたんじゃないかって」

「ウルウ、それは、」

「ずっと思い出さないようにしてた。でも、違ったんだ。母は、母は確かにこう言ってたんだ」



 この子の名前は閠よ。

 閏年の閠。

 足りない一日を補って、一年を綺麗に回してくれる。

 きっとこの子は、人のことを思い遣れる子に育つわ。

 わたしはここで終わるけど、でもそれは閠に任せてお休みするだけ。

 軅飛たかとぶ君のことをよろしくね、閠。


「私は、ずっとその言葉から目を逸らしてた。余り物の閠って、そう言われた方が納得できたから」


 でも、それでも、思うのだ。

 母が望んだように、私は父の閠になれただろうかと。


「……さあ、それはわかりません」


 でも、リリオは優しくなんてない。


「それはウルウの痛みですよ」


 ああ、そうだ。

 その通りだ。


 それは私がこの先、ずっと抱えていかなくてはならない、そして私以外の誰にも譲ってあげられない、私だけの痛みだ。この見えない痛みこそが、私が確かに受け取った愛なのだ。


 この痛みが、私なんだ。







「いい話っぽいところ申し訳ないんですけど、そろそろこの猛犬どうにかしてもらえませんかね」

「それはパフィストさんの痛みということで」

「参ったなあ」

「がるるるるる!」


 余韻は台無しだけど、元凶であるパフィストは現在怒り狂ったトルンペートに追いかけられて、ナイフの雨をかわし続けているところだ。

 さすがに私たち駆け出しとは違い凄腕の冒険屋だけあって歯牙にもかけていないが、まあ、殴り飛ばしたい気持ちは同じだし、しばらくはああして遊んでもらおう。


 ……いや、気持ちだけじゃなんだし、折角だから私も殴りに行こうか。


「いや、さすがに二対一はどうかと」

「じゃあ三対一で」

「うへぇ」




             ‡             ‡




 とまあ、ことの顛末はそのような次第でしたよ。


 え? やりすぎ?

 やだなあ、僕らだって同じ経験積んでるじゃないですか。

 遅かれ早かれ経験することなら、早いうちの方がいいですよ。


 それに、結局合格させたいんですか? それとも失格させたいんですか?


 僕はどちらでもいいんですけれど、あなたはそうもいかないでしょう。

 煮え切らない態度は自分の首を絞めますよ、メザーガ。


 やあ、怖い怖い、僕に当たらないでくださいよ。


 ウールソの試験は真っ当な形になるでしょうし、そうなるといよいよ時間はないですよ、メザーガ。


 ああ、いたた、まさか二発も喰らうとは思いませんでしたよ。

 顔は止めてくれって言ったんですけどね。

 約束通り、しばらくは有給貰いますからね。







用語解説


・ファントム・ペイン

 幻肢痛。失ったはずの手足に痛みを感じる症状の事。

 ここでは失ったものを痛みという形で抱え続けていくことを指している。

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