第十二話 亡霊とその痛みの名
前回のあらすじ
まやかしを見破り、
残る二人の安否は……。
眠い。
とても、眠い。
まるで深い泥の底にでも沈んでしまったかのように、体が重く、頭が重く、心が重い。
思えば私はいつもそうだった。
いつだって重たい体を引きずって、重たい頭を巡らせて、重たい心で生きてきた。
でも今日は、駄目だ。もう、駄目だ。
立ち上がるだけの気力がない。瞼を開く気力がない。指一本だって、動きはしない。
もういいじゃないかと、声が言う。
もういいじゃないか、こんなにも頑張ったんだから。
もう休もうよと、声が言う
もう休もうよ、こんなにも疲れたんだから。
そうかもしれない。
そうなのかもしれない。
私は頑張って、私は疲れて、もう立ち上がることもできない。瞼も開かない。指一本だって、動きはしない。
誰にも褒められず、誰にも認められず、何者にもなれないまま、流されるように生きてきた。
私はただ褒められたかった。認められたかった。
誠実さなんて要らなかった。嘘でもよかった。
私は生きていてもいいんだって、ただそう言ってほしかった。
そう言ってほしかっただけなんだ。
誰かに。誰でもいいから、誰かに。
だから、もう、いい。
もう、疲れた。
もう、後は沼に沈むように、ゆっくりと休みたい。
沈みたい。
死んでしまいたい。
「……ああ」
なのに。
なのにどうしてだろうか。
私は立ち上がらない体を引きずって、重たい瞼を持ち上げて、鉛のような手足を動かして、それでもこの沼から抜け出そうともがいている。
もういいじゃないかと、声が言う。
もういいじゃないか、こんなにも頑張ったんだから。
もう休もうよと、声が言う
もう休もうよ、こんなにも疲れたんだから。
そうかもしれない。
そうなのかもしれない。
そう思うのに、けれど、私はそれでも進むのを止められない。
体が重くて、頭が重くて、心が重くて、それでも、それでも、それでも。
どこに向かったって、どこに行ったって、きっと何にもありゃしないし、きっと何にも報われない。
そんなことわかってる。いままでだってそうだった。
何者にもなれなかった私が、いまさらどこへ行ったって、いったい何になるって言うんだ。
もういいじゃないかと、声が言う。
もういいじゃないか、こんなにも頑張ったんだから。
もう休もうよと、声が言う
もう休もうよ、こんなにも疲れたんだから。
そうかもしれない。
そうなのかもしれない。
だから、だけど、私は言ってやる。
「うるっさい!」
頭の中にこびりつくような声どもに、苛立ちとともに吐き捨てる。
うるさい、うるさい、うるさい。
わかっている。
何にもならない。何にもなれない。何も生み出せず、何も創れない。
私はきっとそういうやつだ。紛い物を積み上げてできた紛い物の人形だ。
でも、それでも、信じたいなと思うものができたんだ。
信じてもいいかなって、そう思えるものができたんだ。
私みたいな亡者には、眩しくって仕方がないけれど、それでも、その行く先を見てみたいなって、その目がどんな景色を見るのか、一緒に見てみたいなって、そう思える人ができたんだ。
それはきっと易しいことじゃあない。
私は何度も挫折して、何度も傷ついて、何度ももう嫌だってこぼすことだろう。
でもそれは、これからのことだ。
どっぷりと腰までつかった、タールみたいな過去の事じゃない。
前を見て、前に歩いて、自分の目で見てみなけりゃ始まらない、これからの事なんだ。
それに、そう。
私がどれだけくすぶってても、もう嫌だってうずくまっても、きっと許してくれはしないんだ。
真っ暗なタールのような世界に、ばりばりと鋭い刃が斬りこんでくる。
やかましくも騒々しく、雷を伴った剣が優しい闇を切り開いていく。
そうだ、君は、そういうやつだ。
私が放っておいてほしいって言っても、首根っこ掴んで齧り付きの最前席に座らせてくるんだ。
これから私は、今までにない程の痛みと苦しみにさいなまされることだろう。
もう嫌だ、勘弁してくれって、どれだけ叫んでも許してくれない、嵐のような現実に放り込まれることだろう。
でも。
でもいまは、不思議とその痛みが心地よい。
何故ならその嵐は、まず真っ先に私の名を呼ぶからだ。
「ウルウ!」
だから、そうだね、私もたまには応えよう。
「リリオ!」
それが私の痛みの名だ。
用語解説
・痛みの名
自分を変え得るものは、時に痛みを伴う。
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