第十一話 鉄砲百合と凍える痕

前回のあらすじ

まやかしの母の姿に心を慰められながら、それでも、その痛みは自分のものだと叫ぶリリオ。

鋭い一閃が、母を斬る。






「まやかし風情が、あたしの名を呼ぶんじゃあない!!」


 暖かな暖炉は崩れ去り、いまや火を吐くのはあたしの心臓だ。

 激しく苛烈に、肌を焦がす怒りの炎だ。

 石壁は崩れ、吹雪が再びあたしを襲う。あたしから何もかもを奪おうと襲い掛かる。

 だがそんなものはもう怖くない。

 あたしの中の炎が、そんなものは焼き尽くすから。


「いいえトルンペート。無理なんかしなくていいんです」

「そうだトルンペート。お前の帰るべき家はここにある」

「お休みトルンペート。今はただ安らかにお休みなさい」


 リリオの、御館様の、ティグロ様の、声を、真似するんじゃあない。

 みんなはそんなこと言いはしない。

 そんなものはまやかしの優しさに過ぎない。


 あたしの中の傷を、痛みを、柔らかく溶かして奪い取るやつがいる。

 でもそれは、その痛みはあたしのものだ。あたしだけのものだ。


 捨てられるかもしれない、見限られるかもしれない、リリオを失ってしまうかもしれない、帰るべき場所を失ってしまうかもしれない、それは確かに例えようのない恐怖だ。


 でもそれは、それを恐れるということは、ただあたしに意味もなくつけられた傷痕じゃない。

 失うことを恐れるその気持ちは、あたしが受け取ったものがそれだけ大きいということだ。


 あたしにはなにもなかった。

 あたしにはなんにもなかった。


 親もなけりゃ名前もなかった。

 意味もなけりゃ意地もなかった。

 あたしにあったのは叩きこまれた殺しの技だけ。


 あたしにはなにもなかった。

 あたしにはなんにもなかった。


 殺し屋と言うほど立派なものではなかった。刺客と名乗れるほど鋭くもなかった。

 あたしは使い捨ての一石だった。

 ただ一つの方法だけを覚えこまされ、その一つを確実に遂行するようにと育てられた、使い捨ての殺人装置だった。


 あたしにはなにもなかった。

 あたしにはなんにもなかった。

 

 あたしは鉄砲玉だった。

 やれ、という炸薬一つで、ぴょんと飛び出てナイフで突き殺す、それがあたしの仕事だった。


 あたしにはなにもなかった。

 あたしにはなんにもなかった。


 それに失敗した後、本当に何にもなくなったあたしを、リリオは拾い上げてくれた。

 御館様があたしの面倒を見てくれて、女中頭があたしを育て上げてくれた。


 なにもなかったあたしに、なんにもなかったあたしに、名前をくれた、生き方をくれた、生きる意味をくれた。

 何もなかった空っぽのあたしに、零れ出るほど何もかもを詰め込んでくれた。


 あたしは捨てられるのが怖い。

 あたしは失うのが怖い。


 でもその痛みは、あたしだけのものだ。


 みんなが詰め込んでくれた沢山の宝物が、あたしにとってかけがえのないものだから、これ以上ないほど大事なものだから、そう、だからこそ感じる恐れなんだ。


 ならばこの恐れだって、この痛みだって、あたしのものだ。あたしだけのものだ。

 他の誰にも、渡しはしない。


「お前はあたしの痛みを柔らかく奪う。ああ、きっとそいつは優しいことよ。でもね、お呼びじゃないのよ、このトルンペート様は。あんたみたいなやつはお呼びじゃない。あたしの痛みはあたしのもの。あたしの恐れはあたしだけのもの。お前にやるものなんか、少しだってありはしないわ!」


 あたしの心臓からあふれ出す炎が、まやかしの部屋を焼き尽くす。

 あたしの振るう銀のナイフが、いつわりの部屋を引き裂いていく。


 さあ目を覚ませトルンペート!

 

 焼き尽くす炎に飛び込めば、視界は真っ白に染め上げられて、そして、




「かっ、はっ……!」




 呼吸を取り戻す。


 がばりと起き上がれば、そこはさっきと変わらない森の中。

 そばにはリリオとウルウが仲良く転がっている。

 あたしはどこにも行ってなどいなかった。

 最初から一歩も進まず、ここで眠りに落ちて夢の中を彷徨っていたんだ。


 勢い良く立ち上がろうとすれば、視界がふらつき、込み上げる吐き気にうずくまる。

 酷く酒に酔った時のような、理不尽な気持ち悪さだった。


「おや、起きたてで無理はなさらない方がいいですよ」


 慇懃無礼な声に顔を上げれば、そこにはのんびりと切り株に腰を下ろしたパフィストの姿があった。


「あんた……いったい、なにを……」

「一つの試験ですよ、これも」

「し、けん……?」


 パフィストの奴は至極どうでもよさそうにあたしたちを見下ろして、薄く笑った。


「この《迷わずの森》は《甘き声ドルチャ・コンソーロ》という夢魔の住処なんですよ。キノコの仲間らしいんですけどね、この魔獣の胞子を吸うと、人は優しい夢の中で柔らかく溶かされます。人は苦痛からは逃げようとするものですけれど、柔らかい慰めからはなかなか抜け出せないもので、そうこうするうちにすっかり心を溶かされて廃人になり、そのまま苗床になるという始末です」


 成程。先程まで見ていた夢はその《甘き声ドルチャ・コンソーロ》とやらの仕業らしい。

 あたしはこうして抜け出せたけど、二人はまだ夢の中だ。早く起こさなければと手を伸ばすけれど、パフィストに止められる。


「おっと、無理に起こすのはやめた方がいいですよ。いまお二人は心の柔らかい部分を啄まれているところです。無理矢理起こすと、深い傷が残りますよ」

「この……そもそもあんたのせいでしょうが……っ!」

「それが何か?」

「なっ……!」

「言ったでしょう、試験ですよ、試験。冒険屋としてやっていくなら、これくらいのことでつまづいたんじゃあやっていけない」


 そう、かもしれない。

 そうかもしれないけど。


「あんたのやり口は、好きにはなれないわね」

「悲しいですねえ」


 頭のふらつきは落ち着いてきたけれど、体力を使い果たしてしまったかのように、体に力が入らない。

 夢の中での消耗は、体にも響くということだろうか。


 まるで死んだように静かに寝入る二人の寝顔を、あたしはそっと見守ることしかできなかった。







用語解説


甘き声ドルチャ・コンソーロ

 乙種魔獣。夢魔。キノコの一種で、地中に広く菌床を広げる。子実体は普通のキノコと変わりない地味なものだが、周囲の水分に混ぜ込んで靄のようにして胞子を放ち、吸い込んだものを深い眠りに落とす。

 夢の中で甘き声ドルチャ・コンソーロはその者の抱える心の傷を掘り出し、その痛みを吸い取って心を癒す。

 程々であれば治療にもなるが、人はやがて苦痛から解放されることで心をぐずぐずに溶かされ、最終的には廃人となり、その肉体は苗床となる。

 

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