第九話 なんでそんなこと言うの?

前回のあらすじ


眠れぬ夜を苦しみの中で過ごすウルウ。

救われなければならないのは誰なのか。

壊れる前に、この夜を終わらせなければならない。




 その日の朝早く。

 トルンペートからことの詳細を聞いた私は、覚悟を決めました。

 はじめからわかっていたことでした。

 なあなあで収まる話ではありません。


 私はウルウが気の済むまでとも考えていました。

 しかしどうやら、時間が解決する問題なのだとゆっくり構えていていい話ではないようです。

 ウルウが自分で自分を壊してしまう前に、私たちはこの鳥かごを壊してしまわなければなりませんでした。

 私と、トルンペートと、そしてウルウ自身を閉じ込めた優しくいびつなこの鳥かごを。


「おはよう、今日もいい天気だ、ね……?」


 笑顔を作って扉を開けたウルウが、ぎしりと音を立てるように固まりました。

 その先にいる私たちは、すでにつながれてはいませんでした。

 寝台は解体され、角材めいた寝台の脚は私たち自身の手の中にありました。


「おはようございます、ウルウ。そろそろ、終わりにしましょうか」


 言い放つ私に、ウルウはしばしの間呆然としていました。

 「なんで」と「どうして」とが混ざり合ったような、半端な吐息が音にもならずにこぼれては消えました。

 ふらりとよろめきながらも、ウルウはなんとか体を支えました。それは半分かしいで、もう倒れこんでいなければおかしい体でした。壊れかけの心と体で、ウルウはぎりぎりそこに立っていました。


 ウルウの顔に様々な感情がよぎりました。

 悲しみ。

 苦しみ。

 寂しみ。

 ほんの少しの喜び。

 かすれたような怒り。


 そして不意に、すんと感情が抜け落ちてしまったように、すべての表情が消え去りました。

 ウルウの中にあった様々な葛藤や苦悩の、なにもかもがいま、奇跡的な均衡きんこうを打ち据えられて崩れ落ちてしまったのでした。


 ウルウは一度だけ強く目をつむり、そして開いた時には、押し固められたような笑顔を浮かべていました。まるで人形のように硬質で、色のない笑顔。


 その心の動きを、繊細な機微を思うと、胸が苦しくなりました。いたたまれない気持ちでいっぱいになりました。傷つけてしまった、こんなことをするべきではなかったという呵責かしゃくの念に駆られさえします。


 しかしそれでも、これは必要なことでした。

 私たちのためにも。

 ウルウのためにも。


 このいびつで悲しい現状は、断固として改めなければならないのでした。


 ウルウは笑顔のまま言いました。


「なんのつもりかな。ベッドはおもちゃじゃないよ、ふたりとも」

「私たちを解放してください、ウルウ」

「いけない子だね。ちゃんと直してね。そうしたら許してあげる」

「ウルウだってわかってるはずです。こんなのはおかしい。健全ではありません。解放してください。もうこんなことはやめてください」

「いい子にしないと、ご飯抜きだよ。私だってそんなことしたくないんだ。だから、ね?」


 致命的に、会話が嚙み合っていませんでした。

 会話を成立させる気さえありませんでした。

 なにもなかったことにすれば、目をそらしたままにしておけば、きっと元通りになるから。そんな祈りを込めたような、あまりにも悲しい拒絶です。


 どんなに苦しくても、どんなに悩んでも、ウルウはこの生活を変える気がないようでした。

 脅迫的なまでに、ウルウはこの生活に固執していました。

 そうしなければならない。そうしなければ壊れてしまう。

 

 なにかが、恐ろしいなにかが、ウルウをそう急き立てているようでした。


 そうです。

 ウルウは私たちを傷つけるつもりはないのです。傷つけたくはないのです。

 失いたくなくて、手放したくなくて、そのために私たちを失い、手放すようなことを自らしてしまっているのでした。

 私たちのどんな願いも、ウルウのかたくなな心には、閉ざした心には、響かないのかもしれません。


 それでも私は、ウルウに伝えなければなりませんでした。

 たとえウルウを傷つけてでも、ウルウを取り返すために。


「私は、私はいまもであるつもりです」


 びくり、とウルウの肩が震えました。


「あなたはあの森で、私に言ってくれました。私はいまもあの言葉を忘れていません。私の胸の中で、その言葉はいつだって輝いています」

「…………て」

「『君がであるならば、君がであるうちは、君の寂しさを埋めてやるのも、やぶさかではない』」

「………めて」

「輝けるものになろうと思いました! 美しい物語のように、おぞましい悲劇の中でそれでもと抗うきらめきのように!」

「……やめて」

「……あなたがそう言ったから。あなたの言葉に応えたかったから。あなたに、私の物語を、見せたかったから!」

「やめて!」


 ウルウが叫びました。

 間の抜けた前掛けを、引き裂かんばかりに握りしめて、ウルウはやめてと繰り返しました。

 悲しみも寂しさも、どうすればよいのか持て余して、内側に押し込めることしかできない女の慟哭がそこにありました。


「いま、私はとても寂しい」

「………っ」

「隣にいても、隣にいない。触れられる距離なのに、本当に触れることができない。目が合っても私を見てはくれないし、あなたの心を見ることもできない。どうすればいいのかもわからず、ただ寂しさだけを積み重ねている」

「わたしは……っ」

「あなたのためにはじめた私の物語を、あなた自身が閉ざして陰らせようというんですか?」

「違う、ちがう……わたしは……わたしは……っ!」

「………お願いです。お願いですから、ウルウ」

「わたしは、きみを、きみたちを……っ」

「あなたを、嫌いにさせないでください」

「い──っ!」


 ばきん、と音を立てて、ウルウの中で何かが割れてしまったようでした。


「いやだ! やだ! やだよ! 嫌いにならないで! やだ……やだやだやだ! 捨てないで! やだ! わたしは、わたしまだ……!」


 膝から崩れ落ち、頭を抱えて子供のように泣きじゃくるウルウ。

 その肩に伸ばした手は、しかし払われてしまいました。


「う、ぐっ、うぐ、うううぅうぅうううう……それ、でも……それでも、だめ……! 私は、君たちを……手放せない……!」


 私は払われた手を、その痛みにも似た熱を、少しのあいだ呆然と見下ろすことしかできませんでした。

 ひりひりとした熱が、手のひらから心臓へと昇っていき、私を内側から焦がしていくような心地さえしました。

 それは。

 それは何て甘美な痛みだったことでしょう!


 たとえ嫌われても、手放すことはできない。


 それはなんて──ああ、なんて。


 なんて熱烈な、愛の告白なのでしょう。


 笑顔の裏に包み隠すこともなく、優しさの陰に押し隠すこともなく。

 恥も外聞もなく、嗚咽おえつ喘鳴ぜんめいの中でもらされた、それだけが真実でした。


「そうですか。そうですね。私も、ウルウも、頑固ですものね」


 どうしようもなく譲れないものがあって。

 どうしようもなく譲れない思いがあって。

 どうしようもなく、どうしようもないのであれば。


「私たちらしいやり方で、決めましょう」


 後ろでトルンペートが、それはどうかと思うって顔してましたけど。






用語解説


・私たちらしいやり方

 脳筋蛮族ガールズの流儀私たちらしいやり方


・どうかと思う

 人の心とかないの?とは思ってる。でも好き。

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