第八話 キミを思って苦しいくらい♡
前回のあらすじ
無事な姿を見せてくれた愛馬ボイ。
ほっとしたのもつかの間、ウルウの見せる憔悴ぶりに困惑するリリオ。
果たして彼女はいったいどうしてしまったのだろうか。
※家畜やペットを傷つけた場合、器物損壊罪や動物虐待の咎で罰せられます。
絶対にかわいがってあげてください。
生活が改善された、ってのは正直助かるわ。
あくまで部屋から出してもらえたってだけで、根本的なところは何も解決してないから、これで改善されたとかほだされちゃうのもだめな気はするけど、でもちょっと気持ちが楽になったのは確かね。
朝、目が覚めれば手錠を外してもらえて、朝食は三人で食卓を囲む。
天気が悪そうだったら、ちょっと窮屈だけど、ボイも小屋の中に上げる。
買い貯めてた遊び道具をひとつずつ検めるみたいに、あたしたちは一日を遊んですごす。
ウルウは家事をするために離れることもあるけど、あたしたちから目を離すことはない。
小さな子供みたいに見守られる日々は、どこまでも甘ったるく、ほどほどに気だるく、ほどほどに快適。どんどん堕落していっちゃいそう。
遊戯に飽きれば、リリオは室内でもできる鍛錬にいそしむ。腕立て伏せ、腹筋、梁を使った懸垂は、ウルウにちょっと眉をひそめられる。
もしも天気が良くて、ウルウの体調と気分が良ければ、外で素振りだってしていい。
運動して汗をかいたら、ウルウに拭いてもらえるし、
あたしは手入れすべき道具も取り上げられ、するべき家事もほとんどさせてもらえないけど、編み物くらいは許してもらえた。
時間があるときにちまちま編んでいたいろいろを、ここで仕上げてしまうのも選択肢の一つではあるかもしれない。
お茶を淹れるくらいはさせてもらえるようになったけど、でも子供が火を扱うのを見守る親みたいに、常に見張られてて、何も仕込めない。
いやまあ、薬も毒も隠されてるから、なんにも仕込みようがないし、そもそも仕込んだところで何になるって話ではあるわよね。
あたしは別にウルウを傷つけたいわけじゃない。
あたしたちがウルウを傷つけたいわけじゃないように、ウルウもあたしたちを傷つけたいわけじゃなかった。監禁して、手錠でつないで、何をって思うけど、でもウルウはいっそいつくしむように、あたしたちを大事にした。過保護なくらいに。
なんなら、あたしたちが何か危険なことをしようとすれば──関節外しでギャヒギャヒ笑ったりとか、暇だからって組手してみたりとか──血相を変えて止めに来るくらいだ。
そして決して怒らない。
ただ泣いて、悲しげな顔を見せ、こんなことはしないでとお願いしてくる。
別にウルウは狙ってやってるわけじゃないだろうけど、叱られるよりももっとずっと効果的だ。
まるで真綿で包み込むようなやさしさが、時々よりもちょっと多めに、しんどい。
大事に大事に、大事に大事に大事にされる日々は、ちょっとうんざりすることを除けばあたしたちの生活を改善して、何なら健康になったなとさえ感じる。
でも体が健康になっても、精神はなんだか鈍麻していくような気さえする。
そうしてかいがいしくお世話するウルウの方はというと、日々健康からは遠ざかっているように見えた。
はっきり言っちゃえば、ウルウは
疲れ果てて、苦しみさえ覚えていた。
ウルウはそれを隠そうとしてる。ここ数日は化粧をしてまでごまかし始めた。
でも、目元の隈はや肌の荒れは隠せても、かしいだ背中も反応の鈍さも隠せやしない。
手入れを忘れた爪はすっかりがたがたになっていて、もしかしたら見えないところで爪を噛んでいるのかもしれなかった。
あたしたちが監禁されてから、ウルウは一度も寝台で寝ていない。
寝台はあたしたちのいる寝室にしかないからだ。
そりゃあ、野営の時は寝台なんて立派なものはないけど、それでもウルウの不思議な布団があるから辛くはない。でもそれだってあたしたちの寝台にあって、ウルウは一人で長椅子に寝てる。
ウルウの
そんな生活が続けば、それは疲れもする。
リリオだってそれを気にして、一緒に寝ましょうと誘ってた。それがだめなら、私たちが長椅子を使うので、どうか寝台で寝てくださいとも。
あたしも、もちろん寝首をかこうとかの打算はあったけど、それ以上にウルウが心配だったからリリオと並んでお願いもした。
さみしいから一緒に寝ましょうよとまで言った。
でも、答えはいつも
柔らかな口調で、困ったように微笑みながら、それでも結論はいつも決まって「だめだよ」だった。
あたしたちが逃げ出すためにウルウをどうにかしようとしている、と疑っているのかもしれない。
無防備な寝姿をさらすことなんてできないと警戒しているのかもしれない。
そんなことはないから、なんにもしないから、と我ながら怪しさ満点に誘ってみても、ウルウが頷くことはなかった。
「ごめんね。本当に、ごめんね。一緒には寝れないんだ。私はもう、無理なんだ……ごめんね」
いったいぜんたい、あたしたちを寂しくふたり寝させておいて、一人で窮屈な寝台に転がる理由があるもんだろうか。
あたしは真夜中に、こっそり部屋の鍵穴を覗いたことがある。
暗い部屋の中から、角灯を照らした居間はよく見えた。
ウルウは、あたしたちの部屋が見える位置に長椅子を据えて、そこに体を横たえていた。
六尺以上のウルウの恵体は、もちろんそんなものには収まらない。横たわっているというより、長すぎる足を持て余すようにしながら、半身をようやく長椅子にのせているようなものだ。
そんな寝苦しい体勢だから、当然何度も寝返りを打つ。
それだけじゃなく、何度も起き上がってはため息をつき、寝ようと努力するためだけに横になって、また起き上がる。その繰り返し。
足元には何本もの酒瓶が並んでいて、時折それを無理にあおっては、むせたりせき込んだり。
強い酒精も、ウルウを寝付かせるには足りないみたいだった。
体は疲れ切って、心もすり減って、それでもウルウの神経はウルウを眠らせてくれないようだった。ざりざりとざらつく苦悩が、ウルウの心の柔らかいところを、荒くこすって苦しめているようだった。
ウルウは時々こちらをじっと見つめた。明るい側から暗い側を見ようとしたって、鍵穴から覗き込むあたしには気づかないだろうけど、それでもちょっとドキッとする。
それでも少し思う。気づいてくれたらとよくわからないことを思う。
すがるような、拒むような、苦しむような、愛おしむような、そのまなざしに、なんにも言えなくなる。
ねえ、そのまなざしにはどんな意味があるの。ねえ、そのまなざしに何を込めているの。
ねえ、ウルウ。ねえ。
ウルウはただじっとこちらを見つめて、ため息をついて、酒をあおり、頭をかきむしる。
そして何かをぶつぶつとつぶやく。
それはほとんど口の中でかき回されるばかりで、ほとんど聞こえやしない。
でも、何度も何度も繰り返されるうちに、時々聞き取れることもあった。
ウルウは繰り返してた。
「こんなのダメだ」
「二人を穢してる」
「嫌われたくない」
「いやだ。いやだ」
「でももう放せない」
「たすけて」
「おとうさん」
「もういやだ」
「いかないで」
「もういやだ」
「もうやだ」
「もうやだ」
「やだ、やだよ」
「やだ………………………」
後半はもうほとんど言葉らしい言葉になっていなかった。
抑え込むような嗚咽が喉の奥から漏れ出ていた。
それは「しにたい」と聞こえるような気がした。
それは「しにたくない」とも聞こえるような気がした。
そして、倒れこむように、気絶するように、ウルウは意識を手放す。
眠れないどころじゃない。ウルウは無理やりにでも気絶しなければ、朝を迎えられないんだ。
そしてそれも一晩意識を失えるわけじゃない。
ウルウの頑強な体は、少しもすれば目を覚ます。
そうすればまた繰り返すのだ。
すり減るだけの慟哭と、短い気絶を繰り返して、朝が来るのを待っているのだ。
あたしたちが起き出すのを、闇の中で待っているのだ。
あたしは決意を新たにする。
あたしは、あたしたちはこんなおかしな状況を脱しなければならない。
それも、一刻も早く。
なによりも、ウルウのために。
用語解説
・ウルウの不思議な布団
『水鳥は本質的に水に潜る事よりも水に浮く事こそが生態の肝要である。しかして鳰の一字は水に入る事をこそその本質とする。命無き鳰鳥の羽毛は、横たわる者を瞬く間に眠りの底に沈めるだろう。目覚める術のない者にとって、それは死と何ら変わりない安らぎである』
・おとうさん
閠の父親の事。
妛原
閠の生きる理由は父の死でおおむねなくなった。
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