第11話 亡霊と飛脚

・前回のゴスリリ


り ん ご お い し い 。






 食べ過ぎた。

 胸焼けする程ではないけれど、危うく寝過ごしかけてしまう位には食べ過ぎた。


 旅籠のベッドは、《ニオの沈み布団》程ではないにしても、以前に使っていた安物のベッドよりよほど具合のいいもので、宿場町の旅籠程度でこんなにいいものなら街の宿などどんなものなのだろうと恐れ入ったが、この旅籠が特殊なのであって期待はしない方がいいと宥められた。

 リリオも私の反応がわかってきたようで悔しいやら嬉しいやら。


 《ウェストミンスターの目覚し時計》に起こされて、お腹がやや重い快適とは言えない目覚めを果たした後、私たちは部屋で朝食を頂いた。


 顔を洗って着替えを済ませると、ボーイがやってきて朝食の準備をいたしましょうかと聞くので、まだぐーすか寝ているリリオを尻目に、昨夜は食べ過ぎたので私には軽めのものをと頼んだ。するとボーイもまた眠りこけているリリオをちらと見て、かしこまりましたと下がっていった。

 あの察しの良いボーイなら、特別何か言わないでもリリオの分も気を利かせてくれることだろう。

 言葉を費やさなくていいというのは私のような人間にはうれしいことだ。


 リリオをベッドから引きずり出して《ウェストミンスターの目覚し時計》の角で殴りつけるとようやく起きたので、顔を洗わせて着替えさせ、のそのそとベッドメイクをしていると朝食が運ばれてきた。


 私用にはオートミールとドライ・フルーツで作った甘い牛乳粥のようなもので、それにポーモと呼ばれる、小振りでいびつな林檎が一つついた。


 ポーモは表面を拭って齧ってみると、驚くほど酸っぱい。品種改良があまり進んでいないのだろうけれど、さっぱりとした酸味で、目が覚める。それにこの酸味があるからこそ、昨夜のような糖分過多気味の調理をしてもさっぱりとした味わいだったのであろう。

 昨夜のあれは悔しかった。お腹がいっぱいでさえなかったらもう少し食べたかったのだが。


「………変な感じだ」

「何がですか?」

「いや、なんでもないよ」


 もう少し食べたかっただなんて、まるで人間みたいな考え方だ。


 私の朝食があっさりとしたものであるのに比べて、リリオの朝食は私の分の料金もしっかりとつぎ込みましたと言わんばかりの詰め込み具合だった。

 イギリスにフル・ブレックファストとか呼ばれる朝食形態があるのだが、まさしくあれだ。


 山盛りのマッシュ・ポテトのようなものに、豆の煮込み、分厚いベーコンのようなもの、私の知る卵より黄身の色みが濃い目玉焼き、太い腸詰、キノコのソテー、魚の開きのようなもの、山菜の浸し物のようなもの、ドライ・フルーツ、粥、ベリーのジャムらしきものがたっぷりと乗ったライ麦パンのトースト、ブラックプディングっぽいやけに黒い謎肉、用途不明のクリーム、そして私と一緒でポーモ。


 これ私の三食分どころか、二日分くらいあるんじゃなかろうか。

 やろうと思えば私これで一週間は生きられる自信がある、というかそれより少ない量で生きてきたかもしれない。


 まあ一日歩き通しと考えれば朝にたっぷりと栄養を取るのは合理的だし、この世界の旅人としては平均的な朝食なのかもしれないが、どう見ても小柄なリリオにこの量を用意するのはいくら何でも気が利いていないのではないかと思ったがそんなことはなかったぜ。


 見ているだけで胸焼けしそうな量のプレートを、ポーモをかじりながら眺めていると、子供が棒倒しで砂山を削り取っていくかのように端から次々と平らげられていく。

 見ていて気持ちのいい食べっぷりというべきか、見ていて気持ち悪くなるような食べっぷりというべきか、とにかく平然としてペロリと平らげていく。


 しかもフード・ファイターのように真顔で次から次へと詰め込んでいく、何というか汚らしさと不気味さを感じさせる食べ方ではなく、何か違法な薬物でも混入しているのではないかと思わせるレベルで幸せそうにもきゅもきゅと食べていくのだ。所作は綺麗だし、口からはみ出るような食べ方もしないので見苦しくはないのだが、咀嚼が速く休む暇もないのでとにかく早い。


「………」

「なんですかウルウ? やっぱり足りませんか?」

「いや……たっぷりお食べ」

「そりゃ食べますけど」


 これで太らないんだからこの世界は何かおかしいんじゃなかろうか。

 それともリリオが個人的におかしいんだろうか。

 養豚場の豚もといヒマワリの種を詰め込むハムスターでも眺めている気分でリリオを眺めながら朝食を済ませたが、その間中ずっと笑顔で食べ続けるのだからリリオは幸せな奴だ。好き嫌いとかないんだろうな。


 私もないが、多分私の好き嫌いがないと、リリオの好き嫌いがないというのは別物だ。


 私の場合、単に嫌いというほど食に興味を持ってこなかっただけで、リリオの場合は好きなものがたくさんあって、苦手なものでも美味しく食べる方法を考えることのできる好き嫌いのなさなのだ。

 別にそれがどうという訳ではないのだけれど、つくづく幸せな奴だなとぼんやり思うのだった。


 朝食を済ませて旅籠を後にした私たちは、老商人と合流する前に飛脚クリエーロ問屋とやらに寄った。

 リリオが手紙を送るといったのである。


 飛脚クリエーロというのは、私の知る時代劇に出るような飛脚ひきゃくと同じようなものであるらしい。

 つまり、人間が走って手紙や軽い荷物を届ける郵便業だ。

 長距離なら馬の方が勿論早いが、短い距離なら経費も掛からず速度も期待できるし、一定間隔で宿場があるから引継ぎを繰り返すことでかなり早い情報伝達が期待できるシステムのようだ。


 問屋は民営ではなく公営のようで、建物も簡素ではあるがしっかりとした作りで、看板には風を図案化したものだろうか、つむじ風のような紋章が誇らしく掲げられている。


 中に入ってすぐの受付に、リリオは一通の手紙を差し出した。育ちもよさそうだから封蝋でもしてあるかと覗き込んでみたけれどさすがにそんなことはなく、紐でぐるぐると巻いて閉じてあるようだった。

 ただ意外だったのは、羊皮紙のような皮の紙ではなく、見たところ植物紙のように見えたことだ。製紙業がそれなりに発達しているようだ。


 私が覗き込むのに気づいたようで、リリオはちらと見上げてきた。


「ヴォーストにいる親戚に、もうすぐつきますよって手紙を送るんです。ここからなら飛脚クリエーロの方が早くつきますし、そうすれば向こうでも出迎えに慌てることもないでしょうから」


 聞きたかったことは製紙業に関してなのだが、まあいいか。そう言った軽い用件にも気軽に使えるくらいには発達していると考えてよいようだし。

 そもそも飛脚クリエーロという軽い荷物しか扱えない事業が大々的にやっていけているということは、手紙文化も広く浸透していると考えてよさそうだ。


 受付の眠たげな眼の女性は、慣れた手つきで手紙を受け取り、はかりにかけて重さを計り、それから届け先と、届ける時間を訪ねてきた。

 重さと届ける時間によって料金は変わるようで、今回のようにすぐに届けてくれという場合はやや割高、少し時間がかかってもいいようならまとめて運ぶのでやや割安。時間は気にしないという場合はもっとまとめて送れる郵便用の馬車などを使うようである。


 すぐにと伝えると、早速空いている飛脚クリエーロが呼び出されて、ちょうど出る頃だからと手紙を受け取って、きっちり届けたるさかいなー、と気さくに微笑みかけてきたので、



 私は瞬時に《隠身ハイディング》していた。






用語解説


飛脚クリエーロ

 一般に知られているかどうかは作者はよく知らないのだが、多分知られている|飛脚とほぼほぼ同じ。

 馬などではなく、人が走って荷物を運ぶ。某運送会社のロゴマークに使用されているあれ。


・封蝋

 ふうろう。シーリングとも。手紙を閉じるのにつかわれるもので、溶けた蝋をたらし、紋章付きの金属片などを押し付けて差出人を示す。

 普通の蝋ではすぐに砕けてしまうので、柔らかく砕けにくいシーリングワックスが販売されている。

 作者も持っているが、筆不精の上クッソ面倒くさいので使う機会はない。


・きっちり届けたるさかいなー

 リリオたちがしゃべっている言語は交易共通語と呼ばれる帝国全土で使用されている言語だが、種族や地域によって訛りがある。

 特に辺境地域は別言語と呼ばれるレベルで訛りがきつく、リリオが敬語調なのは日本語に不慣れな外国人が敬語で話すのと一緒の理屈である。

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