第二話 白百合と竜車

前回のあらすじ


今後出てくるかどうかも定かではない食材の話で終始したのだった。







 ハヴェノ伯爵にお願いしてきたからすぐに許可も下りるわよ、とお母様が暢気に言っていた通り、数日のうちに許可状とやらは手に入ったようでした。

 伯爵のお人柄が出ているのでしょうか、非常に神経質そうな字で、非常に神経質そうにみっちり書き込まれた羊皮紙の書状でした。


 何しろ飛竜の旅はハヴェノから出発して辺境に辿り着くまでの長い道程で、複数の領地をまたぐものですから、予定している航路や野営予定地、日程などをまとめた書類、その間に通過する予定の領地に宛てた書状、許可状などがどっさりです。


 明らかにハヴェノ伯爵個人で許可を出せる類のものではなく、駅逓省や軍務省、内務省など、各省の印の捺された書類が見えます。

 通過予定の各領地への通達は当然間に合うはずがありませんので、上からの許可状を振りかざして事後承諾でごり押しする気満々です。

 できるだけ人里を避けて飛ぶ予定みたいですけれど、これ絶対、面倒だから見られないようにして行けよってことですよね。


 この飛行計画のためにハヴェノ伯爵がどれだけの人脈とコネと袖の下とを使ったのか、ちょっと考えたくありません。

 よくまあこの短期間で帝都からの許可をもぎ取ったものです。

 どれだけお母様を放り出したかったんでしょう、伯爵。


 辺境から宮廷に参内する際に竜車を飛ばすことは確かにありますけれど、あれはかなりしっかりした計画を立てて、準備期間をおいて行うものだったと思います。

 辺境の武力と権力を誇示して、また辺境守護の確かさを喧伝するためのある種の観兵式みたいなものですから、多くの領地を通って、人目に触れるようにゆっくり飛ぶらしいです。

 もちろん、素通りなんてことはせず、ちょこちょこ降りては各領地で歓待を受けながら進むわけです。


 今回はそういう行事ではなくて、完全に単なる移動でしかないのでいくらか簡略化できることでしょうけれど、それでもかなりの大事です。

 いや、一頭いれば町を壊滅させられる飛竜を、貴族でも何でもない個人が所有しているっていう時点で大分大事なんですけど。


 私がハヴェノ伯爵だったら生かしておけない不安要素だと思います。

 だからといって手を出せる相手でもないですけど。


 そもそも規格外の個人戦力であるブランクハーラとかいう存在がお膝元にいる時点で勘弁してくれってなりますし、そこに飛竜が二頭もついてくるって、なんか悪いことしましたか神様っていう感じですよね。

 領地に飛竜を住まわせてる、飼育下においてるって、帝都のお歴々からしたら叛逆とか謀叛とか疑ってくださいって言ってるようなものですよ。


 いままで隠し通してた、ということはないでしょうから、コネとカネとその他諸々使えるもの何でも使って釈明してたんでしょうね。騎士団送り込まれてない時点で奇跡なのでは。


 本当に、本当に、ハヴェノ伯爵の胃痛がしのばれます。


 ともあれ、ついに出発の日です。


 私たち《三輪百合トリ・リリオイ》は、庭先にででん、と鎮座ましましている、車輪のついた箱のようなものを並んで見上げました。

 大きさは、そうですね、少し大きめの馬車くらいといった感じですかね。骨組みは金属で補強され、いかにも無骨な佇まいです。飾り気はなく、最低限必要な形に整えましたという具合でした。

 それが二台です。


 それは、辺境で何度も見たことがある竜車を真似て造ったもののようでした。

 もちろん、本場の竜車はもっとちゃんとした造りですし、見栄えもいいですけれど、まあ別に誰に見せる訳でもありませんから、こんなものでしょう。

 実物を見たことがない職人に、詳しい造りは知らないままあれこれ記憶を頼りに指示して造ってみて、それでも何とか形になっているのですから、立派なものと言っていいでしょう。


 一度も試し乗りしてないので今回が初試乗になるということで、そこはかとなく不安ですけれど。


 さて、二台の内の一台には巨大な枝肉や、燻製の類、干物の類、野菜類、豆類、保存食の類、飲料水の樽と、とにかく食料品でぎっちり詰まっています。

 私たちだけでこんなに必要なのだろうかと思いましたけれど、これはほとんど飛竜の餌になるようでした。

 考えてみれば、私たちは時々村や町にでも寄れば食料品は手に入りますけれど、飛竜の餌を確保するのは大変そうです。

 勝手に狩りなんかさせたら近隣住民が泡を食って驚くことでしょう。


 そしてもう一台が私たちが乗るためのものです。

 旅の荷物を積み込むついでに中を検めてみましたが、成程、十分竜車に似せて造ってあると言っていいでしょう。

 飛竜は非常に寒くなり、また空気も薄くなる上空を飛んでいくので、小ぶりな窓や扉もがっちりと密閉できる造りになっています。

 このままでは息が詰まってしまいますけれど、そこはきちんと風精晶ヴェントクリスタロを用いた器械が設置されていて、空気を清めてくれるようになっています。

 戸を閉めてしまえば、分厚く綿を詰められた外壁が寒さをある程度防いでくれそうですし、暖を取れるように小ぶりな鉄暖炉ストーヴォが据え付けられています。


 さすがに貴族の用いる竜車みたいに立派な家具なんかはついていませんけれど、冒険屋にとっては十分すぎる環境です。


「……これ、何に使うの?」

「ああ、きっと体を縛るためのものですね」

「……フムン?」


 壁の金具に結びつけられた帯を、ウルウが不思議そうに眺めます。


 竜車というものは、馬車のように安定した地面を走るものではありません。

 飛竜が上からがっしり掴んで、持ち上げて飛んでいくものなんですね。

 なので、安定した飛行体勢に入っているときはともかく、上昇時や着陸時、それに風が強い時なんかは、かなり揺れるんです。

 だから体を車体に固定していないと、あちこち転がってしまって危ない訳です。

 ちゃんとした竜車だと、快適な座席に固定用の帯がついているものなんですけど、この竜車にはそんな立派なものはついていません。

 代わりに壁に直接取り付けられた帯で体を固定するという訳です。


 それを聞いて、ウルウは非常に憂鬱そうな顔で帯を引っ張りました。


「船酔いする人間が耐えられると思う?」

「あー……まあ寝てたら慣れますよ」

「私は繊細なんだ」

「私たちが繊細じゃないみたいな言い方止めてもらえます?」

「繊細なの?」


 じっとりとした目線に、さすがにそうです繊細ですとは言えませんでした。


 げんなりとした様子でうなだれるウルウを、トルンペートと二人がかりでなだめすかしていると、不意に日差しが陰りました。

 雲でも出てきたかな、あんまり空が荒れると乗り心地が一層悪くなるかもしれない、と空を見上げると、そこには死がそびえていました。


 三人そろってと口を開けて見上げた先で、二頭の飛竜がゆっくりと羽ばたいて、舞い降りてきたのでした。

 吼えるでもなく、睨むでもなく、牙をむくでもなく、ただそこにあるというだけで、重苦しいほどの圧迫感が私たちの身をすくませ、ぞっと総毛だつような死の予感を思わせるのでした。


 ぎくり、と私の足は思わず知らずのうちに逃げ出すようにつま先をそらし、トルンペートはいまにも飛び上がりそうに腰を沈め、そしてウルウでさえも、目を見開いて動きを止めているのでした。


 先の一頭は成竜で、しなやかに伸びる尾の先までおよそ十四メートルはあるでしょうか。

 深い緋色の羽毛は熾火を身にまとうように力強く、二対四枚の翼が風精を緩やかに渦巻かせていました。その巨大な体は水に沈み込んでいくように静かに高度を下げ、やがて猛禽のように鋭い爪を持った四つ足が、音もなく地面に降り立ちました。


 その背の鞍にまたがり、体を固定していた帯を解いているお母様が、子供か何かに見えるほどに立派な体格です。

 強張ったまま動けないでいる私たちのことなどまるで気にした風もなく、ゆっくりと足を折りたたんで寝そべる態度には、圧倒的強者としての風格というものがにじみ出ていました。


 後から降り立ったもう一頭は、若い、というよりもいっそ幼い個体のようで、胴は五メートルばかり、尾まで入れて十メートルといったところ。羽毛もまだ明るい朱色を光らせています。跳ねるように軽やかに地面に降り立つと、落ち着かないように首を振るい、かちりかちりと爪を地に打ち、二対二連の四眼できょろりとこちらを観察するように眺めてくるのでした。


 その子竜でさえ、ごくりと息を呑ませるようなものがあるのです。成竜がたしなめるように尾の先で叩き、それでようやく腰を落ち着けてくれた時には、思わずほーっと安堵の息がこぼれるほどでした。


 それは只人が向き合うにはあまりにも力強く、そして美しい生き物でした。


「どう、リリオ。野生のはカッコいいでしょ! おっきいのがキューちゃんで、ちっちゃいのがその娘のピーちゃんね」


 そんな生き物から平気な顔で降りてきて、気の抜けたことを言うお母様は本当に何なんでしょうね。


 しかし、確かに野生種の飛竜は、私が見てきた飼育種の飛竜とはまるで違う生き物でした。

 飼育種は小型化と軽量化が進んで、大きくても全長十二メートルくらい、それも細身です。

 けれどキューちゃんなる野生種の仔竜は十メートルに至り、しなやかながらも力強い体つきです。それもまだ若い個体で、これから更に大きく成長するだろうとのことでした。


「……リリオ」

「……なんです?」

「飛竜、落とせるんだっけ?」

「……勘弁してくださいよ」


 やれると思っていました。

 あのメザーガにだって認めてもらって。

 きっと私は飛竜にだって勝てると思っていました。

 物語の英雄のように、格好良く戦えるって。

 そう、思いあがっていました。


 でもそれは、飼育種の馴らされた飛竜を想定していたものでした。

 その想定でさえ、当たりさえすれば落とせるかもなんて、そんなものでした。


 これは。

 こんなのは。

 想定外も、いい所。


 いくらなんでも、これは、無――


「……ピーちゃんの方ならギリいけるのでは……?」

「思ったより余裕そうでよかった」


 ウルウは苦笑いして、私の手を取ってそっと手のひらで包み込んでくれました。

 自分でも気づかないうちに、小刻みに震えていたその手を。

 それでなんだか安心してしまったのか、強張り切っていた身体がぴしぱし音を立ててほぐれて、ぎこちなく息が吐き出されていきました。


 隣を見ればトルンペートも、しおしおと沈むように崩れ落ちかけて、なんとかこらえている様子でした。


「あらまあ。いまからそんなんじゃ、先が思いやられるわね」

「いくらなんでもいきなり飛竜は、」

「アラバストロは十六で当主になって、飛竜退治をこなしてるわ」

「むぐ」


 お母様はおかしそうにけらけら笑って、それから柔らかく私の頭を撫でてくれました。


「そのうち慣れるわよ。あなたが冒険を続ける限りね」


 きっとその冒険を続けた先の境地から、母は導くでも教えるでもなく、ただ見守ってくれているのでした。






用語解説


・羊皮紙

 市井では菌糸紙や植物紙が流通しているが、公文書や格式ばった文書などは高価な皮紙が用いられることが多い。

 我々の知るいわゆる普通の羊の皮であったり、四つ足の爬虫類の羊の皮だったり、かなり特別なものだと飛竜の皮を用いたりする。

 見栄えは良いのだが、規格統一が難しく、分厚いので場所を取り、持ち運ぶのも大変で、迂闊に書き損じもできないと、現場の文官からははなはだ不評である。


・駅逓省

 宿場や駅、飛脚クリエーロ、郵便、為替、また交通などを取り扱う行政機関。

 駅逓卿が所管する。


・軍務省

 軍事を取り扱う機関。

 皇帝直轄の騎士及び兵士を指揮下に置く他、有事には領主の騎士・私兵に対して命令権を有する。

 軍務卿が所管する。


・内務省

 または総務省。

 国内、とくに皇帝直轄領の行政その他を取り扱う機関。

 各省の調整、緩衝、また便利屋扱いな所がある。

 内務卿が所管する。


・一頭いれば町を壊滅させられる

 個体によるが、多くの町は基本的に対空兵装が用意されていないため、圧倒的に不利。


鉄暖炉ストーヴォ(stovo)

 帝都で開発された暖房器具。

 いわゆる薪ストーブだが、鉄に火精晶ファヰロクリスタロを練りこんでいたり、我々の世界のストーブとは造りが違うようだ。

 暖炉よりも熱効率が良く、帝都を中心に売れ行きは良いという。


・ピーちゃん

 野生種の飛竜。子竜メス。

 体長は五メートル。全長(尾まで含めた長さ)十メートル。翼開長九メートル弱。

 体色は鮮やかな朱色。好奇心旺盛でやや頭が悪い。

 生まれた時にハヴェノ伯爵に追加で許可を貰いに行ったら、死にそうな顔で祝い金を出してくれた。


・ギリいけるのでは

 実際、空を飛ばないという条件下であれば、リリオはソロで子竜とやりあえることだろう。

 どちらも頭はあまりよろしくないが、経験の分リリオがやや有利か。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る