第9話 亡霊と旅籠飯
・前回のあらすじ
風呂屋で風呂の神官を名乗る女性(裸)に神様講義を受けるリリオ(裸)と閠(裸)。
ブルーレイディスクでは湯けむりと謎の光が消えるとかなんとか。
風呂屋で妙な女に絡まれて随分面倒な思いをしたが、しかしそれなりに為になる話は聞けた。
どうにもこの世界には神様がいて、それも一神教のような形ではなく、神道のような多神教の神々らしい。
細かな所はもう少しじっくり聞けば詳しくわかったかもしれないが、初対面の相手と裸の付き合いでじっくりと話を聞けるほど私のメンタルは強くないし、第一知ったところで得があるようにも思えない。
見ればリリオもそれほど詳しくはないようだから、一般教養程度のところを浚えておけば問題はない。
知る必要がある事であればそのうち嫌でも知るようになるだろうし、そうでないなら今あえて無理を押して知ろうというほど興味はない。
いや、もともとフレーバーテキスト収集を趣味にしているようなところもあって、この世界の宗教観なんかにも興味は十分にあるのだけれど、残念ながら私の好奇心は見ず知らずの他人のもたらす言い知れない圧迫感に勝てるほど強いものではなかった。無念。
それになにより、どうしようもない問題として、これ以上はのぼせそうだった。
もともと長湯どころかシャワーで済ませていたような人種で、入浴自体に慣れていないせいか、頑強な肉体の割に早々にのぼせそうになっていたのだった。適当な所で話を切り上げ、湯から上がった時には少し足元がふらつき始めていた。
それでも倒れてしまわない程度にはやはり頑丈なようで、なんとか洗い場までたどり着いて、無心に石鹸を泡立てて大型犬もといリリオを磨き上げている間に落ち着いてきた。
さすがに昨夜あれだけ綺麗に磨いたおかげもあって、さほど汚れてもいない。
いないが、わしゃわしゃとこすってやると犬よろしく喜ぶので、北海道で動物王国やっていた人よろしくよーしよしよしと全身磨き上げてやり、ざばーふとお湯で流してやる。
調子に乗って泡立て過ぎたようで、何度か流してやらねばならなかった。
私が自分の体を洗っていると何を調子に乗ったのかお背中流しますなどと言ってくるが、もちろん拒否だ。遠慮ではない。拒絶だ。
無防備な背中を他人にさらすとか恐ろしいことできるか。ましてや触られるなど。
私の悲壮なまでの断固たる拒否にリリオもさすがに折れてくれた。生暖かい視線がつらい。
仕方がないので、ヘア・トリートメントとしてまた《目覚まし檸檬》を湯に絞って、髪をすいてやった。このくらいのことで機嫌が取れるのだから、まったくちょろい。
温泉のお湯はすっかり流してしまうと効能が減るとかなんとか聞いたこともあるが、正直ピカピカに磨いた後にまたあの不特定多数が入る湯船に侵入したいとは思えず、そそくさと後にすることにした。
かなり不審かつ非常に不愛想で不敬な奴であろうにもかかわらず、バーノバーノと名乗った神官は私たちに湯冷めしにくくなるという法術をかけてくれた。
地味だが、しかしありがたい術ではある。
ありがたくはあるのだが、どうやらリリオには見えないらしい、なにやらウーパールーパーみたいなものがにゅるりと肌をはい回っていったのは
だってウーパールーパーだぞ?
あのなんか、ぬめぬめして、びらびらしたエラみたいのが飛び出てて、ぺとぺとしてて、顔が間抜けな、あのウーパールーパーだぞ?
しかもサイズ的には私の腕よりでかい感じの。
さっきは反射的にひっつかんでしまったが、正直近寄りたくない。首根っこひっつかんで全力で体から遠ざけたい。
ともあれ、リリオはなんだかくすぐったいなどととぼけたことを言っているし、私は私でぬるぬるぺとぺとしているような気がする肌を必死でこするし、折角の風呂の余韻も台無しだ。
いや、まあもともとそれほどでもなかったけど。
着替えてからも何となくあのウーパールーパーもどきがはい回った後が気持ち悪くてごしごしこすりながら旅籠に戻ると、早速夕餉の支度を整えてくれた。
木賃宿とは比べ物にならない料金を請求してくるだけあって、きちんとした料理のようだ。接待じゃない、自分のためのご飯としてこんなにしっかりした形でご飯を食べるのはいつぶりだろうか。
本来ならコース料理として一品ずつ出してくれるようだけれど、旅でお疲れでしょうし気疲れしませんように一度にお出ししましょうかと言ってもらったので、そのようにしてもらった。
それなりに格式もあるだろうとはいえ、何しろ旅人の多い宿場町の旅籠だ。
実際旅で疲れて面倒なのは御免だという客もいるだろうし、たまの旅位少し奮発しようという低層民もいるだろうから、そういった対応に慣れているようだった。
少し待って、一通り料理がテーブルに並べられると、御用があればお呼びくださいと言い残して給仕は部屋を去った。これもまた、いかにも旅人といったくたびれた様子の私たちを見て、気疲れしないように気を使ってくれたのだろう。
リリオは見たところきちんとした家で教育を受けたらしいところが見えるが、私はそう言ったお上品な世界とは縁遠い一般庶民だ。アルカイックスマイルの給仕を気にせず美味しくご飯を頂けるほど慣れちゃあいない。
ともあれ、さて、ご飯だ。
森の中でリリオのサバイバル飯は食わせてもらったし、茶屋で軽食は取ったけど、こういったきちんとした料理というのはこの世界では初めてだ。
食前酒には、発泡性の果実酒が供された。
思いの外濁りのない綺麗なガラス瓶を手に取り手酌でやろうとしたらリリオに分捕られ、思いのほかに楚々とした手つきで注がれるのでありがたく頂戴し、私もお酌し返した。
なんだかちょっとおかしくなって鼻先で笑うと、リリオもまたおかしそうに笑った。
陶製のゴブレットになみなみと注がれた果実酒が、しゅわしゅわと泡を立てては甘い匂いを立ち昇らせている。
リリオがゴブレットを軽く掲げて「とすとん!」と変な鳴き声を上げる。
いや、違うか。楽しげなこれはきっと乾杯の音頭なのだろう。
私も真似するように「とすとん」と返すと、リリオは満足そうに笑ってゴブレットをあおった。
むせるでもなく美味そうに干すさまは、どう考えてもこいつ成人前から飲み慣れていやがりそうだったが、まあそのあたりは私がどうこう言うところでもない。
私は特別酒に強いほうでもないのでちびちびやらせてもらったが、これがなかなか、うまい。
味わいとしては
酸味の強い
リリオによれば北方ではこの林檎のような果物が名産で、成人したての若者たちがまず親しむのがこの飲み口の軽い酒であるらしい。
とはいえ、飲み口が軽いとは言っても酒は酒で、リリオのように手酌でかっぱかっぱとやるほど弱くはない、はずだ。
食前酒で程よく胃が開いたところで、早速料理に手を付けていこう。
カトラリーは立派な刃の着いたナイフと三本歯のフォーク、それにスプーンが一つずつで、前菜も肉もすべてこれでやれということらしいが、これも略式コースの気遣いだろう。フレンチなら外側から使えばいいが、こちらの世界のマナーは知らないので助かった。
まずは前菜、らしいのを頂こう。
まだ若い薄緑のアスパラらしいものをさっと湯引きして、チコリーのような白い葉野菜とともに色濃いオレンジ色のソースをかけたものだった。
盛り付けこそ素朴なものだったが、色遣いがいい。目を引く。
フォークの先にちょっとソースだけをつけて嘗めてみたが、ぴりり、と甘辛い。
アスパラにソースを絡めて穂先をかじってみると、ぱきりぺき、と歯応えが心地よい。
森で食べた白アスパラの柔らかくしっとりとした触感もよかったけれど、こちらの硬すぎず、しかししっかりとした小気味よい歯応えもよい。
甘さでは劣るけれど、僅かな苦みと、ぎゅっと詰まったうま味がいい。
そしてまた、この甘辛ソースがいい仕事をしている。平坦になりそうなところに、うまい具合にアクセントになってくる。
辛い!というほど刺激的ではないが、うまいこと持ち上げてくれる。
チコリーもまた、ソースとうまく絡む。
これはちょっと苦味の強い葉野菜なのだけれど、今度はソースの甘味がうまいこと取り持ってくれる。しゃきさきとした歯応えもまた、いい。
アスパラと言い、チコリーと言い、舌で食べる以上に、歯と歯茎で食べるといった具合だ。
前菜でぐにぐに胃袋が刺激されたところで、じっくり構えてスープを頂こう。
スープはいかにもどろりとした濃厚そうな黄色いポタージュ・リエだ。旅人向けの、いかにも腹にたまりそうな食べるスープといった貫禄だな。
スプーンですくって口にしてみると、まず、熱い。恐ろしく熱い。
とろみをつけているせいか、マグマもかくやと言わんばかりの熱さだ。
ハフハフとなんとか必死に飲み下し、今度は落ち着いて、しっかりと息を吹きかけて冷まして、ゆっくり味わう。
まずやってくるのは濃すぎるほどに甘いな、という猛烈な甘さのパンチだ。それもカボチャやイモといった、でんぷん質特有のどっしりした甘さだ。砂糖の甘さではない。むしろ甘さを引き立てるためにほんの少しの塩、恐らく調味はそれだけだ。液体状のカボチャ、いや、半固形状のカボチャと言っていい。
しかしこの甘さが、どうにも、後を引く。
くどいかくどくないかと言えば、ややくどい。
ややくどいが、しかしギリギリ内角高めといったくどさ。
アウトよりの、セーフ。
ストライクとは言わないがしかし、ありだ。全然ありだ。
どっしりしすぎて小食の私にはちょっと重いが、しかし健啖家ぞろいだろう旅人にとっては嬉しい一杯じゃなかろうか。
付け合わせのパンにも手を伸ばしてみたが、これはどうにもな。
というのも、いささか硬すぎる。日持ちするよう焼しめてある、というのもあるのだろうが、恐らく酵母が違うのだな。それに麦も違う。
これは小麦というより、ライ麦や、雑穀に近い感じがある。少し酸味のある黒パンだ。
これはちょっとな。
うん。
ちょっといただけない。
こういう硬くてパサついたパンってのは、あんまり黄色人種には合わないんだ。西欧人は唾液量が多いからこういうのも平気で食べられるって聞くが、こっちはそうでもないんだ。
むしっと力を入れて割いて、口の中に放り込んでもっちゃもっちゃと噛んでみるが、これがまた顎が疲れる。
唾液がなかなかでないのでほぐれない。
噛んでいるうちにライ麦だか雑穀だか特有の酸味が感じられてくるんだけど、それにしたってドバドバ唾液が出るほどじゃあない。
これはなあ、これはちょっときついな。
こらリリオ。食べないとは言ってないでしょうが。
意地汚く伸ばしてくる手をはたいて落とし、さて肉料理だ。
肉料理は、これがまた、ごつい。
分厚いプレートにどんと分厚い肉がのっているのだけれど、これがほかほかと湯気を立てているっていうのは、全く視覚の暴力だ。
肉も分厚けりゃ脂も分厚い。付け合わせの塩茹でした根菜もごろっとでかい。
しかし決して皿をはみ出すようなことはないし、派手に見せようという風情でもない。
この食い方が一番うまいからこうして出すのだという、実直さすら感じる。粗にして野だが卑ではないといった風情だ。
こりゃごついナイフがいるわと思いながら力を込めて解体しようとフォークを刺すと、思いのほかに手ごたえが軽い。
するりと歯が入る。
おっ、と思いながらナイフの刃を立ててみると、これもまたぎちぎち言わせることなくするりるすりと刃が入る。
肉だけでなく脂身までもとろりと切れる段に至れば、どうやら単に焼いただけではないなと唸らせられる。
はてさて一体こいつは何者か。
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