最終話 飛竜空路

前回のあらすじ


恐ろしく短く感じる……飯の話をしていないというだけで……宇宙の 法則が 乱れる!






 あたしはリリオ程じゃないにしてもチビだけど、それでもそんじょそこらの連中には負けっこない。

 街道を荒らしまわる盗賊どもだって、あたしにかかればひとひねりだ。

 生中な連中じゃ手も足も出ない魔獣だって、最後にゃ鍋の具材にでもしてやれる。

 酒場で飲んだくれた冒険屋どもなんて相手にもならない。


 実際、この旅が始まってから、あたしが手こずった相手なんて数えるほどだ。

 三等とはいえ、飛竜紋を許された武装女中というものは、最低限その程度の武威を誇れなくては名乗れない。


 そりゃあ、完璧な女中だなんてうぬぼれる気はない。

 それでも自負がある。矜持がある。

 三等武装女中トルンペートには、意地がある。


 なんてまあ、格好つけたいところだけれど、泣く子も黙る武装女中にも勝てないものがある。


「今夜は組み分け変えましょ!」


 快活で裏表なく、魅力的と言って差し支えないような笑顔を前に、あたしは速やかに身を潜めてウルウの陰に隠れようとした。

 恥も外聞もない。

 大事な仲間を人身御供にしてでも逃げ出したかった。

 暗殺技能を仕込まれ、隠形を叩きこまれて以来、これ以上ないというくらいの会心の遁走だったと思うのだけれど、そんなあたしの全力全開などなかったかのようにこともなく、奥様の指があたしの首根っこをひっつかんでいた。


 力任せに鷲掴みにしているわけでもなく、鋭利な殺意で脅しつけてくるわけでもなく、まるでそこらの子猫を掴み上げるみたいに、無造作で、無遠慮で、無神経で、そして無慈悲だった。

 そこには悪意すらもなかった。

 ただ掴んで、運ぶ。それだけのことだった。

 あたしが奥さまと寝るということはすでに決定事項になっていて、覆すことのできないさだめとなっていて、そしてあたしは荷物のように運ばれるだけだった。


 竜車の奥に放り込まれ、分厚い毛布がぽいぽいと放り出されるので、あたしは仕方がなくそれを敷き詰め、整え、寝床とし、ではあとはごゆっくりと抜け出そうとして、やはり許されずとらわれた。


 乱暴ではなかったけど、容赦もなかった。

 あたしは何か言ったり、何かしたりすることも許されず、あれよあれよという間に毛布お化けこと奥様に絡めとられ、もこもこの毛布に一緒に包まることになってしまった。


 奥様は、大人しくしていれば、いっそおっとりしていると言っていいくらいに穏やかに見える方だし、微笑み方もやんわりしていて、仕草の一つ一つも柔らかく、そう、いうなればだ。


 辺境であまり深く関わることのなかった頃、特に寒さのせいで動きたがらない冬場なんかは、それこそ絵にかいたような貴婦人といった具合で、どうしたらこの人からリリオみたいなおてんばが生まれるんだろうと不思議でならなかった。


 しかし、実際に私人として付き合うようになり、その行動を間近で見るようになった今、その印象は全く誤りであったことがよくよくわかった。


 穏やかなのも当然で、やんわりしているのも当然で、柔らかいのも当然で、優しそうなのも当然だ。


 何しろ、この人は、のだ。


 お腹の満ちた虎が兎なんかに牙をむいたりしないように、奥様がわざわざ荒ぶる必要なんて、大抵の場合存在しないのだ。

 どうとでもできるからどうもしないし、何とでもなるから何にもしない。


 ある意味においては、この方はどこまでも傍若無人なのだった。

 自由で、気儘で、そしてどこまでも勝手な人なのだった。


 冒険屋という生き物の、一つの理想の境地ではあると思うし、遠目に見る分には素直に感心もできそうだ。

 でもいざあたしがその振る舞いに巻き込まれるとなると、これは嵐の中に身一つで放り込まれたような気分だった。


 個人としての性質がそうであるだけでなく、困ったことに、奥様は、奥様という立場があった。

 つまり、あたしがお世話するリリオの母親で、あたしが仕える御屋形様の伴侶であるという、そういう立場が。

 あたしは奥様に仕えているわけじゃないけど、でも、それでもあたしから見れば奥様は仕えるべき立場の相手なのだ。


 天下の内に恐るるべきものを持たない武装女中も、仕える主には頭が上がらないのだ。


 あんまり親しい付き合いがあるわけでもなく、力量にも圧倒的に差があって、そして身分的にも頭が上がらない相手、となれば、これはもうあたしががちがちに固まって、まるで安らげなかったのも仕方がない話だとは思う。


 まあそんな小動物の気持ちなんて虎どころか竜みたいなものであるところの奥様には理解できないようで、暢気な顔で暢気なことをおっしゃるものだ。


「そんなに緊張することないじゃない。いまはただの冒険屋同士よ」


 そりゃあいくらなんでも、無理だ。無理です。勘弁してください。

 今すぐにでも逃げ出したい。

 逃げ出して、あっちのほんわか柔らかいお布団で寝てる二人のところに潜り込みたい。

 でも、いくら恐ろしくて、恐れ多くて、あと極めて面倒くさいとはいえ、さすがにそれはまずいという理性は残っている。


 子供のころから徹底的に躾けられた、武装女中としての心構えがこの極めて居心地の悪い心情を作り出しており、そしてその武装女中としての心構えが同時に、「多少無礼であれ精神安定のために逃げ出す」という選択肢を奪っている。

 ままならないものね。

 痛し痒し。痛し痒しだわ。


 奥様にはあたしの気持なんかはこれっぽっちもわからないようではあるけれど、それでもあたしが緊張でガッチガチになっているというのは、まあ目で見ただけでもわかるわよね、ゆるゆると視線を巡らせて何事か考えているようだった。

 あたしの緊張をほぐすための小粋な小噺でも思い巡らせているのならば、せめて普通に笑えるものにしてほしい。リリオなんかしょっちゅう滑るし、ウルウの噺なんかは笑いどころがつかめないものが多い。


 奥様はしばらく、んー、と可愛らしく唸って、それから、そうねと頷かれた。


「恋バナしましょ」

「はあ?」


 無礼極まりない「はあ?」であったけれど、緊張と居心地の悪さが限界に達したあたりでの理解不能な発言に、「はあ?」だけで済んだのだと言う風に考えて欲しい。

 もちろんこの「はあ?」は単純な疑問が爆発するように解き放たれてしまったが故の反射的な「はあ?」、つまり「お前何言ってんの?」を意味する「はあ?」だけでなく、よりによって緊張をほぐすための話題としてそんな危険球を投げつけてくるのかという「はあ?」や、あなた今年で三十七歳でしたっけその年でその話題を選んできますかという「はあ?」であり、また、もしかしてそれ自体が私を笑わそうとする試みですかそれならば失敗していますよという「はあ?」であり、それらが入り混じった複雑な心境の中をまっすぐに貫いてくる「正気か?」を意味する「はあ?」でもあった。


 つまり全く、完全に、私の全身全霊からの「はあ?」であった。


 失礼と失礼を重ねて失礼で打ち合わせて失礼で焼き上げたと言わんばかりの無礼の極みたる「はあ?」にも、奥様はまるで気にした風もなく、楽しげに微笑まれたままだった。


「恋バナよ、恋バナ。若者風の言い方なんでしょ、恋の話の」

「はあ、いや、それは、わかりますけれど」

「やっぱり女子が集まったら、そういうのするものだと思うのよね」

「そういうものなんでしょうか」

「私もやったことないのよ」

「私もです」


 私の場合、まあ、恋バナというか、女中の間で下世話な話とか、誰それができてるとか、そういう話はしょっちゅうしたことはあるけれど、多分恋バナというくくりではないと思う。


 奥様は奥様で、何しろ若いころから冒険屋で旅してまわり、そして冒険屋というものは比較的男性が多いから、あまり女性との絡みがなかったのかもしれない。

 女性冒険屋と話すことも時にはあったのかもしれないけど、臨時パーティなどはともかくとして、誰かと組んで旅したということもあまりないそうだから、恋バナする関係まで発展したこともないだろう。


 では辺境で御屋形様と結ばれた後はどうかというと、これが難しい。貴族の奥様ともなれば、やはりお茶会やらなんやらを開いて他の奥様方とご交流されるのが貴族界の一般的な習わしだとは思うのだけれど、なにしろ辺境というのは、土地の広さの割に貴族が少ないのだ。ぶっちゃけ三家しかない。

 郷士ヒダールゴなんかを含めればもう少し増えるけど、それでも少ない。

 その上、一年の半分は雪が積もっていて、行き来が難しい。

 なので奥様会も難しいのだ。


 辺境貴族は、帝国貴族より実利を取り、使用人との距離も近いけれど、それでもやはり使用人は使用人で、奥様は奥様だ。ある程度はざっくばらんにおしゃべりしたりはできるかもしれないけれど、やはりどこかに遠慮ができてしまう。


 もとが南部の奔放な土地柄で育った奔放な冒険屋であるところの奥様としては、長い辺境での暮らしに大分鬱憤がたまっていたというのは、こういうところが理由であるのかもしれない。


 かといって故郷であるハヴェノに帰れば帰ったで、ブランクハーラの名は伝説の冒険屋という看板でもある。それだけじゃなく、奥様自身もあちこちで悪名もとい勇名を残す大冒険屋だ。

 なかなか親しい女友達もできなかったのかもしれない。


 そう考えると、こうした機会に、いままでできなかった話をしてみたいというのは、いじらしいという気もしないでもない。


 …………何にも考えてなさそうな笑顔を見る限り、思い付きで言ってそうな感じもするけど。


 まあ、それでもある程度枠組みが決まった方が、おしゃべりに付き合う方も気が楽だ。

 とはいえ恋バナか。

 何しろあたしたち《三輪百合トリ・リリオイ》も、ヴォーストにいる間は依頼漬け、旅している間も特に出会いなどなく、恋とは縁遠いところにあるんじゃないかと、


「うちのリリオはウルウちゃんにみたいだけど、トルンペートちゃんはどうなのかしらって思って」


 思考を適当な方向に流そうという努力は見事に遮られた。ぶった切られた。粉砕された。

 あたしがどう答えたものかと、半分開きかけた口をもごもごとさせていると、奥様は実に楽しげに声を潜めて、いかにも内緒話を楽しもうといった風情だ。

 気分は猫にいたぶられる小鼠だけど。


「ああ、ええ、まあ、そうですね。そうでしょうね。リリオはまあ、随分ウルウに懐いていますから」

「それで?」

「それで、とは?」

「トルンペートちゃんはどう思ってるのかしらって」


 三人パーティで、二人の間に不明な矢印が発生したとしたら、残りの一人としてはどんな気持ちか。

 これは単純な数式じゃなかった。

 あたしにとってリリオは世話を見るべきお嬢様で、ウルウは数少ない友達だ。

 これが難しいところ。

 旅の主体は、リリオだ。リリオが冒険屋やりたいから、っていうのがパーティの起こり。

 ウルウの目的は、そんなリリオの旅を面白おかしく観劇すること。

 で、あたしはそんな二人のお世話。


 リリオが右いきゃ、ウルウも右についてくでしょうね。

 ウルウが左に行きたいって思ったら、リリオは左を選ぶことでしょうよ。

 でもあたしがまっすぐ行こうったって、それで左右される二人じゃないだろう。


 リリオはウルウを見ていて、ウルウはリリオを見ている。

 あたしは、そんな二人を見ている。 

 向かい合う矢印に、あたしっていう余計な点が一つくっついて、《三輪百合トリ・リリオイ》という三角形はできてるのだ。


 いまのところは、二人はあたしを気にかけてくれている。

 あたしの存在を許容してくれている。


 でもリリオが本当にウルウとくっついてしまったら、あたしの居場所はそこにあるんだろうか。


 なんて、考えたところで、あたしの答えは決まっている。


「別に、どうも」

「へえ?」

「主人の恋路に口を挟む気はありません。むしろ、あのリリオが誰かとくっつくんなら、将来の心配しなくていいですもの」

「ふうん」


 奥様は、リリオによく似た翡翠の瞳で、リリオと全然似ていないまなざしをあたしに向ける。


「本当に?」


 短い問いかけに、自分で勝手に圧力を感じて、思わず詰まる。


「ドラコバーネの家は、ティグロが継ぐでしょうね。辺境貴族らしく丈夫だから、あの子にもしものことなんてまずないでしょうね。だから、リリオが家を継ぐことはきっとないわ」

「そう、でしょうね」


 だから、リリオは冒険屋になりたがっている。

 というよりも、リリオが冒険屋になりたがっているから、妹思いのティグロ様は、何が何でも家督を継がれるだろう。


「爵位を継ぐこともないリリオは、厳密には貴族じゃない。貴族なのは爵位を持つ本人だけだものね。だからリリオは、貴族を親に持つ平民でしかない。政略結婚なんてする気もない辺境貴族だから、リリオがどこかに嫁ぐ必要もないわ」

「そう、なりますね」


 そうだ。

 リリオは面倒な貴族社会のことなんて考えなくてもいい立場だ。

 御屋形様は最初からそういう方面のことは期待していないし、ティグロ様はリリオの自由を阻むものがあればみんな抱え込んでしまわれることだろう。


 リリオは自由だ。

 どこへでも行けて、なんにでもなれる。

 旅を住処として、冒険屋だってやっていける。


 そして。


「自由に恋もできるわ。身分の差なんて気にしない恋が」


 だからウルウを慕うことができる、なんて話じゃない。



 それは本当に、どこまでも残酷なささやきだった。

 悪意があれば恨めた。

 邪気があれば責められた。


 だが、そこにはただ善意があるのだった。

 奥様は、いたぶるでもなく、なぶるでもなく、ただひたすらに善意と好奇心から話を振ってきているのだった。


 あたしは耳をふさいだ。

 あたしは目を閉ざした。

 あたしはかぶりを振って、奥様の言葉を、視線を、拒む。


 やめてください。

 やめて。


「それとも、ウルウちゃんかしら?」

「やめて!」


 これは。

 この気持ちは。

 あたしの気持ちは恋なんかじゃない。

 リリオは幼馴染で、姉妹で、主従で、そして友達。

 ウルウは旅仲間で、姉妹で、相棒で、そして友達。


 それでいい。

 それがいい。

 あたしはいまの関係が心地よい。


 本当に?

 そう問いかけたのは、奥様の声だっただろうか、それともあたし自身の声だっただろうか。


 いつの間にかあたしは意識を手放していたようで、気づけば毛布に一人包まれて、鉄暖炉ストーヴォの火がぼんやりと竜車の中を照らすのを見つめていた。


 寝不足のままに起き出せば、奥様はまるで何事もなかったかのように飛竜の世話をし、リリオたちも相変わらず眠たげな様子でもそもそとまどろみから抜け出そうともがいていた。


 冷たい水で顔を洗っても、気分はどこか晴れず、昨日の残りで朝食を済ませながら今日の予定を話している間も、なんだかぼんやりとした心地だった。


 それでも体は習慣通りに後片付けを済ませて、誰に促されるわけでもなく竜車に乗り込んでいた。

 ぐらりぐらりと揺れながら空の高みへと舞い上がっていく竜車に、ウルウの声なき悲鳴が漏れ出る。


 空模様はあまりよろしくなく、竜車は落ち着きなく揺れながら曇り空を飛んでいく。

 まるであたしの胸の内みたいだ。

 なんて柄にもなく感傷的になってしまったのは一瞬で、あたしの胸の内以上に滅茶苦茶にかき乱されたウルウの面倒を見ているうちに、なんだかどうでもよくなってきてしまった。

 何がどうあれ、あたしは誰かをお世話しているときが一番落ち着くものらしい。


 揺れに揺れる飛竜空路。

 もう間もなく辺境へとたどり着く。

 もう間もなくこの旅も終わりに近づく。


 いつまであたしたちは旅を続けられるだろうか。

 あたしのぼんやりとした不安を置いてけぼりに、竜車は往く。


 北の果て、辺境へと。





用語解説


・「はあ?」

 頻出語の一つ。

 たいていの場合、反射的な問い返しの他に、複数の意が込められている。


・恋バナ

 恋の話の略。

 自分の恋の話をしている時よりも、他人の恋の話をしている時の方がたいていの場合盛り上がる。

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