第十一話 白百合と振り向けばやつがいる

前回のあらすじ


口では何と言おうと、身体は求めてるじゃないか……。

素直に愉しみ始めてるぜ……釣りをな!

釣り番組に傾き始めていた三人を謎の触手が襲う!






 みしみしみし、と嫌な音がした時にはもう手遅れでした。

 私のあけた釣り穴から、溢れてきた、溢れてくる、溢れていく、溢れ零れ満ち満ち満ちみっちりとはみ出ていた触手が触腕がぬめるぬるぬるとした腕、腕、腕、手、腕、指、数えきれない無数の数えきれないうごめく暗い彼の彼女の触手が触手がまるで血しぶきか噴水かあるいはさかしまの滝か何かのように勢いよく飛び出しながら、私たちの私たちが三人が座っているいた足場を引き裂き砕き砕いていきました。暗い水の中からのぞくのは、夜を食む異界の羊のごとき一対の感情の読めない不可思議なつやつやとした黒々とまるい平たいくぐるくる目、目、目。ああ、そこに! そこに!


 おっと、驚きすぎてちょっと混乱しちゃいましたね。てへぺろ。

 下から大螺旋貝マシ―ヴァヘリカーゴがやってきて、魚を狙って触手を伸ばしてきたみたいですね。小さい内は、穴から触手だけ出して、うまいこと魚を盗んで帰っていく、なんてことがよくあるんですよ。

 しかしこの個体はかなり大きく、巻貝の直径だけでも二メートルくらいはありそうです。

 あの貝殻の中身は中空なので見た目ほど重くはないんですけれど、その代わりに浮力があるんですよね。この巨体が下から氷を持ち上げて、しかも欲張って穴に触手を次々ねじ込んだ結果、ひびが入り、そのひびが一気に広がり、ばきばきばきと足場の氷を連鎖的に崩してしまったようですね。


 などと冷静に判断できたのは、ウルウのおかげでした。

 ウルウが私とトルンペートを左右に抱えて、ひょいひょいと水面を歩いて安全な氷上に戻ってくれたのでした。

 さすがに足元が一瞬で崩れてしまったときは、私も咄嗟に反応できませんでした。

 カラ踏みすれば普通に逃げられたんですけれど、人間、そういうことを瞬間的に判断できるようにはなってないんですよ。

 いやまあ、普段から使ってれば反応できたんでしょうけれどね。

 実際問題として空踏みって使う機会ないんですよね……。


 さあて、しかし困りましたね。

 私たちが釣って氷の上に投げておいた魚たちは、おぞましいほどにおびただしい触手に根こそぎ捕まってむしゃむしゃされています。

 うーんこんにゃろめです。


 座っていた椅子も、風よけのテントも、根こそぎにされて、ばりばりぐしゃぐしゃばきばきごくんと食べられてしまいました。

 大螺旋貝マシ―ヴァヘリカーゴは目があんまりよくなくて、水の外だと鼻もあんまり利かないので、触手が捕まえたものは何でも口に運んじゃうんですよね。

 というか触手は触手で自分で勝手に動いてるみたいで、もさもさ動いて、何かに触れたら掴んで、引き寄せられるなら口に運ぶみたいな感じみたいです。


 うーん。面白い生き物です。

 それはそれとしてはなはだ迷惑極まりない生き物ですね。


 小さい内なら盗み食いで済むんですけれど、大きくなると氷を割ってしまい、そして学習するんですよ。

 氷を割っちゃえば妨害してくる釣り人は逃げちゃうし、触手を伸ばして獲物を探さなくても水中に落ちてきちゃえば楽に取れるし。

 別に積極的に人間を狙って襲うわけじゃないんですよ。自分から氷の上に上がってくることもないですし。


「うーん……魚取られたのは腹立つけど、これ以上仕掛けてこないんなら放置でもいいんじゃない?」

「ウルウは優しいですね。辺境では『腹立つ』は十分な理由ですけれど」

「蛮族だぁ」


 まあでも、そうですね。水中の敵って厄介ですし、割り切ってしまうなら放置でもいいんですよ。

 湖も広いですから、場所を変えてまた襲われるという確率はそこまで大きくありません。他にも釣り人はいるので、そちらに行くかもしれませんしね。

 ただ、そのですね。


「でも、食べると美味しいんですよね」

「なんならあの殻も高く売れるわ」

「よし、やろっか」


 現金でよろしいことです。

 まあ、私たちあんまりお金には困ってないので売れるかどうかはいいんですけれど、大螺旋貝マシ―ヴァヘリカーゴっておいしいんですよ、本当に。

 私たち、《三輪百合トリ・リリオイ》って、なにが目的って旅先で美味しいもの食べるのが目的みたいなところあるじゃないですか。

 そもそもは私の成人の儀で諸国を巡りーの、お母様の痕跡を辿りーの、してたらまさかのお母さまを発見して実家に帰りーの、って感じでしたけど、旅してるときはおおむねご飯とか温泉のこととかばっかりでしたし。

 もはや冒険屋って言うか武闘派旅行集団ですよ。

 前にウルウが暇つぶしに書いた旅行記をブン屋に売ったら、普通に旅行誌に載りましたし。


 まあそんなこんなでやる気も出たところで、大捕り物と参りましょうか。


「とぉりゃあっ!」


 と掛け声も勇ましく、トルンペートが水中へ沈み込もうとする大螺旋貝マシ―ヴァヘリカーゴに投げつけたのは投網でした。

 これは漁師が使う丈夫な投網を買ってきて手を加えたもので、獲物を生け捕りにするのに重宝します。

 鋼線を編み込んで強度を増し、網の端々に取り付けたおもりは鉤状になって、獲物に引っかかって絡みつくという寸法です。

 おまけに大螺旋貝マシ―ヴァヘリカーゴは触手で触れたものをとりあえずつかんで引っ張るという習性がありますから、おぞましくもおびただしい触手がうぞうぞと網に絡みついていくではありませんか。


「よい、てこ、しょォッ!」


 そんな投網を引き継いで、思い切りよく引き挙げるのが私です。

 この大螺旋貝マシ―ヴァヘリカーゴは直径が二メートルを超えるとても大きな個体ですけれど、先も言ったように空は中空。それどころか浮力を生むために軽いガスを詰めているとか何とかで、見た目よりは大分軽いものです。

 泳ぐ力も弱いので、いくら暴れても私ならば問題のないものに過ぎません。


 過ぎませんけれど。


「お、およよよよよ・・・・・ッ!?」


 滑ります。

 なにしろ私たちは氷の上なのです。さらさらとした粉雪も上にかかっています。

 これに飛び散った湖水がしみ込み、凍り付き、じゃりじゃりと細かな砂利のようになってしまっています。滑るし、崩れる。これでは踏ん張りがききません。

 大螺旋貝マシ―ヴァヘリカーゴが沈み込もうとする力が大したことないので何とかなっていますが、じわりじわりと足元が滑って氷の割れ目に引き込まれつつありました。


「成程。パワーはあってもおちびじゃウエイトが足りないわけだ」

「大きくても厳しくありませんこれ!?」

「なんなら私がやろうか?」

「んんんんん……て、手助けだけ! 手助けだけお願いします!」


 ウルウに任せると相手が何であれほぼほぼ倒せちゃうらしいですし、実際殺していい相手なら文字通り瞬殺なのは見たことあるんですけれど、あんまりそれに頼り過ぎるのも良くないと思うんですよね。

 というかウルウには私が格好いいところを見てもらいたいわけで、情けない私を助けてもらってばかりだとメンツが立たないのです。

 まあ《自在蔵ポスタープロ》とかお風呂とかなんとか、頼るところは頼るんですけれど。


「よしきた。じゃあ足場は任せて」


 ああ、あと、最近は頼るとちょっと嬉しそうなのもなんかこう、弱いんですよねえ、私。

 ウルウは踏ん張る私を抱きしめるみたいにして、すぐ後ろに立ちました。


「効果的には多分これで……《壁虎歩きゲッコークライム》」


 不思議な呟きと共に、恐らくウルウの不思議なまじないが効いたのでしょう。

 自然に佇んでいるだけにしか見えないウルウの足元が、滑るはずの氷にぴったりと張り付いて動かなくなってしまいました、

 そのびくともしないウルウにしっかりと抱きしめて支えてもらえば、もう私に怖いものなどありません。


「んんんんん……どぉっっせぇぇぇええいいッ!!!」

「声がかわいくない」


 頑張って一本釣りしたのにかなり辛辣な一言いただきました。ありがとうございます。

 耳元でボソッと呟かれてちょっと手が緩みそうになってしまいました。


 勢いのままに私たちの背後に叩きつけられた大螺旋貝マシ―ヴァヘリカーゴは、その衝撃でか触手の動きも鈍くなってしまいました。

 のたのたとのたうつ触手が、それぞれに別の悪夢を見てもがくように、てんでんばらばらにうごめきさまよいます。何かを掴もうとしているのか、触れようとしているのか、まるでわからない触手の動き。

 うぞうぞもにょもにょぬちょぬちょぬたぬた、なんかこう……百本もある触手がランタンの光に照らされてのたうち回ってるの、あんまり精神によろしくないですね。

 ウルウがいうところのサンチが減るというやつです。


「うわ……きもいきもいきもい」

「どういう動きなんでしょうねこれ……」

「ええ……これどうすんのよ。触りたくないんだけど」

「でも美味しいんでしょこれ」

「それはそれ、これはこれよ。イカはまあ食材として見れるようになったけど……これでかいし多いし」

「わかる。わかりみ」

「わかりみよねー」

「うーんでも美味しいんですよね」

「じゃあ早くとどめ差しなさいよ」

「ええ……私がですかぁ?」

「食べたいんでしょ。言い出しっぺなんだからさ、ほら」

「ううん……落ち着いてから向き合うと普通に精神によろしくないですね」


 などと、きゃいきゃい騒ぎながらも私たちは無事に大螺旋貝マシ―ヴァヘリカーゴにとどめを刺し終えました。

 私たちがって言うか、私が。

 なんか近寄ったら触手がのたのたうごめくので、できるだけ見ないようにして、殻踏みつけて頭に剣を突き通しました。

 そしたら最後のあがきなのか全身触手でつかみかかられてぬちゃぬちゃされましたよ。

 いやまあそのまま力尽きたのでそれで痛いとか怪我するいうこともなかったんですけど、触手まみれ、粘液まみれの時点で地獄です。

 タオルで拭ってもなかなか取れず、寒い思いを強いられるのでした。


「……………」

「ごめんて。爆笑したのは謝るよ」

「悪かったわよ。ちょっと楽しくなっちゃって」

「……これ別に私じゃなくても良かったやつですよね」

「いや、汚れたくないし……」

「ウールーウー!」

「ごめんて。ごーめーんー、だからぬちょった手で触るのやめて! マジで!」


 まあそれもいい笑い話ということで。


「まあ、でも、大螺旋貝マシ―ヴァヘリカーゴで済んでよかったわね」

「え、なんか意味深な言い方するぅ……」

「あいつはまあ事故みたいなものだもの。もっとヤバいのもいるわ」

「辺境は試され過ぎてるなあ……で、何がいるって?」

「ええ、毬藻マンピルカルゴヴィーロというやつでして」

「あ、出た」

「え?」


 振り向けばそこには、










用語解説

・《壁虎歩きゲッコークライム

 ゲーム内スキル。《暗殺者アサシン》が覚える移動スキルの一種。

 設定では壁などに張り付いて歩くことができる、とされ、壁面や断崖など、通常は歩行不可能な地形を踏破可能になる《技能スキル》。

 一部の隠しエリアに侵入できるほか、広大なマップのショートカットなどに有用。

 銅像などのオブジェクトの上にも移動できるので、自撮りスクリーンショットなどでも活躍。

 また、一部のボスはこの《技能スキル》を使うことで移動可能なオブジェクトの上から、反撃を受けずに一方的にタコ殴りできるという裏技があった。

 長年修正されていないので、仕様なのではないかという声と、チゲ鍋で忙しいからという声がある。

『皇城の衛兵が、不埒な侵入者を相手にすることは稀だ。その前に飢えた「壁」の餌食になるからだ』


毬藻マンピルカルゴヴィーロ

 マリモ。球状に集まることで有名な藻。

 単体の藻ではなく、糸状の藻が集合することで一つの大きな球状となっている集合体。

 その、マンヴィーロだ。


・そこには、

 語られないものがある。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る