第十六章 おかえりなさい
第一話 鉄砲百合と辺境伯領
前回のあらすじ
親戚から囲い込まれにかかるウルウ。
しかしそれも悪くないのだった。
たっぷりの朝食を頂いて、モンテート要塞の充実した飛竜場から飛び立ったのは早朝のことだった。
山おろしに背を押されるようにして、上下に広がる雲の間を滑るように飛び、日の暮れる前になって、あたしたちはようやくフロント辺境伯領にたどり着いた。
まあ、やっとなんて言ったけど、モンテート要塞から辺境伯領まではそんなに近くはない。要塞こそ山の上にあるけど、領地自体はそれなりに広い。
それに広大な塩湖であるペクラージョ湖が境としてフロント辺境伯領との間に横たわっていて、これを今日中に渡れるかどうかっていうのはちょっとした賭けだった。
幸い、モンテートの飛竜乗りと竜車工たちの手で、奥様の日曜大工による竜車が大分改良されていたからなんとか強行軍で渡り切れたけれど、私たちからは尊い犠牲が出てしまった。
「まだしんでない……」
「顔面崩壊してるんだから大人しくしてなさい」
涙と鼻水と乙女塊を出せるだけ出して、お見せできない顔でぐったりしているウルウはまあ、笑えるを通り越して悲惨だった。
これで竜車の改良をしていなかったらどうなっていたことやら。
いや実際、竜車の改良はほとんど新造っていっていいくらいのもんだったわ。
さすがに要塞の工房じゃ完全な新造はできないにしても、補修くらいはするのよ。その補修を最大限までやった感じよね。
そこまでお世話になるわけには、って思ったんだけど、竜車工曰くの「見よう見まねで辛うじて継ぎ接いだ、いままでというか初日で空中分解しなかった奇跡を空の神に感謝せざるを得ない使い古しの
大柄な
傍若無人が服着て歩いてるような奥様も、さすがに
まあ、竜車工たちが呼びかけみたいな頻度で繰り出す「馬鹿でねェのかオメはよォ!」という文句が、日曜大工の変態じみた完成度に対する彼らなりの称賛だったこともあるだろうけど。
あたしはこういう物造りには詳しくないので、どういう改良がなされたのかよくわかってないけど、見た目からして完全に別物になったのは確かね。
骨組みはなんか、
度重なる雑な離着陸で死にかけていた足回りも、
もはや別物になってしまった竜車の中でも最も分かりやすく変わったのは内装だった。
ウルウが大変喜んだことに、折りたたみながらなかなかに快適な椅子が設置され、居住性が増したのだ。しかも寝椅子にもなるので、飛行中はほぼ死んでいるウルウも安心して死んでいられる。
窓も大きな硝子窓になっていて、景色が気軽に眺められるようになっていた。
ああ、硝子じゃないんだっけ。なんかよくわかんないけど、
ウルウは心配そうだったけど、
まあ、そんな風に素晴らしく強靭勝つ快適に生まれ変わった竜車でも、ウルウはやっぱり死んだけど。
こればっかりは仕方ないわね。
いくら竜車の性能が良くなったって、運ぶ飛竜が野生種でちょっと荒っぽいし、なによりモンテート要塞を越えたあたりから辺境の空は荒れ始めるのだ。
適当な空き地に着地して、なんとか息を吹き返したウルウも、乙女塊を出し過ぎてもう乙女汁しか出なくなりながら、嵐でもあったのかと思ったとぼやいたくらいだ。
でも竜車から降りてみても、空はよく晴れて、地表は風も大人しい。
実は、辺境、というより臥龍山脈に近づけば近づくほど、どうしたことなのか上空のあたりで常に風精が暴れまわるようになって、風がかき回され続けてる感じなんだそうだ。
飛竜は大きな翼を持ってるけど、その飛行はもっぱら風精を操ることで成し遂げてる。
でも荒れ狂う風精はさしもの飛竜も制御しきれなくて、これほど力強い生き物であってもまともに飛べなくなってしまうのだ。
だから、龍の顎を抜けて、フロントも突破してきた運のいい飛竜だって、風に振り回されてすっかり疲弊して、地表に落ちて暴れまわった挙句に狩られるか、モンテートで撃ち落されるかっていう二択になる。
たまに生き延びて森の中とかで見つかったりする個体もいるらしいけど。
ウルウが地味に魅力的な女から、地味に魅力的だけどでかくてクソ邪魔なお荷物になってしまったので、寝椅子に安置してあたしたちだけで手早く野営の支度を整える。
そんな死に体のウルウを揺さぶっていつもの魔除けを強奪していくリリオは本当に弱った人の気持ちが理解できないんだろうなあ、となんだか生暖かい目で見てしまった。なおその暴虐に対する返答は顔面鷲掴みだった。
さすがにすっかり暗くなった今から狩りに出かけるのは危険なので、モンテート要塞でいくらか分けてもらった食料を調理して簡単な夕食を用意することにした。
豆に、芋に、根菜に、漬物、干物。保存のきく、焼き締めた酸味のある
あたしたちがもともと用意してた乾燥野菜に、
並べてちょっと考える。
貰った食材の中に、保存のきかない生
炒め物もいいけど、今日は汁物にしよう。温まるし、調理器具が少なく済む。
なんでかっていうと、ここに
今日使うのは、
あとは香草と塩でさっと味をつけておしまいだ。
これがすっかり仕上がった頃には、ウルウも何とか復活して、元気にお腹が空いたと言い始めた。まあこれは純粋に、お腹の中身をすべて吐き出してしまったから仕方がないんだろうけど。
屋外はさすがに寒いので、鍋を竜車の
野菜は程よく柔らかく煮え、
北部や辺境では結構
この
くにくにとした歯ごたえは面白く、変わった形は口の中に未知の舌触りを与えてくれる。
辺境育ちのあたしとリリオにも、南部育ちの奥様にも懐かしく目新しい美味しさだ。
ウルウはまあ、何食べさせても大抵は美味しそうに食べるけど、今日のも当たりだったみたいだ。
ちょっと軟らかめにしたから、疲れたウルウの胃腸にも優しいことだろう。
あたしたちはそうして手早く夕食を済ませて、早めに休むことにした。
強行軍でさしもの野生種の二頭も疲れていたし、明日は早めに動きださなければならないのだから。
あまりにも快適に改良された竜車のおかげであわや寝過ごしそうになったけれど、あたしたちはウルウが保険として用意しておいた不思議な時計のおかげでぱっちりと目を覚ますことができ、さっと朝食をお腹に入れることができた。
余りものの汁物に、体を温めるために
夜の間にちょっと積もったらしい雪を投げた後、あたしたちは竜車をつなぎ直した。
雪に沈まないように、車輪に
二頭とも滅茶苦茶嫌そうな顔するんだけど、奥様が窘めながらだったので何とか言うことを聞いてくれて助かったわ。
この先は空がまともに飛べなくなるから、こうして竜車を牽いて歩いてもらわなきゃいけないのだった。
慣れない装具に不満げに落ち着かない飛竜たちと引き換えに、ウルウは朝からご機嫌だった。
なにしろ、もう食べた分だけ吐き出さなくて済むのだから。
用語解説
・
検閲済み。
あまりお上品ではない罵倒語。
彼らの会話は五割がこの便利な言葉で発せられ、残りの四割は拳で、あとの上澄みのような一割が他の種族に真似できない芸術品であると言われる。
もっとも、この種族ジョークは
・
鉄の三割少々という軽さで、加工しやすく、表面にすぐ酸化膜を作るので耐食性もある。
ただし純粋な
採掘量も多く加工もしやすいが、現状、
・
赤灰色を基調として、白、黒、緑などを帯びることもある。
名前の由来は赤い豆状の小粒でよく見つかるため。
南部や、東部の一部、南大陸でよく産出する。
大叢海にも大規模な鉱床があるのではないかと推測されている。
粉塵が肺にたまることで死に至る病が知られており、扱い時にはマスクの類が必須。
・透明な金属
鋼鉄のように頑丈でガラスのように透き通っている。
透明
極めて特殊な工法が用いられ、専用の工房と熟練の職人が必要なため、
・
生
調理時にケーシングから絞り出して使用される。
基本は作中のようにスープに使われることが多いようだ。
・
貝殻型に作られたものの中でも小振りなものを指す。
中に詰め物をすることもあるようだ。
・雪を投げた
雪かきしたという意味。
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