第二十章 そして《伝説》へ…

第一話 白百合と旅支度

前回のあらすじ


「どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んでいこう」

              宮沢賢治『銀河鉄道の夜』




 私たち《三輪百合トリ・リリオイ》が辺境で過ごす冬も、いよいよ終わりを迎えようとしていました。

 真冬のメズヴィントラ薄明かりクレプスコは過ぎ、日差しは日一日と長く暖かくなり、雪が少しずつそのかさを減らし始めていました。


「さあ、いよいよ旅立ちの時ですよウルウ!」

「え、やだけど……」

「やだけど!?」


 お部屋でずびしと天井高く腕を振り上げた私は、さっそく腕のやりどころを見失ってしまいました。

 たっぷり綿の詰まった椅子に腰を下ろして、厚着した上にひざ掛けに肩掛けと重装備のウルウが、ものすごーく胡乱気な目で私を見ています。

 トルンペートも暖かい甘茶ドルチャテオを自分で注いで、我関せずとすすっています。


 うぐぐ。なんか空ぶってるみたいな空気で嫌ですね。

 私はもそもそと椅子に戻って、トルンペートが注いでくれた甘茶ドルチャテオをいただきます。

 うん。今日もおいしいですね。やっぱり寒い日は楓蜜をたっぷりまぜた甘茶ドルチャテオが一番です。


 でもそうじゃないんですよ。

 旅立ちの時なんですってば。


「ええ……? いや、まだ寒いし……ほら、雪も積もってるしさ。まだ早いって」

「ウルウ、気持ちはわかりますけれど、いま何月かわかってますか?」

「さあ……真冬のメズヴィントラ薄明かりクレプスコのせいで日付感覚狂っちゃってるんだよね」

真冬のメズヴィントラ薄明かりクレプスコはもう過ぎましたよ。もう三月ですよ三月!」

「へえ……辺境って日が短いし寒いから実感ないね」


 ううん、ウルウにすっかりこもり癖がついてしまいました。

 私が急かして声を荒らげて、ウルウがだらだら過ごそうとするというのは、なんだか普段と逆な気もします。

 思えば最近、朝もあんまり早起きしなくなりましたし、夜も早めに寝てしまうようになりました。

 冬季鬱の一種かもしれません。


 うとうと眠そうでぽやぽやしているウルウというのも、それはそれでちょっとかわいいというか色っぽいというか、そういう面もあるのですが、それはそれ、これはこれです。


「あのですね、ウルウ。もう三月なんです。冬至前にフロントに来て、年も越して、もう三月ですよ三月。ウルウと会ったのが初夏なんですから、二人の思い出がかなり辺境で埋まってきちゃってますよ」

「途中からあたしもいたんだけど」

「──三人の思い出がかなり辺境で埋まってきちゃってるんですよ!」

「雑」

「雑いよねー」

「こういう時いっつも仲いいですね!?」


 まあ、気持ちはわかるんですよ。

 お母様も寒さが苦手ですし、ウルウも寒いのは別に得意ではないみたいで、あえてその寒い中、頑張って旅に出たいとは思わないっていうのは。

 辺境の中で出かけたりっていうのは、そりゃありましたよ。北の輝きノルドルーモを見に行った時とか、領都に遊びに行った時とか、そのほかいろいろ。

 でもそれはまあ短距離というか、ちょっとしたお出かけ感覚です。出かけた先で、ちゃんと暖かい思いができたわけですよ。


 でも辺境を出ようってなると、行きのことをどうしても思い出さざるを得ませんよね。

 飛竜に揺られて乙女塊を空中投下したり、地上に降りれば寒い中で狩りをしたり野営の準備をしたり。思い出せば楽しい旅の記憶、というだけでもないのが事実です。

 実際問題、腰を据えちゃうとまた旅に出るのって結構つらいんですよね。まさしく腰が重くなります。

 旅に出たいと家を出て、冒険屋としてあちこち旅してまわりたいと思っている私でさえ、この実家の空気には抗いがたい誘惑を感じます。


 何もしなくてもご飯が出てきて、手足を伸ばせるお風呂にいつでもつかれて、暖房のきいた暖かいお部屋で惰眠をむさぼれる。貴族って本当に贅沢だなあって心底感じちゃいます。

 そして、ごく潰しとして地味に地道に罪悪感とか焦燥感がわいてくると、いい感じに力仕事とか狩りとか任せてくれるんですよ。私の扱い方を私以上に分かってますよ、さすが実家。


 トルンペートも天職である女中仕事を心置きなくやれるうえに、お世話の対象が私だけでなくウルウというお嫁さんが増えて二倍面倒見れるので、ものすごーく生き生きして、ものすごーく充実しています。

 そうなんですよねえ。トルンペートって女中さんなんですよねえ。侍女というか。

 武装女中はあくまで武装してる女中さんなので、戦闘は本職じゃないんですよねえ、本来。

 私と旅してると、狩りと戦闘と調理がお仕事みたいになってますけど。それはそれで楽しそうにはしてくれてたんですけど。

 やっぱりこう、主人である私を、たっぷりお金かけた贅沢な品々で面倒見るのが、一番楽しそうではあるんですよねえ。


 ああ、ほら、いまだって、トルンペートがウルウの髪をいじり始めましたよ。

 ウルウはもともと髪が長いですし、私が長いほうがいいと言ったからか伸ばし続けてくれて、豊かで美しい黒髪はいじりがいがあることでしょう。

 私もウルウのいろんな髪型が見れて目にもうれしいのは確かです。


 ウルウもウルウでまあ、うとうと気持ちよさそうに頭を預けてしまって。

 この姿、出会ったばかりのウルウに見せてあげたいですね。

 最初のころのウルウは、髪とか絶対に触らせてくれませんでしたからね。

 態度で拒絶するだけじゃなくて、一度など「気持ち悪いからヤダ」ってはっきり言われましたからね。


 そりゃあ、あんまり仲良くない人間に髪を触られるのっていやですけど、仮にも同室で過ごしてる相手にそこまではっきり言われるとは思いませんでしたよ。

 それがいまでは、丁寧にくしけずってもらって気持ちよさそうにしたり、三つ編みにしたり二つ結いにしたり、あまつさえ「ほらー、かわいいわよこれ」「えー、似合わなくない?」「似合わなくないって!」みたいにキャッキャうふふと楽しそうに!


 まあ私が髪をいじってもらってるときも似たような感じなんですけれど。

 ちょっとやきもち焼いておくと後で私もしてもらえます。


 うーん。しかしかわいい。

 こういう光景はいつまでも残しておきたいものですね。


「トルンペート、寫眞機フォティーロはどこでしたっけ?」

「あら、久しぶりに撮るの? どこだったかしら……蔵にしまってあると思うけど」

「ふぉてぃ……なんだって?」

「ああ、寫眞しゃしん……目で見たままの景色をそのまま写し取れる機械があるんです」

「カメラあるんだ」


 ウルウがのっそりと背を起こし、目をぱちくりとさせました。ようやくおめざですね。

 しかしかめら、ですか。ウルウの国にも寫眞機フォティーロがあったんでしょうか。普通にありそうですね、ウルウの妖精国(仮)。


寫眞機フォティーロは探すのに時間がかかりそうですけれど……確か寫眞帳がありましたね」

「ああ、ほら、そっちの棚よ」

「ほらウルウ、これが主人を顎で使う女中ですよ」

「嫁の髪で手が埋まってるのよ」

「じゃあ仕方ないです」


 仕方ないのでした。


 さて、自分の部屋なのに人に聞かないとどこに何があるかもわからないお嬢様は、さっそく寫眞帳を開いてウルウに見せてあげました。

 家族で撮ったものや、辺境の景色、うまく写っていませんが北の輝きノルドルーモを撮ろうとしたものなど、たくさんの思い出がそこに並んでいました。


「フムン、白黒なんだ」

「おや、色付きのを見たことが?」

「うん、まあね……しかし、白黒でも君の元気さはよくわかるね」

「そうでしょう! 私の魅力が寫眞にも……あれ?」

「大体ぶれててまともに写ってないんだね」


 おおう……そういえば、昔からじっとしているのが苦手な子供だった気がします。

 家族の記念撮影とかはちゃんとじっとしてるんですけど、お父様が気まぐれで撮ろうとした奴なんかはだいたい動き回ってるせいでまともに写っていませんね。

 うーん。これはなんかちょっと恥ずかしい。


「せっかくですから、ちゃんと写っている写真を残しておきたいですね」

「じゃないと君、なぜか写り込んだ謎の発光体として語り継がれそうだしね」

「そこはかとなく怪談になっちゃうわね……」

寫眞機フォティーロ見つかったら、ウルウも一緒に撮りましょうね」

「ええ……? 私はいいよ。写真写り悪いし」

「いいじゃない。髪も綺麗に結ったげるわ。お針子も呼んで何着か新しくしましょっか」

「宝石商も呼びましょう。記念撮影用にかわいいの買いましょうね」

「女子高生みたいなノリでえげつない貴族の金遣いするなぁ……」


 まあ貴族の金遣いというか、寫眞機フォティーロそのものがそれなりにお値段張りますからね。

 帝都の新聞屋なんかは、高性能な小型の寫眞機フォティーロを使って、寫眞入りの新聞を発行しているらしいですけど、あれも帝都だからですよねえ。

 うちだって、おそらくお父様がお母様撮りたいから買っただけで、普通の貴族は寫眞機フォティーロとか持ってないですからね。普通に寫眞屋を呼びつけますよ。


 さーて、じゃあさっそく寫眞機フォティーロをさがしに行ったらダメなんですよ。

 あぶないあぶない。


「寫眞は撮るとして、それより! そろそろ旅立ちの準備ですよ!」

「ええ……まだ言うの? 一緒にお布団はいってだらだらしようよ」

「ものすごーく魅力的な誘惑ですけれど、さすがにそろそろまずいです」

「まだ雪積もってるのに?」

「まだ積もってるうちじゃないとダメなんです」


 ウルウがこっくりと小首をかしげて、なんで?って顔をするので、この瞬間にこそ寫眞機フォティーロがいるんですよねえと歯がゆい気持ちでいっぱいです。


「まあ、雪国はじめてならわかんないでしょうけど、雪って、溶けると水になるのよ」

「そりゃそうだけど」

「身長より高く積もった雪が全部溶けてくのよ。全部水になるのよ」

「あー……つまり、浸かる?」

「そういうことなんですよねえ」


 一度に全部溶けるわけではないとはいえ、積もり積もった雪すべてが水だと思えば、辺境というのは大きな湖に半ば沈んでいるようなものなのです。

 溶けていった雪は、雪解け水となって川に流れていき、あふれかえります。大地を潤すどころか、大地がひたっひたになります。じゃばっじゃばになります。

 それが辺境全土で順次発生していくわけです。


「来るわよ。来ちゃうわよ。おっそろしいの季節が」

「うげ。すっごく嫌な響き」

「泥濘に沈んだ辺境は、それはもう悲惨ですよ。雪なら多少沈んでも上を歩けますけど、泥はもっと緩くて、もっと沈みます。しかも雪よりも迅速にしみ込んでくるんですよ、冷たい泥が」

「本当、あの時期は最悪よね。歩きなら大丈夫なところでも、馬とか車は沈んじゃうから、重たい荷物が運べなくなったり」

「慎重に歩いても絶対泥で汚れますしね……毎年盛大に泥まみれになって何度しかられたことか」

「しかも雪が解ける温度ってまだ地味に寒いから、しみ込んだ泥が冷えて底冷えするったらないわ」


 私たちがうんざりするような思い出を口々に語りあうのを聞いて、ウルウもさすがにその有様を想像して察したようでした。


「なるほど。雪解けまで待つと、今度は泥のせいで出られなくなるんだ」

「そうなんです。空を飛べる飛竜も、離陸、着陸時には絶対泥に触れるので、ものすごーく嫌がります」


 飛竜ってかなり綺麗好きな生き物なので、泥とかつくと滅茶苦茶不機嫌になるんですよ。比較的温厚な飼育種でさえ、泥で汚れると乗り手の言うことを聞かないことがままあるとか。


「それにいい加減お母様も飽きてきちゃったみたいで」

「ああ……暴れられる前にってこと?」

「まあ、そういう面も無きにしも非ずです」


 一応、山菜とか春の恵みもあるにはあるんですけれど。


「泥まみれになるのと引き換えですけどどうします?」

「……わかったよ。準備しようか」


 こうして、渋々ながらも《三輪百合トリ・リリオイ》の旅が再開することになったのでした。






用語解説


寫眞機フォティーロ

 寫眞を撮るための機械。

 一般的には町などに一軒程度寫眞屋があって、ある程度余裕のあるご家庭では記念などにそこで撮ってもらうことが多いようだ。

 個人で所有するには金と手間が必要で、貴族でもよほどの趣味人か。

 ただ、帝都の新聞社では社会実験などの名目で政府から最新の携行型寫眞機フォティーロが融通されているとか。

 現状は白黒寫眞が主で、カラーのものは珍しいようだ。

 なおその仕組みは、我々の知るカメラと必ずしも同一ではないのかもしれない。


・妖精国

 妖精郷などとも。

 ファンタジーな世界観においてなお妖精や、その住まう国というものはおとぎ話の類で、ほとんどまともに観測されたためしはない。

 というより、魔力視がほぼないものが風精などをたまたま視ることのできた事例や、何かしらの神性や精霊のふるまいを正しく認識できていない場合に、人々がその不思議な情景に物語を添えてみたようなものが妖精話ということになる。

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