第8話 亡霊と白百合の歩み
前回のあらすじ
仕事してない時は何をしたらいいのかわからないという現代人の闇のような精神を持て余す閠。
その闇が少女を付け回すという事案を発生させてしまったのだろうか。
その闇が少女の寝顔を眺めて夜を過ごすという事案を発生させてしまったのだろうか。
闇は、あまりにも深い。
さて、夜が明けると、少女は慌てて起き出して、手早く鍋の中身をかきこんで、あの大容量の水筒の水で洗い、荷物をまとめて旅を再開した。
あの猪肉をたっぷりと食べたせいか、心なし足取りが軽そうだ。私にはいささか硬すぎる肉だったけれど、この娘は実に満足そうにぎゅむぎゅむと噛み締めていたし、気力も十分回復していることだろう。朝ご飯もしっかり摂ったことだし。
一方の私だけれど、一晩寝ずに過ごしても、やはり眠気は訪れなかった。また昨夜鍋の中身を少しつついただけだけれども、空腹感も別に感じない。もともとそんなに空腹を感じないというか、食事への欲求があまりなかったけれど、本格的に何も感じない。腹が満ちているわけでもなく、空いているわけでもない。意識しないとお腹のことなどまるで意識にも上らないくらいだ。
まあ、便利ではある。食事に煩わされるのは時間の無駄だ。ああ、いや、時間の使い方には困っているんだった。
とはいえ、一晩ぼんやりするという私史上かなりショッキングな出来事があったためか、少し頭が切り替わったようにも思う。少女の後ろを歩いている時も、特に急かされるような気持ちも急かしたい気持ちも起こらないし、周囲の景色を眺めていろいろと発見をすることもあった。
例えば何気なく通り過ぎていく木々なのだけれど、よくよく見ると葉の形や枝ぶりが、見たことのないものが多い。まあ私もそんなにいろいろ植物を見たことがあるわけではないけれど、以前図鑑でざっと見た感じとは明らかに違うものがちらほらとみられたりする。少なくとも私は自分の力ではい回る蔦とかは見たことがない。
少女は採集をしながら歩いているようで、不意に屈みこんだと思ったら木に生えているキノコを採り始めたり、私には雑草にしか見えない草を摘んだりしていた。まあこのくらいなら山菜取りのおばあちゃんとかもしていそうだけれど、ぎょっと目を見張るようなものもあった。
例えば、まっすぐ伸びた太い茎からひらひらと布状の花びらを螺旋状に広げた花が咲いていたのだけれど、その傍をひらひらと舞う蝶々に少女が目を付けた。少し大きめの革袋を取り出すと、花に止まって蜜を吸い始めた蝶々の上にえいやッとかぶせたのだ。虫取りなんて子供らしくていいなあ、私は一度たりともしたことないし虫なんか触りたくないけど、と微笑ましく見守っていたのだが、にこにこ笑顔で少女が袋を覗き込むと、なにやらかちゃかちゃと硬質な音がする。蝶々だよね。それ蝶々だよね本当に。不気味に思ってのぞき込むと、きらきらと美しい色取り取りのシジミがいた。
何を言っているかわからないと思うけれど私もわからない。
なんだこれと思っていると、そのうちの一つが隙をついて飛び出して、少女が慌てて袋の口を縛った。袋から抜け出したシジミが、薄く綺麗に輝く殻を羽ばたかせて飛んでいく。
航空力学仕事しろ。
おそらく何がしか未知の物理法則かファンタジー原理で飛んでいく飛行シジミを見送り、私は少女の笑みの理由を悟った。子供らしい昆虫採集の笑顔じゃない。いいおかずが手に入ったわっていう笑顔だ、これ。
その後も少女は順調に食欲を満たすために行動していた。突然木のうろに手を突っ込んで小動物を引きずり出して首の骨を圧し折り始めた時は悲鳴が出るかと思った。まあ随分お喋りしてないからとっさに声も出ないけどね。
獲物も豊富でご機嫌な少女は、やはり一時間歩いて十分休んでのペースを守って歩き続け、程よく開けた場所を野営地に選んだ。野営準備の光景も二度目となると慣れたけれど、どうしても慣れないこともあった。
少女がおもむろにシャベルで地面に穴を掘り始めるのを見て、私はそそくさと背を向けて、少しの散歩に出た。昨日は何の穴だろうとしばらく観察して大変申し訳ないことをしてしまった。だってまさかトイレ用の穴だとは思わないじゃないか。でもまあ、そりゃそうだよね。生きてれば食べるし、食べれば出すものだ。健康です。私の方はこの世界に来てからこっち、全然そういう欲求がなかったのですっかり忘れていた。猪鍋をちょっと食べたからそのうち出るかもしれないけど、果たして体内が人間と同じかどうかは私にもわからない。
少女は鍋に例の飛行シジミを放り込んで火にかけた。ああ、やっぱり食べるんだと思っていると、中からかんかん音がする。逃げ出そうとしてるんだろうなあ、あれ。酔っ払いエビみたいだ。
その間に少女は道中捕まえた小動物をさばき始めた。えぐいなとは思うけれど、血抜きのために首を裂いた時も見て少し慣れたし、怖いもの見たさもあって眺めていると、解体以前にカルチャーショックがあった。
兎っぽいと思っていたのだけれと、これ、鳥だ。
兎と鳥を足して割ったような感じ。四つ足の鳥というか。羽毛がかなりふわふわの体毛になっているらしくて、少女がぶちぶち引き抜いていく羽は綿みたいでかなり柔らかそうだ。足先なんかは完全に鳥で、前足などは風切羽の名残のような羽が伸びている。
羽をすっかり毟ってさばく段階に入ると、なんとなく鶏っぽくも感じる。
手慣れた様子で解体して、皮目を火であぶっているのは、羽の根っこの部分を焼いているのかな。
鍋から音がしなくなって、少女が蓋を開けると、ふわっと懐かしい香りがした。お吸い物の香りだ。何年も飲んでない。
今日は味噌は使わずあっさり塩味にするようで、ビスケットのようなものも砕いて入れたりはせず、たまにスープに浸して柔らかくして食べていた。こっそりお相伴にあずかろうかなとも思ったけれど、ジビエだけあってやっぱり歯応えがありそうにぎゅむぎゅむ噛み締めているし、食べ盛り育ち盛りの子供から頑張って獲った食べ物をかすめ取るのも申し訳なく感じて遠慮しておいた。昨日はあんまり美味しそうに食べるからついつい手を出してしまったけれど、別にお腹が空くわけでもないし、幸せそうに食べている姿を見ていると、まあいいかなという気分にもなる。
半分ほど平らげると、ちょっと物足りないという顔をしながら、昨日と同じように鍋を保温し始めるので、私はふと思いついて腰のポーチを探ってみた。
暇な時間に少し調べてみてわかったのだけれど、このポーチ、ゲーム時代でいうインベントリになっているようなのだった。アイテムボックスとか言ったりもする、要するに取得したアイテムが保管される場所だ。小さな見た目だけれど、手を入れると中にどんなアイテムが入っているのかが思い浮かぶ。
私のプレイしていた《エンズビル・オンライン》ではアイテムに重量が設定されていた。キャラクターの
私の場合、
私が取り出したのはその中の回復アイテムである《濃縮林檎》というものだ。普通の《林檎》は低レベルの内からも手に入る手軽な回復アイテムだけれど、《濃縮林檎》は高レベル帯の植物系モンスターからしか手に入らない、《
私はそれをそっと竈の傍に転がしておいた。ポーションなんかでも回復はするだろうけれど、突然薬瓶なんか転がってても怪しいし、第一お腹が満たされないだろう。その点果物なら森の中に落ちていてもおかしくはないし、食べれば満足もするだろう。
……私のアイテムをこの世界の人間が摂取した際にどんな効果が出るのかという人体実験も兼ねている、というのは包み隠さず言っておこう。私はなにも善意だけの人間ではないのだ。
少女は《濃縮林檎》の存在に気づくと、あたりを見回して不思議そうに首を傾げた。まあ、確かにちょっと怪しかろう。近くにそれらしい実が生っている木はないからね。私だってそれくらいわかる。でも短い付き合いながらこの娘のことは少しわかった。
少女はやはり、気にしながらも《濃縮林檎》を手に取り、半分くらい警戒心を置き去りにして、わずかの葛藤を済ませるやじゃくじゃくと美味しそうに食べ始めた。旅の中では甘いものはあまり手に入らないだろうし、ただの《林檎》よりも栄養価が高そうな《濃縮林檎》はさぞかし美味しかろう。
瞬く間に平らげ、種を押し頂くようにしてしまいこみ、ついには神にまで祈り始める姿に笑い死にするかと思ったが、幸いこの程度では私の《
少女がぐっすりと眠りに落ちると、私はこの退屈な夜長をどう過ごすか思索にふけった。どうしてこんなことになったのかとか、この体は何なのかとか、この世界は何なのかとか、多分考えなければならないことはたくさんあるのだけれど、でもそれらは考えても意味のないことでもある。答えは私の中にはない。だから目先ことを考えた方が建設的だ。
私は焚火に薪をくべ、少女の頬をつつき、あたりをうろつきまわり、ポーチの中身を改め、《
少女が苦労して仕掛けた罠は、器用に餌だけ抜き取られてあまりにも哀れだったので、そこら辺をうろついていたカモノハシみたいな小動物を捕獲して罠にかかったように見せかけておいた。
ついでに暇だから観察してみたけれど、カモノハシとしては嘴が短い。尾は長く、足はちょろちょろ動き回りやすそうな小さなものだ。前の世界ではペットなんて飼ったことがなかったし、動物に触れる機会などなくてちょっとおっかなびっくりだったのだけれど、この体は私の思うとおりに動いてくれて、うっかり握りつぶすということもなく繊細に捕まえられたのに驚いた。
頭で気持ち悪い触りたくないと思いながらも、手の方では機械的に仕事をこなしてくれるのだ。しばらく弄っているうちに慣れてきたし、存外私も図太い方なのだろうか。そういえばレクサプロ飲んでないけどどうということもない。まだ薬の効果が残っているというよりは、この体は脳の構造も強くなっているのかもしれなかった。
やはり全く眠気が来ないまま朝が来たけれど、朝日が出てきても少女に起きる気配がない。
甘やかしたせいだろうかと思って揺さぶってやるとさすがに目を覚まし、寝坊したことに気づいたらしく大慌てで片づけを始めた。どれだけ急いでいても朝ご飯を幸せそうに食べるので、多分この娘と私の脳器質には相容れない違いが存在している気がする。
罠に仕掛けておいたカモノハシもどきには喜んでもらえたようでよかったけれど、やっぱりその場でしめて血抜きするので笑顔が怖い。いや、この世界の常識的には普通の反応なんだろうけど。
《濃縮林檎》の回復効果があったのだろう、少女の足取りは非常に軽かった。ステータスが見えないので《
元気が出たおかげか非常にご機嫌で進んでいく少女の後を私もついていく。余裕があるからか、少女は道々食材になりそうなものを積極的に採取しているようだった。私は樹上をするする移動していく山猫みたいな生き物や、遠くから聞こえてくる鳥か何かの鳴き声、そういったものに目を取られていたので詳しくは見ていないけれど、地面からタケノコみたいな白アスパラみたいなものを掘り出したり、茂みに顔を突っ込んで木苺を摘んだりとやりたい放題やっているみたいだった。
元気があるのはいいことだけれど、はしゃぎすぎて疲れても私は知らない。
小川に差し掛かったところで、少女は機嫌がよさそうに鼻歌を歌いながら休憩を始めた。例のやたらと大容量の謎水筒に水を汲み、山菜のようなものを摘み、のんきに顔など洗っている。
私は私で川辺の木に止まっている巨大な蝉に目を奪われていた。実に綺麗なエメラルド色の羽をしていて、チーチーツーツーと先程から聞こえていた鳥の鳴き声のような声で歌っている。蝉の鳴き声と言えばうるさいとばかり感じていたけれど、せせらぎとこの巨大蝉の歌声の取り合わせはなんだかとても涼しげで心地よい。
そろそろ出発する頃合かなと振り向くと、少女が警戒したような顔つきでじっとこちらを見ている。いつの間にか《
なんだろうと思ってあたりを見てみると、どうも私の体を透かして向こう側に、一頭の獣がいることに気づいた。
角もあるし鹿っぽいのだけれど、口元には嘴があるし、足元も蹄はあるけれど鱗のある足で、今までにも見た四つ足の鳥の類らしい。非常に立派な体躯で、毛並みというか羽並みというか、鮮やかな色合いで美しい。
ぼんやり見ていると、少女に気づいたらしい鹿鳥が、鋭く鳴いて威嚇し始めた。前足に生えた風切羽の名残のような飾り羽を体に打ち付け、角を向けてしきりに鳴いている。縄張り意識の強い獣のようだ。
少女は、熊に遭った時の対処法のような感じで、目を背けないままゆっくりと後ずさって、十分に距離を取ってからその場を逃げ出した。私もそのあとについていく。ファンタジー世界の戦闘が見られるかもと思ったのだけれど、まあ十三、四の小柄な子供に鹿と戦えっていうのはちょっと厳しいだろう。
少女はすぐに気を取り直したのか、のんびりとあちらこちらを眺めながら、元の調子で歩き始めたようだった。私も旅の連れが気落ちしたり警戒し通しでは落ち着かない。少し安堵して観察を続けるのだった。
用語解説
・《濃縮林檎》
《エンズビル・オンライン》の回復アイテムの一つ。高レベル帯の植物系Mobからドロップする。
《
『年経た木々はついに歩き出す。獣達にとって遅すぎるその一歩は、気の長い古木達にとってはせっかち物の勇み足。豊かな実りは腰を据えなければ生み出せない。その前に根から腐り落ちなければの話だが。』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます