第三話 鉄砲百合と春の待つ声
前回のあらすじ
冬休みのイベントをダイジェストでお送りしました。
ダイジェストで死んでないこいつ?
まあ予想通りっていうか、お約束っていうか、竜車が飛び立つなりウルウはぐったりと座席にもたれちゃったわね。
ただでさえ白い顔を青白くさせて、物憂げに眉を顰める姿はちょっと目を引かれるくらいきれいだけど、さすがに具合悪くて
さっき窓を開けて盛大に
胸元をくつろげて、はたはたとうちわであおいでやって、さわやかな香りのお香とか焚いてやってるけど、これで少しは楽になってるのかしら。ウルウって結構我慢しちゃうところがあるから、よく見ていてもわかんないことがあるのよ。
あたしもリリオも乗り物は何でも平気だから、ウルウのこういう酔いやすい体質って、いっつも不思議でならないのよね。
竜車はまあ、普通はない上下の移動や揺れが激しくて、内臓が持ち上げられるみたいな感覚あるから、気持ち悪くなるってのもわかるわ。空気の肌触りっていうか、気圧ってやつかしら、そういうのが変化するのも、違和感は覚えるし。
でも、ウルウは馬車に揺られるのは大丈夫みたいだし、小舟に乗るのも平気みたいなのに、むしろ揺れの少ない大船に乗ったとたんぐんにゃりしちゃったり、不思議な酔い方するのよね。
「ううん……揺れが激しいっていうか……がたがたって細かいほうが、楽なんだよね。気持ち悪いは気持ち悪いけど、身構えられるし」
「それが馬車とかの揺れってこと?」
「そう……大きな船とかだと、揺れの波が大きいっていうか……ちゃんと立ってるはずなのに、気づかないところで変に傾いちゃってるみたいな気持ち悪さが……うぇ」
「ほら無理しないの。冷たいもの食べる?」
「トルンペートが完全にお世話に入っちゃってますね」
リリオが生暖かい目で見てくるけど、しかたないじゃない。
元気な主人に仕えるのもいいものだけど、弱ってるところをかいがいしく世話するのって、あたしの女中魂のいいところをちくちく刺激するのよね。
リリオなんてずいぶん長いこと風邪一つひかないし、なんだかんだ体調崩すウルウってあたしの母性的なそういうのをくすぐるのよ。
「んん……」
「ほぉら、大人しくしてなさいよ」
「なんか聞いてたほうが気がまぎれるから……なんか喋ってて」
ほら、これよこれ。「おはなしして?」って幻聴が聞こえてきた気がするわ。
「トルンペート、その顔はよそでしないほうがいいと思いますよ」
「おっと、素直な心が」
「うーん、反省の色なしですね」
さてさて、喋っててって言われると、何がいいかしらね。
あたしの創作おとぎ話を披露すると、なぜかみんな続きが気になって寝付けなくなるらしいからやめておくとして。
「そうね。今回は機会を逃しちゃったし、辺境の春についてなんてどうかしら」
辺境の春ってのは、いいものよ。
まあこれは、辺境人の言うことだから、きっとどこの人も自分のところの春はいいものだっていうとは思うけどね。
それでもまあ、いくら辺境だって、春ってのは心躍る素敵なものなのってこと。
そりゃあ、泥の季節なんて言われるくらいだから、雪解けの時期なんてひどいもんよ。
まず積もった雪がだんだん沈んでいくみたいに
それがまた滑りやすいし、突き崩すにも苦労するし、たまったもんじゃないのよ。
ようやくそれも溶けてきて、地面が見えてきて一安心、ってわけにはいかないのよね。
むき出しの土は、みんなたっぷりの水を吸って泥や沼みたいになっちゃうし、じゃあ草地なら大丈夫かなって踏み込んでみると、ずぶずぶって湿地みたいに沈み込んじゃう。
おまけに、この時期だってやっぱりまだ冷えるから、冷たい水が服にしみ込んで、すぐに凍えちゃう。
さすがに凍り付くほどじゃないけど、でもこれで体を壊す人だって少なくないわ。
あらやだ、なんだか嫌なことばっか喋っちゃったわね。
もちろんいいことだってたくさんあるのよ。
春になって雪が解けていったら、山菜の時期よ。キノコ採りの時期よ。
前に
みんなでたくさん採って、たくさん干して、一年中使うのよ。
あれより香りは弱いけど、だからこそ色々使える
あれ食べないっていうところも多いらしいわね。
春になると地面からこう、茶色い指みたいのが伸びてくるのよ。あ、怖い話じゃないわよ。
雪が解けてすぐ、日当たりのいい土手なんかに柔らかいのがたくさん生えてくるんだけど、早く摘まないとすぐ枯れちゃうのよね。
これをあく抜きして、色々使うんだけど、ほろ苦くっておいしいのよね。
山菜と言えば、
ほら、シダの仲間の葉っぱよ。
春先になると新芽が出てくるから、まだ若い、丸まったやつをとってくるの。
これもあく抜きがいるから、たくさん採ってみんなで集まってね、大きな鍋で一緒くたにしてあく抜きするのよ。
ちっちゃいころはあんまり好きじゃなかったんだけど、だんだん好きになってきて、春の山に入って見かけると、あ、食べられる葉っぱだ!って喜んだものよ。
キノコはあたしはあんまり詳しくないけど、
え? そりゃ歩くわよ。歩菌類だし。
ああ、
え? そりゃラリるわよ。毒キノコだし。あれはそう、うん、あんた風に言うとえっちだったわ。
ええ? キノコにはそんなに詳しくないんだってば。なんでそんなに食いつくのよ。
食べ物ばっかじゃ芸風がリリオと変わんないし、そうだ、庭造りとか、園芸とかいいわよね。
辺境ってそういうのを楽しむ風習ないんじゃないかって思ってる内地人多いけど、そんなことないのよ。
そりゃあ、一年の半分は雪の下なんだから、内地の立派な庭園みたいなのを造るのは難しいわね。
でも、辺境の緑や花も綺麗なものよ。
南部じゃあ大きくて色鮮やかな花が多かったじゃない?
でも、辺境で咲く花はね、小さくて可憐な花をこぼれるように咲かせるの。
苔の敷かれた岩場の隙間から、そういう愛らしい花が、一つ二つ顔を出していたり。
小さな池に、水鳥が仲良さそうに集まっているのを眺めたり。
時々は、
「うう……なんかいろいろ見たかったなあ……」
「まあ、次回よ次回」
「そうですよウルウ。いつでも帰ってこれるのが実家というものです」
「必ずしもそうではないと思うけど……」
「あたしもそう思うけど、でもまた今度でいいっていうのはほんとよ。辺境なんだもの。内地みたいに、すぐすぐいろんなことが変わっていったりはしないわ」
「はやりものも入ってきますけど、定着するかっていうとちょっと頑固ですしね」
「そうそう。だから、辺境を楽しむのは、年をとってからでも遅くないわよ」
少なくとも、北部なんかは結構そういう扱いが多い。
リリオがよく読んでる旅行雑誌なんかにも、老後は北部で牛でも育てる生活を、なんてのが書いてあったりする。
実際にはそんなに気軽にできるようなものでもないけど、都会の人間からするとそういう牧歌的な生活ってやつがうらやましくなるのかもしれない。
「…………君らは若いからそういうけどさあ」
「あんただってそう変わんないわよ」
「十歳以上違うし……君らが二十歳のころは、私は三十路越えてるんだよ」
「それで?」
「それでって……私がおばちゃんになっても、一緒とは限らないじゃないか」
「そんなことないわよ。ねえリリオ」
「もちろんです。きっと素敵な
「ううん………でもほら、私がおばあちゃんになったらさあ」
「掌のしわとしわが重なるくらい、一緒に歩いていきましょうね」
「あんたそういう論調じゃリリオには勝てないわよ」
「……そうみたいだ」
ウルウは竜車酔いじゃない居心地の悪さに、手のひらで顔を隠して縮こまってしまった。
ううん、でも、そうね。考えたことなかったけど、あたしたち三人、いつまで旅ができるのかはわかんないけど、しわくちゃになっても馬鹿みたいなこと言いあって過ごすのは、きっと楽しいことだろう。
それにそんなに先のことじゃなくっても、そう、三十路くらいになったら、ウルウも結構
そのころのあたしたちはちょうど盛りって具合だからそれはもう、うん、楽しみよね。
「ほらウルウ、内地ではもう春が来ていますよ。春の名所や名物が待ち構えていますよ」
「雑誌情報でしょ……ああほら、押し付けないで。いま文字読んでたら絶対吐く」
「しかたないですねえ。ほら、私が読んであげましょう」
「ワーイアリガトウ」
面倒くさそうに答えるウルウだけど、あたしは知ってる。
こいつはリリオの声が滅茶苦茶好きなので、そばで雑誌を音読してるだけでも耳が幸せになるのを。
何ならあたしの声だって好きみたいなので、耳元でいろいろささやいてやると反応がとてもいい。
まあ、そういうあたしだってリリオだって、ウルウが耳元で低い声なんか出したら、そりゃもう、具合がいいのだけど。
「そうですねえ。まだ行ったことのない西部とかだと、
「滅茶苦茶な言い回しなんだよなあ」
「卵はとても大きくて、一抱えもあるんだとか。
「ダチョウの卵みたいなのかな……っていうか待って
「それはそうですよ。へえ、ふむふむ、遊牧民という人たちが暮らしているそうですね。産卵が落ち着いたら遊牧も始まって、
「独特の香りがするらしいわね。でも癖も味わいのうちよね」
「楽しみは楽しみだけど情報量が多い。鶏乳ってなに? お乳出るの? 鳥なのに?」
ウルウもおしゃべりしているうちにずいぶん気がまぎれたようで、いつものなぜなぜが始まったわね。
ウルウって本当にもの知らずだけど、でもこういう当たり前の話題に投げかけられる純粋無垢な質問って、たまにすごく真理を突くようなことがあるから油断できないのよね。
なんでお乳が出るのか……哲学的ね。
あたしたちはそんな風に春に思いをはせながら、来た時とは逆をたどって辺境を旅立っていく。
モンテート要塞では、子爵が相変わらず大きな声で出迎えてくれて、飛竜料理で歓待し、飛竜素材をお土産によこしてくれた。
もちろんあたしたちも、フロントで造られた酒や珍味、甘味の類を贈らせてもらった。
御屋形様の支払いだから、あたしたちは気前よく渡せるというものだ。
「おお、嫁どん! ろくすっぽもてなしもできんかったばってん、次ン来ぃやった時は砦の若集ば集めッて宴でん開くべぇかち話しおってな! きかない
「んぇあ……えー……よいお誘いですのであとでリリオたちと話してみますね」
「おお! 待っとるき!」
カンパーロではもうだいぶ春めいてきていて、つまり雪も随分緩くなってきていて、上着を着ているとちょっと熱く感じるくらいだった。
気の早い山菜なんかはもう顔を出し始めているようで、歓待の席にも新鮮な青物が並んでなんともうれしい限りだったわね。
男爵閣下も例の「いや! いや! いや!」節で盛大に出迎えてくれて、リリオともどもほっこりしてしまった。閣下のあれを聞くと、いい意味で気が抜けるのよね。
ウルウのほうは、珍しく自分から話に行ったと思ったら、剣術指南役のコルニーツォさんだった。
「その節はどうも」
「少し見ないうちに腕をあげられたようだ」
「そう……かもしれません。それはそれとして、子爵閣下のところでカーンドさんという方と手合わせしたんですが」
「む。それは、なんと申すか、フムン」
「あなたのことで愚痴られて大人げなく攻められましたよ」
「……あの御仁は、そういうところが嫌で、逃げておりましてな……」
「ああ、そういう……」
なんか二人して遠い目しちゃってたわね。
あたしたちは春を目指すように足早に辺境を飛び、そしていよいよ内地と辺境を分かつ遮りの川を越えて、境の森の手前までやってきたのだった。
行きではそのまま飛び越えてしまった境の森だけど、奥様は迷いなく飛竜を駆って、竜車を下ろした。
こわばった体をほぐしながら竜車を降りると、そこにはあたしたちを待ち構える姿があった。
「おう。久しぶりだな」
「あれ、おじさん!」
「あ、おじさんだ」
「おじさん久しぶりね」
「事実だが連呼すんな終いにゃおじさん泣くぞ?」
そう、そこで待っていたのは、ヴォーストであたしたちを見送ってくれたリリオの叔父、メザーガだった。
用語解説
・
オカラッコ。
北部の海などで見られるラッコの仲間が、内陸に取り残されてしまったものと見られているが、その進化の過程は判然としていない。
夏場は川や湖などで過ごし、魚介類や海藻などを食べ、水が凍り始める時期には陸に避難し、木の実や昆虫、小動物を獲物とする。
食生活が季節で大幅に変わるため、捕まえた時期によって味が大いに変わるという。
また塩湖に棲むものは水が凍らないため通年水中生活をし、通常のラッコ同様の生態をしているという。
実際のところどうなのかは不明だが、どうしようもなくなったら相撲とかとればいいんじゃないですかね。
・
カチグサ。ギョウジャニンニクの仲間。
強い香りを持ち、滋養がつくとされる。
北部や辺境では春先に大量に摘んで干し、通年利用される。
基本的には山菜の一種として野で摘むものだが、一部では栽培もしている。
またその強い香りから魔除けの効果があるとされ、実際に一部の害獣はこの香りを忌避するとされる。
・
クマニラ。
森の木の下など、直射日光の当たらない湿り気のある地面に見られる。
ニンニクに似た香りがある、幅広の葉のニラといった感じ。
・
春先に三つ葉のような柔らかい葉をつける、セリ科の植物。
食用、また薬用としてよく用いられる。
繁殖力が高く、地下根で広範囲に急激に広がるため、悪質な雑草でもある。
・
ツクシ。スギナの胞子茎。
春先に生えてきて、胞子を放出した後は枯れてしまう。
そのあとに生えてくるスギナは全然見た目が違うが、こちらが本体。本体?
地下茎が地中で伸びまくり、切断されても再生するので、一度根付いてしまうと除去が死ぬほど大変。
・
ワラビ。シダ植物の一般総称。
ここで言っているものがワラビなのかゼンマイなのかその他なのかは微妙に謎。
あく抜き必須だが、独特の風味で愛されている。
・
アルキベニヒョウタケ。
帝国北部から辺境にかけて見られる歩菌類の一種。
ただ、毒性や幻覚作用などはほぼほぼ
ちょっとレアで、ちょっと味がいい。らしい。
・
ベニヒョウタケ。ベニテングダケとも。
帝国内でも比較的広範で見られる毒キノコ。
摂食すると弱い酩酊状態になり、食べ過ぎると腹痛、嘔吐、下痢を起こすが、半日から二日程度で抜け、死亡例は少ない。
環境や季節、収穫した土地によって毒の強さが変わるが、どの場合でも致死量はキロ単位とされる。
その酩酊作用から幻覚目的や儀式的利用なども一部あるが、弱すぎるために一般的ではない。
むしろ、この毒がうまみ成分でもあるため、そちらを求めての摂食が多い。
干すと毒が強くなるが、塩漬けにして保存したり、湯でこぼしたり水にさらすことで毒は抜ける。
・
極端な話、巨大な鶏。
草食よりの雑食で、大きなくちばしは時に肉食獣相手にも勇猛に振るわれる。主に蹴りの方が強烈だが。
肉を食用とするのは勿論、騎獣として広く使われているほか、日に一度卵を産み、また子のために乳も出す。農村でよく飼われているほか、遊牧民にとってなくてはならない家畜である。
一応騎乗用と食畜用とで品種が異なるのだが、初見の異邦人にはいまいちわかりづらい。
・「おお、嫁どん! ろくすっぽもてなしもできんかったばってん、次ン来ぃやった時は砦の若集ば集めッて宴でん開くべぇかち話しおってな! きかない二才にせばッかで嫁どんはせんないかもしれんべが、わけ娘ッごさ前やきつやつけとォもんばかりでの、暇があったら肝ば練ッてみらんべか! よかじゃろが!」
(意訳:おお、嫁さん! ろくにもてなしもできたかったが、次に来たときは砦の若いものを集めて宴会でも開こうと話していてな。気の利かない若者ばかりであなたはつまらないかもしれないが、若い娘さんの前だということで格好つけたがっているものばかりなんだ。よかったら肝練りしていってくれるだろうか。いいだろう)
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