第一章 冒険屋

第1話 閠とリリオ

前回のあらすじ

ついにストーカー加害者とストーカー被害者が出会ってしまった。

一人旅で心細いストーカー被害者の心の弱みに付け込み趣味のストーキングを正当化する閠。

異世界の闇は、深い。







 リリオと名乗った少女との旅路は、多くの会話に彩られた。


 と言うとなんだか詩的で素敵かもしれないけれど、実際のところはひたすらに喋り捲るお喋りな小娘に適当な相槌を打ちながら、その時々で疑問に思ったことやこの世界の知識などをぽつりぽつりと質問し、それに対してまた驚くほど能弁にまくしたてられるというほぼほぼ一方的なコミュニケーションだった。


 もとより会話というものが苦手な私としては、不愛想で気の利いた返事もできないようなのを相手に楽しげにお喋りを続けられる人間というものがちょっと想像の外の存在だった。


 いまの会社に入社した時も、気さくそうな先輩にあれやこれやと話しかけてもらった挙句にそのすべてをはいかいいえかテンプレートで返し続けて、積み重ねてきた自信やら何やらをまとめて圧し折ってお帰り頂いたほどだ。


 もちろんその後職場の空気は悪化したし私の扱いも悪化したがそれがどうした。やろうと思えば笑顔で小粋な会話くらいできないではないが、エネルギーを消費しすぎるので常用すると死ぬ。私が。


 コミュ障というのは何も話しかけられるとあ、え、その、とか口ごもる連中のことだけを言うのではない。コミュニケーションそのものにエネルギーを多量に消費して疲れてしまうタイプも多いのだ。


 その点に関してこのリリオという少女はある意味楽だった。

 まず声が綺麗なうえ発音が明瞭なので聞いていて楽だし、常に楽しげなのでいちいち相手の機嫌を窺うという労力を考えなくていい。


 お喋りは時々要領を得ないこともあるしまるでまとまりがないこともしばしばだが、それもまあ愛嬌の範囲内で収まるし子供というのは得だ。

 私が聞き流しているのもわかった上で話しているのもいい。BGMだと思えばなかなか悪くない。私のぶっきらぼうな物言いや、恐らく常識知らずだろう質問にも真面目に返してくれるので助かる。

 おまけに私の言葉足らずも的確に拾ってくれる理解力があるのはかなりグッド。


 例えば私たちが最初に交わした会話はこれだ。


「これどうするの?」

「解体できれば素材は持っていきたいんですけど、どこが希少な部位なのかよくわからないんですよね」


 熊木菟ウルソストリゴとかいう熊もどきの死体をどうするかと尋ねればこう返ってきた。


「持ってく?」

「うーん。担いでいけないこともないかもしれないですけど、さすがに大きすぎますからねえ。途中で腐りそうですし」


 じゃあ全部担いで持っていこうかと聞けばこう返ってきた。


「欲しいの?」

「うーん、まあお金にはなると思いますけど、担いで持ってく労力に見合うかは微妙ですよねえ。お肉は美味しくないらしいのでここで食べてくのもなんですし」


 そんな風に一問えば十返ってくるような会話の中で、私はふと気づいて死体をむんずと掴んでみた。


 出血や傷口などがあからさまには見えないせいか、角猪コルナプロの時ほどそこまで汚らわしいとは思わない。さすがに担いで持ち上げるには私のボディではパワーが足りないようだが、引きずるくらいはできそうだ。


 羽の名残のような構造が残る前足を引っ張って、おもむろに腰のポーチに引っ張り込んでみる。


 ずるん、と爪が入り込むのでそのままずりずりと引きずり込んでみると、見る見るうちにポーチの中に前足が飲み込まれていく。そのまま胴体も引っ張り込んでいくと、どういう作りなのかポーチの入り口がその分広がりながら熊木菟ウルソストリゴの巨体を引きずりこみ、そして結局丸々飲み込んでしまった。


 軽く歩き回ってみるが、特にひどい重たさは感じない。

 もともと普段使わないアイテムはほとんど《選りすぐりの浪漫狂ニューロマンサー》の倉庫番に預けていたので大分インベントリに空きがあったのもあるだろうけれど、或いはこの世界の物品には重量値が設定されていないのかもしれない。つまりゲームシステム的には重量値ゼロ或いはNullなしのアイテムと認識されるのかもしれない。まあこれだって私の認識一つで変わるかもしれないけれど。


 これで気兼ねなく出発できるだろうと振り向けば、何やら愕然とした顔でこちらを見てくる。ガン見してくる。女の子がそんな大口開けて驚くんじゃありません。はしたない。


「も、もしかしてそれ《自在蔵ポスタープロ》ですか!?」

「なにそれ」


 リリオの説明するところによれば、魔法の道具の一種で、小さい外見で大容量の空間を内包する道具のことらしい。四次元ポケットだね、つまりは。技術的に製造が難しくかなり高価らしく、熊木菟ウルソストリゴほどの巨体を丸々飲み込めるような《自在蔵ポスタープロ》となると見るのも稀らしい。


「水筒は?」

「え?」

「君の水筒」

「……もしかしてこれですか?」


 リリオが取り出した革袋は、何度か川の水を補給しては、どう考えても内容量以上の水を出していた水筒だ。これは《自在蔵ポスタープロ》ではないのだろうか。そう指摘すると、少女はおかしそうに笑った。


「これはただの水精晶アクヴォクリステロ入りの水筒ですよ」


 それは何かと首をかしげると、驚いたように見上げられる。


「何って、水の精霊が宿った結晶ですよ」


 さも当然のように言われるが、水の精霊と四次元ポケットとどちらが高度なファンタジーなのか私にはいまいち判別がつきかねた。


 リリオが言うには、この水精晶アクヴォクリステロは、呼び水として綺麗な水を注いでやると、それに応えて水を生み出す機能があるらしい。そのほうが余程すごい機能だと思うのだけれど、小さなものなら川辺で拾える程度には有り触れているらしい。


 そうなると、着火に使っていた器具も、多分中には火精晶とかそういうのがはいっているのだろう。


 精霊入りの結晶とやらが川で拾える程度にはありふれているなら、もしかしたら文明程度はそんなに悲観するほど低くないのかもしれない。楽観視する程期待はできないけど。


 ともあれこのようにして、ほぼほぼ比率一対十のコミュニケーションを交えながら我々は森を抜け、久方ぶりに青空と対面して、歓声を上げたのだった。

 正確に言うと歓声を上げたのはリリオ一人で、私はやれやれとフードを被り直して日差しを避けたのだけれど。


 なにしろ朝日と競うように出社して、一日会社で過ごしたら夜更けに帰宅という、日光とはあまり仲のよろしくない生活をしてきたのだ。直射日光は眩し過ぎる。


 それでもまあ、頭上を何かにさえぎられ続けているという森の中の環境は知らず知らずのうちにストレスをため込んでいたらしく、開放感のある景色には何となく息が楽になったような心地はする。


 しかし本当に何もないな。森のすぐそばだからまあ民家とかは期待していなかったが、見渡す限り何もない野原だ。かろうじて通行者の存在がうかがえる、獣道といい勝負の踏み固められた細道があるにはあるが、だだっ広い野原を前にしてはあまりにも心細い代物だった。


 いまはまだ日が高いからいいけれど、日が暮れたらこんな何もない野原、何も見えないほど真っ暗になるんじゃなかろうか。

 月明りや星明りがあるだろうとはいえ、ひたすらどこまでも続いて見える闇また闇というのはぞっとしない話だ。うるさいとしか感じなかったネオンが懐かしくなるとはね。


 そんな私のげんなりした胸中など気にした風もなく、リリオは実に元気に歩き出してしまったので、仕方なく私もついていく。

 《隠蓑クローキング》が光を透過するおかげか余り日差しの暑さを感じないのは助かる話だが……いや待て。目が見えるということは可視光は目で反射しているはずで。そもそも光を全て透過していたらもっと寒いわけで。深く考えるとまた私の認識でこじれたことになりそうなので頭を一つ振って忘れることにする。


 そういうものだ、というざっくりとした大雑把な考え方をした方が安全ではあろう。何事もきっちりしていた方が落ち着くは落ち着くけれど、ある程度の遊びというかバッファがあった方が何かあった時に対応する幅が増える。


 なんてことをぼんやり考えていると、そう言えば、と先ゆく背中が振り向いた。


「私、リリオ、って言います!」

「ああ、そう」

「ああ、そう……じゃなくって!」


 この時初めて自己紹介をしてもらって素直な感想として二語も返したというのに怒られてしまった。なんだというのだ。この世界の常識などまるで知らない私にどんな反応を返せというのだ。その響きが可愛い名前なのか格好いい名前なのかそのあたりのことすらわからないんだが。


 などと考えていたら、


「あなたの名前です! いつまでも亡霊ファントーモじゃ変です!」


 名を名乗られたら返すというのは、まあ一般常識と言えば一般常識であったか。別に私は亡霊ファントーモ呼ばわりでも一向に困らないのだけれど。生きているのに亡霊ファントーモなんて変ですと言われてしまっても困るのだけれど。実際問題生きてても死んでるのと大差ないような生き方してきたわけで、全然変でも間違いでもないんだけれど。


 まあそれでも、名乗られたし、尋ねられたし、今後執拗に聞かれても面倒なだけで、名乗るくらいは安いものだ。


 はじめ、私はこの体の名前、つまりゲームで使っていたハンドル・ネームで名乗ろうと思った。エイシスというのがそれだった。

 心停止エイシストールの略だ。

 生きていても死んでいるのと変わらない、死んだところで生きている時と変わりない、なんにもならないしなににもなれない、フラットラインな私のハンドルネームとして選んだのがそれだった。


 しかし。


うるう

「ウルウ?」

妛原あけんばら、閠。閠が名前で、妛原が家名」


 ぽろりと名乗ったのは、現実での名前だった。


 名乗ることもなく、名乗る必要もなく、書類の片隅に署名するときにしか使われない、誰の意識にも上がらず誰の記憶にも残らない、両親すら亡くなってしまった今は本当の意味で何ともつながらない幽霊の名前。誰にも祝福されることのない名前で、私は名乗っていた。


「ウルウ、ですか。変わった響きです。でもとてもきれいな響き」


 それは、何の意味もない名前で、何の価値もない名前で、何の思い出もない名前で、何の執着もない名前で。


「よろしく、ウルウ。これから、幾久しく」


 それでも、それは私の名前だった。






用語解説


・《自在蔵ポスタープロ

空間操作魔術による魔術具。外見以上の空間を内部に作り上げ、収容能力を高められた品物。閠の場合は全く別のシステムによるもので、本来の《自在蔵ポスタープロ》は単に見た目のサイズが小さいだけで、重いものを入れればその分重くなるし、容量も普通はそこまではない。ネーミングはあの有名な漫画家小雨大豆先生の名作「九十九の満月」に登場する同様の効果を持つアイテム「自在倉」より。


水精晶アクヴォクリステロ

 水の精霊が宿った結晶、とされる。見た目は青く透き通った水晶のようなもので、呼び水を与えるとその大きさや品質に従って水を生み出す。川辺など水の精霊が活発な所でよく生成されるが、道具として使用できるサイズ、品質のものはちょっとレア。ものによって生み出す水の味や成分も異なるようで、こだわる人は産地にもこだわるとか。


・エイシス

心停止エイシストールという医学用語からとった、閠が《エンズビル・オンライン》で使用していたハンドルネーム。《選りすぐりの浪漫狂ニューロマンサー》の一員として認知されるようになってからは、PVP(プレイヤー対プレイヤーの対人戦)において気づいた時には即死させられているからという畏怖をもって呼ばれていた。なんにせよ中二病である。

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