第二話 亡霊と大甲虫の網焼き
前回のあらすじ
ついに辺境(の手前)までたどり着いた一行。
そしてついに溢れかえったウルウの乙女塊。
溢れるゲロは虹の色。
吐いたらすっきりした。
いきなりで申し訳ないけれど、本当にそんな気分だった。
実際問題として必ずしも吐いたら楽になるわけではないし、胃液で喉が焼けたので快調というわけでは決してないのだけど、何かのスイッチが切り替わったみたいに少し楽になるのは確かだ。
胃に物が入っている時特有の、あのドバドバっとあふれて、あァ一息ついたというような一種の爽快感はないのだけれど、私は吐きました、という一点で脳が切り替わるというか、言っててなんだけどやっぱり全然切り替わらねーっつーの。ちょっと楽になったかなーと一瞬思うんだけど、希釈されてない胃液があちこち焼いてるせいで苦しいし、もうほんと勘弁してって気持ち。
それでも、冷たい空気を吸い、雪で顔を洗ううちに、冷たさが私の神経を無理矢理立て直して、ぐるぐると気持ちの悪い酔いはいくらか晴れた。
蒸留水を取り出して口をゆすぎ、一息。
これはアイテムとしての《蒸留水》じゃなく、
ハヴェノでも頼んでおいたけど、そちらは数が仕上がる前に辺境に旅立ってしまったので、在庫持て余してるだろうなと申し訳ない。
まあ、立ち寄った時には買うから許してほしい。
私がそうして回復に全神経を費やしているころ、元気この上ないリリオとマテンステロさんは意気揚々と「晩御飯獲ってくる」と言い残して森に入ってしまった。森は彼女たちにとってスーパーマーケットみたいなものなんだろう。
トルンペートはそれを見送って、ざっと雪かきし、かまどを組み、野営の支度を進めてくれていた。
本当にこの子はできる子だ。
そして私はできない子だ。
お荷物でしかないのが申し訳ないのだけれど、誰かを頼ることができるという麻薬じみた快楽は私をどんどんダメ人間にしている気がする。
辛い時、誰かに辛いですと言える気持ちがわかるだろうか。
気楽にわかるーと言える人は帰ってどうぞ。
違うんだよ。そう言う簡単な気持ちじゃないんだよ。
などとこじらせたオタクみたいなことを思いつつ、私は寝そべったキューちゃんの羽に挟まれて喫飛竜にいそしむ。
ひとところにじっとしていられないピーちゃんと違って、大人なキューちゃんは弱った私を振り払ったりしないのだ。
正確に言えば、ゲロ臭いのか嫌がって振り払ってきやがったのを自動回避全開で張り付いたところ根負けしてくれた。いい子だ。
それにしても自動回避の出鱈目な動きではなぜ吐き気が起きないのだろう。三半規管どうなってるんだ。
しばらくして、何とか私が回復してきた頃、二人は獲物を引きずって帰ってきた。
普通の獣は、雪の上とは言え引きずったりすると傷がつくので、怪力のリリオは頑張って持ち上げてきたりするのだけど、今日は気にせず引きずってきている。
そんなに丈夫な獲物なのかと顔を上げてみて、そして私はそっとキューちゃん枕に舞い戻った。
私は何も見ていない。
「ウルウ、ウルウが見てなくても現実はいなくなったりしませんよ」
「現実よさらば」
「はいはい、諦めてくださいね」
リリオも最近、私の扱いが雑になってきた気がする。
まあ私も、私みたいなやつがいたら相当雑に扱うだろうからなんにも言えないんだけど。
諦めて顔を上げると、そこにはダンゴムシがいた(柔らかい表現)。
目をつぶり、深呼吸をし、それから改めてそのデカ物を観察してみよう。
それはダンゴムシというか、ワラジムシというか、要するに背中がたくさんの節で分かれた外殻になって、脚がうじゃらっと並んだ生き物だった。バカでかい複眼が何個かついている方が多分頭。
そして、でかい。とにかくでかい。
小柄なリリオではいくら力があっても確かにちょっと担いでこれなかったサイズだ。
人間が二人くらい荷物と一緒にまたがれるサイズで、実際、これを移動手段とする人もいるそうだ。
馬なんかと比べて視点が低いけれど、このうぞうぞした多脚で、森の中の凸凹も平気で進んでいくそうだ。
やめろ。ひっくり返すな。その脚を見せるな。
「へえ……あ、そうなんだ……」
「露骨に興味ない顔ですね」
「いやだって……虫じゃん?」
「
「名前じゃなくて。え、なに?」
裏返したそのギガ・ダンゴムシの太い足を切り落としていくリリオとマテンステロさん。トルンペートも参戦。
もしかしなくてもだが。
「食べるの、それ?」
「美味しいですよ?」
味じゃなくて。
しかし私の苦悩を置いて、三人はてきぱきと超銀河ダンゴムシをさばいていく。
手慣れているあたり、この巨大な虫も辺境人にとっては森のおやつなのだろう。
三人は一通り足を切り取り終えると、分厚いナイフを腹と背中の殻の間に入れて、べきばきと恐ろしい音を立てて開いていく。かなりの力作業の様で、もはや
コツみたいなものがあるんだろうけれど、もうなんか機械とかの解体作業にしか見えない。
腹側の殻が剥がれて、見えてきた中身は意外にもきれいなものだった。白みがかった透明な身がみっちりと詰まっていて、綺麗につやつやと輝いている。
これは巨大な伊勢海老と念じ続けていると、だんだんそんな風に見えてこないこともない。
お腹の殻がすっかり引きはがされると、今度はまた別のナイフで、背中の殻から肉を剥ぎ取りにかかる。なにか膜のようなものが殻と肉の間にあるようで、そこに刃を入れていくと、べりべりと剥がれていくのだった。
見ていると簡単に見えるけれど、膜が破れないようにするにはちょっとコツが要りそうだった。
うん、大丈夫。そろそろ食材に見えてきた。
ブロック肉から牛とか豚を想像できないのと一緒だよね。
命の大切さとかありがたみとか動物愛護とか、そんなことよりも私たちは心の平穏のためにブロック肉が大事なわけですよ。
どれだけ異世界にもまれようと現代社会で生まれ育ったもやしメンタルのOLあがりにはそれくらいでちょうどいいんだよ。
引っぺがしたお肉はかなりの量で、部位ごとに分けていくんだけど、その塊がまたでかい。
バラしていくと内側にしっかり内蔵とか神経索とか脳みたいなものが確認できるんだけど、いままで解体に付き合ってきた哺乳類とか四つ足の鳥類とか爬虫類とかと比べると、なんかこう、生き物としての構造がかけ離れすぎていて、そこまでグロく感じない。
血も、血っていうか体液かな、それも赤くなくて、透明っぽい黄色で、そこまで生々しくない。
肉をメインとして食べるとして、内臓は食べられるのだろうか。
このあたりになるともう虫だからという気持ち悪さは鳴りを潜めて、単純に子供じみた好奇心で覗き込むようになっていた。
「
消化管はそう言うわけで、ポイみたいだ。
その代わり、最初脳みそかなって思った黄色い塊は、食べるらしい。
「なにこれ?」
「肝ですね。
「蟹味噌みたいなものか」
「そうそう、蟹とか、海老とかもありますよね」
さすがにこんなサイズで見たことはないが。
なにしろリリオの両手では足りず、でろんと垂れているくらいだ。
中腸線とかいうやつだ。肝臓みたいな働きをするらしい。なので重金属とかの生体濃縮がちょっと怖いが、まあ、この異世界でそんなこと気にしてたら何も食べられない。
綺麗さっぱり身を剥いだ後の殻は、ちょっとした浴槽みたいなサイズだった。
と言ってみたら、これだから風呂気違いはみたいな顔されたけど、日本人としてこのたとえは致し方ない物でして。
で、現地人としてはどのようにあつかうのか聞いてみたら、防具とかに使うらしい。
木材のように軽いけど木材よりしなやかで丈夫。研げばナイフみたいにも加工できる。
金属と違って鋳潰すことはできないけど、火であぶって曲げたりはできるので、いろいろ使われているようだ。
動きはそこまで俊敏ではないので、罠や、道具に工夫をして猟師によく狩られるらしく、お肉も素材も割と安価らしく、駆け出しの冒険屋だけでなく村人とかにとっても馴染みのある素材だそうだ。
ただ、まあ、よく狩られるというのはそこまで質も良くないわけで、消耗品くらいの扱いかな。
それでこれはどう食べるのかと見ていると、かまどに鉄網をかけて、その上に丸みのある殻を乗せる。小さめの節とは言え、元がでかいから、ちょっとした浅鍋みたいなサイズだ。
これに切り分けた身を並べ、軽く塩と
殻の上で加熱されていく身は、その熱と塩でもってじわじわと水分をにじませていくのだけれど、これがまたいい香りがする。こうして殻自体を鍋にすることで、炙られた殻は香りを放ち、内側では出汁をにじみださせるといういい働きをするのだった。
水分がある程度出てくると、身は白く濁り、いくらか縮んでくる。
そしてその水分も熱せられて徐々に煮詰められていき、濃厚なスープになっていく。
そのスープはさらに煮詰められていき、やがて水分がほとんどなくなってきた頃合いを見計らって、
音を立てて溶けていく
そして仕上げに、
私はもうこれが虫だということは全く頭になく、視覚に、嗅覚に訴えかけてくる暴力的なまでの誘惑にあっさりと屈したのだった。
用語解説
・
大型の節足動物。蟲獣。人間が乗れるくらい巨大なワラジムシを想像すると早い。甲は非常に頑丈だが、裏返すと簡単に解体できる。動きが遅く、肉が多いので、狩人にはよい獲物。
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