第九話 鉄砲百合と暴風

前回のあらすじ


マテンステロさんじゅうななさい現る。







 その瞬間のあたしの気持ちを端的に表すと、こうだった。


 


 この一言に尽きるように思う。


 風通しの良いように、壁の一部を取っ払って直接外に出られるようになっているとかいう、辺境では絶対に考えられないような南部造りの居間の一席に、いま、忘れようはずもない姿が何一つ気負うところなく自然に腰掛けるのを、あたしは呆然と見送るほかなかった。


 鮮やかな褐色の肌に、流れるような白い髪。寝ているんだか起きているんだかわからないような柔らかな目元に、ほころぶように笑う口元。


「久しぶりねえ、リリオ。それにそっちのはリリオにくっついてたちっちゃい娘だったかしら。それにまあ随分とおっきなお友達を連れてきたわね。それともあなたが小さいだけかしら」


 そして淑女然とした見た目からは想像もできないほど暢気な軽口。


 何一つ変わらないその姿に、思わずあたしが椅子から飛び降りて膝をつきそうになるのを、奥様は面倒くさそうに制した。


「やめてよ、辺境の館でもあるまいし、実家でまで堅苦しいのはいやよ」

「し、しかし奥様」

「その奥様もだーめ。マテンちゃんでいいわよ」

「そ、それはその、お、お許しを」

「もう、仕方ないわねえ」


 あたしが椅子の上でかちんこちんに固まっている横で、ようやく石化の解けたリリオが勢いよく立ち上がった。


「お、お、お、お母様!?」

「そうよ。なにもそんなに驚かなくていいじゃない。親の顔と同じくらい見た顔でしょ。親なんだし」

「そういうことではなくて、そういうことではなくて、そういうことでは、なく、て!!!」


 ぱあん、と音を立てて空気が震え、あたしはびくりと背筋が弾むのを感じた。

 成人する頃にはすっかり鳴りを潜めていた、リリオの癇癪が爆発したのだ。それは感情が抑えきれなくなるということだけではない、莫大な魔力が一時に爆ぜるという、物理的に影響をもたらす癇癪なのだ。


 目の色を変えて――文字通り、あふれ出しそうな魔力で色味を変えつつある目で奥様を見据えて、それで、それから、リリオは言葉が出ないようだった。混乱と、困惑と、そして訳の分からなさに対するいら立ちが、リリオの頭の中をいっぱいにして、あふれかえりそうにさせているのだった。


 ちりちりと空気が震える。

 あ、これはまずい。

 本格的に爆発する前に抑えないと。


 あたしが腰の鉈に手を伸ばすより早く、するりと横合いから腕が伸びて、蜘蛛のように細長いそれがリリオをからめとってしまった。からめとって、抱きすくめて、それから頭をなでて、椅子に座らせた。リリオはまだ殺気立った獣のように毛先をピリピリと震わせていたけれど、それでも、再び立ち上がることはなかった。


 いや違う、立ち上がれないのだ。

 ウルウの抱きすくめる手が器用にリリオの急所を押さえて、その力をうまく振るわさせず、半ば技巧で、半ば力づくで抑え込んでいるのだった。


 あたしが力づくで意識を失わせようとしたことに比べれば、それははるかに優しく、そして難しいやり方ではあった。


 あたしが困惑し、そしてリリオに対する怯えをこらえ、なんとかその握りこぶしを撫でさすってやって、それでようやくこのは深く息を吐いたのだった。


「亡くなったと聞いていたけれど」


 リリオを抱きすくめたまま、平坦な声で尋ねたのはウルウだった。

 それは純粋に疑問から来る問いかけだった。


 そうだ。

 ウルウはリリオと違って奥様に対する情などない。

 私と違って女中としての畏敬や、その生還に対する困惑などない。


 ただ聞いていた話と事実が食い違っているという、それだけなのだった。

 その落ち着きこそが、いま吹き飛びそうなリリオには大事だった。


「やあねえ。御覧の通り生きてるわよ」

「はぐれ飛竜に食われたとか」

「食われてないわ。食いつかれたけど」


 普通、それは死んだと言っていいと思う。

 とはいえ、辺境貴族ではないとはいえ、ブランクハーラという存在は、同じくらい普通ではないのだった。


「いやあ、はぐれが出たっていうからいい暇つぶしになると思って出かけたんだけど、思いのほか吹雪いててね。急に目の前に出てくるから驚いたわ。でも向こうも同じように驚いたんでしょうね。ぐわーって噛みついてきたから、突然で剣を抜く暇もなくて、仕方なく手で押さえたのよ」

「手で、なんて?」

「噛みついてくるじゃない?」

「うん」

「それをこう、両手を広げて、上あごと下あごを押さえつけてやったの」


 もしかして馬鹿なのでは。

 思わずそう思いかけたけれど、しかし馬鹿は馬鹿だけど本当ならすごい馬鹿だ。


 人を丸のみにしてしまい、岩をかみ砕くような怪物の噛みつきを、素手で、抑え込んだというのだった。


 ウルウはちょっと考えて、それから今まさに抑え込んでいるリリオをちらっと見やって、頷いた。あたしはその意味を少し考えて、ああ、と悟った。まあ、リリオなら似たようなことをやりかねないと思ったのだろう。信頼というか、何というか。


「それで押さえ込んで、寒いし相撲でも取って暖を取るのもいいかと思ったんだけど、そこで私、ぴーんと閃いちゃったの」

「一応聞いておこうかな」

「飛竜って空飛べるじゃない。こいつに乗っていったらあったかい南部までひとっとびじゃないかしらって思って」

「思って」

「飛竜乗りは見たことあるから、真似して飛んで帰ってきました、まる」

「馬鹿なの?」

「不思議とよく言われるわ」


 なんと、飛竜に食われて行方不明になったのではなく、捕まえた飛竜に乗って南部まで飛んできたという、どこのおとぎ話だという話を聞かされてしまった。

 ウルウではないけど、馬鹿なのかと思ってしまうあたしは悪くないと思う。


 飛竜だ。

 はぐれ飛竜は餌が少ない時期にうろついてるから痩せてはいるけれど、それでも、飛竜だ。

 冬場で動きが鈍っているとはいえ、飛竜だ。

 それを押さえ込んで、あまつさえ乗ろうなんてのは、正気の沙汰ではない。


 確かに飛竜乗りというものは辺境に存在する。飛竜と戦うために、同じ戦力があった方が効率がいいという乱暴な理屈で、大昔から続けられている伝統ある職業だ。

 でもそれだって野生の飛竜を捕まえているわけじゃあない。

 卵から孵して、人に馴らせた飛竜だから、初めて人は乗れる。そしてそれだって、品種改良を何度も重ねて人に懐きやすいものを選別していった結果だと聞く。


 それを、それを。


 ああ。


 馬鹿だ。

 馬鹿の総大将がいる。


 くらりときたあたしを放って、ウルウは問答を続ける。


「その飛竜は?」

「躾けて、裏の山で飼ってるわ。キューちゃんって言うの。キュウキュウ鳴くから」

「成程、リリオの母親だ」


 そしてあたしは考えるのをやめた。







用語解説


・癇癪

 膨大な魔力を持つものは、感情の制御が効かなくなると魔力を暴走させることがある。

 その暴走の仕方は魔力の性質によるが、ドラコバーネ家の場合は「炸裂」の性質を持つ。

 この暴走はマイナスの感情だけでなくプラスの感情でも引き起こされ、魔力の制御が効かない子供が間引かれるということも昔はよくあった。

 トルンペートが出合い頭に全身の骨を破砕させられたのも、驚いたリリオの魔力が炸裂したため。

 そう言うことがないよう、側仕えの武装女中は人間を的確に気絶させる術を学んでいる。


・飛竜乗り

 騎乗用に飼育された飛竜に乗って空を飛ぶことを専門とした職業。ドラゴンライダー。

 主に飛竜の迎撃にあたり、また辺境領から出ることは滅多にないが、竜車と呼ばれる車を運んだりする。


・キューちゃん

 野生種の飛竜。成体メス。

 体長は三メートル。全長(尾まで含めた長さ)五メートルほど。翼開長六メートル。

 体色は炎赤色。天気のいい日には翼を広げて日光浴している姿が見られる。

 ハヴェノ伯爵には一応許可はとっているが、伯爵の胃には穴が開いた。

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