第十七章 巣立ちの日
第一話 白百合と鬼百合
前回のあらすじ
Q.帰省したら両親がぼろ雑巾になってしまい、
どういう顔をしたらいいのかわかりません。
A.笑うしかないんじゃない?
お父様が壊れてしまいました。
ああ、いえ、お父様付きの武装女中ペルニオによれば、元々かなりアレな古今稀に見る馬鹿らしいのですけれど、少なくとも私の知る限りはまっとうな人だったと思います。思うんですよ。ちょっと思い出が信じられなくなってきましたけれど。
そのお父様がいま、心身ともに壊れてしまいました。
中身の方はまあ私にはもう判断の付きようもないんですけれど、体の方はもう見て取れるくらいはっきり壊れてしまっていますね。
お母様の拳で耕された顔面はもはやどこが鼻でどこが口なのかもわからない有様で、放り出された人形のようにだらりと力なく伸びた手足はもしかしたら関節が増えているかもしれません。服も血と泥でまみれて、もうどうやっても繕い直すのは無理そうでした。
お父様があれだけ傷ついてしまうのは、私の知る限りでは初めてでした。
飛竜相手にも大した手傷も負わないで済ませてしまうお父様です。それをここまで壊してしまうお母様の凄まじさです。あるいは、三徹目で頭が大分朦朧としていなければ追い込むことすら難しいお父様の凄まじさというべきでしょうか。
多分ですけれど、意識している間は徹底的に張り巡らされていた魔力の鎧が、意識が危うくなっていくにつれて緩んでしまい、その隙を攻め込まれたというかたちなんでしょうか。
いくらお母様がブランクハーラであろうと、生物種としての優劣ははっきりしていますから、おそらく天高く積み上げた策と罠と仕込みとはったりを切り崩しながら、岩を穿つ雨だれの様に根気よく、徹底的に磨り潰しにかかって、ようやくあれなのでしょう。
私にはまだ辿り着けない境地です。
そんなお父様をぼろ雑巾にしてしまったお母様の方はどうかというと、こちらも満身創痍で、お手製の飛行服は半分以上ぼろきれと化していました。いろいろと見えてしまっていますけれど、かけらほどの色気もありません。中身もちょっと見えちゃってますしね。この冬に全身から湯気が昇ってる始末ですし。
先程まではタガの外れたように調子っぱずれに笑いながらお父様を蹴り続けていましたけれど、突如糸の切れたように受け身もなしで顔面から倒れていってしまいました。
興奮して痛みも何も感じなくなっていたんでしょうけれど、限界だったのでしょうね。
遠目に見ても血まみれですし、殴り続けていた拳は指がおかしな方向にねじれてますし、顔面が三割増しで膨らんでますし、さっきも砕けた歯みたいのを血と一緒にお父様に吐きつけてましたし。
二人が血だまりに伏してからたっぷりと三分ほどもう動かないことを確認してから、武装女中を先頭に使用人たちが爆心地に回収に向かいました。重たげな戦鎚を手にした武装女中は、弱った主人らを狙う不届きものを警戒してのことではなく、もし主人らが動き出した時にまた動かないようにするための要員で、担架を担いだ使用人が二人を乗せて運びだすのを横で護っています。
「…………えっ、死んでないよね?」
「多分死んでないです」
「多分……?」
「危なかったらもっと大慌てで回収しにきますから」
ウルウは釈然としない様子でしたけれど、我が家の医療体制は分野においては帝都よりも上だと自負しています。なにしろ爆ぜちゃったトルンペートもちゃんと元通りに詰め直してくれましたし、壊れるたびに直してくれますので、信頼性は高いですね。
私も直してもらったことがありますけれど、ご存知の通り傷ひとつなく健康体です。
まあ実際のところ、帝都の医療事情をよく知らないので、もしかしたら帝都でも同じようなことができるのかもしれませんし、半分に割いても直せるくらい凄いのかもしれません。
さて、お父様とお母様が回収され、庭師たちが庭を埋め戻し始め、使用人たちがそそくさと立ち去っていくと、何とも言えず間の抜けた静寂が残りました。
まっとうな手順としては、お父様に迎えられて館に帰り、ウルウの紹介も兼ねてお茶でもしながら歓談して、みたいな感じだと思うんですけれど、初手でつまずいていますからね。
とりあえずペルニオに指示を、と思ったところで、開けっ放しだった正門から武装女中を連れて顔を出すものがありました。
「やあ、おかえりリリオ。ひさしぶり。元気そうでよかったよ」
お父様がもう復活したのでしょうか、そんなことを一瞬思ってしまうくらいには、お父様と似た雰囲気がありました。お父様に近い灰金の髪に、お母様譲りの褐色の肌。着こなしは帝都でも見劣ることのない伊達ものです。
涼し気な顔立ちには悪戯っぽい笑みが浮かんでいて、眩しい日差しでも見るように目を細めてこちらを見下ろしていました。
どこに出しても恥ずかしくないまさしく貴族の令息といった気品はそのままに、冒険屋のたむろする荒っぽい酒屋にでも顔を出すような気安い仕草で片手をあげる少年。
ティグロ・ドラコバーネ。それが私の兄でした。
「もう、ティグロ。いたのならお父様を止めてくれても良かったじゃないですか」
「やだなあ。僕だってまだ死にたくないし。冒険屋ならある程度現実主義にならないと」
軽薄と言っていいほどに軽やかに、悪びれた風もなくしれッと言ってのけます。
旅の先輩だけあって、なんだかわかったようなことを言います。二歳しか違わないんですけどね。いやまあ、私たちの年頃で二歳差というのは結構大きいものかもしれませんけれど。それが生まれてきた頃からの付き合いともなればなおさら。
「まあ父上はあれで静かになったことだし、いいってことにしようよ。それよりも僕はお仲間を紹介してもらいたいもんだけどね」
「ああ、そうでした。ウルウ、これは私の兄のティグロと言います。ティグロ、こちらは私の冒険屋仲間のウルウです」
放っておいたら姿を消して陰に隠れそうなウルウの手を取って、紹介します。
ものすごく嫌そうですけど、手を取れば諦めて横に立ってくれます。というか、そうしようと思えば私に指一本触れさせないようにすることもできるのに、簡単に手を取らせてくれるあたり、ウルウって感じです。
他所様相手なら営業用の笑顔も作れるウルウですけれど、私の身内であるティグロ相手にはどういう顔をすればいいのかいまいちわからないようで、人見知り全開でどーもと短く挨拶していますね。借りてきた猫みたいです。
ティグロはもともとそのくらいのことでは気にしない人種ですけれど、でもなんでしょうね、気にしないどころかなんだかおもしろがっているような顔でにやにやとしています。
そのにやつき顔で見上げられて、ウルウもなんだか居心地が悪そうです。
なんだか私も落ち着きません。
だって、ほら、あれですよ。
この状況、考えてみたら、はじめてお友達を家に連れてきた妹っていう感じじゃないですか。あのリリオがお友達を、みたいな受け取られかたされてたらかなり恥ずかしいものがあります。
私に友達がいないみたいなの止めてもらえませんかね。
単に同年代の子供がそうそういないっていうだけの話ですよ。
辺境貴族なんて基本そんなものですよ。
ああでもティグロは辺境でも友達多いんですよね。同じ辺境貴族の親戚だけじゃなく、ちょくちょく町を出歩いたりして、気安く話す友人も多いみたいなんですよね。いったい我が家の血のどこにそんな社交性があったというのでしょうか。
などと私が一人もやもやしていると、ティグロは清々しいほどの笑顔で私に言いました。
「ふふふ、聞いてるよ、リリオ」
「えっ。なんです。友達くらいいますよ」
「森のお友達のことはどうでもいいけど、そうじゃなくってさ」
動物しか友達いないわけじゃないんですけど、と睨んでみましたが気にもとめられません。
にま、とティグロの笑みが深くなります。
どこかお母様を思わせるいやらしもとい悪戯っぽい顔です。
「みんな聞いてるよ。リリオが嫁取りしてきたって。トルンペートまで手籠めにしたんだってね。やるじゃないか」
「なっ、ばっ、
「できるものなら?」
「ぐぬぬ……!」
けらけらと楽し気に笑いながら、ティグロはひらひらと手を振ります。
その手のひらの一枚を、いまも突破できる気がしません。
悔しいことに、私は実の兄に対して負け越しているのでした。それは勿論、兄妹の間の些細な喧嘩の勝敗でしかないのですけれど、でもこの些細な喧嘩というものが家庭内ではなかなか重みがあるのです。
私だってお母様にたくさんあしらわれもとい訓練を受けたので、負けやしないぞという気持ちはあるのですけれど、それでも敗北の歴史は記憶にしっかり刻まれているのでした。
そもそもがティグロがからかうので私が反発するという流れで、それ以外では甘いお菓子を譲ってくれたり何くれとなく気にかけてくれたりと普通にいい兄なのも困ります。
私、勝てるところがあまりにもないのでは。
「まあからかうのはこのあたりで止そうか。ようこそ我が家へ。歓迎するよ。
ウルウを見上げてにっこりと微笑み、ティグロは静かに目を細めたのでした。
用語解説
・ティグロ・ドラコバーネ(Tigro Drakobane)
辺境伯アラバストロの長男。リリオの兄。
父からアッシュ・ブロンドの髪を、母から褐色の肌を受け継いだ美少年。
辺境では珍しい肌色のため、エキゾチックな魅力があるとして領内では非常にモテる。
兄妹喧嘩の範疇とは言え、リリオに勝ち越しており、相応の実力者。
・森のお友達
相撲を取った熊とか、かけっこした狼とか、おままごとした猿とか。
三十分後には串焼きか鍋になっている割合も高い。
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