最終話 巣立ちの日

前回のあらすじ


汚いなさすがアサシンきたない。






 私の拳は間違いなくお父様に一撃を加えました。

 それは倒れ伏したお父様自身も、お酒を片手に観戦していたお母様も、ぱち、ぱち、ぱちと気のない拍手をした後ようやく自分が審判役だったことを思い出してくれたペルニオも、認めてくれるものでした。

 手加減なく手加減してもらって、手抜かりなく手を抜いてもらって、容赦なく容赦してもらって、それではじめて、ようやくはじめて、お父様に勝った拳は、血と唐辛子カプシコ汁とでねちょっとしめってえんがちょでした。


 私の勝利は、私だけのものではありませんでした。

 私一人であれば、どうやっても届かない境地だったことでしょう。

 剣にこだわり、辺境貴族としての自分にこだわったままでは、私は手も足も出なかったことでしょう。


 でも、私は冒険屋なのです。

 それを思い出させてくれたのが、ウルウでした。

 私は、私たちは冒険屋なのだから、問題を解決するために遣り方にこだわっちゃいけないと。

 頭を使い、やれることを全部やって、そうして冒険を終わらせるまでが冒険屋稼業なのだと。

 そして私は果たして人間に使っていいかどうか悩む道具の数々と、果たして人間に用いていいかどうか悩む策を授けられ、それを十全に果たしたのでした。


 ウルウの策を実現させるには、トルンペートからしばしば学んでいた投擲技術が役に立ちました。いざという時、咄嗟の時に、何でもいいから近くにあるものを投げつけて距離を取る、その程度だった技術が、私の中でしっかり積み重なり、過つことなくお父様の顔面に催涙弾をぶちかますことを叶えてくれたのでした。


 私は今まで力任せに、腕任せになんでもこなそうとしてきました。そして実際にそうできてしまったことで、私は自分自身の成長の幅をかえって狭めてしまっていたのかもしれません。

 ただの剣士ではなく、ただの武辺者ではなく、道具も、策も使いこなして、どんな相手にも対応できるようになる。

 それこそが冒険屋なのでしょう。


 真正面からじゃなく、正々堂々じゃなく、もしかしたら卑怯とも邪道ともいわれるかもしれませんけれど、それでも私は超えがたいはずの壁を超えることで、人間としてひとつ大きく成長したような気がします。

 いま叶わないから、鍛えて強くなってあとで挑む、なんて、それは贅沢なことです。

 いまできる全てを賭して、そしてそれでも届かないなら届くように工夫する。

 それが、人間というものの本当の強さなのかもしれません。


 などと、色々言葉を重ねて時間を稼いでみましたけれど、どちらかというと催涙弾で目と喉をやられた傷の方が大きいらしいお父様はいまだに悶絶しており、回復しません。

 いい感じに締めたかったんですけど、うまくいきませんね。


 非常に丁寧な所作で、言い換えるならあえて時間をかけるようにして水差しに水を汲んできたペルニオがお父様の顔を洗って差し上げ、うがいを繰り返し、なんとか復活するまでに私は暖かいお茶を一杯頂いて人心地つく余裕がありました。


 いや、なんていうか、あれそこまでえげつない代物だったんですね。

 ウルウに、躊躇したら連携が崩れるから、何も考えないで言われたとおりに投げつけろって言われてたので、畳みかけるようにやりましたけど、うん、思い返すと酷いですね。

 ボーラとかいう道具は、あれは便利ですしよくわかります。

 でもその後の火炎瓶とかいうのは完全に殺しにかかってますし、お父様じゃなかったら死んでいたのではという気もします。

 さすがの私も燃え上がるお父様を見てこれはまずいなって思ったんですよ。でも結構動き回るので意外と燃えないなあって。燃え尽きないなあって。動かなくなってから考えてもいいのかなあって思案しているうちに炎を吹き飛ばされちゃいまして。

 ウルウからは炎を突破してきたらと言われてたんですけど、まさかあんな方法があるとは。びっくりしましたけれど、そこは指示通りすかさず催涙弾です。

 これが通じなかった場合は渡した海水の瓶をぶちまけて動かなくなるまで電流流せって言われてたんですけれど、通じてよかったです。


 ようやく回復したお父様が足元に絡みついたボーラを引き千切、らないで丁寧に外して返してくれました。そう言うところ律儀ですよね。


 ちょっと緊張した心地で見上げると、お父様は激戦の後とは思わせない涼しげな顔で見下ろしてきます。


「策を練り、工夫を凝らし、勇気を奮ってよくぞやったものだ。辺境貴族の遣り方ではないが、辺境の生き様としては相応しい。……いや。いやいや。成程。冒険屋か。思えばお前は昔から、あの手この手で家庭教師の目をかいくぐって遊んでいたものだ。知ってはいたが、認めたくはなかっただけかもしれないな」


 お父様の唇を歪ませたのは、何とも苦い微笑みでした。私にしてやられたこと。自分自身の認識の甘さ。それらが唇の先で、吐息に吹かれて流れていきました。


「お前には、辺境は狭すぎたのかもしれない。行って、見てきなさい。世界の広さを」


 お父様はそう言って、静かにほほ笑みました。

 全裸で目が充血して鼻血を流しながら。

 冷たい風が、吹きました。


「……………」


 ペルニオに連れられてお父様は一旦引っ込み、私たちがゆっくり温かいお茶とお茶請けを楽しんだ頃、きちんと着替えて一応の傷の手当てもしてお帰りになられました。


「策を練り、工夫を凝らし、」

「いや、そこはやり直さなくていいです」

「そうか。そうだな。やり直さなくて、いいか……」


 お父様しょんぼり。

 焦げた髪も切っちゃってちょっとさっぱりした感じですけれど、この憂い顔の麗人、さっきまで拷問を受ける罪人もかくやという顔してたんですよね。


 お父様は、何度か口を開いては閉じて、視線をさまよわせながら言葉を探して、そしてようやく、ぽつりぽつりと続けました。


「お前は筆不精だけれど、心配するから、手紙を書きなさい」

「はい」

「困ったときは、遠慮せず連絡をしなさい」

「はい」

「金を工面してもらうことは恥ではない、いつか返せばいいから、仕送りも強請りなさい」

「はい」

「これからも剣に励みなさい」

「はい」

「冒険屋の流儀も、よく学びなさい」

「はい」

「たまにでいいから、帰ってきなさい」

「はい」

「けがや病気には、気をつけなさい」

「はい」

「好き嫌いはせずなんでも食べなさい」

「はい」

「お前は本当になんでも食べるから、お腹を壊さないよう気をつけなさい」

「はい」

「悪い人に騙されないように、気をつけなさい」

「はい」

「大切な人には、いつも誠実でいなさい」

「はい」

「心で善いと思ったことだけをしなさい」

「はい」

「悪いことをしたなら悔い改めなさい」

「はい」

「きちんと歯を磨きなさい」

「はい」

「風呂でよく体を清めなさい」

「はい」

「湯冷めしないよう、きちんと髪は乾かしなさい」

「はい」

「それから……」

「はい」

「それから。それから」


 お父様は、それからを何度か繰り返して、困ったように眉を顰めました。


「それから、ああ、ああ、それから、ああ、困ったな。お前には聞かせたくないことまで、言ってしまいそうだ」

「どうぞ、言ってください」

「弱音だよ」

「どうぞ、どうぞ言ってください」

「ああ、そうか。うん。そうか」


 何度か小さく頷いて、私の顔を覗き込んで、頬を撫で、髪に触れ、お父様はこぼしました。


「……行かないでおくれ。私から離れないでおくれ。危ないことをしないでおくれ。家にいておくれ。どうか……どうか、行かないでおくれ」

「……お父様」

「……ああ、ああ。忘れてくれ。忘れておくれ」

「いいえ。いいえ、忘れません。でも、ごめんなさい。私は行きます」

「ああ……ああ。行くがいい。行ってしまえ。どこへなりと」


 お父様の顔がくしゃりと歪みました。

 それは、笑っているようで、泣いているようで、そしてそのどちらにも見えました。


「子供はいつか巣立つものだ。巣立ってしまうものだ。そして、そうして、それを見送ってはじめて、ようやく大人になれるのかもしれない」


 ぎゅうと抱きしめる腕は力強くて、でも泣き出しそうになるほど暖かくて、そして小さく震えていました。

 私もその背を一度強く抱きしめ返して、それから、どちらともなく離れていきました。


 さよなら、子供だった私。

 冬の良く晴れた日。それが、巣立ちの日でした。






用語解説


・海水の瓶

 人体はそれなりの電気抵抗を持つが、水に濡れている状態だとかなり低下する。

 通常の水よりも電気を通しやすい海水で濡れていればなおさらである。

 単品だと一番安全なのに、完全に殺すつもりの組み合わせである。


・巣立ち

 子供はいつか親離れしなくてはならないが、親もまたいつか子離れしなくてはならない。

 それは独立であるが、別離ではない。

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