第五話 鉄砲百合の意地

前回のあらすじ

男の娘だったクナーボ。

色々な意味で甘く見てはいけないようだ。






 あたしが投げるナイフのことごとくが、正確無比な矢に射貫かれては落ちていく。

 いや、矢をつがえて、構えて、射るという工程を考えれば、投げるという一工程のあたしよりも、実際的なその速度は遥かに上回ることになる。

 あたしは恐ろしい勢いで矢が襲ってくるのを、かろうじてナイフで抑え込んでいるにすぎないのかもしれない。


 ナイフを投げる。矢に防がれる。

 矢が襲ってくる。ナイフで弾く。


 もはやどちらが先でどちらが後なのかわかったもんじゃない。


 投げる、防ぐ、襲う、弾く。一連のやり取りが、一瞬のうちに幾度も繰り返される。

 そしてそのどれか一つでも外せば、致命打があたしの体に間違いなく突き刺さったことだろう。

 クナーボの小さな体は短所などではなかった。

 小さな手は恐ろしく滑らかに、矢をつがえ、構え、射る。その一連の流れは殆ど一工程と思わせるほどに小さく折りたたまれており、その折りたたまれたものが解放された瞬間、あたしの目の前には二重三重に矢が迫っている。短い手は、つまり回転が速いということだ。

 これは一朝一夕の技ではなかった。


 恐ろしく強い素材で作られた短弓は、どれだけ酷使されても揺るぐことなく正確な矢を放ち続けてくる。

 軽くしなやかな矢は、あたしの曲芸じみた投擲に合わせるように、平然と曲射を射かけてくる。

 町娘風に見えたあの衣装は、そのどれか一つをとっても、クナーボの射をまったく邪魔しないように計算されていた。


 そしてまた小さな体というものが、あたしからしてみれば厄介だった。

 向こうからしても同じことだろうけれど、的が小さければ中てるのにはそれだけ気を遣う。

 だけど向こうとこちらじゃ違うところもある。距離だ。距離が敵だ。

 あたしが腕の力だけで、工夫したって腰の力を入れて投げてようやく届かせるところを、クナーボの弓はたやすく届かせる。いやらしい距離だ。メザーガ・ブランクハーラ、とんだ狸だ。


 あたしが距離を詰めようとすれば、それだけクナーボの矢は厳しくなる。

 あたしが無理をして詰めようとすれば、クナーボはほんの少し後ろに引くだけで事が済む。

 クナーボがほんの一歩後ろに引いたその一足を、あたしはとんでもない労力で回復しなけりゃならない。

 これは全く公平ではなかった。


 つまり、まったく、いつもの事だった。


 あたしは諦める。

 あたしはこの勝負を諦める。


 投擲勝負は向こうの勝ちだ。


「なら、やり方を、変えるまで……!」


 三十二合目の矢とナイフの打ち合いを終えて、あたしは腰の狩猟刀を抜く。

 鉈よりは細いが、ナイフよりは大きい。

 取り回しのしやすい大きさで、あたしの手によくなじむ。


 それを片手に、あたしは一歩を踏み出す。

 瞬間、あたしの目の前には、すでにそこに置かれていたように矢が射掛けられる。

 恐ろしいほどに正確な精密射撃。

 恐ろしいほどに正確な未来予測。


 、あたしはそれをかわすことができる。


 首を僅かに傾げて一矢を避け、続く二矢を足さばき一つでかいくぐる。三矢が行く手を阻むなら狩猟刀で矢じりを狩り落とし、四矢が刀を射落とさんとするならば真っ向から迎え撃つ。


「な、あ、そん、な……っ!」


 五矢が頭を狙えば噛み砕き、六矢が胸を狙うなら掴み取る。七矢が八矢が九矢が十矢が、行く手を阻むならこれを一振りで切り捨てる。


「そんな、そんな……っ!」


 避けられるものは避ける。避けられなければ掴み取る。掴み取れなければ切り捨てる。切り捨てられなけりゃあとは中てられるだけだけど、生憎とあたしはそんなことは許さない。

 一歩踏み込めば一矢が、十歩踏み込めば十矢が襲い掛かるというのならば、なあに、たいしたことはない。彼我の距離はたかだか数十歩。ならばたかだか数十矢をかわす程度、辺境の武装女中にできない訳がない。


 いや。やらいでか。


「そんな、馬鹿みたいなことが……っ!」


 そりゃ、そうだ。

 射られた矢を、射られた後に避けるなんてのは、生半な事じゃ成し遂げられない。それを数十も繰り返すとなれば、それはもはや神業の域だ。

 この身がいまだ神の域に届かないとなれば、なればこそ、これこそ人の業。


「あら、寂しいこと言わないでよ」


 すでに三十二合も打ち合ったのだ。互いの癖など、とうに読めたことだろうに。


「まさか、まさかまさか……っ!」


 あたしは三十二合をかけてあたしの癖を覚えこませた。あたしの間違った癖を覚えこませた。そうしてその間に、あいつの癖を覚えた。あいつの正しい癖を覚えた。

 正確無比な精密射撃。

 正確無比な未来予測。

 そこにあらかじめ嘘を覚えこませておいたならば、あとは決まっている。


「嘘は暗殺者の領域よ……っ!」


 矢はもう中らない。中る場所にあたしはいない。

 矢の影を踏み、矢の影を潜り、矢の影を跳び、あたしと言う鉄砲玉は数十歩を駆け抜ける。


「そんな、馬鹿みたいな話が……っ!」

「そんな馬鹿みたいのが、冒険屋って言うんでしょうが!」


 するりと薙いだ狩猟刀の刃が、咄嗟に受けた弓の弦を断つ。

 ばつんと弾ける音がして、クナーボの膝が落ちた。


「さて……まだ続けるかしら?」




「ま、ひとまずは一勝目、おめでとうさん」

「一戦目から随分はめられた気がするわ」

「仕方ねえだろう。うちにゃお前さん方と組ませるのにちょうどいいのがそうそういないんでな」


 だからと言って、なんて言い訳するのは、冒険屋としても、武装女中としても格好悪いかしら。何せ苦戦した理由と言えば、事前に話したかわいい見た目の魔獣だから油断したってのと同じような話だもの。

 ま、油断してもきちんと勝ちをとってくるのがこのトルンペート様だけどね。


「トルンペート大人げなっ」

「子供いじめて喜んでますよあの人」

「あんたらね」


 傍から見てても凄まじかっただろうクナーボの矢は、正直もう一度相手したいとは思えない類のものだ。開始早々にあたしの油断が抜けて、そして相手にこちらの誘導にうまく乗ってくれる素直さがあったから拾えた勝ちであって、同じことをもう一度やっても勝てる自信はない。

 まあその時はその時ではまた別の勝ち方を探すだけだけれど。


「うぇああああ、負けちゃいましたおじさぁん!」

「泣くな泣くな、いや、泣いてもいいが鼻水つけんな」

「じゃあお嫁さんにしてください」

「開き直り早っ! しねえっつってんだろ!」

「じゃあお婿さんでもいいですからぁ!」

「この年で婿なんぞ取れるか!」


「あっちはあっちで勝っても負けても楽しそうでいいわね、全く」

「というか、クナーボってその、男の子だったんだ」

「あれ、言ってなかったでしたっけ」

「言われてないわよ」

「まあ別に大差ないじゃないですか」

「そうかしら?」

「………え、ていうか男の子がお嫁さんになるのってスルーして良い奴?」

「辺境じゃよくあることですよ。北部でも普通かと」

「帝国全土でいえば少ないかもしれないけど、女性同士の恋物語とか男性同士の恋の劇とか、一時期流行ったものねえ」

「ええ……じゃあクナーボが言ってるお婿さんにってのもありなの?」

「あー……メザーガがお嫁ですかあ……」

「そこはまあ、個人の幸福と言うやつじゃない?」

「見てる側としては?」

「それはそれでありかな、と」

「そうそう」

「私はもうちょっとこの世界に慣れないといけないみたいだ……」






・婿

 帝国では法律において、結婚する両者の性別を定めた条文はない。

 またいかなる種族間の結婚もこれを否定する条文はない。

 極論、法律には書いていないから木の股と結婚しようが両者の同意さえあれば問題はない。

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