第三話 亡霊と第一村人

前回のあらすじ


リリオが頑張って説明する回でした。

頑張りが結果を出すとは限らないが。





 揺れない地面というものがどれだけ素晴らしいものか、私たちは普段意識しない。

 それは当たり前のように存在し、当たり前のように与えられ、当たり前のように忘れていることだから。

 しかしいま、私はこの大地の確かさを改めて感じることで、自分がどれだけ恵まれているかを噛み締めていた。


 ああ素晴らしきかなの旅。


「ウルウがまたしてますね」

「うっさい」


 まあ、そろそろテンション下げていこうか。

 辺境特有の空の事情とやらで、竜車が飛行をやめて牽引に移ったおかげで、私は旅を旅として楽しめる体調まで復活したのだ。

 竜車の車窓から辺境旅情を噛み締めるように味わうのが今の私にできる最大限の旅の楽しみ方だ。


 リリオとトルンペートは、子爵さんが暇つぶしにいいだろうと言って寄越してくれたチェスみたいなゲームに勤しんでいる。

 帝国将棋シャーコとかいうゲームで、地方ごとに盤面の形や駒の種類、ルールが違うという代物で、お土産を買おうとお店を覗くと大抵置いてあるそうだ。

 三人でプレイできるものもあるらしいので、今度見つけたら買っておこうと思っているのだが、大体いつも忘れている。全てを覚えているということと、それを適切なタイミングで思い出せるということは全く別の問題なのだ。


 二人が遊んでいるのはモンテート版で、盤の真ん中あたりの色がグラデーションのように多色になっている。

 これはモンテート山を表していて、中心の色濃い部分ほど標高が高く、外側の色の薄い部分ほど標高が低いという扱いで、色ごとに標高ポイントとでもいうべき点数がついている。

 高価な盤だと標高を実際の高さで表現した立体的なものもあるとか。

 で、その点数次第で、駒の動かしやすさが変わるみたいだ。

 例えば、多分ポーンとかに当たる歩兵の駒は、標高が一段階違うマスには移動できる。でも二段階違うマスには移動できず、迂回するしかない。

 飛竜の駒は飛車や角行のように何マスも移動出来て、標高が何段階か違っても移動できるけど、その際は移動できる距離に制限を受ける。


 この標高システムは移動だけでなく、攻撃にも関わってくる。

 普通、飛竜の駒は歩兵の駒を攻撃できるけど、歩兵の駒は飛竜の駒に攻撃できない。でも歩兵の駒が飛竜の駒より高い標高にいるときは、隣接する飛竜の駒に攻撃ができる、とかね。

 基本的には高い位置にいる方が有利なので、手早く山の上の方に陣取ってから、相手の駒を取りながら降りていくというのが定石のように思える。


 ただ、ここで油断ならないのが伏せ駒というルールだ。

 チェスなんかと違って、帝国将棋シャーコではプレイヤーは自陣の中であれば好きなように駒を配置した状態でスタートできる。

 これを布陣というんだけど、この布陣を決めるときに、プレイヤーは盤面を表した図か、棋譜みたいな表記でどのマスにどの駒を配置するかを書いておく。これは相手には見せない。そして一部の特殊な駒は実際に盤面に乗せることなく、存在を隠したまま試合を開始できる。

 つまり、どこに置かれたのかわからない駒を隠した、伏兵戦ができるのだ。


 この駒は、相手の駒を攻撃するか、移動するときには姿を見せなければならない。そしてそれ以降は隠れられない。でもそれまではじっと息をひそめていられる。もしも相手の駒が気づかないままでそのマスを移動したら、奇襲が成功したということで相手の駒を取ることができる。

 できるというのが寛容で、奇襲を仕掛けず隠れたままでいるという選択もできる。いやらしい。

 また、相手側も、伏せ駒があるなと思った場所に攻撃を指示できる。伏せ駒を見事見破った場合は、奇襲に失敗、返り討ちにあったということで伏せ駒は取られてしまう。でも勘違いだった場合は空振りで手番はそこで終了、お手付きということで次の手番ではその駒を動かすことができなくなる。


 このあたりで大分複雑だと感じてたけど、さらに複雑にするルールがある。

 帝国将棋シャーコでは、全体の持ち駒の総数は決まっている。これは対戦相手との交渉である程度増減できるみたいだけど、お互い同じ数の駒を使う。

 この総数というのが面白いところで、ある程度の上限はあるけど、どの種類の駒を幾つ使うかを自分で好きに決められるのだ。

 例えば飛竜の駒ばっかり使ってもいいし、逆に飛竜を一つも使わず歩兵を増やしたっていい。

 トルンペートが武装女中の嗜みとして仕込んでいる雑談ネタの一つには、王将とかキングに当たる大将の駒以外すべて伏せ駒で布陣したプレイヤーの話とかもあったくらいだ。


 まあこの極端な例は、純粋な戦略とみなすよりは、帝国将棋シャーコを材料に用いたある種の表現みたいなところなんだろうけど。パフォーマンスだね。

 この人はそのパフォーマンスで帝国将棋シャーコ大会決勝戦を制したらしいけど。


 このほかにも駒ごとに特殊な能力があったりと戦略戦術戦法の幅が非常に広そうなので、私は誘われたけどしばらくけんに回っている。

 ある程度定石っぽいものを覚えておかないとろくな勝負にならないからね。

 私は負ける勝負は好きじゃないんだ。


 見た感じトルンペートの勝率が高いので、彼女の戦法を中心に覚えこんでる。

 飛竜は少なめで、歩兵と騎兵を自陣に広めに配置。で、伏せ駒が多い。

 リリオの多用する飛竜駒が勘と読みで伏せ駒をいぶり出している隙に、勾配の緩い外縁部を大回りして騎兵と歩兵がじわじわと敵陣を切り取りにかかる。

 焦って飛竜を向かわせようとすると、伏せ駒が途端に牙をむく。

 この二律背反に右往左往している間に、陸上部隊が大将を囲むか、切り札の飛竜が間隙を縫うかのように一気に追い詰めるという具合だ。

 勝敗はトルンペートが堅実に磨り潰すか、リリオの勘が冴えて一気呵成に攻め立てるかで決まる感じ。


 なんて、意外と白熱した試合を見せるもので、ついつい観戦に集中してしまった。

 目を休ませる意味も込めて外の景色を眺めてみるけど、いやはや、一面の銀世界っていうのは本当に目を奪われるものだね。

 何もかもが真っ白な雪に覆われて輪郭を失って、日差しを反射してきらきらと煌めいている。

 そのただただ真っ白な中にも、雪の下の地形や、木々を思わせる輪郭が淡く見て取れて、なんだかおもしろい。

 そして竜車が進むにつれて、その雪景色の中に人工物も紛れてくる。


 私が最初に気づいたのは、塔のようなものだった。

 雪に埋もれた平野に、ぽつんぽつんと点在するように、塔が建っているのだった。

 赤い、煉瓦造りの塔だろうか。真っ白な雪に半ば埋もれながら、それでもちゃんと丸い帽子みたいな屋根をそびえさせ、ひょこんと頭を出して伸び上がっている。

 造りはとてもシンプルで、のっぺりしていた。

 窓はない癖に、頑丈そうな扉が、なぜだか屋根のあたりとか、階段もない壁の真ん中とかに取り付けられているのだった。


「リリ、トルンペート」

「あによ」

「なんでいま言い直したんですかウルウ、私に聞いていいんですよ」

「あれ何」

「あれって何よ」

「さらっと流すの止めてもらえません?」


 私が窓の外を指さすと、二人はさりげなく盤をがたがた揺らしながら席を離れて窓の外を覗いた。あー、うん、接戦だったもんね。私が盤面覚えてるから元に戻せるんだけど。

 ともあれ、二人はしばらく私が指さすものが何なのか探るように小首をかしげていたけど、やはり気が利いて察しがいいのはトルンペートだった。


「ああ、貯蔵庫のこと? あの煉瓦の塔」

「さすトル」

「なんて?」

「さすがトルンペート」

「フムン。悪くないわね」


 ドヤ顔のトルンペートをなでりなでりしてあげ、改めて塔を見やる。

 貯蔵庫、か。普通の倉庫なら平屋建ての大きな建物を想像するんだけど、それとは別物っぽい。


「何を貯蔵する塔なの?」

「あれは」

「埋め草です!」

「……………」

「……………」

「家畜の餌にする牧草なんかをですね、雪の降らない時期にあの塔の中に貯め込むんですっ。すると積み重ねられた牧草が、中で発酵して、腐りづらくなるんですっ。それで冬場も保存できるんですっ。それが埋め草ですっ! どうです私もちゃーんと答えられますよ!」

「えーっと、さすリリ、さすリリ」

「そうね、さすリリ、さすリリ」

「むふー!」


 早口でまくし立ててドヤ顔決めてきたリリオを、二人でなでりなでりしてあげる。

 リリオはごまんぞくした。

 我々もごまんぞくした。


 しかし、なるほど。牧草の貯蔵庫か。

 そう言われてみると、なんか、北海道の絵葉書とかで見たなこんなの。

 なんかの観光名所なのかなと思ってたけど、実用的なものだったのか。

 とすると、あの造りも何らかの実用性があるのかな。

 塔状なのは、多分牧草を詰め込みやすくして、密閉しやすくするためだろう。

 屋根にある扉は牧草を上から詰め込むためのもので、段階的にいくつか取り付けられた扉は、中身を取り出すときに、その高さに応じて使う扉なのだろう。

 ごまんぞくしたリリオに代わって説明してくれたトルンペートによればそれで大体あっているようだった。


 しかしそうか。

 飼料貯蔵庫があるということは、ただただだだっ広い雪原に見えて、ここら辺は牧草地で、つまり人里が近いのだった。


 予想にたがわず、竜車は間もなく快速で村へとたどり着いた。

 雪ばっかりで比較対象がなかったので速度がいまいちわかっていなかったけれど、並の馬車よりよほど速いなこれ。

 もはや比較対象としての自動車とかの速度がいまいち思い出せなくなってきている自分が怖い。視覚情報としての速度は覚えてるは覚えてるけど、感覚としてピンと来なくなってきてる。


 竜車が止まり、降り立った村はほとんど雪に埋まっていた。

 最低限出入り口や主要な通り道は雪かきしてあるけど、ほとんど雪原から屋根だけ覗いているような有様だ。

 その屋根というのも、茅葺の背の高い三角屋根で、たしか合掌造りとかいったかな、それを思い出させる。

 家と家の間は、都会育ちの私からすると不安になるくらい広い。それほど戸数は多くないだろうに、点々と散らばっているので、なおさら村は広々と、そして寒々しく見えた。


 竜車を見つけた村人が口々に何かを言い合い、一人が一番大きな家に走っていってしばらく、毛皮をまとった壮年の男性が急ぎ足で駆けてきた。

 髪も髭もぼさぼさの伸び放題で、どこからが毛皮でどこからが地毛なのかわからないような有様で、それはほとんど雪男かイエティかといった風情だった。


 その雪男は私たちを前に、ほとんど跪きそうな勢いで深々と頭を下げた。

 マテンステロさんが気さくに顔を上げるように言わなかったら、本当に雪の中に突っ伏して平伏していたかもしれない。


「おおめんずらすなァよぐきてけだねし。こんげじゃいごだはんでてェしたおがめェもできねごっつあっどんばってぢくゎろさひィいれでらはんでなンぼがぬぎっごどあっがいわんつかぬぐまらさるべ。やンれすばれるべな。あずますぐねえばってわんだじんえさきてくんろ」


 ……………なんて?


 辺境訛りとかいうのも大概慣れてきたと思ったけど、今回はレベルが違った。

 自動翻訳チートさんが息してない。無茶しやがって。

 というかこれは本当に交易共通語リンガフランカなのか?

 フランス語とかじゃないのか。

 あんまり口開かないし、抑揚も全然ないし、切れるとこもわからないので、本当に何を言ってるかわからない。

 第一村人の第一発言がこれって厳しすぎないか。


 一応ちらっと横を見てみると、マテンステロさんはさっぱりわかってないみたいだけどいつも通り堂々としていて、リリオとトルンペートは一応わかるけど、と苦笑いしている感じだ。


「このあたりは辺境の中でもきつい北部訛りが色濃く残ってますからね。歓迎してくれてるようです。家に招待してくれると」

「成程……成程?」

「あたしもあれ解読するの相当時間かかったもの。しかたないわ」

「辺境人本当に意思疎通できてるの……?」

「辺境共通語があるじゃない」

「肉体言語はちょっと履修してないなあ」


 ともあれ、口だけでも歓迎してくれるならよかった。

 田舎の農村だし、冬場だし、本当なら余所者は歓迎したくないだろうからね。

 さすがは辺境伯の娘と奥さん効果。


 リリオに今の簡単な翻訳を聞いていると、マテンステロさんがトルンペートの通訳で、感謝を告げ、お土産にとたっぷり積んである火酒や蜂蜜酒メディトリンコの箱を差し出していた。

 領主の奥さんに土産までもらってまたもや平伏しそうになっているあたり、いくら辺境では貴族と平民の距離が近いとはいえ、かなりの御威光っぽい。


「彼はこのココネーヨ村の村長をしている、郷士ヒダールゴのトラヴィントラードさんですね。普通の平民より貴族に近い分、畏れも多く感じているんでしょう」


 郷士ヒダールゴといえば、いつだったか寄った温泉街のある、東部のレモの町も郷士ヒダールゴが治めているんだったか。貴族じゃないけど、貴族から任命されて代官として領地を治めている一代貴族。実際はほぼ世襲らしいけど。

 郷士ヒダールゴっていうことは、こう見えてある程度領地が広いのかな。もしくは辺境という土地自体が、広さに対して人間が少なすぎて、その上雪でも閉ざされるから、点々と郷士ヒダールゴを置いてるのかも。

 まあそのあたりのシステムはよくわからない。


「ココネーヨ村は農業もしますけれど、養蚕と楓が有名ですね」

「養蚕はともかく、楓?」

「ええ、楓です。砂糖の木とも呼ばれる、甘い樹液を出す楓があるんですよ。南部で甘蔗スルケカーノが、北部で甜菜スケルベートが、西部で竜舌蘭アガーヴォ、東部では蜂蜜といった甘味がある中、辺境では楓から蜜や砂糖を取るんです」


 成程。メープルシロップみたいな感じだろう。

 原産地ともなれば素敵なスイーツを期待してもいいのかもしれない。

 などと言う考えが顔に出たのか、リリオが複雑な顔をした。


「……なにさ?」

「期待しない方がいいというか、覚悟した方がいいというか」

「待って待って待ってなんか怖い話してない?」

「まあこれも旅の醍醐味と思って……」

「怖い怖い怖い」


 なにやら妙に脅されながら、私は辺境の村を訪れたのだった。





用語解説


・貯蔵庫

 サイロ。適度に水分量を調整した牧草などを貯蔵し、密閉された内部で乳酸発酵させる。

 このあたりで見られるのは塔型サイロのようだ。


・埋め草

 サイレージ。サイロで乳酸発酵された牧草。飼料として用いられる。


・「おおめんずらすなァよぐきてけだねし。こんげじゃいごだはんでてェしたおがめェもできねごっつあっどんばってぢくゎろさひィいれでらはんでなンぼがぬぎっごどあっがいわんつかぬぐまらさるべ。やンれすばれるべな。あずますぐねえばってわんだじんえさきてくんろ」

(意訳:「おお、お久しぶりですな。よくいらっしゃいました。こんな在郷(いなか)なもので大したおかまいもできないのですけれど、囲炉裏に火を入れていまして、いくらか暖かいですから、少しは暖を取ることができるでしょう。やれやれ寒いですな。あまり居心地の良いところではありませんが、私どもの家に来てください」)


・ココネーヨ村(La Kokonejo)

 ここにあるのかないのかココネーヨ村。

 フロント辺境伯では有り触れた農村形態。

 広い農地、牧草地があり、羊や牛を飼い、養蚕と楓の蜜取りをする。

 辺境伯領の常として人口の割にかなり広い範囲を含んでおり、住民より家畜の方が多いなどと揶揄されることも。


・トラヴィントラード(Travintrado)

 ココネーヨ村を治める郷士ヒダールゴ

 冬場は髪も髭も伸ばしっぱなしで雪男のようだが、夏場はさっぱりと刈り上げて十は若返って見えるとか。

 特技は物真似で、鳥や獣の鳴き声を模写して狩りに役立てている。

 また宴会では村民物真似百連発が爆笑必至の持ちネタとして披露されている。


甘蔗スケルカーノ(Sukerkano)

 サトウキビ。主に南部で栽培されている。

 帝国に出回る砂糖は南部の甘蔗スケルカーノと北部の甜菜スケルベートでほぼ二分されており、シェアを奪い合っている。


甜菜スケルベート(Sukerbeto)

 テンサイ。サトウダイコン。主に北部と辺境の一部で栽培されている。

 帝国に出回る砂糖は北部の甜菜スケルベートと南部の甘蔗スケルカーノでほぼ二分されており、シェアを奪い合っている。


竜舌蘭アガーヴォ

 リュウゼツラン。サボテンと一緒くたにされることもあるが、別物。

 テキーラなど、蒸留酒の材料になる。甘いシロップも取れる。

 竜の舌がこんな形だったら、口内炎がひどいことになるだろう。


・楓

 ここでは大糖蜜楓メガミエラチェロのこと。


大糖蜜楓メガミエラチェロ(Megamielacero)

 オオトウミツカエデ。

 砂糖楓スケラツェロ(Sukeracero)の別名ではなく別種の楓。

 辺境及び境の森の一部に自生。

 平均樹高八十メートル、平均幹周三十メートル。

 秋には赤く紅葉する落葉広葉樹。

 木材は重厚で頑強。家屋や家具などにもよく用いられる。

 樹液を煮詰めた糖蜜、砂糖などが貴重な糖分源、エネルギー源として広く活用されている。

 砂糖楓スケラツェロよりも樹液が濃く甘い。またミネラルなど栄養価も高い。

 大糖蜜楓メガミエラチェロの森林には樹液を狙う動物や昆虫が数多く生息し、蜜の収穫は時に命がけとなる時もある。


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