後日談 ー夫婦のとある準備編ー
後日談1.「――本当の妻として」
「チヒロさん。あなたのことを、愛しています。……私と、結婚してくれませんか」
零れた想いを口にして、すぐに、ハタノはいかに自分が馬鹿なことを口走ってるかを悟る。
――自分は、何を言っている?
彼女に対し、己の気持ちを秘めておこうと思った、その矢先に……
何を馬鹿なことを告げているのか。
言葉の意味を理解し、遅れて、身体がじんわりと熱くなる。
ハタノは自分ですら理解できないまま混乱し、どくんどくんと心音が脈打ち、心底から突き上げられるような熱を帯び。
自分が、自分でないかのような目眩を覚えて、頭を抱える。
どうしよう。
どうしよう。
「……旦那様」
「は、い」
ハタノは固まり、喉が干上がるように渇いて――
「私達は、すでに結婚しております」
「……っ、あ。はい」
そうだった。
今さら何を言ってるんだ、自分は?
結婚するも何も、ハタノは既に結婚どころか契りを交わし、生活をともにしているではないか。
今さらヘンな話をしてしまった、と、ハタノは急に恥ずかしくなり、妻から目線を逸らして俯いた。
ばか。自分の、ばか。
「すみません。忘れてください。いまのは、忘れてください……」
何だ、この恋愛小説に出てくる三文芝居みたいなやりとりは。
こんなのは自分じゃない。
自分らしくないと首を振り、今の話は忘れてくださいと仕草で告げる。
が、肝心のチヒロは無表情のまま、旦那を見つめて固まっていた。
「……?」
羞恥に悶えながらも、ハタノがそろりと顔を上げると。
……新妻はハタノの手を取ったまま彫像のように動かず、けれどその背中からは、最近コントロールできるようになったはずの翼が、パタパタとはためいている。
「……チヒロさん?」
「はい。チヒロです」
「だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫です。チヒロです」
「いや、大丈夫じゃないですよね……? どうか、しましたか?」
「すみません。いま私は、自分がどうしたら良いのか、まるで分からなくなりました」
単調な口調に反してチヒロの頬は熱を帯び、竜魔力がぐるぐると渦巻いているのを感じる。
よく見れば、その瞳もぐるぐると泳いでいるかのように混乱し、むしろ混乱しすぎて自分でなにを言っているのか分からない……ように見えるのは、気のせいだろうか。
「旦那様」
「はい」
「私たちは既に結婚しておりますゆえ、もう一度結婚することはできません」
「ええ」
「なので結婚いたしましょう」
「チヒロさん!? だ、大丈夫ですか? 会話が繋がってませんが」
治癒の後遺症が、遅れてやってきたのか。
冷静なチヒロが、こうも取り乱すのは珍しい。
もしや体調不良かと疑っていると、彼女がそろりと立ち上がろうとし――、バランスを崩して、ふらつく。
「っ、と」
彼女を慌てて、支える。
その瞳が、ごく自然に交錯し――吸い込まれる。
目の前にいるのは、ごく普通の、いつものチヒロさん。
昨日とおなじ、チヒロさん。
だというのに、ハタノは困ったことに――妻が、いつもの妻なのに、何かとてつもなく可愛い生き物にでも変貌してしまったかのように愛らしく見え、目をそらすことすら出来ずかちかちに固まってしまう。
……おかしい。
うちの妻は。
果たして、こんなにも可愛かった、だろうか?
そのまま夫婦は固まり、身動きひとつできず――
ようやく、チヒロが「旦那様」と囁き。
……ハタノの身体に寄りかかるように、おでこをもそりと擦り。
そのまま、とん、と、押し倒された。
床に倒れ込んだハタノに、チヒロはそのまますり寄るように――身体を滑らせ馬乗りになる。
とくん、と。
心臓が再び高鳴るハタノの、全てを見通さんとばかりに、その白い指先をするりと伸ばし。
ハタノの胸元に、手を当てる。
妻がもぞもぞと甘えるように揺らぎ、ハタノの身体を、そろりと指先でなぞっていく。
「旦那様」
「は、い」
「……私は、不器用な女なので。他人の意を正しく理解できたかは、分かりません。ただ、旦那様の言わんとしたことは、おそらく、理解できている、と、思います」
「……すみません。その。言うつもりでは……」
「旦那様。――旦那様が治癒院の長を受けられた理由は、私のためでしょう?」
不意の一撃に返事が遅れ、それが、そのまま答えとなった。
チヒロの瞳が、薄く、研ぎ澄まされたように細くなる。
「雷帝様の命とはいえ、旦那様が一言も言わず引き受けた理由を考えましたら、分かります。……帝都中央治癒院の、院長。決して軽い立場ではありません」
「はい。ですが、それは私自身が選んだ道です。チヒロさんが負担に思うことは、ありません」
これから、ハタノには様々な難題が降りかかるだろう。
ただの治癒師であった時には、考えられなかったようなプレッシャー。
けど、その道を受け入れたのは自分自身。
愛する妻を守る、という己の意思を貫くために掴んだ道であり、ハタノ自身が責任をもって背負うべきもの。
そろりと、チヒロの指先が旦那の首筋に触れる。
後ろ髪をさらりと撫でられ、くすぐったさに、どきりとする。
「すみません。また、ご迷惑をおかけしてしまって」
「いえ。これは私が選んだことですから、チヒロさんが悩む必要は――」
「けど、困ったことに。いまの私は……旦那様の選択を、とて嬉しく思っています」
「……チヒロさんが、嬉しい?」
負担に思うのでは、と、考えていたが――
チヒロがふふ、と、優しく笑う。
「ご迷惑をおかけしていることは、十二分に理解しています。その上で――それでも。旦那様がそのような選択を、私のためにしてくださったという気持ちそのものが、私を満たしてくれるのです」
「……チヒロさん」
「勇者らしからぬ、罪深い女の……悪い喜び方かも、しれません」
くすっと笑う妻の声に、全身の血がたぎる。
その返事だけで、ハタノはもう十分に、救われた。
――愛しい妻を守るため、帝都治癒院の院長でも、何でもやってやろう、と。
ハタノらしくない馬鹿みたいなエネルギーがあふれ、暴走したように頭の中を駆け巡る。
狂おしい熱を暴走させるハタノに、チヒロはゆるりと笑いながら。
ハタノに、しなだれかかるように……袖を揺らし、するりと寝転ぶように抱きついてきた。
その耳元で、
「旦那様。私は勇者なので、旦那様のご期待に応えられるかは、分かりません。……ただ、それでも私は、いまの旦那様のことを愛おしく思いますし、私もまた、出来うるかぎり旦那様のために尽くしたいと思います」
「……チヒロさん」
「ですので、私からも言わせてください。――愛しています、旦那様。よろしければ、結婚してくれませんか」
求められるような求婚。
ハタノはもうこれ以上高ぶることのないと思ってた熱がさらに高まり、目眩がしそうになる。
そんなハタノを見やり、ふふ、とチヒロが妖艶に笑い。
「旦那様。……ここは、床が冷たいですよ。せめて、ベッドにいきませんか」
そう誘ってきた新妻を、――ハタノは乱暴に抱き寄せた。
なだらかな銀髪を掴み、小さな妻の身体をもう離さないぞと目一杯に抱きしめる。
「っ……旦那様?」
「確かに、床は冷たいです。ですが、チヒロさんの身体が熱くて、そんなことは気にならなくなりました。……すみませんが、ベッドまで行く時間が惜しくて」
妻に上を取られたまま、馬鹿なことを囁いてるなと思う。
愚かな人間だと思う。
けど、恋は盲目という言葉の通り、ハタノもバカになってしまった。
いや、妻に狂わされたと言うべきか――それでも構わない。
だって、自分の側には妻がいる。
愛おしい妻チヒロがいて、チヒロさんもまた、自分と同じような想いを抱いている――それだけで、もう。
「すみません。今は、どうしても離したくないのです」
我慢せず告げると、妻チヒロはほんのりと淡い唇をゆるめ。
全てを受け入れるように、ハタノに頬ずりをした。
幸せそうに潤んだ艶のある瞳から、旦那はもう、目が離せない。
「旦那様。私は草しか食べぬ妻ではございますが。叶うのであれば、今暫く――あなたのお側に居させて貰えませんでしょうか。――ただの業務関係だけに留まらない、本当の妻として」
妻の願いに、ハタノは返答の代わりとばかりに、妻の髪をさらりと撫でる。
その頭に優しく触れ、自らの唇へと近づけるよう、身体を寄せる。
妻の小さな涙とともに触れた感触は、今まで幾度となく繰り返した口づけよりも、甘く切ない、幸せの味がして――
ハタノはもう一度、彼女の身体を愛おしげに抱きしめた。
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