1-5.「……空気の読めない子で、すみません……」

「旦那様。基本的な質問で、恐縮ですが……”才”を、医学でなんとかすることは可能なのですか?」

「基本的には、無理です」


 今後の相談を行い、そろそろハタノも休もうかと思った頃、チヒロが尋ねてきた。


 ”才”の強さを決定づけるのは、主に遺伝だ。

 異世界から訪れた少女、サクラが何故その因子を持っていたかは不明だが……基本的に“才”は特定の臓器が作用して力を与えているわけではなく、身体に刻まれた特性だ。


 その”才”を治癒……改造するとは、男を無理やり女にするようなものだろう。


「実を言いますと、帝国に限らず多くの国々で”才”を改良できないかという実験は行われてきました。が、眉唾物の成功例はあっても、この世界で体系化された治癒法は存在しない、というのが現時点の解答です」

「旦那様の持っている知識でも、難しいのでしょうか?」

「私の知る医学に、人間をべつの人間に作り替える技術はありません」


 遺伝子操作という言葉自体は、ハタノも別世界の知識で知っている。

 が、既に生まれた人間の性質を操作し、別の存在に変えてしまうことは難しい。


 また、向こうの世界にはそもそも魔法や魔力、才の概念がない。

 事実上、不可能とみてよいだろう。


「ですので、”才”そのものの治療……治療という言い方も不自然ですが、それを修正することは不可能です。――しかし、代わりに、”才”を操る”魔力”そのものについては、多少融通が利く可能性があります」

「そうなのですか? しかし私の知る限り、魔力を増減させる手術も、私は耳にしませんが……」


 人間の体内には、魔力を貯蔵する専用の臓器は存在しない。

 実際には全身の血液中に魔力が含まれていると考えられており、魔力を消費すると酸欠や意識朦朧といった状態に陥ることはよく知られている。

 よって魔力を制限するとは、当人の血液を減らすようなものだが……。


「チヒロさんの仰ることは、正しいです。……ただそれは、一般的な人間であれば、の話です」

「と、いいますと?」

「サクラさんはこの世界の人間と比較しても、規格外の魔力をお持ちです。それこそ雷帝様に肩を並べるか、或いはそれ以上の……つまり”極才”級の力がある。そして”極才”級の魔力を持つ人間には、普通の人には存在し得ない魔力貯蓄臓器があるのでは、と、私は推測しています」


 あくまで推測ですが、とハタノは妻に語りつつ。

 この先の話は、じつは、少々照れくさいのだが……と、視線を逸らして。


「この推測を得た根拠は、チヒロさんだったりします」

「私、ですか」

「ええ。現在のチヒロさんは、人間には持ち得ない竜魔力を所持しています。そして、その魔力の根源は、チヒロさんに移植した”竜核”です」


 チヒロの瞳に、理解の色が広がる。

 話が早くて助かるなあ、と、ハタノはひとつ息をついて。


「通常の人間には、蓄えられる魔力の限界がありますし、過剰に魔力を取ってしまうと逆に体調を崩します。しかし”極才”と呼ばれる才の持ち主達は、その保持魔力の量から考えても、身体構造からして違う可能性が高い。……そもそも雷帝様といい城帝様といい、人としての姿を変えてしまうことすら可能な方々です。常識が通じるとは思いません」


 その身を雷の獅子に、あるいは帝都魔城そのものに変化させてしまう、究極の力。

 人間としては規格外だが、だからこそ、付け入る隙がある。


「まあ実際に、サクラさんの体内がどうなっているかは、今後の検証次第ですが」


 そこまで一通り話し終え、ハタノは大きく息をつく。

 ……推論に推論を重ねた話だが、それが今考えられるハタノの限界だ。


 と、ハタノは論理を一通り並べ尽くすと。

 チヒロが「お疲れ様でした」と、ハタノへ労るように微笑んだ後、そっと睫を落としてしまう。


「お話は理解しました、旦那様。しかし……サクラさんの年頃を考えますと、とても、過酷な話ですね」

「ええ。ですが、やるしかありません」


 ハタノとて、未だ十歳になった頃の少女に向かって、命を賭けた治癒をします、とは言いたくない。

 極才だの帝国の未来だの、といった話をしたくもない。


 が、現実は待つことを許してくれない。

 才と魔力は、年齢とともに成長する――サクラをこのまま放置すれば、いずれ世界の脅威となる。

 となれば雷帝様に限らず、世界の全てが許さないだろう。


 病だって、同じ。

 人の年齢に、病気が遠慮してくれることはないのだから。


「……今回も結局、旦那様が頼り、なのですね」

「まあ仕事ですからね。医学的な面については、私の方で考えます」

「それはまあ、仕方ないと分かっているのですが……」


 チヒロの眉が曇ったのは、自身の無力感を覚えて、だろう。

 そこは専門分野の違いだし、そもそも世の中、母親がどんなに心配しても治療については医者任せにするしかない。


 ハタノは妻の手をさすり、ゆるりと微笑む。


「心配しないでください……とは、言えません。でも、これは私の仕事なので。出来る限りのことは致しますよ」

「……旦那様」

「それに、今回の治癒には、チヒロさんにも心添えを頂きたいと思います」

「……私に?」

「ええ。私ではやはり、サクラさんに優しく応じることは難しくなるでしょうから」


 ハタノは彼女の父親役であるが、同時に、治癒師だ。

 治癒師として、冷酷な事実を伝えなければならない時も来るだろう。


 そんなとき、サクラの心の支えとして、チヒロさんに居て欲しいなと、ハタノは思う。


「さきほど一緒にけん玉をしてあげたような、些細なことで良いのです。彼女が悩んでいる時に、チヒロさんが励まし、支えてあげてください」

「……私みたいな、不器用な女に出来ますでしょうか?」

「大丈夫です。チヒロさんは不器用なところはありますが、愛情深く、情熱的な方ですから」


 チヒロの銀髪をさらりと撫で、ハタノは笑う。

 妻自身は、自分のことを可愛げのない女だと思っているが……ハタノから見れば彼女ほど美しく愛おしく、熱のある女性などいない。


 多くの者が”血染めのチヒロ”と呼ぶ冷たさは、彼女が一生懸命に仕事をした証であり――その冷たさすら、彼女の優しさだと、今のハタノは理解している。

 でなければ、ハタノが彼女にここまで惹かれる理由がないのだから。


「チヒロさん。今回の治癒は、二人で行いましょう。技術的な面だけでなく、精神的な面でも、大きな支えが必要です。雷帝様がどこまで考えて仰ったかは分かりませんが、不器用な夫婦なりに、一緒に行っていければなと」

「……旦那様が、そう仰るのなら」


 頬を撫でられたままの、チヒロの唇が、ゆるりと緩む。

 その瞳に柔らかな熱が宿ったのを見て、ハタノもふふっとつい綻んでしまった。


 やはり、妻は笑っているときが一番可愛いらしい。

 まあそれ以外の時も可愛いし、可愛いし、可愛いのだけど。


 ……それにしても、本当。

 こうやって妻の顔をゆるりと見れる、それだけで胸の内にじんわりと温かいものが広がるのだから、妻というのは不思議な存在だ。

 ハタノは愛おしさを込めた眼差しで、チヒロを撫でながら。


「私がこうして素直に頼れるのも、チヒロさんのお陰です。いつも、ありがとうございます」

「いえ。私の方こそ、旦那様には助けられてばかりで。今回も、よろしくお願いします」


 チヒロが感謝を告げた後、じっとハタノを見つめてきた。


 ぱちりと、視線が交わる。

 ハタノは一瞬ドキリとしつつも、夫婦としての経験が……彼女の瞳に混じる淡い熱を、きちんと、捕らえる。


 彼女に触れた指先が、ほのかな熱を宿した気がした。

 その熱は無意識のうちにハタノを絡め取り、慌てて手を離そうとした――その手を、チヒロにそっと抑えられる。


 見れば。

 妻がやんわりと、ハタノに求めるような、潤んだ眼差しを向けていて。


 ハタノが気づいたことに、チヒロも気づいたのだろう。

 初雪のようにきれいな妻の頬がうっすらと朱に染まり、静かに、ハタノの襟元へと指先を伸ばしていく。


 ……子供と向き合う時間は、大切だ。

 けれど二人は夫婦であり、夫婦には夫婦の時間がある。

 帝国より与えられた使命、という建前の元で交わされる、大切な夜のコミュニケーション。

 ……と同時に、二人が将来、本物の子を宿すために行う行為であり、愛の証――


「チヒロさん」

「旦那様……」


 気づけば、チヒロさんが全てを受け入れるように、ちいさく顎をあげてハタノのことを待っていた。

 その薄く閉じた睫は、今日も愛おしく。

 彼女ほど魅力的な女性が自分の妻であることを、ハタノは本当に嬉しく思いながら、柔らかな唇へいつものように口づけを落とそうとして――




 カチャッ




 夫婦揃って飛び上がる。

 振り返れば、リビングに繋がる子供部屋から……そろりと申し訳なさそうにサクラが顔を覗かせ、ぺこりと頭を下げていた。


「……すみません。お手洗いに行きたくて……」

「ああ、うん。どうぞ、サクラさん」

「すみません、すみません」


 何度も頭を下げるサクラに、そんなに謝らなくてもいいですよ、と、ハタノは彼女を励ます。

 確かに私達は仮初の家族ではありますが、お手洗いひとつに遠慮することなんて――



「……空気の読めない子で、すみません……」


「「――――」」


「…………。……つ、続き、どうぞ……私、なにも、見てない、ので」


 そう言い残すなり。

 サクラは顔を真っ赤にしながらパタパタと、駆け込むように、備え付けのお手洗いへと走っていく。


 残されたハタノはじつに気まずく、目頭を押さえ。

 対するチヒロも、かあっと顔を真っ赤にしながら俯いてしまった。


 ……さすがに、子供がいる前でキスだのそれ以上だのする訳にはいかない。

 っていうか、自宅とはいえリビングで堂々と口づけとは、自分も随分と恥じらいを失ってしまったものだ、とハタノは恥ずかしさに悶絶しながら。


「チヒロさん。情操教育的なことも含め、子供の前でこういうことは控えましょう」

「え、ええ。私も油断していました……というより旦那様。もしかして私達、いままで人の目がなかったから良かっただけで、ところ構わずしていたのは問題だったのでしょうか……?」

「かも、しれません。たまに雷帝様から、なぜか、お前ら夫婦は熱すぎて叶わんと言われますし」


 あれの意味が全く分からなかったが、もしかして、こういう意味だろうか?


「まあ、何にせよ今日は止め……あ、いえ」


 うん。

 止める、という表現ではなく、その。


「止める……というか。続きはサクラさんが寝付いたあと、寝室で、きちんと、ね」


 あえて言葉を濁すハタノに対し、真っ赤になりながら、はい、と頷くチヒロ。

 お互いまだまだ未熟な夫婦だなぁ、と自責の念を抱きながら。


 今後、少なくともリビングで妻に手を出すのは止めよう……と、心に誓うハタノであった。





――――――――――――――――――――

作者が異世界へ旅行中のため、コメントへの返信が遅れます。

ご了承くださいませ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る