4-1.「じつは私も最近、同じことを考えていました」
それからの半年間は、ハタノにとって比較的平穏な日々が続いた。
といっても、己や妻の生死に関わる事件がなかっただけで、仕事は相変わらず山積みだ。
「ちょっと、院長ー!?」
治癒師ミカに呼ばれ、ハタノははいはいと救急室へと足を運ぶ。
宝玉事件以降、ハタノは何故か他の治癒師から「院長としての箔がある」と言われるようになったが、ミカの態度は相変わらずなため、院内で唯一院長にタメ口できる女として恐れられているらしい。
ちなみにシィラの方は、なぜか裏院長(?)と呼ばれているらしい。……こっちもなぜか恐れられていると聞くので、不思議なものだとハタノは思う。
ハタノは患者を一瞥。
いつも通り丁寧に魔力精査を行い、治針を取り出す。
院長という地位は、治癒の過程に何ら影響は与えない。
患者と向き合うときは相変わらず平凡な一治癒師であり、ハタノの治癒は完璧でない――故に、丁寧に治癒を行う。
「これで大丈夫でしょう」
「ありがとうございます、院長!」
若い治癒師に頭を下げられ、いえ、とハタノは遠慮がちに笑う。
最近、若い治癒師から、ハタノやシィラの医学を学びたいという声が大きくなった。
有難いことだが、実際のところ手が回っていないのもあり、後任の育成は相変わらず大きな課題だ。
「サクラさんの件を抜きにしても、将来を見据えた方針を打ち出さなければいけませんね」
一人呟きながら、ハタノは将来について考え始める。
当然の話だが、ハタノの仕事は現場医療だけではない。
帝都中央治癒院の今後や、人事の問題、上層部との折衝、そして院内の人間関係――
「ですから、エリザベラ教授。己の修行のためにと、患者のえり好みをしてはいけません」
「えーでもハタノ、やっぱ難しい患者相手にした方がいいでしょ!? ザコ患者相手じゃつまんないし」
「その考えは大変危ういので止めてください。……それに実際のところ、普通の患者さんをえり好みせず診た方が、いい症例に当たりますよ」
「そうなの?」
「ええ。99%の一般的な症例のなかに、残り1%の希少な症例があるんです。専門の科を確立するならともかく、一般的な治癒師としての実力を高めたいなら、数をこなす方が強くなります。……あと、ネイ教授もたまには治癒を」
相変わらず元気なエリザベラ教授を宥めつつ、ハタノは隣の眼鏡教授にも一声。
特級治癒師は皆、実力はあるのだが、揃いも揃ってマイペースなのが傷というか……。
と、ハタノが頭を抱える前で、大柄のホルス教授が席を立った。
「では、拙者は定時なので帰宅させて頂くでござる」
「ホルス教授。これは私の独り言ですが、次期院長とかやりませんか? 正直、一番話が通じるのがあなたなのですが」
「はっはっは。院長はずいぶんと面白い冗談を仰りますな。では失礼」
と、ホルス教授は最愛の妻子とティータイムを楽しむべく帰宅してしまった。
あの人、仕事押しつけたら意外と逃げずに働くんだけどなあ、と邪なことを考えつつ、溜息をつくハタノ。
……本当に、課題は山積みだ。
帝都中央治癒院以外の、治癒師不足問題。
当院の治癒師を派遣するにしても地方は嫌がる者も多く、勝手に左遷扱いされたりと面倒事は多い。
それに、後進の治癒師への教育もまだまだ不十分だ。
ハタノは正直詳しくないが、経営の問題もあり――
ううむ、とハタノは手元の資料を睨みつつ、どうしたものか……と、対面の席を伺う。
ワガママ教授二名と、定時帰宅教授を除いた、最後の砦。
この帝都中央に最も詳しく、ハタノにとってある意味もっとも頼れる相談相手は、しかし、困り果てるハタノを見つめてにやりと笑う。
「私に頼るなよ、ハタノ。今の院長は貴様だ、せいぜい苦しむがいい」
「ガイレス教授。そこを何とか」
「知らん。そもそも私は古い治癒師だからな、柔軟なアイデアは貴様の方が出せるだろう? それに私は貴様が嫌いだからな、貴様が悩んでるのを見ていると、大変に愉快だ」
「またそういうことを仰る……」
相変わらず目の敵にされているらしい。
昔の因縁はあるが、最近はちょっとはいい関係になったと思ったのだが……。
ふん、と鼻で笑いつつ、腕組みをするガイレス教授。
「もっとも、改革などそう容易く出来ることではない。人間には何事も、出来る限界があるからな」
「まあ、それは確かに」
「それに、ハタノ。貴様の教育の成果も徐々に出ているだろう? 若い治癒師に、貴様の治癒方針が伝わってきているのは私も感じる。……それを受けて、先輩方にも宗派を改める連中が出始めた。この調子でいけば、私を含んだ古い治癒法しか知らぬ者は、十年も経たず一掃されるだろう」
確かにガイレス教授の言う通り、帝都中央治癒院の空気は大きく変わった。
とくに宝玉事件で無力さを痛感した者の意識変化が大きく、主流派、という呼び方は嫌だが、ハタノ派が増えつつあるのは確かだ。
――それでもまだ、足りないのだが。
「……ミカさんのように、治癒魔法が使えずとも、知識があるだけでも大分変わるのですが」
「なら、野良の四級治癒師でも呼べば良いだろうが」
「それも考えてはいるのですが、三級四級も決して多くはなく……」
と、ハタノは唐突に気づいた。
そうだ。知識で医療を補えるのであれば、そもそも治癒魔法が一切使えなくても、良いのでは?
帝都中央治癒院にて治癒に携わるには、最低、四級治癒師以上の”才”が必要と義務づけられている。
治癒行為を行うのは、二級以上。
さらに上級治癒師として認められるには一級以上が必要となるが、その制約を取っ払えば――
「ガイレス教授。治癒魔法が使えないスタッフを入職させることは可能でしょうか」
「は?」
「治癒師の魔法は求めません。しかし看護や介護といった、知識と力仕事でフォローできるスタッフで治癒師の補助を行うことで、治癒師自身の負担を軽減することも可能ではないか、と」
「バカか貴様。それで患者が納得するか?」
「今の常識では、無理でしょう。しかし丁寧に説明し、法を変えることが出来れば、不可能ではないはずです」
業務のタスクシフト。
治癒師の業務を他職種に振り分けることで、実質的な業務負担の軽減を図れないか――ハタノは眉間に指先をぐりぐりと当て、じっと考え込んだ。
*
そうして心身ともに疲れながら帰宅すると、最愛の妻に微笑まれながら、家庭の相談をされた。
「学舎、ですか? サクラさんの?」
「はい。二月ほど前から話を進めていたのですが、実はホルス教授の娘さんとサクラさんが同い年だと知りまして」
チヒロから切り出されたのは、サクラを帝都指定の学舎に通わせてはどうか? という話だ。
もちろん安全上の問題や、本人の魔力コントロールなど課題は山積みだが、だからといって帝都魔城の一室に引きこもらせておくのは健康に悪い。
と、考えながらリビングに出ると、サクラがちょこんとハタノを見上げて遠慮がちに口を開く。
「父様、お母様、私は気にしませんので……それに、家庭教師もいますし」
「いえ。勉強は勉強で大切ですが、それとは別に同年代の友達というのも大切らしいですよ」
らしい、と応えたのは、ハタノもチヒロも友達が居ないからだ。
が、経験はなくとも友人関係――他者との人間関係について学ぶことは、情操教育の上でも大切だろう。
「サクラさん。その件は、雷帝様に直接ご相談してみます」
「そ、そこまでしなくても……」
「いえ。そこまでした方が良い話です。他の人と仲良くなるだけではありません。時には喧嘩したり、すれ違ったりすることで、人間関係の妙を覚えておくことは、サクラさんの将来を考える上でとても大切なことですから」
でないと父母のように苦労するぞ、と暗に込めつつ話すも、サクラはしゅんと俯いてしまう。
ふむ。
「サクラさん。学舎はイヤ、ですか?」
「……嫌じゃないけど……ちょっと、怖い」
「怖い、ですか」
「私、昔から学校で友達とかできなかったし……」
学校というのは、別世界の学び舎のことだろう。
サクラにあまり良い経験がないことは、ハタノも重々理解するが――
「サクラさん。不安になる気持ちは分かります。私も人付き合いは苦手ですし、上手くいかないこともあるでしょう。……が、まずは試してみてはどうでしょう」
「うーっ……」
「苦手なことをやりたくないのは、誰でも同じ。しかし嫌なことから逃げ続けると、心の借金が貯まります」
「借金……?」
「嫌なことから逃げる、逃げ癖がついてしまう。……もちろん、実際にやってみて上手くいかなければ、逃げても構いません。が、まずは実践しないと、向き不向きも分かりませんからね」
治癒師と同じだ。
理論理屈ばかりこねて、実戦経験に乏しい治癒師は大抵、役に立たない。
もちろん実践だけでも良くないが、時には実体験として失敗を重ねることが成長に繋がるのも、事実だ。
ハタノもチヒロも無理難題を押しつけられ、たくさん嫌な思いをしたが……
その苦い経験が、確かな実力に結びついているのも、事実だからだ。
「サクラさん。まずは、頑張ってみましょうか。……大丈夫ですよ。私とチヒロさんがついてますから」
ハタノはそっとサクラの背を撫で、勇気づけながら、ふと気づく。
――最近。
自分はよく、将来について考えているな、と。
そうしてサクラを励まし、彼女がチヒロさんと一緒にお風呂に入り、寝入った頃。
ハタノは夫婦のベッドでチヒロさんと共に横になりながら、「不思議なものですね」と呟いた。
「最近、なんと言いますか……普通のことをしている気がします」
「普通、ですか。旦那様」
「ええ」
普通の大人のように悩み、将来のことに思いを馳せ、仕事に追われながら毎日を過ごしていく。
暇な訳ではない。むしろ忙しさは日に日に増している気もするが……
そんな毎日が、不思議と、心地良くすら感じるのだ。
と、隣に寝転がる妻に呟くと。
チヒロは、ころん、と猫のように転がりハタノの腕に抱きつきながら、柔らかな笑顔で囁いた。
「じつは私も最近、同じことを考えていました」と。
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