3-6.「え、今さら!?」

「それは本当に必要な時間か?」

「はい。精密な検査の施工、および、サクラ氏本人の成長を計ることは、治癒の成功確率をあげることに繋がります」


 翌日、ハタノは改めて雷帝様に頭を垂れ、現状の報告を行った。

 正しくは、治癒に必要な時間延長の申し出だ。


 サクラの治癒計画に、より詳細な分析が必要なこと。

 才”異界の穴”を用い、いくつかの道具を取り寄せたいこと。

 治療前に、サクラ自身により繊細な才の操作方法を学ばせたいこと。


 それらを合わせ、ハタノの見立てでは、治癒にあと半年ほど時間が必要なこと――


「特に、サクラさんの魔力安定には時間を必要とします。彼女は異なる世界の住人であり、また前親の方針でもあったのでしょうが、魔力の扱い方が未熟です。チヒロと共に修練を積むことで、その安定を図ります」

「話はわかる。が、帝国にあのようなリスクのある存在を、無対策のまま半年も抱えろと?」

「幸いなことに、最近は近隣情勢が安定しています。外的な脅威は少なく、安定性は高いかと」

「時勢など、半年もあれば一変するぞ。知らぬとは言うまい?」

「ええ。しかし私の判断としては、それが最もリスクが低いと考えました」


 この世にノーリスクの治癒は存在しない。

 あらゆる薬に副作用があり、あらゆる手術に合併症をはじめとした危険性があるように、物事はリスクとリターンのバランスを取る必要がある。

 その上で、ハタノは治癒師の観点から、サクラの治癒には時間をかけるのが最適だと判断した。


「サクラが暴走する危険性は?」

「今の所、低いかと」

「根拠は」

「うちの妻は、愛情深き女ですので」

「真顔で言うか。……が、最近の貴様等を見ていると、否定できぬのが笑える」

「全てが上手くいくとは申しませんが、心身共にすこやかに育つことは、病に対する最大の治癒でもあります。付け加えますと、チヒロの側にいる限り、身の安全に問題はないでしょう」

「まあ、その点に異論はないか」


 雷帝様が暫しの沈黙を挟んだ。

 閉じた瞼の下、彼女が何を考えているか、ハタノには想像すらできない。


 とはいえ、今のハタノには幾つもの取引材料がある。


 帝都中央治癒院の院長。

 翼の勇者チヒロの協力。

 サクラという、非常に強力な才の治癒を行う、という立場。


 それらを鑑みれば、然程おかしな条件は出されないはず。

 もちろん、代償となる取引は持ちかけられるだろうが――


「良かろう。許可する。貴様の話、信じよう」

「……は?」


 ハタノは耳を疑った。

 ……いま、何と?


「どうした。何か問題か?」

「い、いえ。しかし雷帝様。……信じる、ですか」

「言葉通りの意味だが? 余の寛大な心をもってして、貴様の言葉を信じて託すという意味だ。理解できぬか?」


 不自然だ。

 雷帝様との付き合いはハタノもそれなりにあるが、それでも彼女は帝国のトップにして合理主義者。

 間違っても『信じる』等という言葉を、公式の場で使う方ではない。


「くく。どうした? 余の言葉を疑うか、ハタノ」

「……すみません。失礼ながら雷帝様に限って、信じる、という言葉はあり得ないかと」

「そうだな。普通の者相手であれば、信頼、などという言葉は紙くず程の価値もない。が、貴様相手にはこれが最も有効だと余は考えた」


 と、雷帝様は椅子に深く腰掛け、ニマニマとハタノを見下しながら、


「ハタノ。貴様がもっとも苦手とするのは、純粋な信頼、だろう?」

「…………」

「貴様は地位や金銭に価値を見出す人間ではない。が、誠意には誠意を返さねば気が済まぬタイプだ。ならこうして、真正面から誠意をぶつけられた方が、困るであろう?」


 余には全く理解できんがな、と笑う雷帝様に、ハタノは喉元に石を詰められたような気分になる。


 確かに、ハタノは約束を守る――というより、相手からの約束を一方的に破棄することを苦痛に感じるタイプだ。

 内なる罪悪感、とでも言うべきか。

 相手が無法を働いたならまだしも、きちんと約束を結んだ物事を、自分の側から破棄することは……自分自身の信念に対する裏切りのように思えて、どうしようもない抵抗感を覚えてしまう。


「そういう人間には、あえて何も条件をつけぬのも手か、と余は考えてみた。新しい試みだろう?」

「……それは文字通り、私に対する信頼と捉えても、良いのでしょうか」

「ある意味では、な。光栄に思え、余に『信頼する』等という曖昧な言葉を引き出したのは、貴様が初めてだぞ? もちろん、失敗すればどうなるかは理解しているだろうが」


 当然。雷帝様の容赦のなさは、ハタノも十二分に承知している。

 ハタノが今生きているのも、自分が雷帝様にとって価値ある人間と思われているからに過ぎない。

 それもまた、信頼の一つとも言えるが。


「期待しているぞ、ハタノ。そして当然、期待に応えた暁には、褒美として――」


 雷帝様がきれいな犬歯を輝かせ、ハタノに笑う。


「いま以上に厄介な、あたらしい仕事をくれてやる」

「えぇ……?」

「貴様。仕事は嫌といいつつ、じつは無茶振りされるの好きだろう?」

「いえ。私は仕事などせず、妻とのんびり過ごすのが夢ですが……」


 嘘ではない。ハタノの望むのは、のんびりとした日常と平穏。

 面倒事も起きず、心荒れる事件もなく。

 叶うなら毎日、平和にゆるりと過ごしたい――


「なら、そう行動すれば良い。妻とゆるりと引きこもり、帝国に与えられた仕事のみをこなし、自分に無関係な者がいくら命を落とそうと知らぬフリをする。どうだ?」

「それは……」

「ハタノ。貴様は自覚がないようだが、普通の人間はそうやって生きているものだ。他人の事情に深入りせず、不幸な出来事が起きれば可哀想だと涙しながら、実際には何ひとつとして行動を起こさない。貴様等のように誤解を恐れず人助けに奔走する人間のほうが、極めて稀なのだよ」

「…………」

「すなわち貴様は、自分で認めているかは知らんが――生粋のお人好しであり重度のワーカーホリック、という訳だ。それはもう、お前の人生に染みついた価値観なのだろうな」


 クク、と、雷帝様の小さな笑みが響く。

 ハタノはその言葉を、否定できない。


 仮に口で否定したとしても、今まで積み重ねてきた事実が、決して否定しきれない――


「その価値観を持ち続ける限り、貴様は生涯、自由になることはないだろう。常に何かに追われ続け、仮に一時の安息を経たとしても、気づけば自ら仕事を追い求めていく愚か者だ。……もちろん、余はそれを否定はせぬ。生粋の馬鹿だとは思うが、それもひとつの人生だからな。そして、そういう人間を有効活用する方法は、ひとつ」


 一気に語った雷帝様が、ぴんと人差し指を立て。

 最悪の上司らしい、慈悲深き言葉を、ハタノに告げる。


「貴様には、生涯をかけても抱えきれない程の仕事と信頼をくれてやる。その骨を帝国に埋め、余に多大な貢献をし、そのことに胃を痛めながらも妻と仲良くするがいい」


 ……ああ。本当に、この人はやりにくい。

 ハタノが雷帝様を知るように、雷帝様にもハタノという人間の本質をよく知っている。


 本当に。本当に、厄介な――


「まあ、深く考えることはない。貴様はいつも通り、余の期待に応え、きちんと仕事をすれば文句は言わぬ。それが出来る人間だということは、今までの経緯から理解しているからな。それに貴様が有益に働く限り、余が貴様とチヒロの安全を保証することも理解しているだろう?」

「……まあ、確かに。帝国の益は、雷帝様の利益ですから」

「余がわかりやすい人間で良かったな、ハタノ。これからも期待しているぞ」


 そう告げて、雷帝様がハタノに退室を促す。


 部屋を出て――ハタノは相変わらずやりにくい人だ、と思う。

 単に傲慢な命令を出してくるだけなら、ハタノも言い分はある。

 が、雷帝様のたくみなところは、厄介事を持ち込む相手であると同時に、帝国のトップとしてチヒロの安全を確保してくれているところにある。


 夫婦の絆そのものが、アキレス腱だと理解した上で。

 信頼という甘い言葉すら使うことで、ハタノ達から最大限の利益を得ようとしている――


(まあ……人間関係とは、案外そういうものなのかもしれません。私の方も、帝国の恩恵を教授している訳ですし)


 溜息をつきながら、それでも雷帝様の許可を得たのだと、ハタノは前向きに考えることにした。

 妙な気分にこそなったが、要するに、やることは今までと変わりない。



 雷帝様の言葉を肯定するようで、癪だが――

 目の前の仕事をきちんとこなし、結果を出す。

 いつも通りだと言い聞かせ、ハタノは改めて今後の治癒計画について、考え始めた。






 が、ワーカーホリックと呼ばれたのは、少々気に障ったので……。


「ミカさん。一つお聞きしたいのですが。……私って、仕事中毒なのでしょうか」

「え、今さら!?」


 後日、治癒師ミカに聞いたら呆れられたので、やっぱそうなんだな……と思うハタノであった。


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