3-5.「チヒロさんだって、毎日してくるじゃないですか」
「話を戻しますと……いまの仮説、腎臓後方に出現した極命核からの魔力を抑える、IVCフィルターによる治療を想定した場合。ひとつ、私にとって有利に働く面があります。……というのも、上手くいけば第二の課題である、サクラさんの自動防御を軽減できる可能性があります」
ハタノは空気を改め、ネイ教授へ語り続ける。
治癒方針を議論する、というよりは、自身の思考を整理するという意味合いが正しいだろうか。
計画の子細に関する議論は、後ほどガイレス教授と詰めれば良いので、一旦、ハタノは今の考えを吐き出すことにした。
「サクラさんの“異界の穴”の自動防御は、外界からの攻撃が強いほど強力に発生する。当然ですが、私が手術のために彼女を深く傷つけるほど、リスクは上昇します。――が、IVCフィルター留置であれば直接切らずとも、カテーテルを用いた手技が可能になります」
「カテーテル?」
「簡単にいいますと、人間の血管に細い管を入れ、するすると目的部位まで伸ばしたのちにピンポイントでその場所を治癒する手法です。外科手術に比べて、侵襲性が低いのが大変優れたポイントではありますが……」
実践したことは、ハタノですら一度もない。
理由は幾つかあるが、まず問題なのはカテーテルの実物がこの世界で作成できないことだろう。
実物を見た訳ではないが、カテーテルのサイズは太さ1~10mm程度。
直径も数センチから2メートル近くあるものもあり、状況に応じて使い分ける必要がある。
さらに問題なのは、ただの管でなく適度な柔らかさとしなやかさ、同時に堅さと滑らかさを併せ持つ必要があるからだ。
堅く尖っていれば血管を傷つけ致命傷に陥るが、やわらか過ぎてもふにゃふにゃして目的の血管に入らない。
血管という人体の重要な走行路に、指先の感覚だけで細い管を通していくには、極めて高度な技術を用いた専用アイテムを開発する必要がある――
「が、これは解決する方法があります」
「???」
「サクラさんに、”異界の穴”で取り寄せて貰えば良いのです。他の医療グッズ……例えばシースセット等も、上手くいけば」
心カテ装置は魔力で稼働しないので不可能だが、チューブならサイズ的に可能だろう。
サクラさんに、カテーテルとは何かを理解して貰う必要はあるが、聡明な彼女なら分かるはずだ。
「次の問題として、仮にカテーテルが用意できたとしても、それを体内に挿入しながら観察する機器が必要なこと」
体内に挿入したカテーテルは当然、外部から目視できない。
そこで必要になるのがX線を用いた特殊な心臓血管撮影装置なのだが、当然そんなものは存在しない――
「が、そこはネイ教授の”解析”を用いることで、解決を計ります」
「え」
「サクラさんの肺動脈をあれだけ目視で観察できる教授であれば、カテーテルやガイドワイヤーを挿入しても、先端がどこにあるかリアルタイムで確認することも可能かと」
ハタノ一人では、この医療は達成不可能だろう。
けど、今なら。
帝都中央治癒院の院長として、複数名の治癒師の力を借りれるなら。
「まあ、いま暫くは検証が必要ですね。極命核が本当にそのような構造になっているかも確認しなくてはいけませんし」
ハタノの今の話は、いくつかの推論を元に組み立てたものだ。
今後ネイ教授の解析結果次第で、状況は大きく変わるかもしれない。
「いずれにせよ、すこし時間をください。……治癒は、奇跡ではありません。できることから順に、片付けていくしかありませんからね」
ハタノは自分に言い聞かせるように呟き、静かに席を立ちながら、次の仮説を考え始めた。
*
その後、突発的な急患に何とか対処し、帝都魔城に戻るとすでに夜十時を過ぎていた。
サクラの件を別にしても、最近、働き過ぎではないか、と思う。
ただ一つ、最近のハタノには楽しみがある――と、玄関のドアを開けて。
「お帰りなさい、旦那様」
「ただいま、チヒロさん。……いつも夜遅くまで待たせてしまって、すみません」
「いえ。ただ、私が待ちたいだけですから」
ふふっ、とはにかんで迎えるチヒロを見る度に、ハタノはなんとも言えないむず痒さを覚える。
先に休んでてもいいのに――と思う一方で、妻が毎晩出迎えてくれることに密かな幸福を覚えているのも、確かだ。
家に帰ると、妻がいる。
笑顔で出迎えてくれる。それだけで、一日の仕事の疲れが吹き飛んでしまうし、つい顔がほころんでしまう。
チヒロもそれを理解しているらしいのが、また、ハタノの喜びに拍車をかける。
「……サクラさんは?」
「今日はお休みになりましたよ。毎晩、夜更かしするのは宜しくありませんから」
と、チヒロは全て承知の上で、ハタノの唇に優しい口づけを行う。
それを、ハタノは無言で受け入れる。
妻は本当に、愛情表現が深くなった。
節操がないと言えばそうなのだが、ハタノとしてはこの上なく嬉しいし、胸に染み渡るような幸福をじんわりと感じるので、今はもう自然と受け入れていた。
その度に、思う。
妻のために頑張ろう。
仕事も日常生活も、チヒロを幸せにするために、自分に出来ることをしよう、と。
「……ありがとうございます、チヒロさん。とりあえず、お風呂を先に頂きますね」
「一緒に入ります?」
「止めておきましょう。サクラさんが起きてきた時、誰もいないと寂しいでしょうから」
チヒロによれば、サクラは夜の寝付きが悪い時があるという。
たびたび、悪い夢にうなされているらしい。
そうして寝付けない時、リビングにいるチヒロの姿を見るとホッとするらしい。
チヒロが夜遅くまで起きているのは、ハタノのためだけでは無いのだろう。
「にしても、サクラさんとの生活にも、大分慣れてきましたね」
「ええ。なんというか、家に子供がいるというのは不思議なものです……」
チヒロの感想は、ハタノも抱いたものだ。
最初は戸惑うことばかりだったが、気づけば自然と、生活の一部になっている。
……だけに留まらず、夫婦の生活に、ちいさくない影響を与えていた。
それは戸惑いもあったけど、決して悪い変化ではなく。
むしろ、ハタノ夫婦に新しい刺激と喜びを与えてくれるものなのだな、と――
「……旦那様?」
「ああ。失礼。しみじみと考え事を。……まあ、それはそれとして」
「? ――っ」
顔を上げたチヒロに、ハタノはお返しとばかりに額へ口づけをする。
珍しく不意を打たれた妻は、はた、と手を止めて固まり、すぐにイタズラされたと気づいてハタノの袖をぺちっと叩いた。
「もうっ。卑怯ですよ、いきなりなんて」
「チヒロさんだって、毎日してくるじゃないですか」
照れるチヒロがまた可愛らしい。
ハタノは業務の疲れがそれだけで吹き飛ぶような感覚を覚えながら、名残惜しくもチヒロと別れ、お風呂に向かい。
チヒロが貯めてくれた湯船にゆるりとつかりながら……
この幸せを続けるためにも、ひとつ、正念場があると思った。
サクラの治癒は、長期戦の様相になる――
その時間を最も憂うであろう、せっかちな上司の説得に乗り出さねばならないのだから。
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