5-5.「ぎゅっ、としてください」

 そんな日々を過ごした、二十日後――

 チヒロは、あっさり帰ってきた。



 ごく普通の軽装。

 相変わらずさらりとした、銀の髪。

 喜びも悲しみもない無表情さでハタノを見上げ「ただいま戻りました」と礼をする新妻を、ハタノもゆるい笑みを浮かべ、自然体で受け入れる。


「旦那様。長く家を空けてしまい申し訳ありませんでした」

「いえ。お仕事お疲れ様でした」


 ――本音を言えば、じんわりと胸が切なくなるような痛みを覚えた。

 寂しかったのだと、思う。


 けど、ハタノはその気持ちを表に出さない。

 彼女に一方的な気持ちをぶつけても迷惑だろうし、それは、チヒロにとっても迷惑なはず。

 ”勇者”にとって戦場は日常茶飯事であり、逐一、帰宅する度にほっとした様子を見せては困らせてしまうだろう。


 ハタノは感情を押し殺し、夫婦としての業務をこなす。

 慰労は忘れず「お風呂の用意しましょうか?」と優しく尋ねると、チヒロはふるりと首を振った。


「お気遣いありがとうございます。ただその前に、旦那様。帰宅早々申し訳ないのですが、仕事の話を宜しいでしょうか」

「どうぞ」

「じつは面倒事を頼まれまして」

「何でしょうか」

「それが……その。大変、言いづらい、のですが」


 おや。

 すぐ仕事の話をするのはチヒロらしいが、彼女が言いよどむのは珍しい――


「本当に申し訳ないのですが、雷帝様より、戦勝パーティに誘われまして」

「チヒロさんが、ですか?」

「今回、私の仕事は後方支援と護衛だったのですが、不足の事態が発生した結果、ガルア王国の銀竜を落としまして」

「銀竜って上から二番目に強い竜じゃなかったです?」

「迂闊にも大金星を挙げてしまい、雷帝様より表彰されざるを得なくなりまして……」


 新妻、旦那の心配もよそに、迂闊にも英雄になっていた模様。


 それは喜ばしい……のだが、チヒロは大変珍しいことに、ものすごく嫌そうな顔をしていた。

 唇をむすっと引き絞り、眉を立て、苦いものを噛みしめるように。


 まあ、気持ちは分かる。

 ハタノも帝都治癒院時代に祝辞への出席を強制されたが、慕ってもいないお偉方の機嫌を損ねないように過ごす時間は苦痛極まりなかった。

 つけ加えて、フォーマルな格好だの実利のないマナー等を押しつけられ辟易した覚えがある。

 そんな暇があるなら仕事させろと言いたい。

 が、相手が雷帝様では分が悪すぎる。


「成程、それは面倒ですね。ですが、雷帝様の要望であれば仕方ありません。仕事である以上断るのは許されませんので、頑張ってくださ――」

「その雷帝様より、夫人が主役を張るのだから旦那も出席するようにとお達しがありまして」

「すみません、その日は急患が五十名来る予定になってまして」

「旦那様。仕事を理由に夫婦仲を蔑ろにすることは、夫婦疎遠の第一歩です。そもそも仕事である以上断るのは許されません、といま仰ったばかりではありませんか」


 墓穴を掘った。

 まあ墓穴を掘らずとも出席は強制だろう。雷帝様の嫌味な笑みが目に浮かぶようだった。

 ついでに尻尾の進捗も聞かれるだろうが、少なくとも現実的に考えては無理だと言うしか無い。

 が……。


「旦那様でも、わかりやすく嫌な顔されるのですね」

「チヒロさんこそ。が、まあ準備は致します」

「すみません、余計な手間をかけさせてしまって」

「いえ。仰る通り仕事ですし、それに、チヒロさんが戦果を上げたことは本来喜ぶべきことですので」


 表彰は面倒だが、チヒロが苦難を乗り越えた証でもある。

 銀竜との戦いがどれ程壮絶であったか伺い知ることはできないが、ぶじに帰ってきたのは、素直に嬉しい。


 と、ハタノが自然と表情を緩めると、チヒロも夫をまっすぐに見上げて。


「そういえば、旦那様。もう一つ、仕事を思い出しました」

「なんでしょう」

「いえ。……大したことでは、ないのですが」


 と、チヒロはハタノにちょこちょこと近寄り。

 棒立ちするハタノの胸元に、ぽすん、と顔を埋めた。


「チヒロさん?」


 彼女は無言のまま、額を押しつける。

 そのまま、ぐりぐりと、額をこすってくるチヒロ。


 小動物みたいな動作に戸惑っていると、彼女が可愛い声をあげた。


「ぎゅっ、としてください」

「ぎゅっ、ですか?」

「ぎゅっ、です。理由はありませんが、ぎゅっとするのです」


 言われた通りハタノは彼女の背中へ手を回し、優しく、ぎゅっと抱き締める。


 久しぶりに感じた、妻の体温。

 ハタノは彼女が生きていることを何となく噛みしめながら、さらりと背中に流れる銀髪を優しく撫でる。

 妻がくすぐったそうに身をよじるも、嫌ではないらしい。

 ハタノに身を委ねるように力を抜いた。


 ……今、妻はどんな顔をしてるのかすこし気になったが、覗くのは失礼だろうか。

 ハタノは少々むず痒いものを覚えつつ、我慢する。


 暫くして、彼女が顔を離した。

 うっすらと頬を赤く染めながらも、その口元はそこそこ満足したように綻んでいた、気がする。

 ハタノの気のせいかもしれないけれど。


「ただいま戻りました、旦那様」

「いえ。お帰りなさい、チヒロさん。……ところで、お風呂にしますか? 草食べますか?」

「先に魔力補給をしたいです。やはり自宅の魔噛草が一番ですので」

「魔噛草って、味の違いがあるんですか?」

「違いはありませんが――旦那様の顔を見ながら口にすると、すこし、落ち着くので」


 それは嬉しいと思いつつ、ハタノは妻を食卓へと案内しながら、思う。

 一般的ではないけれど、こんな夫婦仲があってもいいのかもしれない、と。


 その口元に、自然と笑みが浮かんでいることに、気づかないまま。






 そして数日後、その日がやってきた。

 ハタノとチヒロの人生を。

 そして帝国の歴史を変える転機となった――血に濡れた祝勝会が。

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