最終話-1.「何を言っていますか。とても、とても重要な相談です」
ハタノが異世界から帰還して、十日が過ぎたころ。
雷帝様から新しい辞令が交付された。
「ハタノ、お前院長クビ」
「え!?」
*
「旦那様。いま何と?」
「つまり、その。本日付で、帝都中央治癒院の院長をクビになりました……」
夜、九時過ぎ。
帰宅が遅いハタノを心配し、わざわざ帝都中央治癒院まで迎えにきてくれた妻チヒロに、ハタノは会議室にて困惑の眼差しを返しながら答えていた。
――旦那、突然の懲戒解雇。
通常なら夫婦ともども、明日の食い扶持に困るなあとなる所だが、ハタノの場合はちょっと違う。
「代わりに、特別顧問という立場を頂きました。平たく言いますと、治癒師への教育、および組織改革を中心とした別部門の長に当たるそうです」
院長職はいわば総合的な職務であったが、ハタノは今後より改革的な組織に身を置くことになる。
ちなみに雷帝様より「立場としては院長より偉い。喜べよハタノ」と、じつに有難いお達しがあった。
「しかし、旦那様。たしか旦那様は院長外来で、専属のお貴族方の患者様もおられたような……?」
「そちらはシィラさんに引き継ぎつつ、難しい患者さんについては私が続けて診察を行います」
「勉強会は?」
「引き続き、私が。他、場合によっては急患対応なども私が」
「旦那様、クビになったのに仕事が増えていませんか? それと、新院長はどなたが受け負われるのでしょうか」
ガイレス教授は未だ魔力が完全には戻らず、本人も時代遅れの治癒師だとぼやいて拒否していると聞く。
よって後任は――
と、ハタノがその顔を思い浮かべていると、ドンドン、と扉がノックされ新院長が飛び込んできた。
「院長殿!!! 拙者が新院長とは、一体どういう了解でござろうか!」
真っ青な顔で飛び込んできたのは、”日和見”ホルス教授だ。
実はハタノが異世界にて不在中、彼が仕切ってくれてたと聞き、そのまま引き継いで貰ったのだ。
一見して格闘家の“才”を持つかのような大柄な男は、しかし、気弱なスライムのようにふるふると身体を震わせハタノにすがりついてくる。
「拙者の人生は、常に妻と子と仲良くアフターを楽しみたいのでござるが!?」
「仰りたいことは分かりますが、その……適任が他にいなくて……」
ネイ教授は引きこもり気質だし、エリザベラ教授は新米かつ、あの性格だ。
一級治癒師や他職種から引っ張ってこよう、という意見もあったらしいが、やはり現状の医療に詳しく、かつ特級治癒師でもあるホルス教授が適任だと決まったらしい。
気の毒だ、とは思う。彼はハタノ以上に、仕事を好いてなさそうだし。
が、責任ある立場が人を成長させるとも言うし、そもそも、ホルス教授はハタノより圧倒的に年上だ。年長者の貫禄を見せて欲しいところである。それに、
「お気持ちは分かるのですが、私が決めた訳ではないので……」
「断固抗議しますぞ、院長殿! このホルス、日和見で面倒くさがりではありますが、仕事に関してはあらゆる手を使ってでも働きたくないでござると、心に誓っておりますゆえ! ええ、誰が相手であろうとも拙者は決して働きませぬ――」
「その文句は雷帝様に直接お願いしても宜しいでしょうか?」
「院長職、喜んでお引き受け致しましょうぞ」
どん、と胸を叩いて誇る、ホルス教授。
が、すぐに彼はしおしおと身を縮め、ハタノに耳打ちしてきた。
「……しかし、元院長。ここはどうか一つ、この未熟な新院長に助力を」
「すみません、私も仕事が立て込んでおりまして」
「上司に雷帝様とガイレス教授、下にエリザベラ教授とネイ教授で拙者にどうしろと!?」
「シィラさんをつけますので」
「アレも可愛い顔してハタノ院長並みの治癒狂ですぞ!? あと実は結構な毒舌ですが存じておられますか!?」
「ではミカさんを……」
うおお、と頭を抱えるホルス教授に、ハタノはやはり人をよく見てるなあと感心する。
若干の申し訳なさはあるものの、うんうん唸ってる間は大丈夫だろう。
苦悩するホルス教授に微笑み、妻の手を取り席を立った。
「すみません、後をよろしくお願いいたします。私は、妻とアフターの時間がありますので……」
そうして帝都中央治癒院を後にした頃、チヒロに尋ねられた。
「大丈夫でしょうか? あの方にお任せしてしまって」
「正直に申し上げますと、私が院長職を兼任していては手が足りない……というのも、ありまして」
元々、院長職をしていた頃からオーバーワーク気味ではあったが、現在のハタノはそれに加えてサクラの治癒及び研究にも手を出している。
彼女の才”異界の穴”はまだまだ未解明の部分が多く、また、サクラ自身の不安を和らげる意味でも、ハタノの付き添いは必須だ。
軍事転用させないよう目を光らせる意味もある。
さらに、異世界から持ち込んだ知識――。
それらを他の治癒師に伝授しつつ救急対応までこなすと考えると、ハタノの身体が幾つあっても足りない。
「……旦那様はすっかり、仕事の虫になってしまいましたね。……まあ、私のためでもあるのですが」
「確かにチヒロさんを守るために、権力が必要なのも事実です。それに、自分にしかできない仕事だというなら、やるしかないな、とも思いますから」
仕事が面倒くさいのは事実だが、それも自分で選んだ道。
多少の文句はあれど、後は日々しっかりと働き、成果を見せていくしかない。
ハタノがそう返すと、チヒロが含み笑いをしながら左手を差し出してきた。
夫としてごく自然に手を絡め、夜道をゆるりと歩いて帰宅する。
帝国の夜は、長い。
魔法灯に照らされ、ぼんやりと光る道を二人で歩きながら――こうして毎日仕事をし、帰宅して、妻と何気ない会話をする。
慌ただしくも、大切な日々を過ごしたいな、と思いながら……
「チヒロさん」
「はい」
「じつは一つ……ああ、いや。何でもありません。忘れてください」
逆に不審に思われるかな……と、ハタノは照れくさく頬を掻く。
実はひとつ、試してみたい事があった。
ハタノが異世界で漁るように読みふけった書物の中に、医学書とは全く関係ない、夫婦に関する記述があったのだ。
その風習は帝国にもあったが、仕事にかまけて、すっかり忘れていて……
「旦那様。遠慮せず仰ってください。私は旦那様の望むことでしたら、なんでもいたしますので」
「や、まあ。今度また相談させてください。……すこし、照れくさいことなので」
「……照れくさい? 何でしょう、それは」
「ご心配なく。仕事のことではありませんので」
小首を傾げるチヒロに、ハタノは肌寒いから、と早めの帰宅を促した。
妻はもちろん騙される性格ではなかったが、ハタノが今は言わないと決めたならと感じたのか、それ以上何も口にしなかった。
――して、三日後。
ハタノはとても渋い顔をし、うんうん悩みながらサクラを呼び、妻のいないリビングで大きな大きな溜息をついた。
「サクラさん。じつは折り入って、大事な相談があるのですが」
「何でしょう、お父様。……もしかして、私の”才”について、ですか?」
――サクラもようやく、帝国の事情は飲み込めてきた。
軍事転用。
帝国のもつ版図拡大の野望。
自分自身の有用性。
けれど、帝国では自分の価値をきちんと示さなければ、生きていけない――。
という真面目な話は、まったく関係なく。
「いえ。……妻に、指輪を贈ろうと思いまして」
「へ???」
「……異世界で知ったのですが、あちらは結婚相手に指輪を贈る風習があるらしく。そういえば帝国でも、妻に夫婦の証である送りものをするのは一般的だと思い出しまして。……まあ、チヒロさんは実用派ですので、指輪などいらない、と、言うとは思うのですが」
「……お父様。大事な話ではなかったのですか?」
「何を言っていますか。とても、とても重要な相談です」
と、サクラが呆れ顔をしているのにも気づかず、ハタノは腕組みをしながら唸る。
サクラが一言「熱愛夫婦め」とぼやくのすら耳に入らず、ハタノは眉間に皺をよせ、うーん、と全力で知恵を絞り始めた。
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