最終話-2.「私も将来、お父様とお母様のように、素敵な方と結ばれる日が来るでしょうか」

 サクラ=ヒロセにとって、親、とは、強大であり恐ろしい存在でもあった。


 ひとつでも言い訳や口答えをすれば平手打ちが飛び、視界が滲む。

 じんじんと痛む頬を抑えて見上げれば、母はいつも「あなたが悪い子だからよ」と、泣きながら般若の如くサクラのことを睨んでいた。


 だから、サクラは親に従い、一言一句すべて間違えないよう、機嫌を損ねないように過ごしていた。

 まるで、巨人に怯えるネズミのように。


 それが一般的な親でないらしいと気づいたのは、実に半年が過ぎた頃だ。





 妻のために指輪を買いたい。

 大真面目に言い出したハタノに、サクラは阿呆すぎて溜息しか出なかった。


「お父様。お母様でしたら、お父様からなにを貰っても大喜びすると思いますけど……」


 っていうか、送りものをしなくても喜ぶ。

 言葉ひとつで喜ぶ。

 ぎゅっ、と抱きしめてあげるだけで超喜ぶ。


 チヒロと共にいつも父の帰宅を待つサクラだから分かるが、お父様が帰ってきたと気づいた時の、母のふわっとした喜びようと言ったら、サクラまで胸焼けする程だ。


 ……親というものに不信感を持ち続ける、サクラの意識を変えてしまう程に。


 なので、サクラから見れば既に答えが出揃っているクイズというか、答えが大の字で目の前に寝転がっているようにしか見えないが、肝心の父ハタノには見えてないらしい。

 そもそも。


「お父様。お母様は、指輪など求めないと思いますが。お仕事の邪魔になりそうですし」

「もちろん仕事中は外して頂いて構いません。……が、最近、妻の仕事が増えまして」

「そうなのですか?」

「最近、チヒロさんも雷帝様の紹介により、お貴族様方との交流が増えてまして。昔は”血染めのチヒロ”として怯えられてましたが、最近は少しずつ”翼の勇者”とも呼ばれているらしく」


 帝国内で、チヒロの存在感は日に日に増しているらしい。

 また近年、ハタノの地位が急上昇したこと。一部上流貴族の治癒を担っていることもあり、その妻であるチヒロにも視線が集まるようになったとか。


「そうなりますと、私達夫婦もお茶会や式典に呼ばれることがあります。正直、仕事をしていたいと思うのですが、時には断れない会もあります。……すると、困ったことがありまして」

「何がです?」

「チヒロさんが可愛すぎて、他の男に目をつけられないか、と」

「は???」

「ほら。チヒロさんって、世界で一番可愛らしいじゃないですか。なので余計なちょっかいをしてくる人もいるかと……それを防ぐ意味でも、指輪をつけていると、お守りになるかな、と」


 何言ってんだコイツ。


「お父様。お父様とお母様の熱愛ぶりは、雷帝様ですらカエルみたいな顔をされるのに、その間に入ろうとする人なんていますか……?」

「ですが、あまりに偉い人から粉をかけられると、チヒロさんも断りにくいと思いますし」

「……お父様って仕事はできるのに、恋愛だと途端にIQ下がりますよね……」


 ぜったい必要のない心配だとも思うけど、サクラは黙っておく。

 まあ、あのお母様なら指輪を貰って喜ばないはずはないし。

 チヒロが喜ぶなら、サクラも嬉しいし。


 ……でも、悩むことはないのでは?


「というか、お父様。素直に相談すれば良いのでは? お母様に、他の男に粉をかけられたくないので愛の証を身につけてください、と直に伝えれば。お母様なら大喜びすると思いますが」

「ええ。でも、変な指輪を贈られても困るでしょう? デザインが気に入らないとか」

「……お父様のセンスで選んでは……?」

「それが難しいのです。例えば手術具なら、目的に応じて形状が決まっています。切開にはメス、挟むならペアン、剥離ならモスキート。しかし、指輪はセンスを問われまして、センスと言われても……」


 結婚指輪と手術用メスを、同列で語らないでください。

 でも考えてみれば、うちのお母様もアクセサリーより刃物や防犯グッズに目を輝かせるタイプなので、ある意味そっくりかもしれない。


 ……まったくもう。

 仕方のないお父様だなぁ、と、サクラはうっすら笑いながら、空中にそっと手をかざした。


 ――最近、サクラも才“異界の穴”に慣れてきた。

 ……両親を異世界に飛ばしてしまった経験と、手術の影響もあり巨大な穴は開けないが、前より融通が利くようにはなったと思う。


「お父様、こちらをどうぞ。向こうの世界の、指輪の特集をした雑誌です。外見の参考くらいにはなるかなと」

「ああ、ありがとうございます、サクラさん。やはり情報は大切ですからね」


 喜々として本を開くハタノ。

 嬉しそうな笑顔を見ながら――


 本当に、ヘンなお父様だけど……やっぱりいいなぁ、とサクラはほんのり笑顔を零す。


 父親という存在を、サクラは知らない。

 物心ついた時から母親しかおらず、母が家族の全てであった自分にとって、父親というのはとても不思議で……

 こうも温かいものか、と、じんわり心に染みる感触を、よく覚える。


 まあ、夫婦仲がこれだけ良いの、うちくらいだとも思うけど……。

 それでも。

 正直にいえば羨ましいな、とは思う。


 ――将来。

 あり得ないとは思うけど……自分も何かの拍子に、運命の出会いをしたら。

 いまの父のように、愛しく想える相手ができるだろうか?


 想像して、サクラの胸がちくりと痛む。


 サクラは物事に対して悲観的であり、熱に欠ける。

 世の中には時にどうしようもないことが数多くあって、それはサクラの意思など関係なくすべてを飲み込み、無慈悲に押し流してしまうことも、知っている。


 望んでも意味がない。

 無理。ダメ。

 やらない方がまだ、傷つかなくて済む。

 だから決して、届かない希望に手を伸ばさない方が、いい。


 そう、分かっているのに――


「あの、お父様。……いつか、私も」

「え?」

「私も将来、お父様とお母様のように、素敵な方と結ばれる日が来るでしょうか」


 気づけば口にしてしまい、慌てて口をつぐんだ。

 何を言ってるのだろう、私は。

 心のなかで何度も何度も自己否定し、諦めるべきだと、論理的に理解しているはずなのに……。


「ごめんなさい。忘れてくださ――」

「そうですね。……必ず出会える、とは言えません。残念ながら人生というのは、運に大きく左右されます。私がチヒロさんと出会えたのも、ひとえに運ですし。そもそも人生において、心の底から愛しいと思える相手と出会える確率は、そう高くありません」


 顔を上げると、いつの間にかハタノは背筋を伸ばし、しっかりとサクラを見つめていた。

 逃げもせず隠れもせず、じっと目を合わせて語るお父様に、サクラはどきりとしつつも妙な安心感を覚える。


 お父様は、嘘をつかない。

 子供に聞かせるべきでない残酷な話も、生半可な励ましもせず、事実を口にするのがお父様の特徴だ。

 説教臭いし、愛情が薄いという人も、いると思う。

 けど、嘘塗れな大人達に囲まれて育ったサクラとしては……鋼のように芯が通ったお父様の言葉は、誰よりも信頼できる。


 そんな父ハタノが、サクラの歪んだ思考を、正す。


「……ですが、確率が高くないからといって最初から諦めていると、チャンスは訪れませんよ」

「そう、ですか?」

「ええ。私も最初は、チヒロさんと仕事で結ばれただけの関係だと考えていました。が、彼女を知るたび、次第に愛おしくなってしまい、何とかしたい、と道理をねじ曲げたのです」


 あのお父様が……

 でも普段冷静に見えるお父様は、たしかに、お母様のためなら何でもしそうだ。

 まあ、お母様も同じだけど。


「サクラさん。論理的に正しいことは、私も素晴らしいことだと思うし大切にしたいと考えます。……その上で、時には感情的に振る舞うことも大切です。

 ……ワガママを言え、という訳ではありません。

 ただ、自分がこれは譲れない――そう直感した時は、たとえ理屈に合わなくても、自分の持つすべてを賭けて戦う気概をもって挑む。そうすれば、あなたの気持ちに応えてくれる人と、運命の出会いをするかもしれませんね」


 優しく諭す父も、そうやって母を捕まえたのだろうか。

 帝国という”才”を重視する世界で、愛しい人同士が結ばれることは、奇跡に近い確率だと思うから。


「まあ、サクラさんにもいつか機会が訪れますよ。今すぐかは分かりませんが、今は学舎に通っていますし、将来的には帝国の仕事に就くでしょう。そうやって多くの人と関わっていくなかで、サクラさんが惹かれる相手と出会う可能性は、決して少なくありません」


 珍しく感傷的に語るハタノに、サクラは、本当にそうだろうか? という疑問と……

 本当にそうなったらいいな、と期待を抱く。


 未来のことは分からない。

 けど、ただ諦めるだけじゃなくて、時には自分で動いてみることも必要かなぁ……なんて、肘をついてぼんやり考えていると、肝心の父は「それはそうとして」と、サクラに先程の雑誌を見せてきた。


「で、どれがいいと思いますか? サクラさん。私はこれかこれか、もしくはこっちか、或いはこれかと……」

「お父様。こういう時こそ、子供を励ます前にご自身で勇気を示すべきでは?」

「勇気でファッションセンスは買えないので……」


 頭を抱えるハタノに、あ、こいつ駄目だ……とサクラも頭を抱える。

 でもまあ、それもお父様の魅力だろうか。


 ……仕方ないなあ、と、サクラは大げさに見えるよう、溜息をついて。

 ここは子供の私がひとつ、肌を脱いであげようじゃないか――


「分かりました。じゃあ私が選んであげますから」

「すみません、頼りない父で」

「いえ。お母様の好みは、私もだいぶ知っていますから」


 まったく、本当にダメなお父様だこと。

 ……まあ、仕事の時はとても格好良いけれど。


 サクラはわざと、駄目な父親を見るような呆れた顔を浮かべつつ、内心でくすくすと笑いながら――お父様とお母様は、これからも悩みながら、でも幸せそうに過ごすのだろうなあと想像して。


 本当はちょっと、いや、とても羨ましいなぁと素直に思いながら、将来――自分の前に現れる恋人の姿を想像して、まだ早すぎるかな、と、小さく笑った。


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