最終話-3.「例えチヒロさんが今日、びっくりするようなことを突然口にしても、受け入れますから」

 サクラの勧めで指輪を購入したハタノは、情けないことに、その後も暫く悩んでいた。


 悩む要素がない……とは分かっている。

 さりげなく渡せばいいことくらい理解しているし、チヒロが喜ぶかは別として、嫌われるようなことはないはずだ。


 ただ夫婦共々、実用性を好むタイプなので、純粋なアクセサリー的なものはどうか……

 と、理屈をぐるぐるさせたハタノは、さりげなくミカやシィラに相談してみた。


「は? いや院長さ……じゃなかった、もう院長じゃないんだっけ。ハタノ先生さぁ、ふつう指輪もらって嬉しくない人なんていないっしょ。てかあたしも早く指輪あげたり貰ったりする人欲しいんだけど!?」


 ミカは相変わらずいつものネタで騒いでいたが、そろそろ本気で考えた方がいいと思う。

 四級治癒師に結婚の義務がないとはいえ、帝国の風習から見ても年頃の男女が結婚するのはごく普通のことだ。



 ……ちなみにシィラの方は、以前ハニシカ老に勧められたお相手と順調に交際を続けており、結婚も視野に入れてるらしい。

 珍しくハタノが聞くと「じ、順調……です、かね?」と、顔を赤らめていたので、何となく安心した。――ので、


「シィラさん。すみませんが、ミカさんのお相手探しのお手伝いを」

「……すみません、それはちょっと……ミカさんは、人としては信頼できますし仕事でも頼りになるのですが、恋愛関係だけは……私の信用を落とすというか……あ、いえ、悪い人ではないんですけど……」

「いえ。言いたいことは、分かりますので」


 彼女は一生無理かもしれない。

 けど、そういう子とうまくいく相手だっているはず……いる、かなぁ……?


「ところで、シィラさん。私、妻に指輪を贈ろうと思うのですが、この指輪でどうでしょうか?」

「え。先生の奥さんなら何贈っても大丈夫だと思いますけど……それって相談する意味あります?」


 冷めた目で見られたハタノは、ふと。

 シィラの未来の旦那は旦那で、苦労するかもしれない、と、ちょっと思った。


*


 ミカやシィラと恋愛談義をする合間にも、帝都中央治癒院には山のように患者が訪れる。


 最近、ハタノの治癒が広まったこと。

 それにより今まで治癒院では治癒できないと思われた症例が増えたことも相まって、院内は相変わらず慌ただしい。

 その合間に厄介事を持ち込んでくるのは、なぜか特級治癒師の皆様方だ。


「ハタノー! 今度もっかいアタシと勝負よ! 最近アタシもあんたの言う現代医学ってやつを学んでね、今なら勝て……」

「エリザベラ教授。その前にちゃんと仕事してください。面白い患者がいるからと、目の前の患者を放り出すの止めましょう」

「元院長。もう一度、竜魔力の研究……」

「ネイ教授。私も妻も実験道具ではないので、あまりぞんざいに扱わないように」

「ハタノ特別顧問殿。拙者のアフターを犠牲にして奥様と嗜むティータイムは楽しいでござるか?」

「…………」

「特別顧問殿、思うところがあるなら仕事を少々……顧問殿!? 拙者も家族を大切にしたいのでござるが!?」


 最後だけは本当に申し訳なく思いつつ、今度、雷帝様にホルス現院長の補佐役をつけらもうよう頼んでみるか、と考えるハタノであった。無駄だと思うけど。





 そんな雷帝様から呼び出しを受けたのは、数日後。


 新しい仕事の依頼だろうか。

 波乱の予兆を覚えながらハタノが顔を出せば、雷帝様はいつものニヤニヤ顔で、仕事の話とともに予想外の報告を行った。


「それと雑談だが、余も結婚することになった。ようやく相手が見つかってな」

「え。雷帝様が……?」


 一体どこにそんな猛者がいたのか、と思ったが。


「といっても、相手はただの子種役。余には、貴様等のような暑苦しい愛など不要だ。……余がこの世で最も愛するのは、好きなように生きる自分と、好き放題できる帝国をいかに強くするか、それだけだからな」


 それを聞いたハタノは、結局、生涯この人と相容れることは無いな、と感じた。


*


 最後に――ガイレス教授とは最近、顔を合わせていない。

 ホルス教授が院長の座についた後、自分の帝都中央での役目は終わった、と、ハタノの知らぬ間に身を引いたと人づてに聞いた。


 ……ただ、何となく。

 いつか必ず帰ってくる、予感がする。


 あの教授は年老いたことを理由に、ハタノに負けたまま治癒師を引退するような、大人しい方ではない。

 冷酷冷徹に見えて歪んだ激情を抱えたあの人が、人知れず終わるはずがない。


 もし次、ハタノと顔を合わせることがあれば。

 治癒師としての腕前は、ガイレス教授のほうが上回っているかも、しれない。


*


 季節は巡り、何となく指輪を渡せないまま時間だけが過ぎていく。


 チヒロの仕事が忙しくなったのも理由のひとつだ。

 近年、旧ガルア王国に隣接するアザム宗教国の動向が怪しいとの情報が入り、チヒロが空からの偵察をかねて数日間、不在のこともある。

 ハタノが忙しい時もあれば、チヒロが多忙なときもあるのは、仕方が無い。


 ……というのが言い訳だと、理解はしているのだが。


(まったく。私は本当、肝心な所で臆病なのですから)


 ただ、指輪を渡すだけ。

 チヒロは恋を理由に、仕事にうつつをぬかす性格ではないし、指輪なんてただの道具なので、渡してから棚にでも飾っておけばいい。


 ……はずなのに、ハタノは妙に、最後の一歩が踏み出せない。

 考えてみれば、夫婦として幾度も肌を重ねたものの、婚姻の証をきちんと送るのは初めてのことだ。


 無意識のうちに避けていたのだろう。

 治癒師はともかく”勇者”は、明日にでも命を落としかねない仕事。

 形に残るようなものなど、残しておくべきではない……と。


 けれど今のハタノはもう、妻チヒロがいなければ生きていけないと思う程に、深い愛情を抱いてしまった。

 例え明日、何かが起きるとしても、ハタノは妻への愛情を忘れることはないと誓えるし、彼女に自分の気持ちを伝えたい、とすら思う。

 その形として、仕事の邪魔にならない範囲で届けたいな……というのが、ハタノの素直な本心だ。


(それにしても、旦那という生き物は皆、このようなことを行っているのでしょうか)


 全てではないと思うが、多くの夫が妻に愛の告白をし、贈り物をし、結ばれる。

 実に陳腐かつ平凡な話にも関わらず、いざ自分がその立場に立ってみれば、こんなにも緊張するものなのか。

 もし帝国が、本当の意味で自由恋愛の世界だとしたら……ハタノは恋などできず、終始、臆したまま人生を終えていたことだろう。


 自分には、勇気がない。

 仕事という建前がなければ、妻と結ばれることも生涯、なかった。

 その意味で、ハタノは大変な幸運に恵まれ――けれど、最後の一歩は結局、自分で踏み出すしか、ない。


 ハタノは瞼を閉じた。

 耳を澄ませ、早足で帰宅してくるチヒロの気配を感じ取りながら、深呼吸。


 玄関前へ。

 彼女が戸に手をかけ、そっと開けたのを見計らい、ハタノは優しく挨拶を返す。


「お帰りなさい、チヒロさん。今日もお仕事、お疲れ様でした」

「ただいま戻りました、旦那様。……サクラさんから、連絡は?」

「ついさっき、ありました。友達の家で初めてのお泊まりですが、問題ない、と」


 それは良かった、と妻チヒロの表情が和らぐ。

 じつは今日、サクラはお友達の家……ホルス教授の娘さんのご自宅にて、人生初のお泊まりをしている。


 帝国付属の英才教育部にて、将来の”特級治癒師”たる娘と意気投合したらしい。

 ……という訳で、今日は。

 じつは久しぶりに、旦那と妻の二人きりの、格好の機会――


「旦那様」「チヒロさん」


 声が、被った。

 ハタノがチヒロを見れば、チヒロもハタノをまっすぐに見つめていた。


 夜空の星々のように、輝く瞳。

 清流のようにうつくしく流れる銀髪。

 愛しく微笑む初雪のようにきれいな頬も、薄く線を引いた唇も、可愛らしい耳もちいさな身体も、その全てが愛おしくてたまらない、と、ハタノはじんわり広がる愛情の熱に胸を焦がされながら、瞳を緩める。


「チヒロさんから、どうぞ」

「いえ。旦那様からで」

「私の話は、大したものではありませんので。お仕事の話を先に」


 先を促すと、チヒロは珍しく困ったように頬を掻いて。


「すみません。私も、仕事の話ではないのですが……」


 それは珍しい。

 チヒロが報告することといえば、仕事の進捗だと思っていたが。


 ……それにしても、今日のチヒロさんは、らしくない。

 玄関口で立ったまま目を合わせたと思ったら、一旦すっと目をそらして、もじ、と恥ずかしそうに指を弄る。


 ……何を恥ずかしがっているのだろう?


「何でも言ってくださって、構いませんよ。元々、私達の仲はそういうものですから」

「それは……まあ……」

「例えチヒロさんが今日、びっくりするようなことを突然口にしても、受け入れますから」


 雰囲気から察するに、深刻な話でないのは理解している。

 なら大丈夫だろう、とハタノは自分の指輪の件を隠したまま、チヒロさんの相談に期待を寄せて――


「じつは、旦那様に嫌がられるかも……と、悩んでいたのですが。お渡ししたいものが、あるのです」

「何でしょう」

「その……前からずっと、考えていたのですが」


 と、チヒロは遠慮がちに。

 ゆっくりと、自身の和服の袖に手を伸ばし――


 取り出されたのは、なぜか、ハタノにも妙に見覚えのある”箱”だった。


 手のひらサイズの。

 重厚感あふれる紺色の、すこし、力を込めればパカッと開きそうな。

 いかにも小さなリングを収められそうな、ケース型の……。


「旦那様の、お仕事の邪魔になるかと思ったのですが……それに、旦那様はこのようなモノなど貰っても、実用性に足らないと感じるかもしれない、と悩んでたのですが。……まあ、困ったら棚にでも置いて頂ければ、と……」


 愛しの妻が、自分とまったく同じ言い訳を重ねながら、蓋を開く。


 見なくても、中身はわかった――

 という予想は、少しだけ裏切られる。


 現れたのはごく普通の、飾り気のない指輪。

 宝石による装飾もなければ、高価な素材で作られてるわけでもない……無骨で、仕事の邪魔にならない、ただの指輪として存在するだけのもの。


「…………」

「……旦那様?」


 チヒロらしい選択に、ハタノが固まったのは――


 彼女の指輪が、自分の隠していたものと、全く同じだったから。


 ハタノはぴしっと固まり、チヒロが不安を覚えて、身をよじる。

 ……いえ、違う。

 違うのです、チヒロさん。


「すみません。やはりご迷惑でしたか……? でも最近、旦那様も社交の場に姿を現すことが、多くなりまして。その際、ほかの女性に声をかけられる機会も増えているようで……いえ。絶対にないと理解はしていますし、愚かな不安だと分かっているのですが、どうしても私個人のワガママとして」

「チヒロさん。この指輪、誰に勧められましたか?」

「え」

「……もしかして、サクラさんに相談しませんでした?」


 ぴしっとチヒロが固まる。

 何で知ってるのだろう? と慌てた顔もまた、愛おしいなと思いつつ。


「え、ええ。じつは前から相談してまして、購入は既にしていたのですが、なかなか渡す機会がなく。……けど、サクラさんに聞いたら、今度、私お友達の家にお泊まりだからそのとき渡せばいい、と」


 ついでに、旦那様ならその指輪を必ず気に入ってくれる、と太鼓判を押していたと言われ。


 父、ハタノ。

 完全に娘にはめられた――と、今になって気がつき、頭を、抱えた。





――――――――――――――――

次話が最終話です。

どうぞ、夫婦のお話に最後までお付き合いください。

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