5-3.「旦那様に嫌がられたら、どうしようかと」
結局、二人はデートという名目で入った本屋にて、二時間も過ごしてしまった。
店主のお婆様も「またおいで」と挨拶した以外は何も語らず、それもまた大変心地よかった。
時刻はすでに、日暮れ前。
夕日に照らされながら帰路につく中、ハタノは宿へ戻りながらチヒロを覗く。
(それにしても、チヒロさんはどうして突然、デートを?)
ハタノとしては嬉しい限りだが、そのことが少々、気になり――
「今日はありがとうございました、チヒロさん。大変楽しかったです。……ただ、本日はどうして、デートを?」
夕食とお風呂を片付け、のんびり迎えた夫婦の時間。
ハタノは改めて聞いてみた。
実務的なチヒロの性格を考えると、何らかの目的があるのではないか。
業務に必要なら、聞いておきたい。
と、素直に聞いたハタノに、チヒロは改まって背を正し。
ハタノに申し訳なさそうに続けた。
「すみません。実は、今回のデートは……」
「はい」
ハタノに頼みにくいことを依頼するため、事前にデートという形を挟みたかった、とか?
彼女がこんな回りくどい手法を取ったからには、相当な事情が――
「じつは、入れ知恵を頂きまして。具体的には夫婦仲を深めるにはどうすれば良いか、治癒補助師のミカ様と、治癒師シィラ様のお二方から助言を頂きまして」
「???」
「独力でのデートを実現したわけではありません。私はデート初心者ですし、ミカ様は自らを”特級天才恋愛師”と豪語されてる程の実力者だとお聞きしましたので、助力いただきまして」
「な、成程。でも本屋の話を出したの、多分シィラさんですよね。ミカさん大して役に立たなかったんじゃ……」
「ええ、そうですが……何故それを?」
ミカに彼氏ができたという話は未だ……それはさておき。
「チヒロさん。私がお聞きしたいのは、どうしてデートの提案をされたのかな、と。何か、私に頼みたいことでもありましたか?」
そもそもハタノは、チヒロの話ならなんでも聞くつもりだ。
彼女の決断は――自身の安全を度外視する点を除けば――いつも合理的かつ最適解であり、拒否する理由がない。
「遠慮しないでください、チヒロさん。私、チヒロさんの話なら何でも聞きますよ」
「…………」
「今日のデートは、とても嬉しかったです。そのお礼も兼ねまして、話があるなら、どうぞ」
一体、何の話だろう。
軽く身構えつつ、けど、深刻にならないよう、ハタノはチヒロに先を促し……
「実は……その」
「はい」
「……あの」
「はい」
「…………」
「……?」
珍しく、……本当に珍しいくらい、チヒロは言葉を濁した。
小さな指先でかりかりとテーブルをひっかき、言いにくそうに。
やがて何とか、言葉を絞り出すように……
「とくに、理由はなくて」
「――へ?」
一番、予想外の返事がきた。
もにょもにょと、チヒロが口を揺らし、早口でまくしたてる。
「旦那様が、そもそも外出を好まれない方だとは、理解していたのです。ただ私なりに感謝の意を示すには、この方法しか思いつかなくて」
「感謝の意を示す……? 業務ではなくて?」
「業務上の理由はなく、私個人として、旦那様に感謝の気持ちを伝えたい。それだけの身勝手な理由で、旦那様を連れ出したことは申し訳なく思います」
「いえ別に、それは全く申し訳なくないのですが……」
むしろ嬉しいくらいだ。
仕事人間のチヒロが、わざわざ、ハタノ個人のために時間を費やしてくれたことを喜ばない理由がない。
(そして、それを上手く話せない妻がまた可愛い)
そんな妻を眺めてると、ハタノもまた顔が熱くなるが――
コホン、とチヒロさんが、わざとらしい咳払いを挟む。
「とはいえ、その。旦那様。感謝の意を伝えたかったのには、ふたつ、理由があります」
「はい」
「……ひとつは、今までのお礼です。旦那様がどれほど自覚されているかは分かりませんが、私は、旦那様より本当に、たくさんのものを頂きました。その恩返しをしたかったというのが理由です」
妻はそう語るが、ハタノも彼女から色々もらいすぎている程にもらっている。
……感謝してもしきれないのは、こちらも同じだ。
「そして、もう一つ」
妻が静かに、こちらを見た。
すっと細められた瞳に、ハタノは意識を引き締める。
「旦那様なら言わなくてもお分かりかと思いますが――私は明日の治癒にて、命を落とすかもしれません」
「……。ええ。そうですね」
二人揃って、静かに頷く。
竜核移植。その危険性は、ハタノが一番よく理解している。
「旦那様。改めて聞くのは失礼かも知れませんが……私の治癒成功率は、どれ程のものでしょうか」
「私なりに最善を尽くします……が、確率の程は、保証できません。なにせ人の身体に竜核を移植するという手法自体、初の試みですから」
叶うのならハタノだって、必ず助けます、と口にしたい。
が、医療に事故はつきものであり、今回は未知の部分も多い。
万全は期する。
ガイレス教授――帝国最高峰の治癒師の協力も、確約した。
が、それを含めても100%助かります、なんて言うのは、彼女に対して逆に失礼だろう。
ああ……そうか。それで、チヒロさんは。
ハタノはようやく、理解する。
――彼女はおそらく、自身が死ぬ可能性を見越して――
チヒロの瞳が薄く輝き、ハタノを見つめる。
銀の髪がさらりと揺れ、彼女の唇がきゅっと僅かに細められる。
「旦那様。……私は元々、いつ死んでもおかしくない生き方をしてきました。帝国の民にとって最善となるなら、命を賭す決断も当然。それが”勇者”という生き方だと教わってきました。……が、私は母のように、強い人間ではなかったようです」
死ぬのが怖くないといえば嘘になる、と彼女はぼそりと口にした。
人間なら当然の感情だろう。
自らの死に恐怖を抱かない方が、人として異常だ。
「と同時に私は、――私自身が死ぬ可能性について考えた時、今のうちに旦那様にお礼をしておきたい、と思ったのです。死んでからでは、お礼が出来ませんから」
「……なるほど」
「それに今回の治癒がうまくいったとしても、私はいつか旦那様と離れる日が来るかもしれません」
「チヒロさん」
「なので……時間のある、今のうちに。生きているうちに、出来ることをしたいなと。まあ、勇者としては失格かもしれませんが……」
常にクールかつ冷静であり、仕事に忠実。
死を厭い、人様にデートを申し出るなど”勇者”らしくないですが、と自嘲するチヒロ。
――ハタノは、ふと考える。
彼女の思い描く”勇者”は私情を殺し、仕事を完璧にこなす勇者なのだろう。
帝国の道具として民に尽くし、民のためだけに命を賭ける。
それがチヒロさんの理想であり、そうなれないことに、彼女は劣等感を覚えているのかもしれない。
……と同時に、それを押してでも、彼女は自分にお礼をしたかった。
ハタノはにこりと微笑み、そんな彼女を肯定する。
「チヒロさん。私はこういう時に、お礼をしてくれるチヒロさんが好きですよ」
ぴく、と彼女が眉を上げた。
その柔らかな頬に手を伸ばし、そっとさすりながら、ありがとうと告げるハタノ。
「確かに今日のデートは、業務としては必要なかったかもしれません。……チヒロさんはそのことを、勇者として間違っていると思うかもしれません。けど、それでも。……いえ、間違っているからこそ、私はチヒロさんの行為を嬉しく思います」
「……旦那様」
「仕事の関係からは逸脱しますが、でも勇者だって、ふつうの人間です。そういう気持ちを持つことは、悪いことではないでしょう?」
葛藤に悩みながらも、自分に好意を向けてくれる妻。
それを喜ばない旦那が、一体どこにいるのか。
むしろ喜びしかありませんし、それ以上優しくされると……
ハタノの秘めた想いも、また揺らぎそうになってしまう。
(本当、私の妻は……どこまで可愛くなるのか)
こんなの反則だ、とハタノが茹だりながらも彼女の頬をさすっていると。
チヒロさんが、ほっと息をついた。
「……良かった」
「え」
「勇者らしくない態度。旦那様に嫌がられたら、どうしようかと」
今さら、彼女はハタノに嫌われることを気にして緊張していたらしい。
その様子があまりに愛おしく、ハタノはもう耐えられない。
頬に触れていた手をするりと伸ばし、彼女の背中へ。
優しく抱きしめると、チヒロはびくっと震えながらも、ハタノに体重を預けていた。
”勇者”にしては、小さな身体。
帝国の重圧を背負い、誰よりも仕事熱心でありながら、本当は誰よりも愛情深い妻。
――そして、明日には死んでしまうかもしれない、妻。
以前の銃撃事件のような、切羽詰まった状況ではない。
けれど、死の危険は……いつだって身近にある。
それが、ハタノとチヒロの進む道。
愛してはないけど愛おしい女を抱き、ハタノはこの熱を逃すものかと心に誓う。
必ず、彼女と完治させよう。
この世に絶対はないけれど、最善は尽くす。
そう願いながら、色々と我慢できなくなったハタノはそのまま、チヒロに口づけを落とす。
お互いの吐息が絡み合い、ぱちん、と瞬きが重なる。
彼女の手を取り、その身体をベッドに押し倒すまで――そう時間はかからなかった。
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