5-4.「私は仕事相手として、旦那様の判断は常に正しいと。そう、信頼しておりますから」


(結局のところ、不確定要素をすべて取り除くことは出来ません)


 妻と愛の抱擁を交わした後、眠りにつく裸の妻を抱きとめながら――

 ハタノは改めて、明日の治癒について考えた。


 竜核の移植。

 懸念事項はいくつもあるが、最も危ういのはチヒロと竜核の適合率。

 さらに懸念すべきは、竜核の移植が成功したあとのこと。

 竜核から竜魔力が産出された時――チヒロさんの身体が、その魔力に耐えられるかどうか。


(他にも懸念はあります。……フィレイヌ様の仰った、翼の勇者暗殺事件。私達を狙うなら、勇者チヒロに睡眠魔法がかかった治癒中……)




 ――例の帝都中央治癒院爆破テロ事件が、アングラウスと呼ばれる地下組織の仕業だとは聞いている。

 が、こちらはフィレイヌ様曰く「すべて任せて♪」との事だった。


「そっちは今、メリィが動いてるから」

「雷帝様が? そういえば最近、雷帝様の姿をお見かけしませんが」

「ヒ・ミ・ツ」


 しーっ、と唇に人差し指を立てる、フィレイヌ様。

 ……あの雷帝様が、わざわざ雲隠れするとも思えないが……


(こうして考えると、不安要素ばかりです。まあ治癒にトラブルは付きものですが、それでも――)


「どうかされましたか、旦那様。溜息などついて」


 考えてる間に、布団の中のチヒロがもぞりと身じろぎし、ハタノにすり寄ってきた。

 起こしてしまっただろうか。

 妻の身体を優しく撫でつつ、すみません、と謝るハタノ。


「明日のことを考えていました。……不安にさせてしまいましたか?」

「いえ。ただ、難しい顔をされていたので、気になりまして」

「まあ、100%保証のある治癒法でないのは確かです。だから可能な限り、使える手札を増やしておきたくて……他に、何かないかな、と考えていたところです」


 特級治癒師の協力。

 銀竜の竜核という最高の素材。

 教授によれば、他にもベテランの一級治癒師が数名補助につくという。


 大変ありがたい話だが――それでも、ハタノの不安は拭えない。


「……チヒロさん。私は本来とても怖がりな人間なのです。だから可能な限り、緊急時の対策を練っておきたい。そのために、アイテム袋には常時医用品をパンパンに詰め込んでありますし、少しでも効能があると聞いた薬は試したくなります。……チヒロさんは、竜魔力について何かご存じありませんか?」


 小さなことでも良い。

 もう一手、何か。

 万が一のときに、試せることはないだろうか――?


「旦那様。じつは今日伺った本屋でひとつ、興味深い話が。……ああ、でも治癒の役には立ちませんか」

「何でしょう」

「……試してみますね」


 チヒロが身体を起こし、裸のハタノへと寄りかかり。

 優しく、口づけを降ろされる。

 ん、とお互いのものが重なり、ハタノは先程身体を重ねたばかりだというのに、どきりとし――


 同時に、ほんのりと自らへ流れ込んだ魔力に、驚く。


 これは……魔力の譲渡。え?

 特級治癒師の、魔力送付?


「チヒロさん。これは?」

「旦那様。竜という種は、とにかく魔力をステータスとする傾向があるようです。大きな翼をもって異性に魔力の高さを象徴し、より高く空を飛ぶことで己の魔力を誇る。そして……」


 彼女がもう一度、口付けを重ねる。

 ハタノは自然と受け入れながら、小さな力が疼くのを覚える。


「竜は、番となる相手に、自身の魔力を送る作法があるそうです」

「……不思議な習性ですね。或いは、さすが竜と言うべきか。キスで魔力を送れるとは」

「はい。ただ欠点として、今のところ私から渡すしか出来ないのですが……」


 申し訳なさそうに、チヒロさん。

 確かに、治癒対象である患者本人から魔力をもらっては意味が無い。

 逆が出来れば、治癒に役立つのだが……。


「すみません。お役に立てず」

「いえ。お気遣いは嬉しいですし、もしチヒロさんの魔力がうまく元に戻ったなら、使いようがあるかもしれません」

「そう言って頂けると、幸いです」


 ふふ、と表情をゆるめるチヒロ。

 ……その顔を見ながら、ハタノはそっと妻を腕の中へと抱き寄せる。


「旦那様?」

「すみません、チヒロさん。魔力譲渡は関係ないのですが」

「はい」

「もう一度キスしてもいいですか?」


 見ていると、つい、可愛くて。

 ハタノの素直な誘いに、チヒロはくすりと笑い、自らそっと口づけを交わしてきた。


*


 それから眠るまで、取り止めのない話をした。

 ……本当に、ごく普通の夫婦のような。たわいもない会話。


「チヒロさんは将来、やりたいことはありますか?」

「将来、ですか。まずは治癒が滞りなく終わるよう、魔力をなるだけ温存……」

「いえ。明日のことでなく数年、あるいは将来の話です」

「それは……分かりません。そもそも私は勇者として働く以上、長生きすることを想定していませんでしたので」


 彼女らしい答えだと思うし、ハタノも似たようなものだ。


 治癒師として、人々のために働きなさい――

 両親からそう教わり、それ以外の将来について考えたことのないハタノは、仕事をしていない自分を全くイメージできない。


 普通の人のように、家庭を持つ、とか。

 妻とともに幸せに過ごす、といった未来について、思い描くことすら無かったのだ。


 けど、今は……。


「チヒロさん。これは私の皮算用、といいますか。あくまで治癒がうまくいった後の話になりますが……もし上手くいったら、チヒロさんの願いを叶えることが出来るかもしれません」

「……どういう意味でしょう」

「前に話した、一緒に居たい、という願いです」


 チヒロの治癒問題とは別に――

 現状ハタノは、フィレイヌから離婚の申し出を突きつけられている。

 ベリミーは婚約を辞退したが、そのうち別の男があてがわれることは確実だ。


 本来ならハタノもそれを受け止め、業務として別れるべきだが――


「……雷帝様に、直訴してみようと考えています」

「旦那様。それは……」

「逆らう訳ではありません。雷帝様にとっても有益な話です、と説得するだけです」


 チヒロと一緒にいたい。

 そのために必要な要素は、全て集めた。


 チヒロは一瞬、悩むように眉をよせ。

 けれど、ハタノにねだるように身体をすり寄せてくる。


「……私は、旦那様が決められたことなら、すべて、おまかせします」

「宜しいのですか、チヒロさん」

「ええ。私は仕事相手として、旦那様の判断は常に正しいと。そう、信頼しておりますかし、それに――」


 私も、あなたと別れたくありません。

 ……そう、ぼそりと聞こえた気がしたのは、ハタノの錯覚か。


(何にせよ、私は私の出来ることを成すだけです。チヒロさんの治癒も、それ以外も)


 不安は山積み。

 だが、やらなければならないなら、仕事をするまで。

 ハタノは再び彼女の身体を抱き留めつつ、彼女のさらりとした銀髪を撫でる。


 どうかこの温もりが、自分の手から滑り落ちないことを、願いながら。





 そして迎えた当日――

 チヒロの竜核移植の日が、やってきた。

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