6-1.「では、始めます」

「旦那様。皆様。本日はよろしくお願いいたします」

「こちらこそ。がんばってくださいね、チヒロさん」


 術衣を着て横になるチヒロに、ハタノは優しく声をかける。

 帝都中央治癒院、地上七階。

 VIP専用に設けられた一室に集まったのは、改めて見渡すと不思議な顔ぶれであった。


 ”一級治癒師”ハタノと、患者の”勇者”チヒロ。

 「あたしら場違いじゃね?」と、見学しながら焦る”四級治癒師”ミカと、同じく見学の”二級治癒師”シィラ。

 さらに、ハタノの側に佇む”特級治癒師”ガイレス教授と――

 そのさらに後方に控える、紫の法衣を着込んだ五名の”一級治癒師”。


 帝都中央治癒院に勤める白衣姿とは異なる、けれど不思議な柔らかさをもつ治癒師に、ハタノは首を傾げる。

 全員、女性だというのも珍しい。


「ガイレス教授。あの方々は?」

「帝都魔城専属の宮廷治癒師だ。本来なら”柱”の方々を初めとした重役のみに対応するが、今回は私が依頼をかけた。いずれも並以上の一級治癒師だ。……それとも、帝都中央の治癒師を呼んだ方が良かったか?」


 いえ、とハタノは首を振る。

 中央治癒院の治癒師となると、ハタノも面識がある相手も多く、やりづらい。

 教授が配慮してくれたのだろう。


 ハタノは彼女らに挨拶をした後――最後の一人へと向き直る。

 膝を組み、頬杖をつきながら優雅に足組をするのは、深紅の衣装に身を包んだ炎の化身。


「フィレイヌ様は、どうしてこちらに?」

「見学♪」

「そ、そうですか……」


 もしや、治癒に失敗したら即座に焼き殺されるのだろうか。

 まあそれも仕方ないか、とハタノは緊張しつつ一礼をした。


 フィレイヌが、やんわりと笑みを深くする。


「ハタノ。ガイレス。他よくわかんない顔もいるけど、全員に伝えておくわ。治癒に集中しなさい」

「――はい」

「今回の治癒は、帝国の未来に大きく関わるわ。失敗したら全員、責任取って貰うからね? 代わりに、あたしも新米の”柱”として責任ある仕事をさせてもらうわぁ。のんびり優雅に、見学という仕事をね?」


 うーん、と背伸びをしながら、リラックスする炎帝様。

 意味はよく分からなかったが……


(フィレイヌ様が、治癒に集中しなさいと仰ったのだ。そもそも私には、他にできることがない)


 緊張はあったが、焦りはない。

 銃弾に穿たれたような、切迫した状況でもない。


 ハタノはふうと深呼吸をし、チヒロへ痛覚遮断と催眠魔法をかけるよう宮廷治癒師に依頼する。

 宮廷治癒師がチヒロに触れ「大丈夫ですからね」と優しく告げながら、魔法をかけ始めた。

 チヒロが小さく頷き、ゆっくりと意識を落としていく。


 ハタノは痛覚遮断に問題がないか触れながら、シィラ達に視線を向けた。


「本日、私が行う予定の治癒法ですが――”竜核”という、竜の魔力産出臓器をチヒロさんに移植します。簡単な流れとしては、患者を左側臥位にし右下腹部を切開。”治針”を用いて周囲のリンパ管の結紮および血管を剥離し、腸骨動脈を露出させます」


 ハタノが治癒法を説明するのは、シィラの希望に応えるためだ。

 練習は何度もしたが、実践を見て学べることも多いだろう。

 ついでに、シィラに教えることは――当初は予定していなかった別の目的にも繋がる。


(シィラさん。ミカさん。すみませんが少々利用させてください)


 ハタノは彼女達に謝罪しつつ、淡々と流れを説明する。


 チヒロを眠らせ開腹を行い、動脈および静脈を露出させた後は、事前に用意した銀竜の”竜核”を速やかに繋ぐ。

 ”竜核”は、流入した血液より竜魔力を産出し、再び血流に戻す臓器だ。

 臓器単体として見れば肺のように外部とガス交換をすることも、腎臓のように尿管を別途つなぎ直す必要もない。

 構造面だけで見れば、おそらく人間の持つどの臓器よりも単純明快――それだけ、魔力生産と貯蓄に特化した臓器と言える。


 狙いは外腸骨静脈および内腸骨動脈。

 吻合には、”竜核”より元々伸びている竜核動脈および静脈を用いる。

 以前、竜の翼の血管を無理やり繋いだ時は、ハタノの切り札”創造魔法”を使って実践したが――”創造魔法”で作った血管はもろく長期使用に向いていない。

 なので今回は、代替案を用意させて貰った。


 ハタノが手技の概要を説明する間に、ようやくチヒロの意識が落ち、眠りについた。

 宮廷治癒師が瞼に触れたのち、ハタノに頷く。


 ――改めて、妻を見下ろした。

 瞼を閉じ、静かに眠るチヒロ。

 ハタノは彼女の笑顔を思い浮かべ「次に目を覚ました時は、もう元気になってますからね」と優しく呟き、アイテム袋より”治針を手に取る。


 ……準備は整った。

 ハタノは一度皆を見渡し、こくりと頷いて、


「では、始めま……」


 全員に声をかけようとした、その時――




 目が、合った。




 ミカやシィラと、ではない。

 宮廷治癒師でもなければ、側に控えるガイレス教授でも、フィレイヌ様でもなく。


 ……窓の、外。


 地上七階にあるはずの、建物の外から。

 ハタノ達の姿をじっと見つめる、巨大な一つ目の瞳――


「――っ!」


 その一つ目には鼻があり口があり、全身がもさっとした毛に覆われた巨人の化け物だった。

 固まるハタノの前で、巨人が大口を開ける。


 ……雷帝様が仰っていた、帝国内に現れる巨人を呼ぶ”召喚師”。

 フィレイヌ様の語った、”勇者暗殺事件”。


 まさか、と思う暇もなく巨人の腕が振り上げられた。

 ハタノの心臓が飛び上がり、その場の全員が息を飲み――


「ねぇ。あたしの言葉、覚えてないのぉ?」

「え」

「言ったでしょ? 治療に集中しなさい、って」


 炎帝フィレイヌが面倒そうに、パチン、と指をならした。


 直後――窓の外に業火が立ち上り、巨人の身体が飲み込まれていく。

 爆ぜる音をまき散らしながら、天まで届かんとばかりに炎の柱が伸び……


 残ったのは、炎に焼かれ歪んだ窓と、怪物のなれの果て。

 黒焦げとなった巨躯が傾き、崩れ落ちる寸前、再び炎が舞い上がりその姿を灰燼へと帰す。

 ……まるで巨人など、最初から居なかったかのように。


「あなたの仕事は、治癒でしょ? 目の前のことに集中しなさい。あたしはのんびり見学してるから――邪魔なんて絶対に入らないし、入らせないわ?」


 ふあ、とあくびをかみ殺すフィレイヌ。

 その様は、緊張という言葉と全く無縁でありながら、隙が無い。


 それでも皆が呆然とする中……ハタノは真っ先に、我に返る。


(フィレイヌ様の仰る通り。いまの私にできるのは、チヒロさんの治癒をすること)


 ……ハタノは治癒師であり、政治や戦闘は門外漢だ。

 フィレイヌ様は恐ろしい人ではあるが、それでも帝国の新たな”柱”。

 その守りは絶対であり信頼に足るものだろう。


(今回は、外からの妨害はない。銃が持ち込まれるような事件も、ない)


 つまり、ハタノの純粋な実力が問われる。――最高の環境。

 ハタノは再度チヒロに向き合い、息をついて集中する。


「では、始めます」


 ハタノの合図とともに、外から獣の声がした。

 再び炎が渦き、消失する。


 ハタノは二度とそちらを振り返ることなく、チヒロの身体に手を伸ばした。


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