1-1.「――しませんっ」

 雷帝様暗殺未遂事件から幾日かが過ぎ、夫婦にも日常が戻ってきた。

 そうなると、ハタノも休んでばかりはいられない。


 彼はもともと、ただの治癒師だ。

 政治や策謀、戦争や国の命運といった厄介事とは無縁の存在。

 叶うのなら、負担にならない程度でゆっくり仕事に勤しみ、のんびりと日々を過ごしたい。


 そう望むハタノであったが、そもそも……

 治癒師の日常自体、平穏からはほど遠いものであった。





「いやホントに大丈夫なんで、心配しなくていいんで、ホントいいんで……」

「アンタが大丈夫でもこっちが大丈夫じゃねーんだよ、頭から血ぃ流してて何が大丈夫なんだよ!?」

「これくらいかすり傷なんで、ほんと、治癒する金もないんで全然大丈夫なんで……」

「金しぶって命落としたら意味ないでしょうが、いいから寝てろ! あーもう!」


 辺境街マルタの町中にある、小規模の治癒院。

 ハタノが救急処置室に顔を出すと、ミカがいつも通りに怒鳴っていた。


 寝かされてるのは、三十代くらいの男だ。

 上着からズボンまで全てが泥だらけ。さらに側頭部から出血が見られる。頭を強打したらしい。

 よくある頭部外傷――本人がベッドから強引に降りようとしていることや、強烈なアルコール臭を漂わせてるのも含めて、よくある話だ。


 ハタノがどうしたか問うと、患者が「先生!」と元気な声をあげた。


「先生、さっさと帰してくだせぇよ。てか俺、妻に連れてこられただけで別に怪我も大したことないんで……」

「お気持ちは分かりますが、重症かどうかを判断するのは私ですので」

「俺の身体は俺のことが一番よく知ってるから大丈夫だぁ!」

「といって帰宅させて倒れると、私の責任になるので」


 これも、よくある話だ。

 患者が治療を拒否して帰宅し、あとで悪化した結果、家族が「なんで治療してくれなかったんですか!」と怒鳴り込んで来ることが。

 なんとも理不尽な話である。


「だから大丈夫だってよぉ……つうか金ないし。先生、金払わなくても大丈夫?」

「すみませんが、支払いは支払いで宜しくお願いします」

「ぼったくりじゃねぇかぁ! そこはまけてくれよぉ!」

「お気持ちは痛いほど分かりますが、特例を許すと他の患者さんと不平等になってしまいますので。それに支払いを頂けないと、スタッフの給与が払えず、結果的に治癒レベルの低下に繋がりますので……」


 申し訳なく謝りながら、ハタノは男の頭部に左右から触れつつ魔力精査を走らせる。


 頭部外傷で注意すべきは、頭蓋内の出血だ。

 もし頭蓋内出血していたら安静はもちろんのこと、場合によっては頭に穴を開けて血を抜く処置が必要になる。

 ハタノの知らない異世界には、肉眼以外の方法で頭蓋内を精査する技術があるらしいが――そこは魔力精査で代用する。


 魔力の多くは血に宿り、かつ、頭部は構造的な左右差がない。

 よって魔力の滞留に左右差があれば、病変部があると考えて差し支えないだろう。


(魔力精査、内部の左右差なし。骨折もありません)


 ハタノは安堵しつつ、続けて外傷部位に治針を沿わせる。

 肌に近い外傷は、治癒魔法の得意分野だ。

 さっとなぞり傷跡を治しつつ、汚染除去のため浄化魔法をかけていく。


「終わりました。お疲れ様です」

「だから必要ねえってよぉ……じゃ、俺帰るんで」

「お会計はあちらです」

「金ねえって言ってんだよぉ!?」

「分割払いを含めまして、当院では会計のご相談も受け付けておりますので」


 まあ、支払いが重いのは分かるが……。

 と、治癒を終えて男を見送ると。


 はあぁ~、とミカが溜息をついた。


「あーもう本当、クソ患者多いよね。あと酔っ払い。いや真面目な人も沢山いるけど……こう、一部のクソッぷりが突出してる出てるせいで目立つっていうかさぁ。帝都とどっこいどっこい?」

「この地方は魔物狩りを生業としてる方も多いですから、気性の荒い方も多いのでしょう。まあ帝都は帝都で、陰湿な患者が多い印象ですが」

「あーまあ、言われてみればそうかも? 帝都中央って客層がアッパーなぶん、プライドくっそ高い人多いしねぇ」


 ミカと話しながらふと、古巣の帝都中央治癒院はどうしているだろうか、と思い出す。

 今さら、戻りたいとは思わないが……。


(そういえば、ガイレス教授と結局お話できていませんでしたね。先日、治癒の補助をして頂いた礼をしておくべきでしたか)


 ハタノが思い出した所に、パタパタと足音が聞こえた。

 顔を出したのは、二級治癒師のシィラだ。

 ショートの赤毛を揺らし、遠慮がちに「先生」と声をかける。


「ハタノ先生、あのぉ……問診室に、患者さんがお見えになってまして」

「急ぎですか?」

「急ぎではないんですけど、ええと」


 申し上げにくそうにするシィラの背後から、そっと顔を覗かせたのは――。


「……あれ。チヒロさん?」

「すみません、旦那様。お忙しい所に」


 可愛い銀髪を揺らして診察に訪れたのは、ハタノの業務上のパートナーにして、愛していない彼の新妻。

 患者とは、彼女のことらしい――そこで思い出した。


 しまった、と慌てるハタノに、チヒロが耳打ちする。


(旦那様。本日は私に宿った竜魔力について、診察して頂く予定だと聞いていましたが)

(……すみません。いま思い出しました)

(いえ。こちらこそご多忙の中、申し訳ありません)

(私の方こそ、仕事がたてこんでしまっていて、意識から抜けておりました)


 妻の診察予定を忘れるとは。

 治癒師失格だな、と、ハタノが猛省しつつ謝ると、その側で。


「ほら見てシィラ、奥さんと旦那さんが治癒院でひそひそ話してる。きっとやらしい話だよ」

「み、ミカさん、そういうのは治癒院で言ってはいけませんっ……!」


 ミカとシィラがへんな誤解をしていた。

 いえ違います。

 断じてやましい話でもなく、――そもそも治癒院でやましい話など、するはずない。


 ハタノが面倒そうにミカを睨むと、ミカとシィラが「ひゃっ」と飛び上がり、笑いながら出ていった。

 まったく、と呆れていると……チヒロが、ふと呟く。


「こちらの治癒院は、今日も平和なようですね。働いてる人が楽しそうなのは、良いことです」

「私をからかっているだけですよ。まあ、あの程度なら構いませんが……」


 平和とは?

 と、言葉の定義について問いたくなるハタノであった。






「ところで、旦那様。……やらしい話もされるのですか?」

「――しませんっ」

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