1ー2.「旦那様? これは診察ですよね?」
チヒロの診察は、結局、夜になってしまった。
診察しようとした所でさらに急患が入り、対処に手間取ってしまったのだ。
妻の物分かりが良いからと、後回しにするのはよくない……と思いつつ、つい甘えてしまうのは自分の悪い癖だろう。
「申し訳ございません、チヒロさん。長らくお待たせしてしまって」
「いえ。勇者稼業もトラブルだらけの毎日です。事情は察します」
「ご理解頂けると、助かります。では診察室へ」
「……診察室内では、竜の話をしても大丈夫ですか?」
「こちらの問診室は音声遮断が入っています。個人情報が漏れないよう配慮されてますので、翼の件でも遠慮なく」
ハタノは改めて、妻を診察室に案内。
彼女を座らせつつ、机に並ぶ道具を手に取る。
別世界では、聴診器、と呼ばれるアイテムに似てるが、ハタノが耳に引っかけたものは仕様が異なる。
聴診器を当てた部分からちいさな魔力を放出し、反響で返ってきた魔力を耳でキャッチする、いわば魔力版エコー装置のようなもの。
ハタノは彼女に「失礼」と告げ、着物の上からぺたりと胸元に聴診器を当てた。
そのまま、心臓や腹部を確認。
……魔力エコーにより竜の魔力が反射するのは、必然だが――
(やはり以前より、少し弱くなっている。竜魔力が減っているのは間違いなさそうです)
推測通りの答えを、ハタノは素直に告げた。
「チヒロさん。正確な計測は後ほど行いますが、やはり体内の竜魔力が少しずつ減少していると考えられます」
「竜魔力の減少、ですか」
「ええ。改めて説明致しますが、現在のチヒロさんの体質は、竜の魔力を取り込み、後天的に、竜と人の魔力を混合した状態になっている可能性が高いと見ています」
雷帝様暗殺未遂事件。
撃たれたチヒロを救うため、ハタノは彼女に竜の血――竜魔力を注ぎ込んだ。
本来なら絶対あり得ないことだが、”勇者”のもつ再生力、そこに体質的なものも合わさり、彼女は奇跡的に生還した。
同時に、彼女は竜の翼をだせる、世界で唯一の、人と竜の半融合状態となった。
人の魔力と、竜の魔力。その両方を持ち合わせた状態だ。
しかし、彼女は人間だ。
身体が人間である以上、食物や草を食べ、そこから産出される魔力は人の魔力であり――竜の魔力を、自ら産出できる訳ではない。
何らかの方法で竜魔力を補充しなければ、チヒロは竜の力を失う。
そして今の彼女が竜魔力を失うことは、己の血の半分を失うに等しいダメージを負うのと同義だ。
「つまり、旦那様。何らかの方法で、私は竜の魔力を得続けなければならない、ということですね」
「はい。幸い竜魔力の消失はゆるやかですので、今すぐ倒れる訳ではありませんが――早い段階で対処しておかなければ、あとあと取り返しのつかない事態に陥る可能性があります」
病の基本は早期発見、早期治療。
慌ててからでは遅い。
「それで……一時的な処置になりますが、こちらのお薬を口にして頂けませんか」
ハタノはあらかじめ用意しておいた粉薬をカップに入れ、お湯をそそぐ。
濃いめのココア色をした飲み物。
ほのかに優しい香りがするのは、一緒にミルクを混ぜたからだ。
「冷ましてから、少しずつ飲んでくださいね」
ハタノの助言に、チヒロがそっと口をつける。
まろやかな味に、ほぅ、と息をつくチヒロは……すこし、優しい顔をしていた。
「旦那様、これは何を?」
「ドレイクの血液を用いた飲料です。ドレイクは、亜竜と呼ばれる竜の近似種でして。少しではありますが、竜の魔力を補填できると思われます。どうですか?」
「ええ。なんとなく、落ち着きます」
続けてふぅふぅと冷ましつつ、ゆっくり口にするチヒロ。
小さな口がカップの端に触れ、こくこく、と飲む姿がちょっと可愛いと思いつつ、ハタノは改めて話を続ける。
――普通の患者なら、言葉の配慮も必要になる。
が、チヒロなら、直にぶつけても問題無いだろう。
「チヒロさん。先に伝えておきますと、今のチヒロさんの症状を直すには、リスクのある治療が必要な可能性が高い、と私は見ています」
「……治癒法は、判明したのですか?」
「検討してる案は、一応」
ここ数日、ハタノは休養を取る合間に、チヒロの身体に関する資料を集めていた。
実家の資料を引きずり出し、竜の文献や解剖について、いくつかの情報を収集。
雷帝様のご協力を得て、秘蔵の資料も頂き……
結果、打開策を思いつきはしたが――実行するにはいくつか高いハードルが存在する。
「それで、リスクというのは」
「はっきり言いますと、失敗すれば死にます」
「なるほど。でも旦那様は、その中で最善を尽くしてくださるのでしょう?」
さも平然と尋ねるチヒロに、ハタノも頷く。
もちろんハタノは、彼女が死を恐れる一人の少女であることを、知っている。
けど同時に、彼女は勇者として、極めて冷静な判断ができる人であることも、理解している。
「旦那様。表現の問題ではありますが……要は、旦那様は私がもっとも生き延びれる確率を考え、実践してくれる、という話です」
「ええ。もっとも私の選択は、生き残れる確率が最も高い治癒と呼べるかはわかりませんが――」
ハタノは現状考えている治癒法について、軽く説明をする。
チヒロは驚いたものの、すぐに納得し、深々と頷いた。
「なるほど。理解しました。……それであれば確かに、私は旦那様の治癒法を選びたいと思います」
「ありがとうございます。私の力がどこまで及ぶか分かりませんが、尽力致しますので」
「元より、拾った命。旦那様にすべてお任せしますよ」
「そう言って頂けると、有難いです」
ハタノは微笑みながら、頑張らねば、と密かに奮起しつつ……
続けて、ハタノは診察室のベッドに妻を案内した。
「では、背中の様子も見ましょうか」
――現在、チヒロの背中には意図せず竜の翼が現われる。
出来るなら、その仕組みも調べたい。
チヒロが寝そべりながら、もぞもぞと、腰元の帯をゆるめた。
そのまま少し胸元を持ち上げ、背中がはだけるような格好になる。
(相変わらず、綺麗な背中です)
その傷一つない背中に無意識に見惚れそうになりながら、ハタノは聴診器を這わせていく。
肩甲骨の内側、ちょうど背骨あたりに当てつつ、傷跡がないかを確かめるように触れて――
もぞ、と、チヒロが小さく背中を動かした。
……?
どうかしたのかな、とハタノが覗き込もうとしたが、その前にチヒロがそっと振り返って。
「旦那様」
「はい」
「診察室で妻を脱がせるとは、少々、特殊な性癖をお持ちなようで」
「……診察ですからね?」
「存じていますよ」
ふふっ、とチヒロが薄く笑う。
それで冗談だと理解したが――
(うちの妻が、冗談を言うとは)
驚きと同時に、……ハタノは妙に嬉しくなる。
先日の事件の後から少しずつ、チヒロは素を見せるようになっていた。
業務上の相方とはいえ、ハタノにはそれくらいしても大丈夫、と、彼女の中である種の信頼が生まれたのかもしれない。
仕事をする上でも、それ位の愛嬌があった方がいいのは、分かる。
――ただ、まあ。
ハタノも一介の男として、冗談を言われたら、冗談を返したくなるもので。
「あまりからかわないでください、チヒロさん。真面目な検査ですから」
「ええ。失礼しました」
「……ところで、チヒロさん。診察室って防音仕様なんですよ」
「はい。先ほど聞きましたが、それが何か――んひゃっ」
ハタノは聴診器の代わりに、そっと、彼女の肩甲骨下あたりに指を這わせていく。
わざと、触れるか触れないかの柔らかさで……
羽を撫でるように。そーっと、なぞるように。
彼女が足をばたつかせた。
びくん、とかかとが跳ね、何かを我慢するように小さく震えている。
夜の営みを経験したハタノは、よく理解している。……彼女は案外、背中が弱い。
ああ違うか。
背中が、ではなく、背中も、か?
もちろん診察的な意味はない。
全くないが、夫婦のコミュニケーションも健全な医療のために必要なのだ――と、ハタノは適当な言い訳をする。
「あの。旦那様? これは診察ですよね?」
「ええ、診察です。が、夫に向かって特殊な性癖などと仰る妻には、そのご期待に応えねばとも思いまして」
「た、大変失礼しました。なので止めて下さい、くすぐったい……!」
慌てふためく妻を押しとどめ、妻の背中をさわさわする。
診察室が防音仕様で良かった、と、ハタノはろくでもないことを考えた、その時――
ばさっ、と。
彼女の背中に、銀色の翼がはためいた。
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