1-3.「家に帰ってから責任を取って頂けると幸いです」
「本当に、いきなり出てきますね。チヒロさんは自覚なく出してる感じでしょうか。……チヒロさん?」
「べつに……。旦那様は、じつは意地悪な方だったのだな、と」
白い頬を紅色させながら、妻がじっとハタノを睨んでくる。
診察ついでに、妻にイタズラをしていたら翼が飛び出てきた。
……こんな予定ではなかったが、ハタノは改めて翼の検証を始めた。
チヒロが翼を出現させたのは、今までに四回。
一度目は竜の血を注いだ直後、王国兵をなぎ払う一助として空を飛んだ時。
残り二度は先日、夜の営みの際に飛び出し、そして四回目が、いま。
(普通の創造魔法であれば、自分が竜の翼を広げている詳細なイメージを浮かべることで翼を出現させられますが……竜の魔法は、また異なる仕組みなのでしょうか)
人が竜魔力を宿した事例はないため、手探りで確かめるしかない。
「チヒロさん。翼を出した時、何を考えていましたか?」
「一度目のときは余裕がなくて、よく覚えてないのですが……ああ」
チヒロは寝そべったまま旦那を見上げ、ごく、当たり前のことを言った。
「二回目と三回目の時は……旦那様に抱かれる前でしたので、そのことを考えながらドキドキしていた、ような」
「そ、そうですか」
ちょっと照れるハタノ。
けど、そう考えると……やはり夜の出来事も、翼の出現条件に関係ある、としか。
冷静な話をしている間に、チヒロの翼が消えてしまう。
見当がつかないなと首をひねっていると――チヒロが着物を戻しながらベッドより起き上がり、ハタノに笑った。
「旦那様。……医学的な理屈はわかりませんが、ひとつ、試してみたいことがあります。宜しいでしょうか」
「構いませんけれど、何をすれば?」
「旦那様。私と手をつないでくださいませんか?」
言われて、ハタノはそっと、彼女の手を取った。
……勇者らしからぬ、柔らかい指先。
相変わらず綺麗だなと思っていると、続けて「顔を見てください」と言われ、ハタノは彼女と目を合わせる。
「…………」
「…………」
お互い、無言。
けど、正面から見据えたチヒロの瞳は相変わらず、宝石のように美しい。
天性の”才”を持ちながらも、雪のように白く柔らかな肌をもつ彼女に、ハタノがつい見惚れていると……
バサッ、と。
その背中で翼がはためいた。
彼女の流れるような銀髪とおなじ、麗しき銀色の翼だ。
「……どうやったのですか?」
「原理は分かりません。ただ、旦那様を見て、ドキドキすると、なんか出ました」
「なんか」
「興奮、といいますか。高ぶると、出てくるようで」
そんな滅茶苦茶な。
とも思ったが、よく考えたら……さっきも妻の背中に触り、まあ、些か……興奮してなかった訳でもなく。
もしかして本当に、興奮がトリガーなのか?
(卑猥な表現ですが、人間の男性も、性的興奮を受けたら勃つわけですし……竜の場合も、興奮によって翼が広がる、とか?)
そう考えると、チヒロが初めて飛んだ時も、生命の危機を乗り越えた直後。
極度の興奮状態だった、とも取れる。
竜が危機的状況において、反射的に空を飛べるようにするための機能か――?
ううむとハタノは首を傾げ、一方でチヒロも、うーん、と。
「しかし旦那様。……これは困りましたね」
「といいますと?」
「いえ。今の仮説が本当なら、つまり……その」
チヒロはらしくもなく言葉を探し、目を泳がせながら。
「私の直感ですが。……私が恥ずかしがったり、ドキドキしてしまうと、翼が出てしまう可能性があるわけです」
「はい」
「つまり私は旦那様に対して、恥ずかしがっている気持ちを隠せない、ということに」
これは大問題では?
と言われ、んぐ、とハタノが詰まる。
それは確かに恥ずかしい……というか、
「チヒロさんも、恥ずかしがったりドキドキしたり、するんですね」
「勇者として、感情は抑えるべきものだと理解してますが。旦那様の前だと、すこし緩んでしまうようで」
嬉しい事を言ってくれるチヒロ。
ハタノは目をそらしつつ、実験終了を告げる。
謎は深まるばかりだが、分からないことを検証し続けても仕方がない。
「今日はここまでにしましょう。ご協力ありがとうございます」
「はい。こちらこそ、ありがとうございます。旦那様に迷惑ばかりかける、不出来な妻で申し訳ありません」
「いえ。仕事ですし」
「……だとしても本件につきましては、私の方が一方的にご迷惑をかけている形になりますし」
チヒロが視線を落とす。
竜魔力の移植はハタノがとっさに行った事とはいえ、チヒロなりに責任を感じてるのかもしれない。
自分の治癒を旦那にさせ、そのフォローまで無理にさせている、と。
が、それは違う。
「チヒロさん。私達は夫婦なのですから、別に迷惑をかけてもいいと思いますよ」
「……?」
「妻に悩みがあれば、旦那が助けるのは当然のことかと」
チヒロは他人に頼るのが苦手な節がある。
元々強い人であり、かつ”勇者”だから、弱みを見せないよう振る舞うのだろうが……
だからこそ、ハタノは彼女の力になりたい。
仕事相手として。
……同時に、彼女には言えないが、一人の人間として。
ハタノは柔らかく微笑み、妻の手をさすりながら告げる。
「チヒロさん。チヒロさんは、もっと遠慮なく私を頼ってくれて構いません。私はそれを迷惑とは思いませんし、それに、チヒロさんのお世話は雷帝様にも命じられていますから」
「……旦那様」
「まあ私は、頼りにならない夫かもしれませんが。それでも、最善を尽くしますので」
ハタノは自分を、平凡な男だと認識している。
”一級治癒師”は恵まれた才ではあるが、特別ではない。
そんな自分が”勇者”である彼女の力になるなんて、おこがましいことではあるが――と思っていると、
ばさっ、と。
彼女の背中で、翼がもう一度はためいた。
「……? チヒロさん? 実験は終了しましたが」
「……違います。これは、実験ではなく」
「?」
「……ああ、これは困りましたね。下手な話をしてしまうと、私の心がバレてしまいます」
もじ、と指先をいじり、俯いてしまうチヒロ。
銀髪で隠すようにしつつも、ほんのりと赤く染まった顔を見て、ハタノもようやく理由に気づく。
で、そんな姿を目の当たりにすると、ハタノもいたたまれなくなる、というか。
(これは困りますね。改善を図らないと)
……自分達はあくまで業務上の夫婦。
そう言い聞かせ、コホンと咳払い。
「この問題に対しては追々、考えましょう。今すぐ困る訳でもありませんし」
「ええ。……ただ、旦那様」
「はい」
と、チヒロはまだ頬を朱に染めながら、そろりと、囁く。
「今日、ドキドキさせられた分は、家に帰ってから責任を取って頂けると幸いです」
その、僅かに熱を帯びた声に、ハタノもまた頬が熱くなるのを感じながら――
ずるいなぁ、と密かに思う。
(最近、妻が可愛くなった気がする)
先週の夜の一件以降、互いに、業務上の関係に過ぎないと知りながら――妻との距離が近づいた、ような。
気のせいだとは思うが、なんだか妙な甘さを感じ……
ハタノは高鳴る心音を抑えながら「帰りましょうか」と、未だ熱をもつ妻の指先を、優しく取った。
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