1-4.「何事も、やってみないと分からない事があるかな、と」

 その翼実験が契機になったかと言われれば、もちろん違うのだが。

 ハタノの中にも、無意識のうちに……

 家族というものに対する新しい価値観が、生まれていたのかもしれない。


*


「あ、あのっ……すみません、治療はちゃんと受けてくださらないと……」

「だからよぉ、俺のことは大丈夫だって!」

「でも……」


 待合室でまた大声がするかと思えば、先日、酒に酔って頭をぶつけた狩人の男がやってきていた。

 今日で二度目だ。

 確か、名前はバルクさんと言ったか。


 シィラが対応に苦慮していたので、ハタノが間に割って入った。


「代わりましょうか」

「せ、先生。でも対応したのは私で……」

「無茶をなさらず。それに私としても前回、見落としていたことがありましたので」


 ハタノはシィラから引き継ぎつつ、男を観察する。


 今日の男もまた、足元の厚底ブーツから膝まで泥だらけになりながら、酒の香りをぷんぷんと振りまいていた。

 付き添いの妻が心配そうに、男の手を引いている。


「あなた、お願いだから治療を受けて頂戴? それにほら、お酒もそんなに……」

「俺のこたぁ大丈夫だよ……どうせ仕事も出来ないろくでなしだしよぉ。大丈夫だって言ってるさぁ」


 足に擦り傷。右腕に、何かにひっかかれたような傷。

 骨折には至ってないようだが、山の中でも歩き散らしたのか、靴も足下も擦り傷だらけの泥塗れ。

 放っておくと擦り傷から汚染が発生してしまう可能性がある。


 ……同時に、ハタノはある事実に気づく。


「すみません。別室で、お話しても宜しいでしょうか?」

「だから俺の怪我なんて大したことねぇってのにさ、このぼったくり治癒院……」

「いいから行け、このアル中男っ」


 男の尻を居合わせたミカが蹴り飛ばし、ハタノがそのまま診察室に連れ込む。

 奥さんには一旦、外で待ってもらい――


 開口一番、告げた。


「あなた、本当は酔ってませんよね?」


 びくっ、と、男の肩が震えた。


「衣服や身体からは咽せる程のアルコール臭がしますが、あなたの口からはアルコール臭が致しません。安酒を被って、酔ったふりをして誤魔化してるだけですね」

「はぁ?」


 男がぼけてる間に、ハタノは腹部の精査を行う。

 前回は頭部外傷だけだったので省いたが、アルコールは体内の魔力を撹拌させ、さらに解毒のため肝臓に魔力が集中する傾向があるので精査すればわかる。

 当然、男にそのような兆候はみられない。


「それに、今日の怪我も不自然です。転倒による打撲はともかく、ひっかき傷なんて、酔っててもそうそうできるものではありません」

「そういう時もあるだろうよぉ。ちぃと酒飲みすぎただけでよぉ」

「それで、奥さんに何を隠しているのでしょう」


 防音仕様の診察室に感謝しつつ微笑むと、男が目をそらした。


「別に、何もぉ?」

「治癒師の仕事は、怪我を癒すことではありますが。同時に、病の原因を取り除くことも仕事です。もちろん、原因によっては完治できないものもありますが、話だけでも」


 ハタノとて、全て解決出来る、等という傲慢な気持ちは持っていない。

 けれど一介の治癒師として、ハタノに出来ることがあるかもしれない。


「……って相談してもよぉ、治癒師のセンセーには何の得もないだろ?」

「あります。私の仕事が減ります」

「なんだそりゃ。怪我して治癒院に来てもらった方が、金になるんじゃねーの?」

「その意見は否定しませんが、治癒師が全員、金目当てという訳ではありません。そもそも私は、仕事が好きではありませんので」


 目の前に瀕死の患者がいたら最善を尽くすしかないが、本来ハタノは働き者ではない。

 …………と、自分では思っている。


「で、仕事を減らすには、原因を治療するのが一番です。バルクさんも毎回、説教されてお金取られるのも嫌でしょう?」

「そりゃあ、まあ」

「で、どうされたんですか。他の人には言いませんので」


 治癒師の守秘義務に誓って。

 そう続けると、バルクさんはやがて、ぼそぼそと喋り出した。


「……俺ぁ元々、ギルドで魔物狩りを担当してたんだがよ。この前、仕事をクビになっちまって。……新米で入ったボンボンが居るんだが、そいつが危なっかしくて説教したら、お偉いさんに文句言われて、ぽい、だ」

「ふむ」

「で、山は元々組の狩り場だろ? 下手に手ぇ出したら、シマを荒らしたってことになるだろ? それに、ギルド員じゃない奴が魔物の素材を狩ったところで足下見られるのがオチだ。……だったら山奥までいって大物狙って稼ぐしかねぇだろ?」

「それで怪我をしたけど、奥さんに心配をさせたくなかった。だから、酒を飲んだフリをした、と」

「何なら山で死んだ方が良かったかもなぁ。いまの俺は無駄飯喰らいだ。……歳のせいか、身体も動かねぇ。……ってのは分かってるけど、でもじゃあ死ぬかって言っても、怖くてよぉ」


 魔物狩りの仕事は、元々あまり稼ぎのいい仕事ではない。

 強い”才”を持っていないことも明らかだ。


「先生にはわかんねぇよなぁ。そんだけ立派な”才”持ちなら、苦労なんてねぇだろうに」

「そうですね。私は、金銭的には恵まれている方だと思います」


 ”才”の差は、努力では覆せない。

 そして一級治癒師ハタノが”才”に恵まれている側なのは、明らかだ。……が。


「ですが、バルクさん。”才”そのものを覆すことは出来ませんが、工夫することはできますよ」

「……けどよ。帝国じゃあ”才”が絶対だし……俺の才は、ちんけな魔物殺しだし」

「では当院で働いてみますか?」

「は? 俺、魔物狩りだぞ?」

「帝国は確かに”才”至上主義ではありますが、”才”の弱い方でしたら、そこまで強い縛りはありませんよ」


 帝国で”才”に反した仕事をする者は、見下される傾向にある。

 ――ハタノの治癒技術も、一般の治癒師から見れば下劣な行いだろう。「治癒魔法を使わず、人の腹を開くなど邪道だ」と。


 が、それでも働く意思があるなら、ハタノとしては構わないし――

 結果を出せるよう、仕事を頑張ってくれるなら文句はない。


「け、けどよぉ。俺こんな身なりだし……それに”才”も”魔物狩り”の四級だし……」

「それは理由にはなりませんよ。ちなみに当院に限らず、治癒院はいつでもマンパワー不足なのでご心配なく」

「け、けど、魔物狩り一筋の俺がよぉ、今さら治癒院でなんて……できる気もしねぇし、その。怖いし、よぉ」


 バルクさんが怯えるように俯き、貧乏揺すりを始めた。


 彼は弱い人間なのだろうと、ハタノは思う。

 魔物狩りとして行き詰まり、無茶をする程なのに、新しい仕事に手を出すのは怖い。


 ……けど、その弱さはハタノ自身もよく理解できる。

 そもそも彼自身、口にはしないが不安はある。


 未知の病に対する恐怖。

 本当に治せるかわからない、妻の状態。

 治癒師の世界に絶対はなく、患者はいつだってあっさり死ぬ。


 けれど、でも。


「バルクさん。確かに、新しいことを始めるのは、怖いことではあります。上手くいかなかったらどうしよう、と私もよく悩みますし、悪夢にうなされます。……けど案外やってみると、上手くいく場合もあるようです」

「そりゃあ先生が優れた”才”があるからで――」

「私の妻は”勇者”でして」


 男が瞼をぱちくりさせる。

 ハタノはにこりと笑い、秘密を明かすように告げた。


「私は生涯、結婚など、ろくに出来ない男だと思っていました。帝国の法に従い結ばれても、きっと相手を不幸にしてしまうだろうと思っていました。……ですが幸いなことに、いまの妻とはそこそこ良好な関係を築けています」

「……それで?」

「何事も、やってみないと分からない事があるかな、と」


 そう。

 不安はあるけど――それでもやってみたら、案外うまくはまることも、時にはあるのだと。


 ハタノは夫婦関係を通じて、最近学んだばかりだった。

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