プロローグ(後編)

 翼の勇者暗殺計画、と”情報屋”は口にした。


「先に申し上げておきますと、私は心より平和を望みます。帝国に限らず、ガルア王国やアザム宗教国、他すべての国々が、戦など起こすことなく平穏無事に過ごしてほしいと願います。……ですが、その平和を実現するには少々、強すぎる力が存在します」


 ”情報屋”の瞳が、うっすらと紅色の輝きを帯びる。

 ガイレスの意識が、その眼差しに吸い込まれるように高揚し、どくん、と心音が強制的に高らされていく。


 ”情報屋”の声が、なぜか妙に、耳に心地よく響いていく……。


「ガイレス教授。元より帝国は”才”という面において他国を抜きん出ておりました。かの”神の雷”雷帝メリアス様をはじめとした三柱……いえ、いまは四柱でしたか。その力は他国にとって、脅威以外の何者でもありません。――が、それでも大陸は大規模な破壊も起きず、平穏を維持してきました。その理由はご存じでしょう。雷帝をはじめとした帝国の最高戦力――”柱”は本来、易々と表に出ていい存在ではなかったから、です」


 その話は、ガイレスも理解している。

 この世界には竜を操る”竜使い”や、空飛ぶ魔物を召喚する”召喚師”は存在すれど、人を乗せて空を飛ぶ”才”は存在しない。

 そして雷帝様を初めとした”四柱”は強大な力を持つ一方、勇者のように攻守に優れたわけではなく、また魔力が高すぎるが故に、他国の魔力検知に引っかかりやすい弱点があった。

 つまり”柱”が戦場に出るという行動そのものに、大きなリスクがあったのだ。


 ……今までは、だが。


「しかし先日の戦争――いえ、虐殺事件を機に、世界は一変した。雷帝様を乗せた、翼の勇者チヒロ。彼女の存在はあらゆる国家にとっての脅威です。一夜にして空を飛び、国の空より雷を降り注ぐ。その恐ろしさは語るまでもないでしょう」


 その力は、世界に大きな混乱をもたらすだろう。

 やがて、大陸を滅ぼすきっかけになる程に。


「その機転を起こしたのが、凡庸な”才”しか持たない一級治癒師。――そんなことが、許されて良いのでしょうか? ……気に入らないでしょう? ガイレス教授」


 ”情報屋”は大仰に腕を振るい、酔いしれたように語る。

 一見すると、妄想を信じ込んだ男の、ホラ話。

 しかし、……ガイレスは不思議と、男の言動に飲まれていく。


 その正体は”情報屋”のもつ特殊な才、”先導師”にある。

 相手に対し、隠蔽された独特の魔力を送りこむことで意識を狂わせる”才”だ。


 相手の意識を無理やり改変する”洗脳”ではない。

 ”先導”は相手の持つコンプレックスを刺激し、劣等感を肥大化させ、自分では意識できないうちに相手の思う通りに誘導されていく力だ。

 その力にかかった者は、自分が操られてることにすら気づかない。


 ”情報屋”を前に、ガイレスはぶつぶつと、己の使命を口にする。


「……確かに、その通りだ。私は……決して、一介の一級治癒師に遅れを取ることなど、許されない。そして私は人として、帝国を守り、大陸の平和を守る義務がある。そのために不要な力を持つ勇者、そしておかしな治癒をおこなう治癒師が、存在してはならない……」


 その返答に”情報屋”は満足げに笑い。

 ガイレスもまた己が操られてると知らず、にたりと笑った――


*


 ……ように見えたのは、もちろん、演技だ。


「なるほど、翼の勇者暗殺計画か。面白い話を持ってきたな、ガイレス?」


 帝都魔城、その一室。

 報告を受けた雷帝メリアスは、くく、と小瓶に入った”才殺し”の錠剤を揺らしながら愉悦に浸っていた。


「それにしても、先導師か。面白い才だが、貴様も舐められたものだなぁ、ガイレス」

「恐れながら、相手は”特級治癒師”を侮りすぎたかと」


 ”特級治癒師”は帝国でも有数の才であり、希少さだけで言えば”勇者”並だ。

 戦闘能力という面で秀でてはいないが――先導師にかけられた術を自己治癒し、無効化する程度の力は備えている。


 そして、ガイレスは生粋の帝国民だ。

 私心はあれど帝国に忠誠を誓った身であり、……付け加えると、雷帝様を初めとした四柱の存在を知りながら帝国に反逆するなど、馬鹿のすること。

 今回の件は完全に”情報屋”の勇み足だと言える。


「宜しい。この件ついてはこちらで調査しておく。……余も丁度、奴らにお礼参りをしたいと思っていたところだ」

「お礼参り、ですか」

「先日の暗殺事件の際、王国の兵どもは蹴散らしたが、余の肩を打ち抜いた元凶共はまだ生きてるだろう? その礼をな。……ああ、その話で思い出した。ガイレス。貴様、ハタノの治癒の際に協力したらしいな? たしか魔力を譲渡したと」


 ガイレスの顔が歪む。

 ――あれはガイレスにとって最低最悪の行為だった。

 特級治癒師が、一級治癒師に魔力を付与する。

 あれほどの屈辱は、人生で一度たりとも味わったことがない。


「ガイレス。貴様はハタノの補助とはいえ、余の命を救った男の一人だ。褒美を与えてやらんこともない。何か、望むものはあるか?」

「…………」


 しばし、考える。

 先導こそ弾いたが、ガイレスはあの男の言葉に、心が全く揺らがなかった訳ではない。

 ”特級治癒師”の自分が”一級治癒師”に劣ることがあってはならない、というのは、彼の嘘偽りのない本心だ。


 ……そして、その事実を証明するには。


 ”特級治癒師”ガイレスは、眼を細めて雷帝様を見上げる。

 その瞳に僅かな狂気を滲ませながら、彼は、雷帝様に「どうかお願いがあります」と膝をつき、彼女に願った。


「雷帝様。勇者チヒロはまだ、万全の体調ではありません。その次なる治癒を、どうか私に担当させて頂けませんか」

「ならん。と言いたいが、理由くらいは聞こう。その心は?」


 帝国への忠義か。

 或いは、治癒師としてのプライドが。

 問われたガイレスは、己を偽ることなく雷帝に告げた。


「私が、あの男――ハタノより治癒師として優れていると。それを証明したいだけでございます。すなわち――」


 私欲。

 それが、”特級治癒師”ガイレスの、つまらなくも――彼にとって最も意味のある動機であった。


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