第二章

プロローグ(前編)


 帝都中央治癒院。

 帝国最高峰の治癒施設にして、数多の治癒師が勤める現場は、その日もまた血の香りに満ちていた。


「おい何してる! さっさと治癒をしろ!」

「もうやってます! しかし……!」


 若い治癒師が悲鳴をあげながら、患者に”治癒”をかける。

 寝かされているのは、四十代の貴族男だ。

 息子と喧嘩になり、腹部に打撃魔法を受けたということで治癒院に来た。


 最初はただ、腹を痛めてるだけかと思われた。

 若い治癒師は軽傷とみて持続回復を実施。

 が、男は途中から脂汗をかき始め、顔面も蒼白となり、ついには腹部を押さえ蹲ってしまった。

 そこに来て治癒師は魔力精査を実施。腹部に魔力変調があったため治癒魔法を実施しているものの効果がなく、男はただ呻くのみ――


「治針が浅すぎる、もっと深くだ!」

「で、でもこれ以上刺すと、腹部を破る可能性があるのでは……それに身体の中に治針を入れるのは、治癒師としてどうかと」


 若い治癒師が怯え、先輩治癒師の喝が飛ぶ。

 その間にも、男の容体は刻一刻と悪化する。


 皆が最悪の状況を想定し始めた、その時――


「どきなさい」

「っ……き、教授」


 若い治癒師を押しのけて現れたのは、初老の男だ。

 “特級治癒師”ガイレス=ドルリア。

 帝都内でもわずか五人という、類稀ない“才”をもつ男が代わり、治針を握る。


 ガイレスは針の先端に魔力を込め、魔力精査をしながら右腹部にそっと針を差し込んだ。

 通常“治癒”の魔法は、直接触れた患部にしか再生効果を発揮しない。

 が、特級である彼の治癒範囲は一般治癒師を大きく上回り、病変部が針先より遠くとも容易に力を発揮する。


 しばらくして男の顔色が落ち着き、柔らかい息をつき始めた。


「おお」

「さすが教授。ありがとうございます!」


 治癒師達が敬礼し、ガイウスは無言でその場を後にする。


(”才“の力とはいえ、やはり凄いな教授は)

(聞けば先日も、帝都本城で起きた暗殺事件の治癒にあたったらしい)

(あの雷帝様を救われたらしいぞ? さすが帝国最強の治癒師様だ)


 背後から聞こえるのは、賞賛。

 噂によれば、ガイレスは先日起きた雷帝様暗殺未遂事件において、かの雷帝様の命を救ったという。


 誰もが称賛する“特級治癒師”ガイレス。

 生涯を医療のために尽くした男。

 帝国において最も優れた医療技術を持ち、挫折を知らず、栄光を歩み続けた者。


 そんな噂を耳にしながら、自らの執務室に戻ったガイレスは――


 だん、と、己の拳を叩きつけた。

 しわがれた顔は苦痛と憎悪に塗れ、ぎり、と歯軋りの音が響く。


(何が天才だ。特級治癒師だ)


 雷帝様を救出した?

 帝国最高の治癒師?

 ――その噂は、雷帝様が振りまいたカモフラージュに過ぎない。


 雷帝暗殺未遂事件。悪しき王国共のテロリストにより放たれた“才殺し”の弾丸。

 勇者を貫き、雷帝様に致命をもたらせたその力は、並の治癒師どころか、特級治癒師ガイレスですらただ棒立ちするしかなかった。


 ……たった一人を、除いて。


 かの雷帝様を治癒し、帝国を救ったのは……ガイレスが追放したはずの外法治癒師、ハタノ=レイ。

 一級とはいえ凡庸な”才”しか持たない男が、雷帝様を、そして勇者をも救い、挙句に空を飛ぶという馬鹿げたことを成し遂げ、ガルア王国に致命傷を与える転機となった――

 帝国百年の歴史においても類い希ないその功績は、そのまま、ガイレスの無能ぶりを露わにする。


(この私が、ハタノの名を表に出さぬための、スケープゴートにされるなどっ……!)


 特級治癒師ガイレスにとって”才”は全てだ。

 ”才”は帝国社会の根幹そのものであり、自分の権威を確かにするものであり、自分の存在意義そのもの。

 そんな彼にとってハタノの存在は、まさに自己を否定する元凶。


 ……腹立たしい。憎たらしい。

 どうしても、自分はあの男を認められない。

 特級治癒師ガイレスは、老いてもなお帝国最強の治癒師であり、あのような凡夫であってはならない。


 ……そして、もう一つ。

 治癒師ガイレスにとって、より腹立たしいのは――


 歯噛みする彼の耳に、コン、とノック音が届く。


「すみません、教授。お客様がお見えでして……へへっ」


 へらへらと顔を見せたのは、若い金髪の治癒師ベリミー。

 ハタノの先輩にあたるこの治癒師は、典型的な鞄持ちであり、ガイレスに取り入ろうと胡麻すりに勤しむ男だ。


 ちっ、と内心舌打ちするガイレス。


「何用だ。不要な客は招くな、と伝えたはずだが?」

「そうなんですけど、先方が、どうしても大事な話って聞かなくて……。教授に言えばわかります、と」

「口先だけの客など、ごまんといるだろう」

「それがなんでも、竜の翼がどう、とか」


 ガイレスの唇が、僅かに震えた。


「通せ。――貴様はそのまま戻れ」

「へ? あ、は、はいっ」


 ベリミーと入れ違いに訪れたのは、フードを被った細身の男性。

 ”情報屋”を名乗った色白の男は、どこか軽薄な、けれど何でも知ってますという顔つきで、にやりと笑った。


「これはこれは、初めまして。治癒師ガイレス様。私のことは、そうですね。”情報屋”と呼んで頂ければ」

「前置きはいい。竜の翼とは、なんの話だ?」

「いえいえ。大した話ではないのですがね? 先日、帝都本城のほうで少々、事件があったとお聞きしまして……その際、竜の翼が使われた、という話を聞きまして。

 ……ああ。事件について探りを入れよう、という訳ではございません。実際には誰が、かの勇者に翼をつけたのかは聞き及んでおりますので。……そして話を聞いた私は、そういえばと思い出したことがあったのです。――確か、帝都治癒院の研究施設にも、竜の翼が保管されていたのでは? と」


 ガイレスの瞳が、薄く輝く。

 ……確かに、帝都治癒院付属の研究室には、竜の翼をはじめとした稀少な素材がある。

 治癒実験のために保管された品の数々だが……。


「それで、本題は何だ。まさかとは思うが、竜の翼を譲れ……等と、妄言を述べるつもりは無いだろうな? そもそも竜の翼ほどの逸品となれば、私の一存ですら持ち出せん」

「ですが、教授であれば誤魔化して持ち出すことも可能でしょう?」

「私に罪を犯せと? 馬鹿馬鹿しい」


 ガイレスには、ハタノに対する恨みや事件に対する苛立ちもある。

 それでも長年帝国に尽くした男だ。堂々と裏切りを行うほど耄碌していない。


「仰る通りです。しかしながら、教授。私達が示す対価をご覧に頂ければ、すこしは考えを改めてくれるかと」


 そう告げた情報屋が、コトリ、と小さな錠剤を置く。


 ガイレスが頬を動かし、自然と魔力精査を行い……結果は、無。

 一切の魔力を感じないどころか、魔力精査が弾かれる。


 ……魔力が、弾かれる?


「こちらは私達の新商品”才殺し”。あらゆる魔力を弾き、才を無効化するもの。……を、薬品の形にいたしました」

「…………」

「偉大なる”特級治癒師”様に講釈を垂れるのは失礼かと存じますが、改めて説明を。この大陸に住む人の身体は、多くが魔力を含んでおり、また”才”の高い者ほどその割合が高くなります。すなわちこの薬は、ある程度の”才”がある者に対しては、極上の毒薬となるのです」

「……それで?」

「まあ、一級治癒師くらいであれば労なく殺すことも出来るでしょう。幸いにしてこちら、無味無臭となっておりますゆえ、怪しまれることもございません」


 そう告げて”情報屋”は、にたりと笑った。


「名だたる”特級治癒師”ガイレス様。あなたはご自分の人生に、ご不満はありませんか? ――もしご不満があるのでしたら、是非とも協力して頂きたいことがございます」


 そして彼は、囁くように教授に告げた。

 ――翼の勇者暗殺計画について。






――――――――――――――――――

二章連載開始しました。全45話予約投稿済みです。

明日にプロローグ後編を、その後は週3ペースで投稿していきますので宜しくお願いします。

またカクヨムサポーター様限定の近況ノートにて、ちょっとだけ本編先読みを始めました。詳しくは近況ノートの方をご覧頂ければと思います。


またまた頑張っていきますので、よろしくお願いいたします。

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