幕間1-4 「……その言い方は、少々、ずるいです」

 ハタノは女性慣れしていないとはいえ、妻とは幾度も肌を重ねている。


 初雪のように白く、華奢な体つきも。

 行為のたびに火照ったように熱を帯びる頬も、ベッドの上にふわりと広がるなだらかな銀髪も。

 絡み合う指先の感覚も、ハタノは幾度となく目の当たりにしている。


 それでも、彼女の魅力が薄れることはなく。

 むしろ行為を重ねるたびに、彼女が美しく見えてしまうのは、男の性だろう。


 今宵も、そんな夜を迎えていた。


「……旦那様」

「チヒロさん」


 彼女を傷つけないよう、丁寧に。

 けれど男としての本能に基づき、その綺麗な寝間着にそっと指を差し込んでいく。


 自然と、興奮を催す吐息が絡み合う。

 妻の顔が朱に染まり、ハタノもまた自然と息が荒くなりながら、彼女の新雪のような肌に手を伸ばした、その時――




 ばっ、と音を立てて……

 彼女の背中に、銀の翼が広がった。


 びくっ! とびっくりする夫婦。


「…………」

「…………」


 そういえば先日も、行為に及ぼうとしたら似たようなことがあった。

 ――ううむ?


「……旦那様。ま、また出てしまいましたね」

「はい。理屈はまだ不明ですが……何かしら、性的な行為をトリガーが翼の条件にあるのでしょうか? 翼、痛くはありませんか」

「すみません。私もまだ、竜の魔力をコントロールできてないので、なんとも……はい。痛みは、ありません」


 困惑しつつ答える、チヒロ。

 もちろん彼女にも理屈は分からないし、ハタノも攻めている訳ではない。

 原因については、ハタノも現在調査中であり、保留するしかない。


 何はともあれ、今日の行為は中止だろう。

 そもそも翼が出たままでは、彼女を寝かせるのが若干、大変になる。

 それに仕事人としては、彼女の休息は当然の判断――


「……旦那様。今日は、私が上になりましょうか」

「へ?」


 と、言っている間に、彼女が器用にハタノの腕をつかんで――ころん、とひっくり返された。


 細身の身体であっても、相手は”勇者”。

 一介の治癒師が逆らえるはずもなく、気づけば、彼女が覆い被さるように自分を組み伏せていた。


「……チヒロさん。大丈夫、ですか?」

「ええ。痛みもありません。ご心配なく。それにこの体制なら、支障がでないことでしょうし」


 それはまあ、理屈的にはそうだろう。

 けど、ハタノには別の問題があった。


 うっすらと、艶を帯びた瞳でハタノを見下ろす、チヒロ。

 その顔は耳まで朱に染まりながらも、女の欲を僅かに感じさせる仕草。


(いや。子作りは結局のところ、つながれればよいので、体位や姿勢の問題ではないのですが)


 分かっている。頭では分かっているし、理性で否定はするのだが――

 これも男の性か、あるいは本能に刻まれた欲望か。


 ハタノを旦那として、男として見下ろしてくるチヒロの眼差しが。

 着崩れした寝間着が。したたるように、こぼれ落ちる銀髪が。

 その背中でふわりとはためく翼が、……どうしようもなく美しく、同時に、なまめかしいまでにハタノを誘っているように見えて。

 ごくり、と、唾を飲む。


「どうかしましたか、旦那様」

「いえ。……いえ、なんでもない、です」

「なにか支障が? 旦那様は私の旦那であり、いまは主治医です。遠慮なく言っていただければ」

「そ、そうではないのですが」

「しかし明らかに様子が……私、なにか間違えましたでしょうか」


 チヒロが心配そうに、眉をしゅんと落としてしまう。

 その表情がますます、ハタノを追い詰める。


 ……これは下手に誤魔化すと、まずい。

 チヒロは相手を気遣う性格だ。ハタノがここで黙れば、彼女は何かしてしまったのではと悩んでしまうかもしれない。


 なら、そのぉ……。


「いえ。全く間違ってはいません。ただ、その……妻の姿が、あまりに愛らしかったので、見惚れてしまって」

「ふへっ!?」


 顔を真っ赤にする彼女。

 ああもう、だから言いたくなかったのに――恥ずかしいのだ、こっちも。


 が、肝心の妻は「いや、あの」と、声にならない言葉を口走り。

 ぺちり、と誤魔化すように、ハタノの胸板をちいさく叩いた。


「旦那様。世辞は結構です……」

「世辞ではありません。普通に、チヒロさんが可愛いなと」

「し、しかし。……このような、翼のはえた血なまぐさい女など」

「チヒロさん」


 続きの言葉を遮るように、妻の名を呼ぶハタノ。

 その意見は全くの筋違いだ。


「血なまぐさいとか、翼がどうとか、私には関係ありません。私は素直に、チヒロさんは可愛らしい妻だなと、思っただけです」

「あ、っ、しかし……」

「確かに、私たちは契約上の夫婦です。愛で結ばれた訳ではありません。――が、それとは別に、可愛らしい妻に対して、可愛いという言葉を言うくらいは……いえ。本音を言えば恥ずかしくはありますが。私は世辞も、嘘も、言っておりません」


 その証拠に、ハタノの心臓は今もどくどくと激しく脈打っている。

 おそらく普通の女相手であれば、ただ身体を重ねただけで、こんな気持ちにならないだろう。


 相手がチヒロだから、だと、ハタノも理解している。

 むしろ先日の一件から、彼女に対してより深い気持ちを――……


(いや。そこまで言っては、チヒロさんに迷惑ですか)


 ハタノは湧き上がる自分勝手な気持ちを、ぐっと押し込み。

 代わりに彼女の銀髪へと指先を伸ばし、そっと、すくう。


「とにかく。チヒロさんに魅力がない、なんて、間違いです」

「ぅ……」

「少なくとも私は、そう感じています。それでは、いけませんか」


 今はそれで十分だろう、とハタノはささやく。

 ――というか、これ以上言葉を紡ぐのは、ハタノとしても恥ずかしいし、自分はそんな素敵な言葉を持ち合わせていない。


 代わりに彼女の後頭部へと手を伸ばし、自らに近づけて口づけを交わす。

 ん、と淡い重なりの後、僅かに顔を話したチヒロの瞳には、もう、ハタノしか映っていない。


「旦那様」

「はい」

「……その言い方は、少々、ずるいです」


 そう語りながら、彼女が再びハタノにしなだれかかり。


 耳元で「では、その美しい妻を存分に可愛がってください」とささやかれ――

 ハタノは彼女の翼を傷つけないよう、そっと、背中に手を伸ばした。


*


 そうして一夜が明け、ハタノはゆっくりと目を覚ました。

 隣では、薄いかけ布団をまとったチヒロが一糸まとわぬ姿のまま、すうすうと小さな寝息を立てている。

 翼は結局、行為のあとに消えてしまった。


 彼女に宿った竜魔力の影響がどれ程のものか、ハタノは未だつかめていない。

 人体に他生物の魔力を宿した事例を探ってはいるが、結果は未知数だ。


 それでも、治癒師として夫として、彼女の治癒に全力を尽くすしかない――


 と同時に、予感があった。


(こうして穏やかに過ごせる日も、そう長くはないかもしれません)


 いまは雷帝様の命により、僅かばかりの日常をもらってはいる状態だ。

 その均衡が長く続かないことも、ハタノは理解している。


 敵国ガルアや宗教国アザムが、黙っているはずもない。

 そして、雷帝様や帝国上層部の意向。

 ハタノ達は否応なく、巻き込まれていくだろう。


(それでも、一介の治癒師にできることは、彼女を治すことです)


 いまの自分に出来ることは、多くない。

 それでも最善を尽くそうと決意しながら、ハタノは優しく、隣に眠る妻を見つめて微笑んだ。


*


「ところで、旦那様。この翼、もし行為のたびに毎晩出るようでしたら、これから毎回、私が上ということに……」

「!?」

「私としては構いませんが、……ああ、そういえば私の持つ資料には、たしか妻が夫に背中を向けて、後ろからというのが……え、横向きもあるのですか?」

「チヒロさん!?」


 早く治療しないと、夜の尊厳が保てないかもしれない。


 ハタノは改めて、妻の治療を決意するのであった。








――――――――――――――――――

(ただ夫婦がいちゃついてるだけの)幕間はここまでです。

次は二章を更新する予定ですが、もうしばらくお時間頂けると幸いです……!


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