5-5.(駄目だ。ここではまだ、死ねない)

「お、お前達が私を、半端者だと馬鹿にするから悪いんだ! 私を、この特級治癒師たる私を押しのけて、治癒をするなど! 私は半端者などではない、悪いのはお前だ、お前が、院長、などと」

「っざけんなテメェ死ねやオラァ――っ!」


 ”才殺し”を握りしめたグリーグ教授に飛びかかったのは、ミカ。


 容赦なく右ストレートでぶん殴り、転がったグリーグ教授へ警備員が駆け寄り、その身柄を抑え込む。

 その様子を――

 ハタノは床に倒れ伏しながら、どこか、他人事のように眺めていた。


(刺されたのは、背部右側。肋骨下から、おそらく一刺し)


 激痛に耐えながら自己分析をしつつ、ハタノは、……これはまずい、と顔をしかめる。


 体内から漏れ出る血液と、体感的にわかる魔力漏出。

 痛みとともに、身体を維持する何かが零れ落ちていくような感覚。

 生命の喪失とも呼べる本能的な恐怖がぞくぞくと背中を駆け上がり、ハタノは自身の傷の深さを理解する。


(何らかの動脈をやられた。場所は……っ)


 痛みに思考を奪われる中「先生!」と悲鳴が響く。

 うつ伏せのまま顔を上げれば、シィラがすかさずハタノの傷に治針を伸ばし、治癒魔法を放つ――が、


「っ……!」

「シィラさん。……効きませんか」


 返事はなかったが、青ざめたその表情で理解した。

 ”才殺し”により、治癒魔法が弾かれたのだろう。


 ……となれば、ハタノが生存するには。


「シィラさん。私の体内に残されたであろう”才殺し”の除去。できますか?」

「っ……それ、は」

「手順は……まず魔力エコーにて魔力消失を確認し、”才殺し”の場所を……っ」

「先生!」


 まずい。痛みのせいで、思考がまとまらない。

 ずきずきと痛みが響き、続けて身体の中から何かが急速に失われていく喪失感が、ハタノの意識を蝕んでいく。


「傷の様子は……まずは持続回復を」

「もうしてます!」

「では、次は……」


 傷の様子は、どうなのか。

 シィラにどう伝えれば良いのか。

 声を詰まらせながら顔を上げれば、シィラは青ざめながらも自らのアイテム袋に手を突っ込み、浄化魔法をでたらめに振りまきながら聴診器を掴むのが見えた。

 ハタノの背に当て、”才殺し”の場所を探そうとして、その唇が歪むのが見える。


「シィラさん。腹腔内で出血している場合、魔力エコーでの反射が消失します。その場合、もう直接かっさばいて出たとこ勝負で……」

「っ――はい! 何とかします! 何とかならなくても、絶対、何とかしますからっ」


 シィラが聴診器を捨て、涙目でナイフを掴んだ。

 それを見て――


 ああ。この子はちゃんと、やれることが分かっているな、と、ハタノは妙に安心した。

 手際こそおぼつかないものの、目指すべき形は見えている。

 彼女に”才殺し”について語った覚えはないが、症例から成すべきことを推察し、理解しているのだろう。

 ……本当に、優秀な子だ。


 その隣に駆け寄ってきたのは、ミカ。

 血相を変えながらハタノに持続治癒を行いつつ、何かを叫んでいる。


 が、うまく聞こえない。

 推測だが、ミカが手術用の痛覚遮断と睡眠魔法を使い始めたためだろう。


 その二人を見つつ、ハタノは。

 自分の意識が深い深い海の底へと引きずり混まれていく感覚を覚えながら……。


 ふと。


 ごく自然な感覚の元――自分の命は、ここで潰えるのだろうなと、ぼんやり、思った。


 諦観や、絶望から出た意識ではない。

 ただ一介の治癒師として、この傷は致命的であり、シィラの手をもってしても癒やせないだろう、と冷静に考えただけだ。


 腹部への動脈損傷を伴う”才殺し”。

 自分が主治医であったとしても、救命できる可能性は低いだろう。

 しかもハタノは、チヒロのような強い自己治癒能力も持っていない。


 であれば、ハタノの意思にかかわらず、自分の命が尽きるのは自然なことだ。


(……まさか、こんな形で終わるとは、思ってもいませんでしたが)


 自身から体温が失われていくのを覚えつつ、ハタノは瞼を閉じる。

 多くの患者の死を看取ってきたからこそ、不思議と、事実に基づいた己の最後を冷静に受け止める覚悟が、できた。


 グリーグ教授への恨みだとか、己の死に対する不満を覚えることは、特にない。

 そもそも人の死が理不尽に訪れることは、経験上よく理解している。


 今回はたまたま教授が牙を剥いただけであり、少し違えばハタノが”宝玉”の爆発に飲まれていた可能性もある。

 あるいは明日、何気ない事故で命を落とす可能性だって、ある。


 人間の死は、普通の人が思っている以上にありふれたものだ。

 だから、ハタノがある日突然命を落とすことだって。

 世界の不条理に飲まれることだって、ごく自然にあり得ること。


(――どうやら私は、ここまでのようです)


 遠くから、シィラの悲鳴が聞こえる。


 鎮痛と睡眠魔法による意識混濁とは別の、……深海へと引きずり混まれるような。

 身体が重く、けれど意識は軽くなり、魂が抜けていくような。


 ハタノは薄れゆく意識をゆっくりと手放しながら、心の中で息をつく。

 深く深く、地の底へと滑り落ちていくような感覚に、抗わず、ひたすら地の底へと落ちていき――





 ぱちり、と。

 小さな光のようなものを、見た気がした。


(………………?)


 理性では、当然のように理解している。

 人が病や怪我で死ぬのは、自然なことだ、と。


 ハタノの気概や情熱に関わらず、生命には物理的、魔力的な限界があり、その許容量を超えれば死ぬ。

 世界の原則。

 人は、死ぬときは死ぬ。


 生命の消失とはそれくらい、人の心に関係なくあっけなく訪れるものであり、ハタノもその世界の法則に抗うことなく、一つの命が潰えるという事態を見届けるべき――

 はず、なのに。


(……違う。これでは、駄目だ)


 身体の感覚すらないまま、ハタノは暗闇の中で拳を握る。

 何度も。

 何度も。

 それが自分の指だとすら分からず、そもそも自分の身体がこの世に存在するのかすら不明なまま、無の世界のなかで何かを掴もうと手を動かす。


 身体をよじる。

 前後も左右も分からないなか、もがき、ひたすらに蠢く。

 戻れ。

 戻れ。


 ハタノは、手放しかけた何かを掴み、己を叱咤しながら立ち上がろうとする。

 足らしきものに力を込め、身体を再現しながら、歯を食いしばる。


(駄目だ。ここではまだ、死ねない)


 自分は死ぬ。

 分かっている。

 それは重々分かっているし、抗えないものだと理解している。

 ……それでも抗おうと、薄れる意識に爪を立て、がりがりと情けなくも魂にしがみつく。


 考えてみろ。

 ……いや、考えるまでもない。


 自分は何のために、帝都中央治癒院の院長になった?

 自分は何のために、仕事に熱を込め、多くの人と向き合ってきた?

 何のために、ここに居る?


 自分の命。生きること。

 それが自身の生存欲のためだけなら、ここで命を手放しても仕方がないと思えただろう。

 自分一人が消えたところで世界には何の影響も及ぼさず、悲しみも喜びも生まれない。

 それが世界のルールだというなら、自然体で受け入れよう。


 ……けど、今は違う。

 ハタノが死んでも、ハタノは困らないけれど――



 ハタノが死ぬと、ハタノ以上に悲しむ人がいるではないか。



 ――ハタノが最も悲しませてはならない、あの人。



 彼女はきっと、自分の死を聞いても「そうですか」と涼しげに応えるだろう。

 人一人が亡くなったところで、業務に支障をきたすような人ではない。

 ……彼女はとても強く、勇ましく、美しい方だから。


 けど、ハタノは知っている。

 彼女が心の奥底で、何かを失うたびに小さな悲鳴をあげていることを。


 彼女は顔に出さないだけで、ごく普通の少女と同じように、泣き、笑い、喜び、悲しんでいることを、ハタノは嫌というほど見つめてきた。

 薄い銀髪を揺らし、うっすらと、ハタノにだけ淡い笑みを見せてくれることも。

 ベッドの上で、旦那にだけは甘く切ない顔を見せ、自分を愛おしく求めてくれることも。

 全部、自分が知り、愛しいという想いを抱き、幾度もその身体を包んできた相手


 そんな可愛らしい妻を、この世に残したまま息を引き取るなど。

 ……夫婦でありながら、妻を悲しませたまま、この世を去ってしまうなど――


 旦那として。

 絶対に、あってはならない。


 だから、ハタノは抗う。

 自分自身のためでなく、たった一人の女を悲しませないためという、あまりにも身勝手で傲慢な欲望に基づき、世界に何一つ影響しないであろう理由をもとに、運命に抗う。


 それが。

 それが、ハタノの短い人生の中で見つけた、本当に大切な人生の答えだから――





「っ、ぐっ……!」

「ハタノ先生!? い、いま心臓が止まって」

「え? えええっ!?」


 息を吹き返した途端、聞こえてきたのはシィラとミカの悲鳴。

 それで状況を理解する。


 自分はいま、死んでいたらしい。


 げほ、と、ハタノは呼吸を取り戻しながら。

 それでも唇をつり上げ、シィラに笑いかける。


「……裏技を使いました。凄いでしょう、シィラさん」

「ど、どうやって」

「愛の力です」


 何言ってんだこいつ、と言われそうだが――実は、本当のことだ。


 ハタノは己の体内に集中し、魔力を走査。

 心臓に集中させ、全身に循環させる。


 たかが一級治癒師の魔力では”勇者”のように生命を維持することなど不可能だ。

 血と魔力が足りなければ、人は死ぬ。

 ――ただしそれは、体内にある魔力が人の魔力だけの場合、だ。


「ハタノ先生。これは……竜魔力……?」

「凄いでしょう。私の可愛すぎる妻は、じつは半分、竜でして」


 ハタノが行ったのは、体内に残存する竜魔力をかき集め、生命維持に変換する荒技だった。

 もちろん通常のハタノの才では、それを行える程の力はないが……


「竜と番になると、じつは妻の魔力を貰えるのです」


 そしてハタノの妻は最近、愛情表現がすこぶる熱い。

 夜ごと肌を重ね、何かとキスをねだる妻に応えている間に、ハタノの身体にはごく自然に竜魔力が蓄積され――それを無理やり、ひねり出した。

 ネイ教授が、ハタノから「竜の魔力のにおいがする」と話していたのを、思い出したのだ。


「どうやら竜魔力は、意識すればかなり融通が利くようです」

「っ……で、でもっ」


 シィラの悲鳴。彼女の言いたいことは分かる。

 まだ、自分は危機を脱したわけではない。


「ええ。こんなものは、ただの時間稼ぎ。あと十分も持たないでしょう」

「そうです! このままでは……!」


 シィラは声を荒げながらも手を休めず、ハタノの背に治針を当てている。

 背部を切開する感覚がもぞもぞと届くが、彼女はまだ創部から”才殺し”の破片を除去できていない。


 それでも、ハタノはシィラに笑う。


「大丈夫です。安心してください」

「え」

「私は、ここでは死にません。少なくとも、妻を置いて死んでしまうようでは、約束が果たせませんから」

「でも!」

「感情論ではなく、事実です。……そろそろ、来ますから」


 ハタノがそう告げた途端。

 ちかり、と、空に一条の光が灯った。


 もちろん院内にいたハタノに、それが見えるはずもない。

 それでも彼は、至極当然のように理解し――直後。




 窓ガラスを突き破り、銀色の光がはためいた。

 閃光を伴いながら飛び込んできた銀光は、驚く治癒師達の合間をすり抜け。

 ハタノの元へ雷のごとく、飛び込み。


 薄く瞼を開いたハタノに、すぐさま、その唇を押しつけてきた。


(……ああ。やはり、来てくれた)


 ハタノはそれを当然のように受け入れながら、彼女の、柔らかくも力に満ちあふれた口づけを貪るように味わい、身体の底に炎を灯す。

 竜魔力の委譲を受け、ハタノの身体に再び、命の灯火が激しく宿った。

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