5-6.「怪我人がいるなかで何も出来ないのは、治癒師の名折れでしょう」

 全身が熱い。

 煮えたぎるが如き魔力の奔流が、ハタノの体内を暴走するように駆け巡る。

 目の前でバチバチと光が弾け、まるで、ハタノの全身が魔力に置き換わってしまったかのような感触。


 その全ては、妻の口づけから送られてくる膨大な竜魔力だ。


 妻チヒロの魔力は底を知らず、その愛は加減を知らず。

 傷つき、死の淵に瀕していたハタノの命を強引にすくい上げる。


(本当に、うちの妻は)


 しがない治癒師であるハタノに、愛だけでなく命すらも授けてくれるとは。

 本当に、この世で最も愛おしいとしか言いようのない――いや、そんな言葉で表現してなお足りないくらい、素敵な妻だなあと思う。


 ハタノはそんな妻に、ふふっと笑いながら……

 何とか動く腕を伸ばし、薄く涙している妻に、笑う。


「チヒロさん。……ありがとうございます。もう、大丈夫です」

「旦那様。でも、まだ」

「ええ。まだ危機は脱していませんが、一旦は持ち直しました」


 無論、自分の背中には未だ”才殺し”が刺さったままだ。

 せっかくチヒロから頂いた魔力も、傷口からするりと抜けるように落ちていく。


 それでも時間は稼いだし――

 何より。

 今にも泣きそうな顔をした妻を置いて、あの世に旅立つなんて罪深いことをする気は、ハタノには全くない。


「シィラさん。”才殺し”除去の方を続けてください」

「っ、は、はい!」

「そして見ての通り、いまの私には他者から魔力をもらう術があります。愛の力です。よって、多少の無茶が効きます。――傷口が広がっても構いません。強引にでも除去をお願いします」


 ハタノの話にシィラが戸惑い、けれどすぐ、その眼差しがすっと冷たく落ちていく。


 いい目だ、とハタノは笑う。

 外科治癒を行う者は、ときに人の心を持ってはいけない。

 人間を治癒するのでなく、工事現場で工事をするかのような冷徹さをもって治癒にあたる――人体を傷つけることに臆し、人命が損なわれては意味がない。


 シィラは優しい性格だが、同時にそれが出来る治癒師だ。


 ハタノが顔をうつむけると同時に、シィラの手が走った。

 直後、おそらく治癒用ナイフによるものと思われる鋭い痛みが背に走るが、ハタノはぐっと歯を食いしばり耐える。

 驚いたのは、ミカ。


「ちょ、シィラ? 先生! 痛覚遮断、切れてるよね? 大丈夫なの!?」

「不要です。私の意識が混濁していては、シィラが困ったとき質問に答えられなくなります」


 シィラも理解したうえで、麻酔なしでハタノの背に手をつけた。

 それが最善の医療だからだ。


 もちろんハタノは一介の治癒師であり、痛みになれている訳ではない。

 さらに、自分が患者側になって初めて体感するが――

 己の皮膚を傷つけられ、むき出しとなった腹部に冷たい金属の針を突っ込まれかき混ぜられたりする感触は、おぞましい、と表現するのも憚れるような恐怖があった。

 自分の身体が、自分でないものに引っかき回されているような。


 んぐ、と、思わず痛みに暴れたくなるが、ハタノはうつ伏せのまま嗚咽しながらも耐える。

 チヒロが心配するが、構わず、ハタノは気合いと根性のみで寝台に爪を立てる。


 シィラはハタノを意に介さず、無心で身体をかき分け“才殺し”の刃を探す。

 それでいい。

 患者の苦痛にいつも寄り添っていては、相手の心は救えても命は救えない。


「っ……」


 シィラの治針が、ハタノの最深部に振れた感触があった。

 「そこです」と、ハタノは合図を送る。

 自身に魔力精査をかけ、体内の中から魔力反射のない部分――”才殺し”の先端部と思わしき場所と、シィラがいま針を当てている場所が合致する。


「先生。ちょっとどころでなく痛いと思いますが、頑張ってください」

「遠慮はいりません。殺すつもりで、お願いします」

「はい」


 そしてシィラは先程ハタノが実践したように、ミカに依頼しゆっくりと刃を抜きながら治癒魔法を行使した。

 ハタノからその様子は見えないが、身体の芯に熱が灯り、傷が焼けるように痛む。


「っ……ぐっ……!」


 治癒魔法による復元痛に歯を食いしばりながら、ハタノも自身の腹部に手を当て、繰り返し、魔力精査を実施。

 自己診断を行い、自身の体内に損傷した動脈や臓器が残っていないかを探していく。


 シィラの手腕は確かなものだった。

 セオリーに従い、身体の内側。動脈や臓器、続いて遮断していた動脈等を治癒魔法で復元し――最後に、皮膚の傷を閉じ、治癒を完了させていくのを体感で理解する。

 ――大丈夫。完璧だ。


「せ、先生。終わりまし……っ」


 直後、ふらりと、シィラの膝が崩れた。

 慌ててミカが支えるも、シィラは腹部を押さえたまま俯き、盛大に咳き込み、嘔吐いた。


 治癒魔法の行使のしすぎ、ではなく、過度なプレッシャーを乗り越えた反動だろう。

 ハタノも経験がある。

 本当にヤバい処置を無心で乗り越えたあと、抱えていた緊張感がどっと押し寄せ、その場に倒れ込んでしまう経験が。


 ……けど。

 お陰様で、傷は癒えた。


「ありがとうございます、シィラさん。本当、素敵な治癒師になりましたね」

「い、いえ、まだまだ……」

「謙遜しないでください。本当に、驚いているんですから」


 ハタノがシィラに感謝しつつ、よろめきながら――手をついた。


 傷は癒えた。

 なら、次にすべきことは。


「ちょ、先生!? まだ立っちゃ駄目でしょ!? あんたいっつも患者に無理するなって!」

「ええ。ですが、今は無理のしどころでしょう、ミカさん」


 チヒロが「旦那様」と抑え、ミカが止めようとするが、ハタノは立ち上がり未だ治癒を続ける広間を見渡す。


 もちろん激痛はあるし、未だ吐き気は収まらず胃の中で暴れている。

 叶うなら今すぐぶっ倒れて眠りにつきたい。


 その全てを飲み込み、ハタノは両の足でその場に立つ。

 今のハタノは、ただの患者ではない。

 帝都中央治癒院の長であり、同時に”才殺し”外傷患者を癒やせる、数少ない治癒師なのだから。


「……旦那様」

「心配しないでください、チヒロさん。……命の危機に陥るようなことは、致しません。ただ、私にできる範囲で治癒活動を続けられる、と判断しただけです」


 ”勇者”たるチヒロが苦境にあっても、民のために戦場に立つように。

 ”治癒師”ハタノもまた、今できる最善を尽くすだけ。


 それが、ハタノに与えられた仕事だから。


「同じ状況なら、チヒロさんだってそうするでしょう?」


 ふふっとハタノが微笑むと、チヒロは僅かに戸惑い……

 はい、と頷くチヒロ。


 認めたくはないが、ハタノ達は夫婦揃って仕事人間だ。

 そして互いに、そのあり方を邪魔しない――だからハタノは、チヒロのことを愛おしく思う。


「旦那様。無理はなさらず。けれど最善を尽くしてください」

「ええ。……二度と、ご心配をおかけするような事態は起きないかと」


 ハタノは拳を握り治し、己の治癒魔法を再確認。

 妻から頂いた竜魔力のお陰で、痛みはあるものの魔力そのものに余力があることを確かめた後、ハタノの様子に呆気にとられていた院内スタッフにはっぱをかける。


「では、治癒を再開します。すみませんが引き続き、”才殺し”に深手を負った患者はこちらに」

「ほ、本当に大丈夫で……」

「ご心配なく。――それに、怪我人がいるなかで何も出来ないのは、治癒師の名折れでしょう」


 声を張り上げ、ハタノは痛みを堪えながら、引き続き連絡を受け持った。

 戸惑いながらもホルス教授が報告を行い、エリザベラが「あんた本当に大丈夫なの!?」と怒声をあげるが、笑って返す。

 あくまで一治癒師であり、現場の長として、ハタノは――

 この場にいる必要がある、と判断し、引き続き患者の治癒に尽力する。





 そうして働き続けたハタノは、結局――最後まで気づかなかった。

 現場で刺されてもなお不死鳥のごとく立ち上がり、治癒師の本分を全うしようとする、ハタノの背中に――


 治癒師としてのあり方を。

 帝都中央治癒院という巨大組織の、長としての風格を。

 否応にも、誰もが認めざるを得ない背中を晒していることに、彼だけが気がついていなかった。


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