2-6.「お疲れの旦那様を、ぎゅっと抱きしめてさしあげます」
「そんなに緊張なさるな、ハタノ君。わしは別に、君に危害を加える気はないぞ」
柔らかく告げられたところで、ハタノの緊張は到底収まりそうになかった。
帝国四柱が一人”城帝”――ドゥーム=ガン。
雷帝メリアス様、及びフィレイヌ様が帝国の刃とするなら、かのご老人は帝国の守り神。
城帝様が存在する以上、帝都の陥落はあり得ず……また現帝国において、雷帝様と唯一真正面から張り合える相手、とも言われている。
不敬を働けば、その時点で首が飛ぶ。
「ふーむ。そこまで怖がられると、悲しいのぅ。では少々、気を楽にしてやろう」
と、城帝様が指先で丸テーブルを、トン、とつついた。
ハタノに背後の扉を促す。……?
「開けてみなさい」
「は、はい」
指示を受け、ハタノが慌てて客室入口のドアを開け――
……え?
「あら。お帰りなさい、旦那様」
「チヒロさん!? これは……」
「どうされまし……え。城帝様?」
顔を見せたのは、いつもの白エプロン姿に身を包んだ、困惑顔のチヒロ。
それも当然――先ほどまで廊下だったはずの扉が、なぜか、自分の部屋と繋がっている。
どういうことだ。
一体どうなっている???
混乱するハタノを余所に、城帝様はふぅむと白髭をいじり、微笑んだ。
「ふむ。自己紹介もなしに話をするのも、失礼であったか。では改めて、名乗らせてもらおう。わしは帝国四柱が一人、城帝ドゥーム=ガン。極才”館の主”の持ち主――といっても、雷帝の小娘に比べれば地味ぃな才ではあるがの」
「館の、主」
城帝様がすっと手をあげた。
チヒロがやってきたドアがするりと消え、壁になる。
廊下の消失。
部屋の接続。……まさか。
「失礼ながら、お尋ねしますが。城帝様の”才”とは、まさか、城を自由に操れる力なのですか……?」
あまりにも非常識だが、まさか、この帝都魔城の中を自在に組み替えられる、とか?
「ほっほっほ。わしは建築家ではない故、城を操るような才は持っておらんよ」
良かった。
そこまでの化物ではないらしい――
「城に限らず、建物であれば全部操れるぞい」
「……は???」
「正しくは、わしの魔力が許す限りの一定範囲。その内部にあり連続性をもつ物質全てを、わしの身体として操れる。その気になれば、帝都魔城に足を生やしてジャンプもできる。腰に来るがなぁ」
もっとヤバかった。
いや、ヤバいなんてもんではなかった。
「そなたは雷帝の小娘が、獅子に変貌するのを見たことがあるか? 極才の持ち主は、その気になれば人を辞められる。わしが行っているのは、その応用。その身体を建物に溶け込ませ内面から操る。それがわしの”才”よ」
むふふと笑う城帝様。
ハタノは、相手が普通のお爺様ならとっくに認知症を疑っていただろう。
が、相手はかの城帝様であり、その力を目の当たりにしたばかりだ。
……信じがたいが、事実ならそのまま受け入れるしか、ない。
「分かったであろう? わしが本気で害をなそうと思ったなら、そなたを呼ぶまでもないと」
「え、ええ」
ひんやりとした寒気を感じたのは、ハタノの気のせいではない。
城にいる限り、下手すればハタノはいつでも、城帝様の手のひらの上ということだ。
”極才”の力に改めて恐れを抱きながら、けれど、ハタノは相手に危害を加える気がないのを理解し、ふっと息をつく。
「それで、お話というのは……」
「なに。ただ、そなたの人となりを知りたいと思ってのう」
そう言われても、ハタノはごく平凡な治癒師だ。
日々仕事に追われ、患者のクレームに悩み、いまは雷帝様の無理難題と貴族の嫌がらせに苦心しながら、妻を守ろうと頑張るごく普通の旦那。
「私に、特筆すべき点はないと思いますが」
「そなたはいまの帝国、”才”社会をどう見る?」
「……まあ。些か”才”に偏りすぎているかもしれない、程度には」
「そなたが”才”そのものを否定していないことは理解している。性格も実直。ワーカーホリックの気質があり、そして中々の愛妻家」
う、とハタノは声に詰まり、ほんのり頬が熱を持った。
……その台詞、妻の前では言わないで欲しい。
と、隣の妻をみれば、チヒロさんは堂々と背筋を伸ばして笑い、
「はい。大変、愛されています」
「チヒロさん!?」
「ほほ。若くて結構。……変わったな、勇者チヒロ。お爺ちゃん見てて嬉しいぞい」
孫娘をみるお爺さんみたいな挨拶をされた。
「だがのぅ? ハタノよ。若人の成長はうらやましい限りだが、国というのは男児のように、三日会わざれば刮目して見よ、とはならぬ。急速な変化は、ときに衝突や無用な反乱を生む。……雷帝の小娘はまだ若い故、血気盛んなのは良いが、些か急ぎ足でな」
「それは……」
「歳を取ると、時代の変化に追いつくのも大変でのぅ……それに歴史的な背景も知っているぶん、どうにも賛同し難い面もある。で、そんな小娘がそなたを買っていると聞いて、話を聞きたくてな」
城帝様がゆるりと安楽椅子に背を預け、ハタノに笑う。
笑っているように、見える。
が、その瞳はチヒロの刃にも劣らぬ気迫を備え、――返事を間違ったら死ぬ、と、ハタノは唾を飲む。
「ハタノよ。できれば素直に答えて欲しい。そなたは今の立場で、何を望む? 富か。権力か。或いは信念か。己の医を皆に勧めたい、あるいは己の正義を押しつけたい。或いは、帝国そのものの改革か?」
「それは……」
「わしは、君という人間を知りたい」
ハタノは一瞬、考えた。
富。権力。己の医療。正義。階級が上がれば、様々なものが手に入る。
……けど、ハタノの答えはたった一つ。
いまの自分が、決して譲れないもの。
「私は、……ただ、妻を守りたいだけです」
「ほう。医の普及ではない、と?」
「確かに私は、人の知らぬ医の知識を持って育てられてきました。患者を救いたい気持ちも、ない訳ではありません。……しかし私は、それを無理に押しつけるつもりも、そのために社会を劇的に変えようという気もありません」
ハタノは、ごく普通の小市民だ。
人の上に立つ器でもなければ、雷帝様や城帝様のように、世界の明日を担う存在でもない。
仕事に対して自分なりに誠実に行ってはいるが、同時に、あふれる程の熱意を持って取り組んでいる訳でもない。
そんな彼が、帝都中央治癒院の院長になった理由は、ひとつ。
「ただ、偶然により出会った妻を好いてしまったため、彼女を守るには院長の立場がいい、というだけの話です」
「旦那様……」
「ふむ。わかりやすく、よい動機だ。帝国のため、人のためと綺麗事を並べるより余程よい。……であれば、長いものに巻かれておくのも手であろう。どうかね? 小娘ではなく、わしの側につかんかね?」
「……それは、出来ません」
こちらは迷うまでもなかった。
ほう、と城帝様の銀の瞳が鷹のように細く、ハタノに狙いを定める。
「理由は?」
「大した話ではありません。私は、嘘が苦手というだけのことです」
政治的な策略は、ハタノは得意としていない。
ならここは、真正面で突破するのみ。
「私は性格的な点を含め、他人を裏切るのが得意ではありません。……その上で、雷帝様は私が味方である限り、私を守ると約束してくれました。その約束が本当に果たされるかは、分かりませんが――それでも、信頼というのは、一度裏切ると二度と手に入らないことは理解しています」
信用を築くには長い年月がかかるが、瓦解させるのは一瞬だ。
人は、一度裏切ったものを二度と信用することはない。
そして雷帝様は性格に難はあれど、ハタノを買い、約束を守って頂いてるのは事実だ。
「まあ単純に、雷帝様が怖いというのも事実ですが……怖い上司が後ろにいるというのは、力強くもあります」
「その不器用さで、帝国貴族を相手にできるとでも? 時には腹芸も必要じゃよ?」
「ええ。ですが、この城がたとえ伏魔殿であろうと……私がその信念を曲げてしまえば、私はきっと、自分を見失ってしまいます」
異国には、ミイラ取りがミイラになる、という諺があるらしい。
相手に取り入るため政治ごっこに明け暮れ、苦手な腹芸をやろうとしてしまえば、ハタノは知らぬうちに彼らの内側に引きずり込まれてしまうだろう。
それよりは愚直に進んだ方が、ハタノらしいはずだし――妻に対する後ろめたさも、ない。
「私の目的は、政治をすることではなく、妻とのんびり過ごすことですので」
それが、ハタノの包み隠さぬ本心だ。
……まあ口にしてて恥ずかしくはあるし、城帝様には物足りない、青臭い解答だとは思うが――
「ほほ。合格」
「え」
「帝国貴族と張り合うには、細工がいる。が、その細工に溺れ、政治家ごっこに興じる馬鹿が多いのも事実。……わしの甘言にほいほいと乗るようなら、つまらんなと思ったが、なるほど。小娘が見込むだけのことはある」
城帝様が息をはき、椅子にゆるりと腰掛けた。
緊張がほどけ、ふっと、空気が軽くなる。
「わしはそなたと敵対する気はない。必要があれば手を貸そう。貸しは、高くつくがな?」
「……城帝様」
「それに”宝玉”を憂いているのはわしも同じ。アレを政治の玩具にしか思ってない奴もいるようだが、下手すれば帝国が傾く原因になりえる。そなたの協力、頼りにしておるぞ」
では失礼。
パチン、と城帝様が指を鳴らし、――ハタノの足下に突如、穴が現れた。
わ、とバランスを崩し、翼を出したチヒロに抱かれながら着地した先は、……自分達の生活に使っている客間。
城帝様は最初に現れた時と同じく、幻のように姿を消したのだった。
*
その、城帝様の圧から逃れて――
「っ……」
ハタノの全身から、ぶわりと冷や汗があふれた。
雷帝様や炎帝様とはまた違ったプレッシャーに、気づけば喉がからからに乾いていた。
――あの返事で、本当に良かったのか。
汗を拭いつつ、ハタノは先ほどの会話を思い返そうとして――止める。
(城帝様が本気を出したなら、考える暇もないはず。……考えるだけ、無駄というもの)
他人の心など、推し量れるものではない。
かの城帝様の動向について考えたところで、相手が本気になればハタノなど一握りで潰されるはずだから。
(それに、敵対した訳ではありませんし。悪くなかったと考えましょう。……というか考えてみれば、私もずいぶん人と会っている気がします。……雷帝様、炎帝様、城帝様)
これで、三人。
お会いしてないのは帝国四柱、最後の一人”秘帝”様だけだ。
ただの治癒師がずいぶん大事になったなあ、と苦笑しながらソファにぽふんと腰を下ろすと、チヒロがお疲れ様でしたと声をかけてきた。
「いきなりのことで驚きましたね。旦那様。会議も含め、お疲れ様でした」
「ええ。ただの治癒師に、あのプレッシャーはきついものがあります」
「ですが、堂々とされた会話。素敵だったと思います」
「堂々と、というよりは本音をただ口にしただけですが……」
素直に褒める妻に、ハタノはちょっと恥ずかしく頬を掻く。
自分は、残念ながら格好良さとは程遠い男だろう。
ハタノはほっと息をつきつつ、汗で濡れた衣服をぱたつかせながら、お風呂に行こうと席を立つ。
緊張に火照った身体を、少しでもほぐそうと思ったのだ。
が、その袖をくいと、妻に止められた。うん?
「旦那様。お風呂の前にひとつだけ、お願いがございます」
「? 何でしょう」
「大したことではないのですが……」
遠慮がちの妻に、なんでもどうぞ、と促すと。
チヒロは耳にかかった銀髪をそっと払い、白い頬を薄い紅色に染めながら、ハタノにこっそりとおねだりした。
「先程の、城帝様との会話の……ただ、妻を守りたいだけです、という台詞を……もう一度、言って貰えませんか?」
「っ――。……いや。改めて言うまでもないことかと」
ドキリとして、ハタノは目をそらす。
言わなくても、分かると思うし。
ていうか、照れくさいし。
恥ずかしいし……。
困惑したように視線を泳がせるも、くるっと彼の前に回り込んでくる、チヒロ。
「旦那様にとってはそうでも、妻としては、何度でも同じ台詞を聞きたいものです」
「うぅ……」
「もし、もう一度仰ってくれたら、お疲れの旦那様を、ぎゅっと抱きしめてさしあげます」
ゆるりと両手を広げ、甘えるようにはにかむチヒロ。
その言い方は、卑怯ではないだろうか?
(いかん。最近、妻の愛情表現が前より直接的になってきた気がする)
昔の自分達は、もっと恥じらいや遠慮があったと思う。
少なくともチヒロの手術を終えて帰宅し、ハタノがうっかり告白してしまったあの日より前は――衝動に心が揺らぐことはあっても、我慢が効いていたはずなのに。
……いや。逆か。
あの時はお互い心を抑えつけ、我慢していたから……今になって反動が来ているのでは?
(い、いやそれはさすがに考えすぎか。しかし)
ハタノは変な妄想にとらわれながら、チヒロを見る。
ほんのり耳まで赤くなっているあたり、妻も恥ずかしくは思っているのだろうが……
”勇者”である彼女は、もともと行動力が高い。愛情表現も、本人が意識してるかはさておき、熱烈だ。
そして、そうまで迫られて答えないのも、旦那としては宜しくないだろう。
もじ、と、それでも旦那であるハタノは口をすぼめつつ。
「えと……私は、妻を守るために、仕事を頑張りたいと思います」
「旦那様。私の目を見て言ってくれると、妻はもっと喜びます」
「……は、はい。私は、チヒロさんを守りたいな、と、いつだって思っています」
改めて口にすると、妻がはにかみ、ハタノを優しくぎゅっと抱きしめてくれる。
柔らかな温もりに包まれつつ、ハタノもお返しのように妻の身を抱きながら……ふやけた脳で、ああやっぱり勝てないな、と思う。
(どんなに言葉を並べても、やっぱり好きなものは好き、ですし)
昔のことなど関係ない。
今、ハタノはこの両腕に包んだ温もりを愛おしく思うし、守りたい。
と、すっかり恋愛脳にやられた頭を揺らしながら、彼女の身体を優しく抱きしめるハタノであった。
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