2-7.「最近お前から漂う旦那ラブラブ人妻オーラが凄くて、余も胸焼けしそうなのだ」

「雷帝様。ここ最近、翼の訓練ばかり続いてますが、宜しいのでしょうか?」

「ガルアとの戦が落ち着いたからな。それに、チヒロの翼は帝国でも唯一無二。どの程度のことが行えるか試しておくことは大切であろう?」


 帝国のとある昼下がり。

 チヒロはその日も雷帝様を背に乗せ、翼による飛行訓練を行っていた。


 勇者チヒロの竜魔力は、先日ハタノの治癒を受けて以来、非常に安定している。

 銀竜の竜核はチヒロによく馴染み、いまやチヒロの身体の一部のような錯覚すら覚える程。

 もし、ガイレス教授の”魔力送付”による継続治療を行っていたら、チヒロはこうも自在に飛べなかったことだろう。


(やはり旦那様は、すごい。ご自分では、ただの治癒師と仰いますが)


 身体を水平に維持し、翼を広げてゆるりと帝都上空を旋回しながら魔力障壁を展開。


 今日の訓練は、背中に要人を乗せた状態での空中戦シミュレートだ。

 さすがのチヒロも、空を飛びながらの抜刀や魔法攻撃となると勝手が違う。

 足の踏ん張りも効かなければ、炎魔法での射程も足りない。そもそも空中における基本戦術自体、まだ未開拓だ。


「そもそも人は空中戦を想定しておらぬからな。余もどう戦えばいいかと言われると、わからぬ」

「旦那様の話によりますと、一対一の空中戦は相手の背後を取ることが大切だそうです。多くの飛行生物はいきなり旋回することができないため、相手の尻尾を追いかけるように攻めると良いのだとか。その様子が犬同士の喧嘩で尻尾を追い回すのに似てるため、ドッグファイトと呼ばれるそうです。……普通は、ですが」

「普通は?」

「私以外に実例がないですが――敵が私と同性能の場合、手のひらを後方に向けるだけで魔法を打てるため、その限りではない、と」

「奴はなんでそんなことまで知ってるんだ……? まあ、余が背に乗ってる限りはその問題もないがな」


 雷帝様が両腕を広げる。

 背中で魔力が弾け――バチン、とチヒロを中心とした球状の雷が放たれた。

 360度、全方位への雷撃。

 雷帝様らしい超広範囲の魔法に、チヒロは相変わらずだと感心しつつ、空を飛ぶ。


 雲一つない快晴。

 地上を見れば、今日も騒がしい帝都の全貌、そして山の巨人のようにそびえ立つ帝都魔城の姿がみえる。


(眩しいですね。人の営みがよく見える、というのは)


「どうした、チヒロ。穏やかな顔をしているな。貴様らしくもない。やはり”血染めのチヒロ”としては、空より血を好むか?」

「いえ。私とて、好んで血に染まっている訳ではありません。以前の環境と違いすぎることに、驚いてはいますけれど」


 元々”勇者”チヒロは暗部専門の勇者だ。

 母から仕事を受け継ぎ、帝国の歯車として生涯を終えることに、疑問を持つことすらなかった。


 ――ハタノとの結婚も、仕事のひとつ。

 男に抱かれ、愛など知らぬまま子を成し、新たな勇者を産んだあとも仕事に励み、死ぬのだと思っていた。


 そんな自分が翼を宿し、大空を飛ぶなんて夢にも思っていなかった。


 全てはハタノのお陰だ。

 元より愛など一切無く――けれど今は明白に彼を愛しく思い、大切にしたいという気持ちを自覚し、……ついつい気を許しすぎるせいで、甘えてしまうことのある旦那。

 彼のお陰で、自分は空を見上げることが出来るようになったと、チヒロははっきり明言できる。


 最近のチヒロは帰宅も早い。


 仕事をし、家に帰り、旦那を待つ。

 旦那が帰宅したら「お帰りなさい」と挨拶し、お風呂に入り、食事をともにしたのち、ゆるりと夫婦の時間を過ごす。

 抱き合う時もあれば、ただ何となくじゃれあう時もある……


 そんなごく普通の生活が、チヒロの胸をたまらなく満たしてくれる。


「……私には、身に余る幸福です」

「くく。旦那に愛されてるなぁ、チヒロ。まあ、余もいまのところ奴を害する気はない。そなたらが懐いてる限り、夫婦の邪魔はせんよ」


 けらけらと雷帝様が背中で笑い、――その気配がぴりっと雷を帯びた。

 チヒロは無意識のうちに、神経を尖らせる。


「だが残念なことに、世の中、幸せなことばかりではない。……チヒロ。そなたはここ最近の事件について、妙に思ったことはないか?」

「と、仰いますと」

「そなたは兵器に詳しくないだろうが、物事には進化の順序というものがあってな? 普通、世の中にいきなりぽん、と”銃”や”宝玉”なんてものは出てこんのだ」

「そうなのですか?」

「元々この世界にも、火薬を用いて金属片を飛ばす技術はあった。が、それは並の剣くらいでかい筒を用いるものであり、連射も不可能な代物だ。――それがある日突然、胸ポケットに入るサイズかつ、連発できる小型暗殺兵器に大変身、なんてことは歴史的にあり得ん」


 雷帝様に言わせれば、”銃”という兵器の小型化は、あまりにも不自然。

 いま騒ぎの元となっている”宝玉”も、同じだという。


「更に言えば、ハタノの知識もこれに該当する。奴の場合、本人の性格が良いため大事には至ってないが、あの技術は使いようによっては恐ろしい変貌をしかねんぞ」

「そうなのですか。……雷帝様は、その原因に心当たりが?」

「チヒロは”異界の穴”と呼ばれるものを知っているか」


 異界の穴。御伽話として聞いたことがある。

 この大陸の創世にまつわる、神話のひとつだ。


 雷帝様が諳んじるように、語る。


「昔、この大陸には人と動物が仲良く住んでいた。あるとき一度目の”異界の穴”が現れ、魔獣が現れた。竜。巨人。ゴブリン。奴裏は普通の生物ではおよそ考えられぬ力と凶暴性を持ち、人々を恐怖に陥れたという」

「おとぎ話ですね」

「人々は魔物の恐ろしさに絶望しながら、日々を過ごしていたが……ある日二度目の”異界の穴”が現れ、我ら人間に”才”と呼ばれる力を持つものが現れた。それらは別世界で、スキル、ジョブ、アビリティ等と呼ばれているらしいが、そういった特異な人間が生まれた」


 人類は力をつけ、魔物を追い返し――

 同時に人々は強すぎる”才”を持つ者を恐れ、迫害した。

 そうして国外へと追放された祖先の一人が、荒れ果てた大地に国を興した。


 それが帝国の神、初代皇帝の伝説に繋がる。


「そして今、三度目の”異界の穴”が出現している可能性がある」

「”宝玉”も、その異世界からもたらされた兵器、と?」

「魔法で改造はしてあるが、”宝玉”も、元はクラスター爆弾と呼ばれる代物らしい。一度の爆発とともに小型爆弾をばらまき、超広範囲を殲滅する極めて悪質な兵器。それを魔力により殺傷力を高めた形だ」

「それは……厄介で、」

「その程度で済めば良いのだが、場合によってはもっと厄介なモノが持ち込まれる可能性があるらしい」


 チヒロの眉が曇る。

 帝都を半壊させかねない兵器を、その程度、とは?


「まだ情報は分析中だが、nuclear weaponだのhydrogen bombだのという頭のおかしなモノが飛び出てくる可能性もあるらしい」


 発音が特徴的だったせいで、チヒロはうまく聞き取れなかった。

 が、チヒロが考えるべき問題はそこではない。

 雷帝様がチヒロに機密情報を降ろす理由は、たったひとつ。


「雷帝様。つまり私に、”異界の穴”を閉じる命が下る可能性がある、と」

「場合によっては、そなたに死地命令を下さねばならぬ。相手はそなたの翼と命を対価にして、余りある代物。そなたの母もまた、似たような未曾有の危機を防ぐために死んで貰ったからな」


 雷帝様の発言は、帝国の柱としては当然のものだ。

 そしてかの雷帝様がそこまで仰るのであれば、その兵器は恐るべき破壊力を持つのだろう。

 ”勇者”として帝国のために戦うチヒロが、その任務に命を賭けて立ち向かい、そして死ぬのはごく自然なこと。


 ――そう、昔なら迷いなく思えた。

 疑問の一つも抱かず、むしろ、チヒロの命を心配するような奴がいたら「仕事の邪魔をするな」と、吐き捨てただろう。

 勇者として、帝国を守ることは当然だと。


 ……けれど。


 チヒロは自らの心に生まれた痛みに、顔をしかめる。

 その正体について、チヒロはもちろん心当たりがあったし、今さら誤魔化すことなどしない。


 自分一人の命なら、いくらでも捧げよう。

 ……けど、今チヒロが太陽の下で空を飛び、乾いていたはずの心が満たされ、生きていることに愛しさを感じているのは……


 けど、自分は勇者でもある――


「雷帝様」

「言いたいことがあれば、聞こう。空には誰もおらぬ。帝国の信条に反する言葉も聞こう」


 チヒロの言いたいことくらい、雷帝様はとうに察しているだろう。

 それでも、言葉にする。


「雷帝様。その返答は……保留できるものでしょうか」

「戦況次第だな。が、余が”命令”だと言えば、それは絶対の命令になる。そして余は、そなたやハタノがそういう事態に直面したとき、逃げ手をうつような人間でないと推察している」


 雷帝様の話は、チヒロもあながち間違いではないなと思う。


 チヒロの旦那は、口では仕事が好きではないと言いながら、最後は決して人命を見捨てない方だ。

 同時に、チヒロと同じかそれ以上に、合理的で職務に忠実。

 そんな彼が帝国を、多大な人命をおいそれと見捨てて逃げるとも思わないし、……そんな彼だから、チヒロは彼を好きになった。


 ……けど、この命令に従うことは。

 すなわち……


「まあ、全ては仮定の話よ。最悪の事態にならぬよう策は打っている。帝国最大の切り札たる”秘帝”にも動いて貰っておるしな」

「……そういえば私は、まだ”秘帝”様にお会いしたことがありませんね」

「会っておるぞ? そなたがアレを”秘帝”と認識できてないだけでな?」


 チヒロは首を傾げるも、すぐに考えるのを止めた。

 必要があれば、雷帝様はきちんとチヒロに情報を降ろしてくれるだろう。


(……けど)


 チヒロは未来を憂いつつ、旦那の顔を思い出し――

 雷帝様の命令でも、簡単に死ぬ訳にはいかないな、と祈る。



 チヒロの命は、いまやチヒロ一人のものではない。

 自分以上に、彼の幸せにも関わってるのだと拳を握り、力強く空を飛んだ。










「ところでな、チヒロ。空なら秘密話もやりやすいと思って聞くが、そなた、旦那とは毎晩よろしくやってるのか? 余もいい加減、男を見繕わねばならぬのだが難航しててな。そこで是非、人妻の魅力を教えて欲しいのだが」

「雷帝様……すみませんが、ご遠慮しておきます」

「えぇ~? よいであろうに、女同士なのだからっ」

「女同士でもそのような話は致しません。それに……」


 チヒロが口ごもる。

 雷帝が、ん? と耳を寄せると、彼女はほんのりと頬を染めながら、呟いた。


「私が妻としての顔を見せるのは、旦那様だけに、と決めてますから」

「お前な。その愛情、隠してるつもりかもしれんが周囲に漏れまくってるからな?」

「そ、そうなのですか?」

「最近お前から漂う旦那ラブラブ人妻オーラが凄くて、余も胸焼けしそうなのだ」


 周りに人が居たら死ぬからなと言われ、チヒロは「???」と首を傾げた。



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