3-9.「あれは生まれが悪いんじゃなくて、生まれを言い訳にして、努力をしてこなかったのが悪いだけよ」
「くそっ。くそっ、くそっ! 何だこれは、お前達いったいどういうつもりだ!」
広い会議室に、怒号が響く。
椅子を蹴飛ばし荒れているのは、グリーグ特級治癒師だ。
蛇のようにか細い瞳をかっと見開き、白衣を揺らしながら盛大に唾を飛ばしている様に、普段の狡猾な様子は窺えない。
醜態を晒しながら、グリーグは会議室に残った特級治癒師――
エリザベラ、ネイ、ホルスの三人の前で、机を叩きつける。
「エリザベラ! 貴様いつの間に奴の側についた?」
「あたし元々あんたの味方じゃないし。てゆーか治癒師として尊敬するの、ガイレスのクソ爺くらいだし?」
「っ……! ホルス、お前も奴の味方か?」
「否。拙者はいつだって強い者の味方である」
「私の背後にはムスリ侯爵も、城帝様もついている! いくら相手が雷帝様の派閥であれど、そう簡単に手出しは……」
「しかし先日、帝都中央治癒院の特別病棟でテロ事件があったでござろう? それに巻き込まれて、城帝派の長老殿が亡くなられた」
「っ……」
「拙者はやはり、雷帝様は恐ろしいと感じるでござる。臆病者であるからなぁ」
グリーグは続けてネイを睨むも、かの研究女は全く興味なさそうに、手帳を開いてニヤニヤしていた。
研究成果をまとめ、ご満悦に浸っているらしい。
「貴様もか、ネイ。お前も奴の側か?」
「楽しみ」
「はぁ?」
「人の身で竜魔力を宿した勇者。早く解析したい……」
こいつ話全然聞いてねぇ!
が、完全にモノで買収されているのは分かる!
「くそ! どいつもこいつも、あんな奴に籠絡されよって! エリザベラ、貴様は新米だから分からんだろうが、特級治癒師というのはもっと己の”才”に誇りを持つべきだ!」
「それあんたが言う? 治癒師なら治癒しなさいよ。あたしはね、あんたやホルスみたいな政治屋に興味は無いの。それに治癒師の誇りなら、ハタノの方がよほど持ってるし。”才”も”誇り”も劣るくせに歳だけ食ってる雑魚は黙ってろ」
「っ、こ、小娘があっ……!」
「あんたの相手するくらいなら、ネイと治癒研究の話してる方がマシよ」
「同意。バカザベラもたまには良いこと言う」
「バカザベラっていうな、エリザベラよ!」
若い女二人がきゃあきゃあと騒ぎ、ホルスが苦笑しながら続く。
「若いお二方はさておき、グリーグ教授。そろそろ潮時だと思いますぞ。今のうちに、ハタノ院長に尻尾を振っておく方が得策かと」
「ふざけるな。あんな若造に……!」
「確かに彼は若く、立ち回りは弱い面はある。が、代わりに彼は――本人が自覚しているかは知らぬが、一途な面がある。それ故に、雷帝様、勇者チヒロ、そして事実上ガイレス教授の信頼を得ている。もしかしたら城帝様も、な」
「……は?」
「かの城帝様が、己の脅威となる者を易々とあの城に住まわせるとは思えぬのだ、拙者は。それに噂によれば、炎帝様も院長殿と交流があると聞く」
腕を組み、うんうんと語るホルス。
結局、ホルスがどちらの味方につくか迷っていたのは、ハタノの人間性が不透明だったからだ。
他者を利用し、すぐ裏切るような男であれば、ホルスもハタノの肩を持つ気はない。
が、先日の妻ラブラブ宣言をしかと聞いたホルスは、彼を、ただの惚気男……いや、誠実な治癒師だと判断した。
であれば、ハタノに自身の身を預けた方が、安全。
ホルスには人としてのプライドや気概は一切ないが、自身の危機に対する反応だけは異様に早いのだ。
ホルスが誘うように、グリーグ教授に囁く。
「グリーグ教授。拙者の言葉は届かぬだろうが、助言させて頂く。……頭を下げるなら、今だ。ハタノ院長は、己の身内に敵対する者には冷たくあたるが、頭を下げてきた者には弱そうに見える。実に甘いお方だが、それを利用し、彼の懐に潜り込んでおく方が人生は安泰であるぞ?」
「っ、ふ、ふざけるな……誰が、あんな奴に……!」
「ここが分水嶺。人生の分かれ道と考えよ。貴殿が賢明な判断をすることを祈りたい。ゆめゆめ自棄にならぬよう」
仕事があるので、とホルス教授が席を立った。
ネイも黙って会議室を後にし、最後にエリザベラも勉強会の準備のため、席を立って。
「グリーグ。あんたさ、”特級治癒師”って言葉に振り回されすぎじゃない?」
「っ!?」
「そりゃああたしは誰もが認める天才だけど、特級だから凄い、ってモンじゃないわよ? ……って、あたしはハタノに学んだわ。あんたも人生含めて学ぶなら、今じゃない?」
その発言は。
エリザベラには、決してその気はなかったが――
グリーグ教授を卑下しているような含みを持って響き、彼のプライドを著しく刺激した。
(クソ。ふざけるな。ふざけるなっっっ!!!)
一人残されたグリーグは、ギチギチと歯ぎしりをしながら頭をかきむしる。
全て、上手くいくはずだった。
公聴会でハタノを引きずり落とすまでは行かずとも、悪評をばら撒くには十分なはずだった。
奴はしょせん、一級治癒師。
”才”社会たる帝国において、あの男が幾ら言葉を連ねようとも、聴衆の耳に届くはずがない。
そう、思っていた。
しかし現実はどうだ?
奴は卑劣にも”特級治癒師”にして元院長ガイレスを利用し、己の言葉を間接的に届かせた。
しかも本題とは全く異なる、治癒師としてのあり方、などという抽象的な話で、だ。
それを卑怯と言わずして何と言う?
(これだから”才”ある奴らは……私の苦労も知らずっ……!)
グリーグが苛立ち、嫉妬心をかき立てるのには理由がある。
特級治癒師でありながら、彼は誰よりも特級治癒師としての”才”に欠けていた。
――生まれつきの、魔力欠損症。
グリーグは帝国の判定上では特級治癒師に分類されるが、本来”特級治癒師”として持つべき魔力には届いていない。
魔力総量は、ネイとホルスの、およそ七割弱。
エリザベラと比較するなら、四割に届くかも怪しい域だ。
もちろん並の一級治癒師では相手にならない魔力を秘めてはいるものの、劣等感を抱かずにはいられない。
その上グリーグは、特級クラスの”才”持ちが持つべき切り札を持っていない。
ガイレスの”生命生成”。
エリザベラの”広域治癒”。
ネイの”解析”。
ホルスの”偽りの治癒”。
特級治癒師、それも一個人にしか許されない切り札を、グリーグは扱えない。
それは”特級治癒師”のアイデンティティそのものをぐらつかせ、治癒師として劣っている証として、彼の劣等感をふつふつとかき立てる。
ゆえに、彼は他の治癒師を引きずり落とさねば、自分を保てない。
そんな彼にとって……
自分よりも若く。
一級という”才”も劣る人間が、よりにもよって”院長”等という立場につくなど決してあってはならない。
(世の中は不平等だ。あんな卑怯で卑劣な男が、一生懸命がんばっている私を差し置いて、上に立つなど……っ! だが、どうする。奴は見た目以上に狡猾だ。私の子飼い共も、風向きが悪いとなれば奴の側につくだろう。その前に、早く)
奴は帝都中央治癒院での立場を固めた後、グリーグを要職から必ず追い落とすだろう。
何故なら彼自身がそうやって、敵対する者を追い落としてきたからだ。
医療ミスを装い失態を被せ、時には陰口を囁き、人心を操り――自分が成してきたことを敵にされない道理はない。
充血した眼を見開き、グリーグ教授は一人ぶつぶつと貧乏揺すりをする。
奴さえいなくなれば。
奴さえ、いなくなれば。
ああ。全ては私が半端な特級治癒師として生まれてきたのが悪いのだ。
出自が悪い。親が悪い。人脈が悪い。
帝国が悪い雷帝が悪いガイレスが悪い帝が悪い、そして何より、ハタノが悪い。
(あいつを殺さねば、私が殺られる。これは正当防衛だ。奴が私をあざ笑い、馬鹿にしたのが悪いのだ。だから私は悪くない。悪くないのだ――)
*
会議室から戻る途中、ふと、ホルスはエリザベラに呟いた。
「エリザベラ殿。すまぬが、グリーグ教授の様子を見てて貰えんかね? ああいうタイプは拗らせると、何をするか分からん。ハタノ院長は他人の悪意に疎いところがあるからな。君からフォローを」
「アタシに向いてると思う? それ」
「全く思わんが、ネイ殿よりましかと……グリーグ教授も、生まれさえまっとうであれば、ああも拗れなかっただろうに」
同情をみせるホルスに、はっ、と。
エリザベラは馬鹿にしたように、鼻で笑った。
「違うわね。あれは生まれが悪いんじゃなくて、生まれを言い訳にして、努力をしてこなかったのが悪いだけよ。少なくともあたしは、魔力や”才”を鍛えるという意味で怠ったことはないわ」
「その割に、ハタノ院長にはボコボコにされたようだが」
「うっさいわね! ”才”さえ鍛えてれば治癒師なんて楽勝と思ってただけよ!!!」
キンキン声で叫ぶエリザベラに、小さく苦笑しつつ。
人間、誰しもこれくらい素直であればよいのにな、と密かに思うホルスであった。
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