3-5.「誤解です」
貴族ハニシカと、シィラの治癒。
特級治癒師ホルス教授、およびネイ教授との会話。
グリーグ教授から受けた嫌がらせも含め、ハタノは痛感したことがある。
――自分はどうも、誰かの上に立つ器にはないらしい、と。
「チヒロさん。ひとつお聞きしたいのですが、私は人を頼るのが苦手でしょうか」
帰宅した夜、チヒロが煎れてくれた紅茶を頂きながら呟く。
最近すっかり旦那を待つのが板についたチヒロは、きょとんとしつつも、ハタノの呟きにゆるりと優しい眼を浮かべた。
「そうですね。旦那様は人のお世話を焼くのは得意ですが、人に頼るのは苦手かと。それに、人を使うのも苦手そうです」
「そうですか……」
「旦那様は私と同じく、好き好んででないでしょうが、現場型の人間です。事件が起きればいつだって、私とともに真っ先に飛んで向かったではありませんか」
確かに迷宮事件の時も、帝都中央治癒院テロ事件でも、ハタノ達はすぐさま突入した。
あの場ではああするしか無かったとは思うが、現場人間であると言われたら否定はできない。
「そして、旦那様。現場で活動することと、指揮を執ることは、元より別の技術が求められます。すばらしい武勲をもつ勇者が、すばらしい指導者になるとは限らないのと同じ。……帝国は慣例的に”才”が高いものが要職につきますが、結果として頭の悪い貴族がトップに立っている事例も、多くあります」
「確かに……」
その実態は、ハタノが幾度も見てきた通りだ。
ただそうなると、ハタノ自身もまた無能な上司、ということになってしまう。
治癒師は、結果が全て。
その言葉は、ハタノ自身にも当然向けられる。
まあ、帝都中央治癒院のような大組織が、たかだか一月程度で変わることも無いとは理解しているが……。
「チヒロさん。私は、どうしたら良いと思いますか? もしチヒロさんが同じ立場なら、どうされるかなと」
ハタノは素直に、己の悩みを打ち明けた。
以前の自分であれば、妻に悩みを打ち明けるなんて、到底出来なかったが――
今のハタノなら、割と素直にするりと言葉が出る。
これも成長なのかな、と、ハタノはいまの自分を不思議に思いながら問うと、チヒロは柔らかそうな指先をそっと顎に当てて、考えた。
「……これは、私の母の言葉ですが。”勇者”も”治癒師”も結果が全て。勝てば官軍。私は”勇者”であり、帝国に仇成す者から民を守るのが仕事。とはいえ、私にも母にも出来ないことは沢山あります。その時は……」
「その時は?」
「苦手なものは、得意なものに任せることで最善を尽くす。が、基本かと」
「なるほど。しかし……」
ハタノが任命されたのは、院長職。
その仕事の代理を任せられる人物など、いるはずがない。
雷帝様に任命されたのは自分であり、であれば、自分が責任をもって全てをやる必要が――
……いや。待てよ?
本当に、代理は居ないのか?
「…………」
その閃きが走ったのは、本当に偶然だった。
ハタノが院長職につく前には、当然ながら前任者がいた。
その人物はハタノが知る限り、帝都中央治癒院について最も造詣が深く、名実ともに帝国最強の治癒師だ。
(いやしかし、今さら頼るというのも。というか、本人が絶対に嫌がりそうですし)
だが、妻が今しがた口にしたではないか。
”勇者”も”治癒師”も、最後は結果を出せればよい。
自分でやろうと、他人に任せようと、結果は結果でありそこに違いはない。
……いやしかし。
しかし――と、ハタノがじっと眉をひそめていると……。
「旦那様」
ふわり、と。
いつの間にか背後に回ったチヒロが、ハタノに。
じゃれつくように、きゅっと首筋に腕を回し、するりと身体を寄せてきた。
「私が言えた筋ではありませんが、人に頼るのは、決して弱さではありません。何か閃いたのであれば、試してみては如何でしょうか」
「……チヒロさん」
「かつての私も、仕事は一人ですべて完結すべきだと思っていました。ですが……そうしていたら、今の私はここにおりません。旦那様に背を預けたからこそ、いまの私がここに居るのですからね」
囁きながら、ハタノの肩に顎を乗せ、甘えるように頬ずりしてくるチヒロ。
ハタノは、……黙っていたが、最近またまたチヒロの愛情表現が愛おしくなった気がして、ほんのりと頬が熱くなる。
(最近チヒロさんが竜魔力に満たされたせいか、甘え方が犬っぽいというか)
これはこれで大変可愛らしく、つい甘やかしたくなるが。
もう少しだけ我慢、と、ハタノはぐっと拳を握って理性をフル回転させる。
――人に頼る。
――人を使う。
自分に苦手なことは、他人に任せてしまってもいい。
それは決して、逃げではない。
時には一度敵対した者に頼るのだって、悪い選択ではないはずだ。
(何より、試しもせず勝手な思い込みだけで、選択肢を切ってしまうのはよくありません)
閃いた以上は、試してみよう。
自分にできる最善を尽くしてこそ治癒師だという、ハタノの、いつも通りの理念に則って動く。それだけのことだ。
決断したら、あとの行動は早かった。
明日、顔を見せにいこう。その上で聞いてみよう、とハタノは考えつつ礼をする。
「ありがとうございます、チヒロさん。お陰様で、方針が固まりました」
「それは良かったです。……ところで、旦那様。旦那様のお手伝いをした代わりに、私からも頼み事がありまして」
「おや」
何でしょう、と、ハタノは自分の肩に顔を寄せていた妻へと、顔を向けようとして――
唇をふさぐように、ちゅ、と。
淡い口づけを交わされ、ハタノは驚き、固まってしまう。
チヒロがくすっと笑いながら、ハタノの上着へと絡みつくように指先を伸ばし。
さわさわと意味ありげに、その上半身をなぞっていく。
彼女の顔がほんのり紅色に染まっているのは、見なくても分かるだろう。
「お仕事熱心な旦那様も、嫌いではありませんが……私達は夫婦です。私のために時間を使って頂くのもまた、旦那様の大切なお仕事だと思うのです」
「チヒロさん?」
「す、すみません。なんだか最近、私はどうにも甘えん坊になってしまったようで。求めすぎるのは宜しくないと、分かってはいるのですが……」
自分で口にしておきながら、もじ、と遠慮がちに指を絡めつつ顔を引っ込めるチヒロ。
そこまで誘っておきながらと思う一方、チヒロにもまだ、甘えることに遠慮が残っているのかもしれない。
そんな彼女を甘やかすのも、旦那の役目だろう。
ハタノが笑い、おいで、と返事の代わりに自分の膝を叩く。
チヒロがはにかみ、くるん、とソファを飛び越え、ハタノの横へ。
銀髪をさらりと分ければ、耳元まで薄い赤に染まったチヒロの顔が露わになり、ハタノは可愛いなあと思いながら返事代わりの口づけを返す。
「ご相談に乗って頂いたぶん、今日は仲良くしましょうか」
「いえ。相談に乗ったのは私の勝手ですので、気になさることは……」
「では関係なく、今日は仲良くしましょうか」
「は、はい。そうして貰えると、嬉しい、です」
チヒロさんも素直になったなあ、と、ハタノがくすくすと笑い。
その様子に、もうっ、とチヒロが拗ねたようにハタノの肩を叩きつつ、そのまま夫婦の時間に入ろうと身を寄せてきて――
「ん。……? 旦那様?」
「はい。何か?」
「……。……旦那様の身体から、ほんのりと、別の女の魔力が香りますが……」
あ。
しまった。
そういえば今日の昼前、ネイ教授に「三人で番になりましょう」と、ぐいぐい迫られたのを思い出す。
「……旦那様?」
「誤解です」
「……(無言の抗議の目)」
「ほ、本当ですって。チヒロさんならご理解頂けるかと……」
「旦那様ってなにげに、若い女性にばかり手を出してますよね。シィラさんにミカさん、帝都に来てからは若いエリザベラ教授に、確か、ネイ教授でしたか。特級治癒師がたまたま代替わりの時期とはいえ”勇者”に並ぶ若くて才ある女性に、こんなにも言い寄られて……」
「ち、チヒロさん!?」
むすぅ、と頬を膨らませるチヒロ。
もちろんハタノは、彼女の抗議が、愛らしく甘えたい気持ちの現れであることも、理解しているが……。
(今日はいつも以上に、可愛がってあげた方が良さそうですね。その方が、私も嬉しいですけれど)
チヒロの態度に苦笑しつつ、相変わらず可愛らしい妻だなあ……と色ぼけしながら、返事の代わりにチヒロの首元をそっとさする。
ひゃっ、と飛び上がる妻に笑いつつその身を抱き、今日のお返しとばかりに、ハタノは彼女の唇を柔らかくついばむのだった。
*
そして迎えた、数日後。
グリーグ教授により開かれた公聴会。
でっち上げられた不正流用の件について、院長の弁明が行われる当日――
ハタノは、その場に姿を現さなかった。
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